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第七話 天空のハム

 次回は11月25日になります。みたいな。


 俺は食堂前の扉を開き、部屋の中へとエイリーク一家を案内する。部屋の中央には大きな長方形のテーブルがあり、上座にはおそらく家の主人とその妻が座る椅子があって他には左と右に向かい合うようにして椅子がそれぞれ七つずつ置いてあった。


 まあ、俺が見つけた時は最初からこうだったわけではない。でかいテーブルと、その上にホコリを被った荷物がドカドカと置いてあっただけだったのだ。


 「ええッ!!ウチに食堂なんて本当にあったんだ…ッ!!」


 部屋に入っての事実上の家主であるエイリークの第一声がそれであった。


 それもそのはずである。この部屋はエイリークが生まれた頃は既に物置として使われていたからだった。 だのにいきなり白いフローリングの床に赤茶色の絨毯、さらにその横に木製の食器棚が並んでいれば驚くなというほうが無理だった。


 エイリークが食器棚を覗き込むとそこには綺麗に磨かれた数々の皿が並んでいた。

 間違ってもエイリークの記憶の片隅に残る、埃まみれの蜘蛛の巣だらけの割れた食器が無造作に置かれたそれではない。


 「アタシがガキの頃は少なくともここで物を食べようと思う勇者はいなかったねえ」


 マルグリットはテーブルや食器棚を見て回っていた。実に繊細な陶器製のあるいは貴金属性の食器が規則正しく並べてあった。

 あそこに芸術作品のように飾ってある食器を自分が触ろうものなら壊してしまうだろう。

 マルグリットは軽い眩暈を覚えた。

 そして、テーブルの横にある火の入っていない暖炉を見つけてさらに驚く。

 マルグリットの記憶ではエイリークの両親にこの家に連れて来られた時から冬は居間の真ん中でストーブを使って暖を取っていたはずなのだ。

 よく考えてみると先ほど案内された居間にも立派な暖炉があった。

 この手の話に疎いマルグリットでも過去にこの家に何があったのだろうかと考えてしまう。


 一方レミーは物の試しに椅子を引いて、座っていた。

 多分、真ん中の背もたれがやたらと高い席がエイリークの席だと見当をつける。

 椅子は新品同様に磨き上げられ、腰をかけるところにはクッションが敷いてある。実に座り心地も良い。


 レミーは自分の家が貧乏なことを知っていたのでこれらの品々は家のどこかにあったものだと考えていた。それでもきっと長年放置されていたのだから、かなり汚れていたことは間違いないだろう。


 「なあ、父さん。このテーブル、ずいぶん席が多いけどさ。昔は結構お客さんを招待していたりしてたのかよ」


 目の前にあるテーブルにはおそらくは家族用のものと思われる豪華な椅子が四脚(男性用、女性用、家専用とそれぞれ意匠が違う)、来客用のものが十四脚置いてある。


 「この家は俺の祖父さん、つまりレミーの曾祖父さんの頃に建てられたって聞いているんだけどよ。この家が出来たばかりの頃は使用人とかを雇っていて、住み込みで働かせていたくらい金があったそうだからな。すぐに退役しちまったが軍の要職についていたことがあったそうだから金も結構持ってたんだろ?まあ俺が生まれた頃には財産ひっくるめて全部使い果たしてボロ家になってtけど」


 しかし、エイリークの祖父には蓄財の才能が無かったらしく戦争の時にもらった報奨金や財産も全て使い果たしてしまったらしい。

 当然、その息子と孫にも蓄財の才能は皆無で給料をもらっては使い果たし、今現在に至るというわけだ。


 宝の持ち腐れとはこのことだな。


 エイリークは過去の出来事を笑って誤魔化そうとしたがレミーとアインの苦々しい表情を見て止めていた。

 

 俺は外に出していないつもりだったが、口の端を歪ませながら「クックック…」と不気味に笑っていた。


 あまりにも無礼な様子にレミーとエイリークは冷たい視線を向ける。


 「なあレミー。俺思うんだけどよ。アイツ、絶対俺たちのことを馬鹿にしてるぜ?」


 「その意見には俺も同感」


 俺はエイリークたちの非難めいた視線に気がつき、口元を隠した。

 前よりも視線のエッジが効いているような気がする。


 「じゃあ次はキッチンと倉庫を案内しますね」


 俺は気まずい雰囲気を払しょくする為に、俺の職場でもある調理場と食糧庫を案内することにした。


 エイリーク一家が補修された壁や床を見ながら、俺の後ろをついて来る。

 今のエイリークたちにとってこの家は「見知らぬ我が家」というところなのだろう。

 せいぜい驚くがいい。


 俺は食堂の奥にあるドアノブに手をかけ、調理場に続く通用口に案内した。

 向かって真っすぐに裏庭へと通じる扉があり、通用口を左に曲がった突き当りに調理場がやや手前にある扉の奥には食料を保存する為の倉庫があった。

 当然のようだが冷蔵庫はないので食料を長期保存することはできない。

 生肉、魚は当日あるいは塩漬けにして保存するのが基本だ。


 エイリークは裏庭へと続く扉を開閉していた。


 「すげえな、おい。俺ずっとここトイレだと思ってたよ」


 エイリークは不吉な言葉を口にする。

 この世界、ナインスリーブスにおいて都市部ではトイレは基本汲み取り式ということになる(地方の村落や町では垂れ流しが普通)のだがエイリークの家には三つほどトイレが存在した。

 俺は、そのうちの二つは便座が健在だったので綺麗に磨いて復活させたのだが残り一つは使わなくなった衣類が詰め込んであったので廃棄した。

 改装する時にハンスに紹介された石工の職人が使わないトイレ容器をタダで譲ってくれたのでそれを使わせてもらった。

 

 いやいや。要点はそこではない。


 俺は今後エイリーク一家に用を足す時は屋内のトイレを使うように言わなければならないことに気がついた。


 「用を足す時には一階はここのトイレか洗面所のトイレを、二階では小さい階段の近くにあるのを使ってくれよ?」


 そう言って俺は倉庫の隣にある扉を指さす。

 エイリークとその家族はトイレの扉を開けていた。

 小さな部屋の中央には蓋のついた座るタイプの白い便器が鎮座していた。

 端の方に小さな物置があり、その上にはピンクの花瓶に花を一輪さしておいた。

 この糞の臭気一つ感じられない清潔な空間にはエイリークを除く一家の人間たちは喜んでくれたようだ。


 レミーとマルグリットは花瓶にさしてある赤い花をみている。


 そして俺は断言する。人間は綺麗な身体で生まれて来るのではない。

 清潔なトイレに入って初めて清潔な生き物に生まれ変わるのだ。


 尻ふき棒のことはまた今度説明する。以上。


 「へっ!わかってるよ!一回使うごとに金をとられるんだろ!?」


 「だからエイリークさんの家だって言ってるだろ」


 エイリークたちは愕然とした顔で俺を見ていた。

 

 おそらく都市上層部にあるトイレの大半は水洗式で使う度に金を払わなければならないタイプのものだったのだろう。


 「しかし、うちにトイレなんてもんがあったんだなー。知らなかったマジで。あははは…」


 じゃあ今までどこで用を足していたのだろうか。


 …、…、…、。


 …俺は考えることを止めた。


 気を取り直して!!


 今度はエイリークたちを食糧庫に案内することにした。

 部屋の割り当てを考えている時、必要ないと思っていたが念の為扉には鍵をつけておいた。

 俺は懐にしまっておいた鍵を使って施錠された扉を開けた。

 部屋の奥には四つの大棚があり、そこに食料や飲料、予備の燃料などが規則正しく置かれていた。

 俺は棚の一番下に置かれている野菜の入った木箱を見せる。

 木箱の中には大根と人参、キャベツと白菜と南瓜などが入っていた。

 

 エイリークとマルグリットは「それはもういいから」と露骨に嫌な顔をする。


 これらの野菜はソリトンの義父ベックの畑を手伝った報酬としてもらったものである。


 「速人。これ何だ?」


 エイリークが向かって手前の棚の一番上の段に乗っている布に包まれた物体について聞いてきた。


 何という目ざとさ。肉食人類の鼻の性能には侮れないものがある。

 俺は包みを解いて中身を見せてやることにした。

 包みの正体とは、肉の塊を蒸した後に外側だけを焼いて特製塩ダレに漬けておいたハムだった。

 ちなみに今は形が崩れないように外側には糸を巻きつけてある。


 エイリークが、エサを目の前に「待て」と命令された子犬のような目つきで俺を見ている。


 「一枚。一枚だけでいいから。味見したい」


 エイリークは三歳の子供のような純真な瞳を俺に向ける。

 大の大人が恥も外聞も捨て頼み込んでくれば俺とて従わざるを得ない。

 ひとえに俺の作ったハムの魔力に屈したまでのこと。


 俺はハムを縛っている糸を取った後にボンレスハムの薄切りを一枚だけ切って、エイリークに渡した。


 ガツガツガツッ!!


 エイリーク欠食児童のようにボンレスハムを貪り食う!


 美味いのは当然だろう。俺のハムは調味液で肉独特の臭みを抜かれ、旨味を倍増されたボンレスハムと焼豚の長所を兼ね備えた至高の一品なのだ。

 さらに俺の作ったハムはもとの世界にいた頃は年末に百個くらいの注文があった超人気商品だったのだ。


 あっという間にハムを平らげてしまったエイリークは人差し指を立ておかわりを要求してきた。


 ククク…。貴様はもう俺の美食の虜なのだ。


 「もう一枚だけだ!もう一枚食べたら満足するから!」


 エイリークはそれこそ血を吐くような叫び声で俺に訴えてきた。

 しかし、俺にも料理人としての矜持がある。あのハムは明日の昼食であるクロワッサンのハムチーズサンドイッチに使う為に作られたハムなのだ。


 気まぐれで与えてよいものではない。


 俺は目に涙を浮かべ懇願するエイリークを突き放すように言った。


 許せ、エイリークよ。


 「駄目だ。これは本来、後半日ほどタレを馴染ませなければ完成には至らないハム。食べたければもう少しだけ待つがいい」


 ドシャアッ!!


 エイリークは地に両膝をついた。


 「速人、お前はいつだってそうだ。俺に一縷の望みを、希望を与えておきながら一時の気まぐれでいとも容易くそれを奪ってしまう。お前は人間じゃない。悪魔だ…。うおおおおおお!!!ハム食いてえええええええええ!!!」


 絶望に泣き咽ぶエイリークの姿があまりにも可哀想だったので、俺はハムの四分の一くらいを食べやすく切って与えることにした。

 しかし、皿の上に盛られたハムをエイリークが一人で食べようとしたのでハムを食べていないエイリークの家族は彼をボコボコにした。


 俺は一家がハムを食べ終わった頃を見計らって洗面所と風呂場にに案内することにした。

 洗面所と風呂は居間を通して食堂の反対側にある。

 エイリークの家は屋敷と呼んでも良いくらいの広さなので移動にはそれなりの時間を要した。

 そして、俺は顔に赤と青の痣をたくさん作ったエイリークを先頭に新装した洗面所の入り口まで連れて来た。


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