プロローグ 29 フロウディード・ホワイトフォグスマウンテン(ディーの本名)
次回は10月14日に投稿します。近いうちに「プロローグ」を「少年時代編」に変更して、「登場人物紹介」も書き直すかもしれません。
レミーに怒鳴られた後、速人と雪近は炊事場に来ていた。
食器の洗浄が終わっていた為に人気が無くなっていた。
しかし、速人は洗い終わった皿を拭かずに放置してあることに苛立ちを感じていた。
無言で渇いた布巾を手に取って次々と皿についた水気を拭き取る。速人の放つ危険なオーラに身の危険を感じた雪近はすぐに速人の仕事を手伝った。
「ったく。普段から食器洗ってねえヤツの仕事は最悪だな。スポンジの固いところでしっかり汚れを落としやがれってんだ」
この時、速人が実際にスコッチブライトを使って洗っているわけではないので適当な発言ではないのだが怒りの深さを感じた雪近は愛想笑いを浮かべながら首を縦に振る。
その後も速人は意味不明な発言を繰り返しながら食器についた水滴を一つ残らず拭き取ってゆく。
雪近は自動食器洗浄機のようにひたすら働き続ける速人の姿に圧倒されならが食器を拭き続けた。
やがて時間として十分と経たないうちに全ての食器が新品同様の輝きを放つまでになっていた。
雪近は慣れない作業の為に肩で息を切るほどに消耗してしまったが、速人は汗一つかいていない。気がつくと速人は汚物を見るような目で雪近を見ていた。
「ここにいない方がマシな働きっぷりだな、雪近よ。ところでディーは何て言っていたんだ?」
「ディーはその汁物っぽい食い物なら食べれるかもしれない、と言ってた。今はまだ横になってる。つうかその目つき止めてくれよ。俺だって頑張ったんだぜ?」
ぺっ!!
速人は地面に向かって唾を吐いた。
速人にとってはこの世に男子の泣き言ほど聞く価値のないものはない。
雪近は恐怖の為に後退りをしてしまう。
速人は闘牛を威嚇する闘牛犬のような顔つきで雪近に言った。
「もう皿洗いはいいから、ディーってヤツを起こしに行くぞ。まず食事を食わせる。お前の分もあるから安心しろ。食事の後にはいろいろ相談があるからその辺も説明しておけ」
速人は中身の入った鍋を火にかけた。
炊事場にはオーブンの他にも食べ物を温める道具が揃っているのだ。
火の魔法が使えればもう少し手間を省くことが出来るのだが無いものは仕方ない。速人は近いうちに七輪を作る必要があることを考えていた。
中鍋がすぐに沸騰してきたので速人は鍋の蓋を取った後にいつの間にか刻んであった青味の野菜を入れた。そして、速人はお玉で何回か御粥と野菜の入った鍋の中身をかき混ぜる。
色つやの塩梅からして野菜が全体的に茹で上がったように見えた。
速人はさらに鍋をかき混ぜ、溶き卵をさっとまわし入れた。
卵液が熱で固まる直前に鍋そのものをオーブンから引き上げる。ガスコンロではないので自在に火力を調節できないのが難点だ。
速人は卵粥に向かって仕上げの塩を二、三回に分けて振りかける。
ディーは日本人ではないので醤油を入れたい気持ちをぐっと堪えた。醤油の香気に慣れていない人間にとって不協和音以外の何ものでもないのだ。
「じゃあ俺は粥を取っておく皿を用意すればいいんだな?」
雪近は底の深い皿を何枚か手に持っていた。
速人は頭を縦に振ると、粥の入った鍋を持ってディーの待つテントに向かって歩き出した。
テントまでの道のりでエイリークたち調査隊のメンバーが既にテントを解体して、宿営地を引き払う準備をしえいることに気がついた。
道すがら速人はハンスやソリトンといった見知った人間に向かって軽く会釈をする。
作業に余裕が出てくるとこちらの様子を伺ってくる人間が出てくること可能性もある。
速人は何気にそんなことを考えながらテントまで速足で歩いて行った。雪近も速人に倣って駆け足でついてくる。やがて二人はテントの入り口に辿り着いた。
「ディー、朝飯を持ってきたぜ。入ってもいいか?」
雪近がテントの入り口に向かって声をかけた。
地面から身を起こしている最中なのか、やや時間が経過してから返事が返ってきた。
柔和な印象を受ける甘ったるい男の声だった。
「キチカ、僕の方は大丈夫だよ。うん。入って来てもいいよ」
「んじゃ、入らせてもらうぜ」
雪近と速人はテントの中に入った。
ダグザに頼んで貸して貰った厚手のマットにディーという青年は腰を下ろしていた。
ディーのどことなく冴えない印象を受けるのは、シルバーブロンドの髪やヨトゥン族独特の色素の薄い白い肌と室内の光量が足りていないばかりではない。健康そのもが失われていることが原因なのは明きらかだった。
しかし、ディーは雪近の顔を見るなり快活そうな声を上げる。
「おかえり、キチカ。あれれ?そっちの小さなイノシシさんはキチカのペットかい。何かこう全体的に可愛くないけど、愛敬は……あるのかな。ないのかな。難しいね」
ガキィン!!
そんな音が聞こえてきそうなほど素晴らしいチキンウィングフェイスロックがディーに極まった。
言葉を発するどころか身動き一つ取ることが出来ない。やがて速人は血走った目で雪近を睨みつける。
雪近は言葉に気をつけろよ、と言われているような気がした。
「これは……コイツのデフォ、か?」
答えをしくじればディーの首は初代ガンダムのプラモのように首を360°回転することが出来るような仕様になってしまうだろう。
それはガンプラのアンチにつけ込まれる隙を作っているようなものだ。
雪近は唾を喉奥にゴクリと飲み込み、慎重に言葉を選びながら口を開いた。
「ああ。その性格のせいで故郷の村でも孤立している。一種の病気みたいなもんだ」
(これが噂に聞く天然というヤツか。今まで俺は天然とは”萌え”の対象とばかり思っていたが、実際に遭遇すると無意識のうちにピュアな殺意を向けていた。ヌンチャク使いとしてもオタクとしても、俺はまだまだ未熟なのかもしれないな)
ふう、と一呼吸入れた後に速人の目の色が警戒色の赤から晴れ渡る空のような青に変わった。
速人は脇に挟んだディーの左腕と頭部を解放する。
速人は気絶して白目になっているディーの背後に回り、肩の骨の近くにある経絡に親指を押し込んで活を入れる。
( ※ 力の具合を間違えると相手が冥界の住人になってしまうので、整体術の勉強をしていない人がこういった状況に遭遇した場合はおとなしく救急車を呼ぼう )
ディーは「うひっ!」と素っ頓狂な声を上げて意識を取り戻した。
そして、意識を覚醒させた直後に速人と目が合う。ディーは今までの人生でその気も無しに他人を怒らせた経験が何回かあった。
だが即座に命を狙われたのは初めての出来事だった。
ディーは生まれて初めて「自分の発言に責任を持つ」ということについて考えさせられていた。
「それで、ディー君。メシは食えそうか?」
ディーは冷や汗を垂らしながら地面に置かれた鍋を見る。
速人は鍋の蓋を開けて、中身の卵粥を見せてくれた。
ディーは目を細めて鍋の中身を凝視する。
卵と緑色の野菜、白いものは麦か何かを炊いたものだろうか。それらが湯気の立ったスープの中に入っている。
鍋の中からは食べ物の熱気と粥の具材、だし汁の匂いがディーの方に向かって漂ってきた。
普段なら疲労の方が勝って摂食を辞退していたところだが、鍋の中身は見るからにして食欲をそそるものがある。
ディーは喜んで首を縦に振った。
速人は無言で雪近とディーに特製卵粥を装ってやることにした。美食に言葉は不要なのだ。
「あのー速人だっけ。俺の分、もう少し多くしてもいいよ?」
ディーはスープ皿の中身を見ながら言った。
ディーは元々、食の細い体質だったがはやとの作った卵粥に食欲を刺激され普段よりも多く食べられる気になっていたのだ。それを証拠にディーの表情も次第に明るいものに変わっていた。
こたえる代わりに速人は炊事場から持ってきたマグカップに温めのお湯を注ぎ、ディーに手渡した。そして諭すような口調で諫言する。
「まずはお湯を飲め。それで胃を温めてから、ゆっくりとよく噛んでから飲み込め。今、いつもの調子で食うとゲロ吐いて喉を詰まらせて死ぬぞ」
ディーは速人の言う通りにお湯を飲み、皿に残ったお粥を食べる。
普段なら適当に噛んでから飲み込んでしまうところだったが速人の言葉が気になっていたので従うことにした。
速人はディーの皿の中身が無くなったのを確認してから、お粥のお代わりを用意する。
雪近もディーの真似をしてお湯を飲みながら、お粥を食べるようになっていた。
二人はさして時間を費やすことなく鍋の中身を空っぽにしてしまった。
「ディー。次は横になった方がいいな。いいか、寝るなよ。目を閉じないで横になるんだ。それから腹の中身が張った状態が収まってから起きているようにしろ」
雪近とディーは速人の指示に従って横になる。
速人は残ったお湯を鍋の中に入れて、お粥の滑りがくっつかないようにしていた。
それから速人は外に人の気配が無いことを確認してから本題に移ることにした。
少し前の過去にディーの身に何が起こり赤い機神鎧アレスに搭乗することになったのか。今のうちに可能な限り聞き出しておきたかった。
「ところで、デイー。ここに来る前の話とか聞いてもいいか?」
速人は落ち着いた感じの声でディーに話しかける。
今の段階では予想にすぎないが、おそらくこれからディーに聞くことは彼にとってかなり都合の悪いことばかりのはずだ。
ディーはしばらくの間何かの術をかけられて記憶が曖昧になっている箇所も多いのは間違いないので安心させる必要があった。
ディーも速人の真剣な表情から何かを感じ取ったらしく、引き締まった顔つきになっていた。
「はっきりと全部、覚えているわけじゃないけどそれでもいいかい?」
それは速人にとって想定内の回答だった。
ディーを操っていた人間(?)は事件の前後に明確な証拠を残すような間抜けではない。自分のメリットとデメリットを把握した上で行動するタイプの人間だ。前のアレスとの戦いの時も、奴にとって想定外だったのは速人たちが抵抗してきたことだけだろう。
機神鎧アレスを駆り、ディーを操っていた男は証拠隠滅と不確定要素の排除をする為に必ずもう一度速人の前に現れる。
速人にはそういった確信があった。
「次にヤツと戦う前に少しでも多くの情報を集めておきたい。可能な限り頼む」
雪近の速人に向けられていた視線が厳しいものに変わっていた。
だが、昨日の夜の話し合いの蒸し返しになることは間違いなかったので黙っていることにした。
ディーは二人の間に流れる空気の不穏さに気がついたのか、二人を気遣うような顔をしている。
ディーの視線に気がついた雪近は気まずそうに速人から視線を外した。
そして、ディーは深呼吸をした後に故郷の村で自分が遭遇した出来事について語り出した。
「ええと、俺はたしかにヨトゥン族なんだけど前の戦争で暴れた連中みたいな悪王ロキの直系に比べれば傍流もいいところで戦争に関わりを持つこと自体を嫌がってずっと山に引きこもっていたんだ。他のヨトゥン族たちからは臆病者の一族って悪く言われてる。まあ、そんな感じだから一年中、霧に囲まれた山から出てくることはないんだ。それでキチカが村から出て行って少し経った頃の話になるんだけど俺の村には禁断の地と呼ばれる場所があってそこにはアレスみたいな動かなくなった機神鎧が置いてある。俺たちの村では子供の頃には禁断の地には絶対に入るなって、それで成人したら禁断の地を悪王ロキの手から守るのが使命だって教えられるんだ。俺の祖父ちゃんと父さんは頭が良くて狩りも上手で長老や里長からも一目置かれていて、一番上の兄さんは里長の娘さんと一緒になって次の里長になる一だって言われていた。けど俺は見ての通りのグズでキチカと出会うまでは一人ぼっちでのけ者にされていた」