プロローグ 2 異世界ナインスリーブスでの日々
まず最初にこの世界ナインスリーブスについて語ろう。
この世界の根源、根っこの根っこの部分には九枚の木の葉が存在するとされている。
さらに木の葉からは生命の源泉とされる大樹が生えている。
世界の各所に大樹が数十本、生えている。人々が暮らしている場所の多くは大樹の近くである。
大樹は天地を支えるように生えているので俗に宇宙樹とか世界樹と呼ばれている。
何でも大樹の頂上には一枚の木の葉が生えているらしく、その木の葉が枯れると大樹は枯れてしまうらしい。
世界樹に一枚だけ生えている世界樹の葉を手に入れた者には絶大な力を授かるという逸話が残っているのも自然と肯けるというものだろう。
現にこの世界における争いの多くは世界樹の奪い合いが原因である。
古くは神々が、ハイエルフたちが互いを滅ぼし合ってきた。
そして、現在もより多くの世界樹を所有する種族こそがこの世界の主流となることは必然だった。
現代において最有力の種族はエルフとドワーフである。
他の種族は彼らに従属する形で存続することを許された。
中でも俺が所属する新人という種族は最低ランクであり、大半が他の種族の奴隷として生かされている。
俺がこの世界に来て最初に辿り着いた何とかという村もエルフとオーガから二重に搾取されているような場所だった。
このナインスリーブスに転送されてから数日後、俺はとある村に保護される。
当時の俺は己の本性をひた隠し、村の大人たちと一緒に農作業をしながら日々の食料を得ていた。
その村ではエルフは土地を貸し出す代わりに作物を要求し、オーガは村を外敵から守るという形で報酬として食料を要求するという形で関係が成り立っていた。
別段、連中が無茶な要求をしてこなかった為に村との関係は良好だった。
俺は村の大人たちに隠れてヌンチャクを作ることに躍起になっていた。
ヌンチャクに作る為には「頑丈な木材」、「二本の棒を繋ぐ為の頑丈な鎖(もしくは硬い紐)」、そして華麗なカラーリングでゴージャス感を演出する為の「塗料」が必要だった。
頑丈な木材は世界樹から切り出した材木の廃材を手に入れることで目的を達成することが出来たが、鎖を手に入れることは出来なかった。
エルフは冶金の技術そのものに疎く加工された金属を手に入れる為には大都市にまで行かなければならないと聞かされた。
オーガたちは身の回りの道具は他の種族と取引をして手に入れたものばかりだったのだ。
必要とあれば彼らを殺して手に入れる予定だったのでその時の俺の失望感はかなりのものだった。畜生。
賄賂を用意してまで聞き出したというのに。
そこで俺は実家で覚えた干し草から縄を作る技術を使って鎖の代用品とすることを思いついた。
翌日から俺は農作業の合間に縄の材料になりそうな草を集めて、干し草に加工してそれをさらに石で打ったり水分を含ませてからもう一度乾かしたりして干し草を加工することで頑丈な縄を作ることに成功した。
そして、ついに俺は塗装前の二本の短い棒と頑丈な縄を組み合わせて、この世界に来て初めてのヌンチャクを手に入れることが出来たのだ。
今日が何年の何月何日かは知らないが、とりあえず「初ヌンチャク記念日」と呼ぶことにしよう。
ヌンチャク記念日を境に俺は農作業の手伝いをする傍らヌンチャク修行に励んだ。
こんなことを続けて本当に心のヌンチャクを手に入れることができるのか、と自問自答する日々が続いたが飽くなきヌンチャクへの情熱がくだらない疑念をすぐに払拭してくれた。
それから約一週間後に俺の情熱と修行の成果を試す機会は意外にも早く訪れることになる。
村の作物を食い荒らす大イノシシとの遭遇である。
あれは俺が村はずれの休耕地に出かけた時のことだった。
巨大なイノシシが武装したオーガの護衛兵たちを蹴散らしていたのだ。村にいるオーガたちは基本温厚な性格で村人とも良い関係を築いている。
気絶したオーガをさらに追撃しようとしたイノシシに俺はヌンチャクで殴りかかった。
所詮は小兵の戯れと侮ったイノシシは背後から俺のヌンチャクの一撃を受けて悲鳴を上げる。
見たか、畜生が。これが俺のヌンチャクだ。
俺は怒りに燃えるイノシシと相対する。
蹴爪を立ててイノシシはそのまま超スピードで必殺の体当たりを繰り出してきた。
だが、ヌンチャクを持った俺を相手にこの戦法は失策と言わざるを得ない。
何故なら俺にはあの技がある。
ゲームセンターで見かけたヌンチャクを持った香港のカンフー刑事が使っていたあの技ならばこの危機的状況など嵐の前の花一輪の如し!
「奥義ッ!飛竜昇焔棍ッッ!!」
俺はしゃがんだ姿勢からヌンチャクを振り上げて、そのままカエル跳びアッパーの要領で飛び上がる。
渾身の必殺技を受けた結果、イノシシは燃焼しながら吹き飛んだ。
この技は、上昇中無敵だ。その気になれば飛び道具だって抜けられるのだ。
俺の攻撃を受けたショックでイノシシは気絶してしまったようだ。
俺はイノシシに「ゴメン。出来るだけおいしく食べます」と言ってから解体することにした。
ここでイノシシの解体工程を詳しく描写すると動物虐待推奨する非道徳的な作品という中傷を受けることになりかねないので省略させてもらいます。
とにかく腹を裂いて五臓六腑を取り出してから動脈っぽい部分を切ってからイノシシを逆さ吊りにした。傷口からダラダラというかドクドクと血が流れる。
ちなみに死体を吊るしたのは俺の趣味ではない。血を効率よく抜くためだ。
グラップラー刃牙の少年時代編にガイアたちがやっていたように下にブルーシートを敷いてからやると衛生面でもグッドだ。しかし、もったいないからといって血をすすのはバッドだ。
俺は不忍池で包丁人味平と包丁貴族団英彦が肉の宝分け対決した時のような心意気で死せるイノシシのボディを凝視する。実は村の食料事情が良くない為にあまり肉を食べていない。
じゅるり。俺はめくるめく美味を夢想して舌を舐めずる。
この後に部位ごとに骨と肉を分けて掃除するわけだ。
しかし、いざナイフを取り出そうとした時に俺は背後から呼び止められた。
イノシシにズタボロにされたエルフとオーガたちだった。
「坊や、待ちなさい。それを一体どうするつもりだ?」
エルフの男の視線の先にはイノシシの死体がある。
これはもしや権力を盾にイノシシの肉の一番大きい部分を持って行くつもりか。図々しい奴等だ。
事あるごとに権利ばかり主張しやがって、お前らは欧米人か!
「このケモノを仕留めたのは俺だ。だから俺が一番大きい肉を持って行く。文句があるなら肉の一番大きい部分を賭けてアンタらと戦ってもいいんだぜ?」
俺はエルフの男を睨みつけた。指は英国式に則り二本立てる。米国式に比べてこちらの方が偉そうだからだ。エルフの男は困ったような顔でいきり立つ俺を見ている。
「生憎だが、これは生き物ではない。どちらかと言えば悪霊の類だ。もしも口の中に入れようものなら間違いなく死んでしまうぞ?」
俺は大木に吊るされたイノシシの死骸を見た。
傷口から血と一緒に黒い煙のようなものが出ている。
その後、俺はエルフに説得されてイノシシを諦めることにした。
その代わりにエルフはイノシシをやっつけたお礼にビスケットと干し肉を用意してくれた。
エルフは草食動物だと思っていたが、どうやら違うらしい。
「しかし、こんな妙な形の武器でよくもこんな化け物をやっつけられたものだな」
村への帰り道で俺のヌンチャクを手に取りながらオーガたちは感心していた。
俺としてはイノシシとの戦いをどう説明するつもりか、と悩んでいたのだが俺とイノシシが戦っている最中に意識を取り戻していたらしい。説明の手間が省けて楽になったのはいいのだが、観戦しないで少しくらいは助けて欲しいと思った。
村に戻るとエルフは大人たちを集めて、村の近くで悪さをしていた犯人は野生のイノシシではなく魔物であることを説明していた。
よくよく考えてみると出現したイノシシは大物だったが武装したオーガが戦闘で後れを取るというのはどうにも考え難い。
魔物という単語を聞いたのは初めてだったが、後でエルフかオーガたちに尋ねれば教えてくれるかもしれない。
エルフはイノシシを倒したのではなく追い払ったと説明した。
その後、エルフは村人たちに狩りに魔物を倒すことが出来ても呪いをかけられることがあるから魔物を見かけたら村の人間だけでどうにかしようとせずに、まず自分たちに報告するよう言っていた。
幸運にもその後しばらくして俺は魔物についていくつかの情報を知ることが出来た。
その理由とは俺のイノシシを退治した腕を見込んでオーガたちの仕事を手伝うようにエルフから頼まれたからだった。ついでに猟師たちと一緒に狩り場に出て行くことも許されるようになった。
やはり俺のような有能な人間はもっと高い評価を受けるべきだ。
「魔物とは冥王の使徒と言われている。冥王というのはその昔世界に光り輝く神がいた頃に地底に追いやられた悪い神様のことだ。悪い神様は今でも世界樹を狙っていて、それで何かにつけてはこうして地上に魔物を送り込み我々をビックリさせてやろうと悪だくみをしているんだよ」
エルフの代官スタンロッドは子供だましの説明で俺を納得させようとしていた。
というかこの人は交渉事が下手というか不向きだから止めた方がいいと思う。
だが、俺もヌンチャクのプロだ。
デブに向かって「おい、ブタ」というような失礼な真似は絶対にしない。
スタンロッドが俺の落胆ぶりに落ち込んで部屋から出て来なくなるという状況を見越して少しオーバーな反応をしてやることにした。
「スタンさん、マジすげえっす!おっかねえっす!今日は夜トイレに行けないかもっす!」
スタンロッドは俺の過剰な反応に満足した様子で、頬を赤く染めながら「えっ?恐かったのかい?そりゃ悪かった。ごめんね」みたいなことを言っていた。
こうして俺はスタンロッドやその護衛のオーガたち、村の連中と良い関係を築くことが出来たのだった。
だが、そんな平和な日も長くは続くことは無かった。
思えば化けイノシシが出現した時から異変は始まっていたのだ。
あれはそう俺が二回目のヌンチャクのバージョンアップに成功した時のことだった。
当時の俺はヌンチャクの装甲を強化する為に棒の部分に獣の皮を貼りつけることを考えていた。
装甲面でのパワーアップは攻撃力の上昇に直結する。
だが頑丈な皮を持った動物が住む場所に行くためには村の長老とスタンロッドの許可が必要になる。
さてどうしたものか、と俺は考えながら畑仕事の手伝いを終えた後に村に戻ると村があった場所には何も無くなっていた。
正確に言うと村の中心あたりから吹き飛ばされていたのだ。村人が逃げたのか、それとも逃げる前に死んでしまったのかどちらかを知る術は無かった。
ただ今言えることがあるとすれば俺の真上に赤い鎧の巨人が浮揚していて、そいつが村を焼き払ったことだけは間違いなかった。
「生き残りがいたのか?」
上空から聞こえたのは聞いたことの無い男の声だった。
俺はヌンチャクの瞬時に紐を解き、体の周囲を回転させながら振り回した後に左脇に挟む。
戦闘モードへ移行完了。その瞬間、俺と巨人の目が合った。
「ここにいた村の奴等はどうした?」
赤い鎧の巨人はこちらを見据えながら、ゆっくりと下降する。
ややあってから温かい風が俺の身体を包む。
戦いの時はそう遠くはないだろう。
「ああ。下にいた連中か。目撃者を残すわけにはいかんからな。不本意だが、処分することにした」
その言葉を聞いた直後、俺の心に火が点いた。
最早こいつを生かして帰す道理など無い。
村の人間もスタンロッドもオーガたちも惜しいことにヌンチャク愛に理解は無かったが、良い奴等だった。
それにしても目の前のでかいやつは一体、何を食べればこんなに赤くなるのかはわからないが怒りに支配された今の俺には関係の無いことだったのである。
「貴様、身体が大きいからといって何をしても許されると思うなよ!」
今、ここに戦いの火蓋は切って落とされたのである。