第六話 居間に飾られた一枚の絵。
次回は11月22日に投稿します。
「ホラホラ、お茶を淹れたから、気分転換にでも飲んでくれよ。お菓子もあるぜ?」
エイリークは湯気の立つティーカップを手に取って、お茶を飲んでいた。
マルグリットはクッキーをつまみながらお茶を飲んでいる。
どちらも環境の変化に対応できずに度々、周囲を警戒しながら過ごしている。
レミーとアインは普段と同じ様子でクッキーを食べながら、お茶を飲んでいた。
こういう場合は大人よりも子供のほうがタフなのかもしれない。レミーは壁にかかっている大きな絵を見た。三枚の絵に描かれている風景は皆どこかで見たような場所だった。
「父さん。あんな絵、うちにあったっけ。ていうかさ、どこの山だ?」
絵に描かれている風景のことが気になってレミーが指をさした。
エイリークは向かって左の壁にかけてある一本の木が小高い山の上に立っている描かれた絵を見ていた。
絵の中に描かれている場所はエイリークにとっては見覚えのある風景だった。
戦争で燃えてしまった見張りの山にそびえ立つトール一本杉、レミーが生まれる前に無くなってしまった場所だ。
「あれはマズル山だな。都市の裏口の外壁近くにある。昔、連れて行ってやったの覚えてないか?」
マズル山。
約一か月前、俺たちが第十六都市に戻ってきた時には正面からではなく、反対側にある裏門から戻ることになった。
元ボルク隊の老人たちが無許可で風精獣を持ち出したことが原因らしい。その時はほとんど夜で良く見えなかったが小さな山の近くを通ったような気がする。
しかし、その時はトール杉は見えなかったはずだ。
もう一つ、山の中腹からは山肌がむき出しになっていたような気もする。
「マズル山って、あのハゲ山のことかよ。あそこにトール杉なんて生えていたっけ?」
トール杉とはその昔、巨人族が魔法で作り出した宇宙樹を模倣して作られた魔術樹の一つである。
あれが一本立っているだけで大量の魔力を中継したり、集積することが出来る。
まあ、俺のもと住んでいた世界でいうところの発電所と電波塔を合わせたようなものだろうか。
もっとも第十六都市には例のトール杉よりも精巧に作られた人工宇宙樹であるヘイムダル大樹があるので必要があるとは思えないのだが、この辺りの経緯に関しては何かしら事情があるのかもしれない。
エイリークはどこか懐かしむような感じで消えてしまったトール一本杉について語り出した。
「ああ。実はな、第十六都市はダグの実家が持ってきた(※より正確には当時のルギオン家の当主が単独で精製することに成功した。すごい偉業)ヘイムダルの樹の出力が安定するまでは大まかな魔力の供給にはトール杉(※レッド同盟が辺境開発の為に持ち込んだもの)に頼っていたんだよ。んで、しばらくしてヘイムダルの樹の出力が安定してからはそっちをメインに頼ってるんだけど。俺のガキの頃にはけっこうな名物だったんだ。当時からあそこに木が立っていたら危ないから切ろう切ろうっていう話があったんだけど、第十六都市には金とか人間とかが圧倒的に足りなくて放置しておいたんだけどそれに敵が目をつけたんだよ。敵ってのはあれな、火焔巨神同盟」
宇宙樹はそれ自体が強大な魔導書のようなものである。
それが例え機能停止して廃棄されたものであったとしも魔術回路を暴走させれば一回きりの使い捨ての兵器として使うことは可能なはずだ。
なるほど。廃棄されたトール杉は不発弾のようなものだったのか。
と俺が一人合点している顔を見て、レミーはつまらなそうに「フン!」鼻を鳴らした。
だけど、こんなところで競われてもな。
俺はあつかいの難しい年頃(※同世代)の子供の負けん気の強さに苦笑する。
エイリークの昔話は続いた。
俺としても第十六都市とヨトゥン族の戦士を中心に構成された火焔巨神同盟を聞き逃すわけにはいかない。
ディーは、当然のようにエイリークの話に聞き入っている。ボロが出なければいいのだが…。
「火焔巨神同盟の連中は第十六都市を乗っ取るために、まず最初に廃棄されたマズル山のトール一本杉に目をつけた。何度か小規模な戦闘があって、連中を追い返すことに成功した時に…いろいろというか…まあいろいろあって、さらにいろいろあってだな。結果、俺とダールがマズル山のてっぺんまで登って火を放ったんだ。すげえ燃えたよ。死者は出なかったけど、それでも昔から世話になった山だから悲しかったよ」
レミーが突然、椅子から立ち上がってエイリークに詰め寄る。
いつもとは異なる煮え切らないエイリークの態度に腹を立てているのだろう。
雪近が出て行こうとしたので、俺は肩を掴んで止めた。
こういう時は他人が立ち入るべきではない。
俺が引き止めた理由を理解したのか、雪近は腕を組んでその場に止まる。
「いろいろって何だよ」
「ええと。交戦状態になったのは誰のせいなんだー!って責任問題になって議会で揉めたー、とか。だから木を燃やしとけって言っただろー!とか。好き放題いつヤツがたくさんいて、ダールが議長辞めたり代わりにスウェンが現職に復帰したり…」
ガタンッ!わざと大きな音を立て、マルグリットが立ち上がった。
目つきが厳しいものに変わっている。
「エイリーク、もっと大切なことがあっただろ?火焔巨神同盟のクズどもを追い払った最後の戦闘でマールが死んだこととかさ」
リュカオン族の英雄マルティネス、愛称はマールという。エイリークの実父であり、ソリトンとマルグリット、ハンス、モーガン、大雑把に言えば調査隊のメンバーにとっては育ての親でもある人物だ。
レミーにとっては祖父である。
俺の知る限りでは戦闘中に負傷したことが原因で死亡したとされる。
良くも悪くも情深いエイリークなら、レミーやアインには決して教えたくはない真実があるのだろう。
夫の煮え切らない態度が気に食わないのか、マルグリットはエイリークをさらに睨みつける。
エイリークは俯き、その場で黙り込んでしまった。
エイリークという男は単純脳筋かと思っていたが意外にメンタルが弱かった。
「レミー、アイン、よくお聞き。アンタらのお祖父さんのマールは戦いの中で背後から味方に斬られて大怪我をしたんだ。普通に斬られただけならマールは死ななかっただろうさ。だけど、あのクソ野郎アストライオスは武器に毒を塗っていたのさ。リュカオンにだけ効く特別な毒を。マールはベッドの中で死ぬまで苦しみ、別れの挨拶もしないで死んじまった。……アタシは正直、悔しいよ。アンタもダールも、マールもどうしてあんな糞野郎を庇うんだ」
マルグリットは涙を流し、その場で立ち尽くす。
レミーやアインも同様に沈黙したままになってしまった。
何だ、この展開は。家の見学会なのに。
どうしてこんなショッキングな話題が出てくるんだ。
あまりの予想外の展開に俺は部下の前で焼き土下座させられた大手グレー金融会社の幹部の心境を味わう。
だが、この程度の苦境でへこたれるような俺ではない。
なぜなら利根川行雄と俺では決定的な違いがあるからだ。
そう俺にはヌンチャクがあり、ヤツにはそれが無かった。
俺はエアヌンチャクを振り回し、現状の打開策を考える。話題の発端は俺が気を利かして掛けておいた”絵”だ。
まず”絵”を別のものに差し替える。
そして、エイリークは無類の自己耽溺主義者。ここでヌンチャクの回転をスピードアップ。
閃いた!!俺がエイリークのヌード絵でも描いて、代わりに掛けておくってのはどうだ!!
「いやいや。待てよ。俺そこまで自分好きじゃねえよ」
エイリークがちょっと引いたような感じで教えてくれた。
これからは気をつけよう。
マルグリット、レミー、アインもいつもの様子に戻っている。
俺の大事な何かが失われたような気もするがこの際だから結果オーライということにしよう。
「もしかして声に出ていましたか?」
それでも俺にとっては無意識の行動なので聞いてみることにした。
エイリークは一瞬だけ困ったような表情をする。
どうやら俺は思った以上に思っていることを口にするクセがあるようだ。
「お前さ、ヌンチャク振り回すフリすると思ったことを全部口に出すくせがあるから気をつけた方がいいぜ。つうかマジで自覚無かったの?」
真剣に心配されてしまった。
恥ずかしい!!穴があったらプラズマドリルハリケーンとかで地底に潜りたい!!
俺は「お茶のお代わりを用意します」と言ってキッチンに駆け足で戻った。
「まあ、うちの家庭事情が原因で速人にまで心配されちまったわけだがいい機会だったかもしれねえな。たしかに俺の親父は従弟のライオスに斬られたのが原因で死んだ。だけど、そのおかげでトール杉を処分しようって話に傾いたのも事実だ。その後も俺たちにとって大切な人間が戦争が原因でいっぱい死んだけど、何とかギリギリで戦争を終わらせることが出来たんだ。あの世の親父も「俺と俺の息子にしちゃあ上出来だ」ってほざいているだろうぜ」
エイリークは過去の話をそれがどうしたと言わんばかりに笑い飛ばしていた。
マルグリットはマルグリットで自分の中で何かが吹っ切れたのか物々しい雰囲気が和らいでいた。
レミーはまだ蟠りが残っているようでまだ不機嫌そうに口を閉じている。
アインはこの場において最年少ではあるが当事者たちの間で決着がついているのなら自分は口を出すべきではないと普段の穏やかな雰囲気に戻っていた。
俺は場の雰囲気に合わせてハーブの種類を変えてみる。
リラックスできるような、それでいて落ち着いた気持ちになれるような茶葉こそがこの場に似つかわしいだろう。
その後も俺が茶を淹れている間にエイリークは家族を引きつれて壁にかけられた他の絵を見て回っていた。
俺は仕事中だったので会話を断片的にしか聞くことはできなかったが、家の奥を掃除している最中に見つけた四枚の絵は全てダールが描いたものであることが判明した。
今のところ行方不明だが、家の中には幼い頃のエイリークと両親が描かれた絵も存在するらしい。
俺は機会をみつけてその絵画を捜してみようと考えながら、朝焼いたクッキーと温かいミルクで割ったハーブティー(カモミールっぽい味つけのやつ)をトレイに乗せて今に戻る。
するとマルグリットがレミーとアインを抱き締めている場面に遭遇してしまった。
実に気まずかったので一旦、部屋から出る。
俺は例の家族の肖像画を捜すのは、エイリークとマルグリットの許可を得てからにしようと思った。
「悪い悪い。ああ。もう入ってもいいぞ」
やばい。レミーとアインと目が合ってしまった。
俺の存在に気がついたレミーがマルグリットから急に離れる。俺の来訪に気がついたアインは顔を赤くしながら母親のもとから去って行った。
「今ちょっと取り込んでて、ごめんねー」
マルグリットが悪びれることなく謝罪する。
偶然とはいえ家族の対話を見てしまって気まずい思いをしている俺を前に、エイリークとマルグリットは軽い調子で返す。
全体的にナイーブな日本人として、この切り替えの速さは見習いたちところだ。
いや駄目だ。レミーが俺の方にやって来て「ここで見たことは絶対に口外するな」と言わんばかりに睨んで来た。
市原悦子演じる家政婦のようにわざとらしい笑顔を浮かべながらせっせとハーブティーのお代わりを注いだ。
「速人。絵はそのままにしておいてくれ。この先いろいろ思い出すかもしれないけれど忘れちゃあいけないこともたくさんあるからよ」
エイリークはハーブティーを飲みながら俺にそう言ってくれた。
そしてクッキーの入った皿に手を突っ込んで、口に運ぶ。
俺は軽く会釈した後に前に使っていたティーカップをキッチンの洗い場に運んだ。そして、部屋に戻ってくる。
部屋の中では家族四人仲良くクッキーの取り合いをしていた。このへんはご愛敬ということだろう。家族の他愛のない喧嘩を見守りながら、俺は次に食堂に案内することを考えていた。
「だから!俺が一家の主なの!一番、偉いの!もう少し食べたっていいよな!」
「アンタもう十分食べたでしょうが!最後の一枚はアタシのだからね!」
最後の一枚を巡ってエイリークとマルグリットが喧嘩をしている。
この状況を見越してのことかレミーとアインは既に自分の分をハンカチに包んで確保していた。
二人はアインが手持ちのクッキーを一枚分けてくれるまで喧嘩を続けていたという話だ。
俺は次からこの一家に食事を与える時には最初から別個に用意する必要があるということを学習する。
俺が焼いたクッキーが好評なのには嬉しいことなのだが、用意する度に服がボロボロになるまで喧嘩されては流石に困る。
とりあえず俺は当初の予定通りにエイリークたちを食堂へ案内することにした。ざっくりと説明すると居間の奥には大きな階段があり、向かって左が風呂で右が食堂がある。
余談だが、居間には暖炉があるのだが今は調整中だ。
掃除をしている時にディーから聞いた話なのだがナインスリーブスには暖房は魔力を用いたものと薪を燃やして暖かくするものと二種類存在するらしい。
薪ストーブならば元の世界で使ったことがあるので問題はないが、魔力を使う方は完全に専門外だったのでエイリークに使い方を聞いてから使おうと思っている。
もっとも今はこれから初夏を迎えようという時期なので使うことはないのだろうが。




