第十八話 陰謀説 仮説その1、「魔獣大喰らいとの遭遇は偶然ではなかった?」
次回は12月28日くらいに投稿します。
「ダグ兄、話の腰を折ってすまない。俺にもわかるように説明してくれ」
突然、椅子から立ち上がったかと思うとハンスが樹皮紙に書き写された呪印と大喰らいの関連性について質問してきた。
ソリトンは何も言って来ないが、頭の中で考えていることはハンスと大差がないのだろう。それを証拠にさっきからしきりに俺たちの様子を見ている。
「ふむ。ひと月ほど前、外に調査活動に出た際子供たちが水キツネと大喰らいに襲われそうになった。ハンス、ここまではいいか?」
「ああ。うちのシエラもみんなと一緒にどこかへ行ってしまった話だな。覚えているぞ」
「子供たちを助けに行った速人が水キツネと大喰らいを退治してくれた。そして、私は第十六都市に持ち帰った大喰らいの遺体を調べていた時に、大喰らいの身体にこれと同じ紋様があることに気がついたのだ」
「速人が大喰らいを倒して、ダグ兄が大喰らいの死骸を研究所に持って帰った。ううむ…。わかった、かもしれない…」
ハンスは大喰らいの遺体を持ち運びする際に手伝ったので、その辺りのことは覚えているようだがそれ以上のことはどうやらピンとこないようだった。
「それで、ダグ。今の話のどこに問題があるというんだ?」
どうやらハンスには今の話の中にどんな疑問点があるのか、わからないらしい。
そこでハンスの疑念をソリトンが代弁してくれた。いや。多分、ソリトンもわかっていないということか。
エイリークとハンスとソリトン、実はこの三人の頭の出来は大差がないということだろう。
俺はこの時、普段からのダグザの苦労を少しだけ理解することができた。
「魔獣は基本敵に自然に発生するものだが、呪印は人間が作り出したものだ。つまり、大喰らいの肉体に呪印が存在するからには誰かが飼っていた可能性があるということだ」
ダグザがここまで説明してもハンスは腕を組んで頭を捻っている。
しかし、ソリトンはすぐに反論してきた。
「魔獣を飼育するだと!?馬鹿な!!どんなメリットがあるというのだ。前にどんな魔法を使っても魔獣を制御することはできない、と俺たちに言ったのはダグじゃないか!」
「その通りだ。お前は正しいぞ、ソル。魔獣はある一定の段階まで成長すると体内で核を形成するようになる。学術的には魔法核、一般には魔晶石という名前で知られているものだ。そもそも魔晶石というものは生物同様独自の魔力波長を持つがゆえ精神に作用するような魔法が効きにくいという特性がある。魔晶石の加工には専門の技士が存在するくらいだからな。たとえこのデタラメな術式の呪印が、術者の期待通りの効果を発揮したとしても”大喰らい”を飼い殺しにしておくのは難しいだろうよ」
雪近が俺に耳打ちしてきた。
「速人。俺には全然わかんないんだけど…」
「要するに、鎖で縛って飼っておけない魔獣に誰がどういう理由で呪印を施したかって話だ」
次にディーが俺の袖を引っ張ってきた。
「どうして魔獣は飼っておけないの。だってさ魅了のおまじないとか、いろいろあるでしょ?俺の村じゃあ狩りをする時にたまに使ってたよ」
「魔晶石ってのは単体で高位の魔術師同様に独自の魔力波長を形成することができるんだ。魅了や催眠の魔法は対象の魔力波長、つまり人間の同士や普通の動物の場合は視覚か聴覚に依存するわけだが、それを知らなければ相手に魔法を仕掛けることはできない。わかるだろ?」
ディーはしばらく無言になってしまった。心なしか瞳の中にはてなマークが浮かんでいるような気がする。
雪近も同様に理解には至っていないようだ。
「まあ魔獣には生まれつき特別な力があって中途半端な魔法は受けつけない、くらいの考え方でいいと思うぞ。むしろ問題なのは魔獣を使って何かをやらかそうとしている人間がいるってことだ」
しかし同時に俺の中でも、先ほどのダグザの話の中にあった呪印に関する情報が引っ掛かっていることもまた事実だった。
魔法によるコントロールが効かない魔獣という生物。
そして本来の効果が期待できないデタラメな呪印。
この事が一体、何を意味するのか。
一度、ダグザと話合う必要があるだろう。
「ところでダグザさん。さっき言ってた”呪印がデタラメだ”って話だけど、あれは本当なのか?」
ダグザは見てもらった方が早い、と言わんばかりに机の上に広がる樹皮紙に手をかざす。
ダグザの掌を中心に幾重もの光の線が行き交い、重なり合いやがて呪印の全体図が樹皮紙の上に現れた。
もしかするとこれは液タブよりも便利かもしれない。
俺が元の世界の思い出に浸っている呪印の絵は完成していた。
後ろに多数の眷属を引きつれた鳥頭の巨人が向かい合って立っている。
二体の巨人は羽毛と皮膚の色が一方は白、もう一方は黒であり身に着けているものは多少違うが大まかなデザインは同じものだった。
俺は拙い知識を辿り、この白と黒の巨人がかつてのナインスリーブスの支配者である巨神であることを勘付く。
仮に白い方がオケアノスだとすれば、黒い方はエレボスだろうと当りつけていた。
だが俺にわかるのはここまでだ。
ダグザの言う「デタラメさ」にはまるで見当がつかない。
一方のダグザは俺が正答に辿り着いていないことを知ってか、勝ち誇った様子で見下している。
一度、首を左右二一回ずつ270度くらい回転させてやった方がいいのかもしれない。
「ああ。きっと君にはわからないだろうが(←強調)古代上位言語というものは配置に一定の形式いや法則めいたものがあって例えばこの巨神、神獣、大精霊なんかを連続して並べれば強力な力場を形成する神式を顕現できるというわけはないんだ。わからない専門用語があったらいつでも聞いてくれたまえ。丁寧に教えてあげるよ」
それは語尾に「ぶひひっ」とてもくっついていそうな粘着感あふれる一言だった。
ちなみにナインスリーブスにおける魔術の概念とは俺のもといた世界と大体同じもので大まかなものは最初の魔術「オーディンの十三の碑文」に起因するものである。
ゆえに儀式魔術の大半は神話の再現であり、人間の魔術師が神話の再現をした時は「神の式を通じて、神の典を顕現す」という風に言うらしい。
「つまりよくわかってない知識オタクみたいなヤツが、力のある言葉をゴテゴテと並べただけってことか?」
「その通り。魔晶石の粉を使っているから全くの無力というわけではないが、彼らの望む効力は得られなかっただろう。まあ、初心者にはありがちな失敗だな。ひひひっ」
こいつの嫌な笑い方、何とかならないものか。
「するとダグザさん、あの”大喰らい”はどこかから脱走してきてたというわけだな」
ダグザは無言で首を縦に振る。
気がつくと、それまで聞き役に徹していたソリトンたちの顔つきも真剣なものに変わっていた。
実際に戦った俺としてもあまり考えたくは無いがあれが意図して数を増やされ、どこかに身を潜めていると考えると流石に肝が冷えてくる。
絶対にヌンチャク一本では足りない。
「では、ダグ。俺たちはこれからどうすればいいんだ」
その時のソリトンの口調はいつもより冷静さに欠け、声もやや感情的なものになっていた。
ソリトンは自分よりも家族や友人の身を心配するタイプの人間だ。当然の反応かもしれない。
「ソル。俺たちのやることはいつもと変わらねーよ。都市の周りを地道にパトロールして、化け物が出てきたら退治する。慣れれば実に楽な仕事だ」
エイリークが端正な顔に不敵な笑みを浮かべながら余裕たっぷりに言った。
腰まで伸びた豪奢な金髪をかき上げながら大言壮語を吐くその姿は、勇将の宣戦布告のそれにも見える。 とにかく何をしても目立つ男なのである。
俺はこの粋ったインディーズバンドのロックシンガーのような男のことを少しだけ気に入っていた。
「そうだな。打って出ようにも今の俺たちには行き先もわからない。お前の言う通りだ、エイリーク」
エイリークの自信に満ちた言葉を聞いて、ソリトンは両腕を組んで目を閉じた。
ソリトンなりに納得して理解したというところだろう。
ハンスとダグザもソリトン同様にエイリークの言葉に従う姿勢を見せていた。
そして旧友三人の意を汲んだエイリークは俺に対して直に向き合う。
まあ、世話になっている以上俺も化け物退治を手伝うのはたぶさかではない。
「だがしかし。速人。テメーだけは絶対に許さねえ。俺の頸椎を破壊しようとしたのは絶対に許せねえが何よりも許せないのが俺の最愛のハニーと娘に手を出したことだ…。大の男が女に手を上げる、いやいや、やっぱり許せねえのは俺様の首をねじ切ろうとした。お前の罪は天よりも高く海よりも深え、ここで死ね!!ブサ糞チビ餓鬼ッッ!!」
エイリークは起き上がるなり俺の顔面に向かって前蹴りを打ってきた。
しかし、俺はこれを顔面で受け止める。エイリークの足の裏と俺の顔面が密着した。
凡百の戦士なら絶命してもおかしくはない威力の蹴りだが、ヌンチャクを極めんとする俺にとっては氷系のモンスターに向かってマヒャドの呪文を使うようなものである。
決して痛くないわけではないが、効かないことには違いないのだ。
エイリークの蹴りを受けながら俺は鼻血を流しながら笑うのみ。
「良いでしょう。降りかかる火の粉は払うのみ」
エイリークの剛の拳が俺の顔面に打つ。
即カウンターで俺の蹴りがエイリークの腹に突き刺さる。
互いに決して譲らない、まさに一進一退の攻防が繰り広げられる。
「げはっ!!…全然効いてねえぜ」
エイリークは口の端を素早く拭き取る。
その指先は赤く染まり、地面に吐いた唾にもまた血が混じっていた。
「ぐぅぅッ!!…家事で鍛えたこの身体。簡単に破壊できるものとは思わない方がいい」
俺はズレた顎を両手で押さえた。
そして一気に…ゴキンッ!!俺はエイリークのパンチを正面から受けたことで曲がってしまった首の骨を元の位置に戻した。
かなり強引の応急処置なのでもしも組手の最中に相手のハイキックを受け損なってしまった時には素直に病院に行った方がいいということだ。
「待ちな。二人とも」
一触即発となった俺たちの前に赤みがかった金髪の美女が現れる。
肩のあたりまで伸ばしたレッドブロンドの髪をかき上げ俺たちの間に割って入って来たその女性こそ誰であろうエイリークの妻であるマルグリットその人だった。
「エイリーク。仮にこの子をズタボロにしたところで一体誰がお昼ご飯を作るって言うんだい?」
マルグリットはややつり上がり気味のエメラルドの瞳でエイリークを睨みつける。
その姿は木の上から獲物を威嚇する豹のそれに似ていた。
しかし、エイリークにとってマルグリットに怒られるのはご褒美のようなものだったので結果エイリークの顔は普段の五割増しでだらしないものになってしまった。
だがエイリークとて馬鹿ではない。
昼飯という単語を聞いては流石のエイリークも戦意という名の刃を鞘に戻さざるを得なかった。
速人の作った極上の美味を知ってしまった今となっては、家族みんなで作った食料(仮)を我慢して食べる生活に戻ることなど出来はしないのだ。
「速人。お前が先に謝るなら全て水に流す」
「生意気言ってごめんなさい。マルグリットさん、後ろから叩いてごめんなさい。レミー、後ろから延髄を蹴ってごめんなさい。これからは二度とこういうことをしないように気をつけます。ごめんなさい」
速人はすぐに土下座をして謝った。
頭を下げては床に何度も頭をつける。
その表情は真剣そのものだけに誰も何も言えなくなってしまった。
速人に言わせれば、料理とは食べてくれる相手がいるからこそ初めて存在価値が生まれるものである。
どのような状況においても目的を達成する為ならば最善の方策を実行できることこそが、速人の長所だった。
「へっ!!わかりゃあいいんだよ!!」
エイリークとマルグリットは思ったよりもすんなりと許してくれたが、レミーは無言で速人を睨んでいた。
「ところで今日の昼飯は何だ?俺は腹が減ったぜ」
「アタシも気絶しているうちにすっかりお腹が空いちゃったよ」
その後、ダグザが何かを言おうとしていたが満場一致で昼食に移行することに決定した。
失意の中、がっくりと肩を落とすダグザを支えながら速人はキッチンに向かって行った。