第八話 制裁のドラゴンスープレックス!! ~風呂に入る前はカラダを洗え!!~
次回は11月28日に投稿する予定です。
風呂を前にして、俺は感慨に浸る。
洗面所と風呂はカビだらけで基礎の部分以外はほとんど作り直したので改装というよりも新装といった方がより正しいだろう。とにかく苦労したのだ。
今は新しく塗り替えられた壁を見ながら、俺は自身の力によって成し遂げられた仕事の心地よい感触に陶酔してしまう。
ここだけはシャレにならないぐらい酷い場所だった、と。
まず最初に家の中を掃除している時にこの場所までやって来ること自体が苦難の道のりだったのだ。
さらに辿り着いたその先が廃墟同然だったことに唖然としたものだが、俺も地元では「そうじ小僧」と呼ばれた男だ。登山家と呼ばれる人種が、目指す山が高ければ高いほど闘志を燃やすように、俺もまた半世紀近く放置されたゴミ屋敷を一新するという野心に心血を注いだのである。
ちなみに雪近とディーは入った途端に悪臭のあまり吐き出して、すぐに休ませた。奴らが軟弱なのではない。それほど酷かっただけの話だ。
俺は数日間、一人で魔境を踏破することになった。
カビでベタベタに腐った壁を壊し、残骸を撤去した後に基礎を汲んでレンガ積みからやり直したのである。
壁を張り替えて、塗料を塗った後もまだカビ臭かったのでしばらく出入り禁止にして香料をばら撒いておいたのも今となっては良い思い出だ。
隣のケイティ夫人が芳香剤の代わりにドライフラワーを提供してくれた。どうもありがとうございます。
俺はドライフラワーを受け取ったその日のうちにソリトン家に行ってお礼とばかりに特製ミートローフを持って行った。後でソリトンとケイティから俺の中心にゆで卵が入った特製ミートローフはおおむね好評だったと聞いた。
とにかく新しく用意された石の床の上を歩きながら、エイリークたちは洗面所に入って来た。
レミーとアインは洗面台のところにかけてある鏡を興味深そうに覗き込んでいる。
エイリークは中に何も入っていないゴミ箱を、マルグリットは壁にかけてあるタオルなどを手に取って見ていた。
「速人。この鏡どうしたんだ?」
レミーが突然、鏡の出所について尋ねてきた。
「屋根裏にあったものを磨いてからこっちに持ってきたんだ。一応、エイリークさんの許可は取ったぜ?」
レミーはしばらく鏡の中に映る自分の姿を見ていた。何よりもます自分の容姿が気になるあたりは年相応の女の子ということなのだろう。
「すげえな、お前。屋根裏に入ったのかよ。あそこは父さんと母ちゃんに入ったら出て来れなくなるから絶対に行くなって言われてたのに」
レミーに言われて気がついたことだが、俺としても屋根裏部屋に入って頭が蜘蛛の巣だらけになったのは初めての経験かもしれない。
しかし、一階に比べれば二階や屋根裏部屋はゴミが少なかったのも事実だ。
階段がゴミで塞がれていたのも原因の一つなのだろうが。果たして住人にとっても人外の秘境だった場所を家宅と呼んでも良いものか、と複雑な心境に陥りながらも俺は洗面所の奥にある浴室へと案内する。
「まあ、ここは風呂なんだが今回の改装工事では一番の出来だと思っている」
俺としては、浴室の改装は我ながらに会心の出来栄えだと思っている。
実際、もとの世界でワンマンバスルームの工事に立ち会った経験が生きたのだ。学習と努力と成果が身を結び、多少の興奮を禁じえない状態となっていた。
俺は激昂したイノシシのように鼻息を荒くして浴室の扉を開けた。
ガラガラガラ……、扉の向こうの純白の空間にエイリークたちも息を飲んでしまう。
「見てくれ、ハニー!!風呂だ!!俺の家に風呂があったよ!!三十三年、生きたけど自分の家に風呂があったなんて初めての経験だぜ!!」
エイリークは白いタイル張りの床に頬ずりしている。
見学会の前に軽く掃除しているわけだが、身長185センチくらいある大男がやると普通に気持ち悪いので止めて欲しいと思った。
マルグリットが浴槽の蓋を持ち上げる。浴槽の中は既にお湯で満たされていて、蓋を開けた途端に湯気が立ち上がっていた。
「アタシも三十三年、生きてきたけど家に風呂があるなんて初めての経験だよ。今までずっとケイティのところで風呂を使わせてもらうか、人のいない時にポンプから出る水で身体を洗うかだったからねえ。速人、アンタは子供なのに大したヤツさ!」
結果、エイリーク夫妻からどこの誰が聞いても決して素直に喜べないような感想を聞くことが出来た。
これも貴重な人生経験だと思うことにしよう。
レミーやアインは物珍しそうに俺が用意したへちまたわしや汲み桶、石鹸ボックスといったお風呂グッズを興味深そうに手に取って見ていた。
どうやら先ほどのエイリークとマルグリットのトンデモ発言は聞いていなかったらしい。この際だから不幸中の幸い、ということにしよう。
「ねえ、速人。これはどうやって使うの?」
アインが汲み桶と湯桶を見比べて、使い方を聞いてきた。
よく考えてみると前に一緒に行った公衆浴場には冷水のシャワーとプールみたいな広さの浴槽しかなかったような気がする。
おそらくアインは個人用のバスルームを使ったことがないから使い方を教える必要があるかもしれない。
「こっちの取っ手のついた桶はな…」
俺はお湯の入っていない汲み桶を手に取って使い方を説明しようとする。
だがその時、アインと俺の間にエイリークが電光石火の勢いで乱入してきた。
「待った!口で説明するより、実際に風呂に入って体験する方が良くはないか?」
今のエイリークは全身うっすらと汗をかき、吐く息も荒いものとなっていた。しかし方法論としては間違っていないはずなのに悪い予感しかしないのは何故だろうか。
「体験って、みんなの前で俺が風呂の入り方なんかを説明すればいいのか?」
エイリークは激しく首を横に振った。そして、シャツを一気に脱ぎ捨てる。
弛んだシャツの下からは見事なまでに鍛えられた筋骨たくましい肉体が現れる。
バンプアップされた胸筋と腹筋を震わせながら、エイリークは叫ぶ。
「だー!かー!らー!俺が今ここで風呂に入るんだよ!」
「ああ、なるほどね!」とマルグリットが手を打った。
そのまま二人で風呂に入りそうな勢いだったので、レミーとアインが一足先に父親の近くから引き離した。
だが時すでに遅し、エイリークは既にパンツを脱いで全裸になっていた。
俺はエイリークに「せめてチンチンは隠せ」と言わんばかりにタオルを手渡す。
エイリークは「空気読めよ?」とげんなりとした顔で俺を見ている。
俺はエイリークの服の表裏を元通りにして折り畳み、カゴの中に入れた。
その時、俺は信じられないものを目にする。心頭怒りを発す、とはこのことか。
浴室に戻るとエイリークが奇声を上げながら、浴槽に入ろうとしているところだったのだ。
俺にとっては人としてもっとも恥ずべき、禁断の行為であった。
「イィィ…ヤッホォォォォォーーー!!」
それは三十歳という年齢がいかに無駄な時間の蓄積だったかを考えさせられるような無邪気な叫びだった。
レミーとアインが途方に暮れている。
俺は出会った頃のレミーがやさぐれた態度になってしまったのは新しい環境に馴染めずにいただけではないことを悟った。
いつになっても大人になりきれないコイツ(エイリーク)のせいだ。
俺は気配を遮断し、音もなくエイリークの背後に回り込んだ。案の定、ヤツは俺の存在に気づいていない。
そして。
刹那の見切りが勝負を決めた。
「だが何よりも許せないのは体も洗わずに風呂に入ること…、誰であろうと俺が許さん!!」
俺はエイリークの背後から羽交い絞めにして、そのまま後方へと叩きつけた。
エイリークは両腕を極められている為に受け身を取ることが出来ない。
やけに渇いた衝突音。
その直後に俺は見事なレインボーアーチを描き、エイリークはその美しい金髪に覆われた後頭部を中心に赤い花が咲かせていた。
「がふッ!!」
エイリークが血を吐いた。
何となく汚いので後で自分で後始末させよう。
その後、俺はエイリークに浴槽に入る前に打ち湯をすませること、身体を洗っておくことを教えた。
エイリークは子供のように「うんうん」と頷く。
ようするに「わからないということがわかった」ということだろう。
俺は仕方なしに浴槽近くにある水槽(中にはお湯が入っている)に汲み桶を入れて、エイリークにかけてやった。
その後エイリークは俺に垢を落としてもらったり、背中を流してもらったり、さらに腰まであるクソ長い金髪を洗ってもらったりしていた。
髪の水抜きをした後、俺はエイリークの頭にバスタオルを巻いてから湯船に入れてやった。
エイリークは浴槽の中で腰を下ろし、肩までしっかりと湯に浸かった。
全身の毛穴から疲労や倦怠感がゆっくりと抜けていく、そんな心地になっているのだろうか。
いつの間にか気持ち悪いにやけ顔に変化している。
「ふうぅぅ…。まさか敵のお前に身体を洗ってもらうことになるとはな。人生とはつくづく侮れないものだと思うぜ」
風呂から沸き立つ湯気に包まれながら、エイリークは親指を立て満足そうに笑っている。
俺は湯桶やへちまたわしを洗った後に元の場所に戻しておいた。
風呂道具は使った後に軽く洗っておくと長持ちをする。みんなも覚えておこう。
(俺もまさかエイリーク(おっさん)の”前”まで洗うことになるとは思わなかったよ)
などと俺が考えている間にエイリークは湯船から出て来た。
すかさず俺は汲み桶で湯をかけてエイリークの身体についたお湯を洗い流す。
そして手拭いで全身を隈なく拭き取った後に、風呂から追い出した。
風呂上がりで上機嫌なエイリークは口笛を吹きながらバスタオルで全身を拭いている。
エイリークは俺が用意しておいたワインレッドのバスローブを羽織ると居間の方に行ってしまった。
エイリークに風邪を引かれても困るので、俺は下着を持って追いかけて行った。
マルグリットは風呂の扉を開き、中の様子を見た。
先ほどエイリークが入った後だが浴槽の中身は透明であり、嫌な臭いもしない。
マルグリットたちが普段使っている近所の公衆浴場はお世辞にも清潔とは言えない場所であり、リフレッシュどころか疲れが溜まる一方だったのである。
正直今でも自身は無いのだが、ここは自宅である。
自宅の風呂を使うことに何を迷うことがあろうというのか。
「せっかくだし、アタシらも入っちゃおうか?」
「え?まあ問題はないと思うけど…」
やや難色を示しながらも、ここ何日かの公衆浴場には辟易していたのでレミーはアインと母親と一緒に風呂に入ることになった。
こうしてエイリーク一家全員が自宅の風呂を体験することになったのである。
俺はかたく閉ざされた扉を前におおよその事情を察し、エイリークの待つ居間に戻って行くのであった。
ついにエイリークがお風呂に入りました。感動冷めやらぬままに改装一階編、終了です。次回からは二階編が始まります。