第二百三話 スコルと再戦
次回は七月五日に投稿します。
「ダグ兄にわからんモンはワシらにわかるわけがないしのう…」
ハンスの言葉にソリトンが何度も頷く。ダグザは二人を見ながら苦笑している。
結果としてダグザの心の負荷が幾分か軽くなったという事なのだろう。
「心配する事はないさ。多分、これは仕掛けた張本人以外の誰にもわからないようになっているんじゃないかな。だが今回は準備が足りなかったせいか落ち度は多々ある」
速人は窪んだ土を蹴って除けて錨のような物を見つける。錨の頭の部分には漢数字のような文字が彫られていた。
(字体からはよくわからないが少なくとも前漢以前に使われていた文字(例、ピン語など)である可能性があるな…)
「おい、速人。ここに彫られている文字が読めるのか?」
「うん。多分数字の”3”だと思う。つまり三番目に打たれた錨ってことじゃないかな」
「ほほう。3…。これが数字の3なのか」
ダグザは”三”の部分をなぞりながら恍惚の表情で見入っていた。流石は元”本の虫”と感心しながら速人は自身の考えを述べる。
「俺の考えではこれの他に七つくらいの数字が彫られた錨があると思う。八陣図を原型に作られた術なら間違いないだろう」
そこから速人は現在の地点から正八角形を想定して他の錨を探す。ダグザたちも惜しみなく協力したが目的の物は見つからなかった。
「もう少し探してみるか?」
ソリトンが屈んで錨の痕跡を探す速人に声をかけた。
「いや、そろそろエイリークさんたちのところに戻ろう。オーサーは特に時間を指定しなかったみたいだけど気長に待ってくれるとは思えないし」
速人は膝についた土を払って立あがる。
種明かしをすれば李宝典は八つに分けた限定空間の一つずつに秒を打ち込んだわけだが速人とてそこまで看破するには至らなかった。
オーサーの奥に控える李宝典の存在を薄々と察知し、何か少しでも情報を集めなければと思っていた速人の落胆も少なからずだった。しかし、そんな速人の心の内をあざ笑うかのようにエイリークは速人に覆いかぶさりコブラツイストをかけた。
速人は普段からエイリークに関節技では決して後れを取らぬと思っていたが、プロレス技の多くは体躯が優れる者の方が有利という性質がある。
速人は左半身の関節を軋ませながら牛馬の如く呻いた。
「ぐうううううう…。待たせたのは俺が悪かったよ…。反省しているよ、エイリークさん…」
ギシ、ギシ、ギシ。エイリークは巨体を揺らしてさらに肩と腰の関節に負荷をかける。
アマチュアの使うコブラツイストではない、脱出しようにも出来ないプロレスラーのそれだった。
「許さねえ…。怪我をしている俺様を放っておいて外をほっつき歩くお前の根性が許せねえ…。失う物のない大人のワガママの恐ろしさを教えてやるぜえええ」
「…ぐががががががッッ‼」
その後、エイリークのコブラツイストは速人が気絶するまで続く。
この時、速人はエイリークの人としての扱いを「7歳児」から「5歳児」に繰り上げたという、合掌。
「それでダグよ、何か新しい発見はあったのかよ?」
エイリークはガーゼの代わりに当てられた布を剥がしながらダグザに尋ねる。
先ほどのスコルとの戦いで出来た傷口は塞がり、一応の回復が見て取れたからである。今でも多少の痛みは感じるが皆の先頭に立つ者としての責務がそうさせたのかもしれない。
(そういうのを瘦せ我慢って言うんだよ…)
速人は恨みがましそうな目つきでエイリークを見ていた。
「敵は既に何らかの罠を張っているという痕跡を見つけた程度だ。残念ながらどういう仕掛けかまではわからなかったが」
ダグザはエイリークの健在ぶりを見て半ば安堵しながら言う。
彼とて本音を言えばこれ以上オーサーに対して深入りする事が得策だとは考えていない。
「意外に役に立ってねえじゃねえか、速人。いつもみたいに相手の弱みを見つけてじっくりと殺すんじゃねえのかよ」
エイリークはため息を吐きながら皮肉たっぷりに言う。
「俺も出来ればそうしたいんだけどね。オーサーは用意周到だし、バックに控えている連中も間抜けじゃない。この先も二重、三重の罠があると思った方がいいよ」
速人はしれっと言い返した。周囲は”まだ何かあるのか”と冷や汗を流しながら聞いている。
「速人の話ではエイリーク、お前を我々から引き離す事が敵の狙いらしい。引き返すのも一つの選択だと思うが?」
ソリトンは周囲に広がる林の木々を見ながら言った。
彼が子供の頃、ベックから第十六都市周辺の森林地帯の多くは自治都市の政令によって外部からの侵入を防ぐ為に作られた事を知っていた。
さらに何度か植林事業に参加した経験もある。
だが、その彼をもってしても今の現場は異質な雰囲気を漂わせていた。
ハンスやダグザらも同感の様子でどこか居心地の悪そうな顔をしている。
「ソルよ、今回に限ってはそういうわけにも行かねえんだ。俺がここでオーサーと話をつけねえとアイツは手段を選ばなくなっちまう…。はあ…、言いたくはないがもう着いちまったみたいだぜ」
エイリークは正面に立つ大樹に向って指をさす。
次の瞬間、ソリトンらはあたかも扉を開いた門のように並び立つ二本の大樹を観て息を飲んだ。
「…遅かったな。いや、この場合はむしろ早かったと言うべきか。私はお前たちが追いかけて来るとは思っていなかったからな…」
エイリークたちの頭上に聞き覚えのある声が響く。
速人は腰に下げた包みからヌンチャクを取り出してから相手の存在に気がつかぬフリをした。
「…妙な真似は止めてもらおうか。そうまで露骨に殺気を消されると返って気味が悪いという物だ」
ザンッ‼大樹の枝からスコルが飛び降りる。
地面に着くまで結構な距離があったはずだが、スコルは気にする様子も無く静かに足をつける。再び姿を現したスコルの上半身には傷らしい物は残っていなかった。
スコルは呪うような目つきでエイリークと速人の姿を見る。
「そこな子供、お前が宿星を持たぬ者か。主からお前だけは必ず殺しておけ、と言われている」
速人は下げてあったヌンチャクを振り回し、スコルとの距離を測った。
(今の状況で)速人はスコルの戦闘力の高さをダグザから聞き出している。
敵は肉体のサイズを変化させる能力を持つと聞いていたが、今は元の大きさに戻している事から何らかの制約が設けられているのかもしれないと速人は考えていた。
「笑止、俺を殺すなら兵隊の数が足りなすぎる。このヌンチャクの餌食になりたくなければ主とやらの死体を持ってこい。…ってこのキッツイ目つきをしたオッサンがそう言っているぜ‼」
速人はダグザに向って指をさした。
「なッ⁉私はそのような事を言っていないぞ‼」
「それは知っている」
スコルはダグザを一瞥した後に首を縦に振る。
「おい、テメエ。テメエがそこにいるって事はオーサーの野郎は奥にいるんだよな」
エイリークは門のように並び立つ大樹の奥を見る。
本来ならばその先は林を抜けて別の山道に続く平原に出るはずだが、遠目にも木々の緑が広がる光景が見えた。
先ほどの”エイリークと仲間たちを分断する”という速人の意見に現実感を覚える。
「そうだ。オーサーはこの奥でお前を待っている。エイリーク・ヴァスケス、お前だけはここを通してやろう」
ブンッ‼エイリークの隣にいたマルグリットが戦鎚をスコルに向けた。突き刺さるような視線と明確な敵意を込めて言い放つ。
「行っていいとか悪いとか、それを決めるのはアタシらだ。勝手に決めるんじゃないよ。速人じゃないけどさ、死にたくなければ黙ってな」
「なるほど、お前がエイリークの妻のマルグリットか。お前がいるとエイリークの決意が鈍るからは通すな、とオーサーから言われている」
エイリークはマルグリットの肩を掴んで下がらせる。彼女の激しい気性はこの中の誰よりも理解していた。
「じゃあ交渉決裂だな。俺はハニーのいない場所には行かねえんだよ。無理矢理惜し通ってやるから全力で妨害してみな」
「その必要は無いよ、エイリークさん。コイツは俺が殺すからみんなで先に行っていてくれよ」
速人は一歩、スコルとの距離を詰めた。スコルは低姿勢になって気勢を尖らせる。
速人の体躯はスコルの半分程度だったが、圧し掛かるような殺気を感じていた。
「私を殺すとは出来もしない事を言うべきではないぞ、速人。我が肉体は生命の円環を為すセフィロトの一柱、死を知らぬ者をどうやって殺すというのだ?」
スコルは密かに足底から根を伸ばして最も古き世界樹”ダーナ”と接続する。既存の世界樹から膨大な情報を転写して、自らが世界樹となる事は創造主である水夾京から禁じられた行為だった。
「今私は主との縁を断った。これで貴様らを存分に殺す事が出来る…」
スコルは心の中で水夾京に詫びる。
そもそも大前提としてナインスリーブスには九柱の世界樹のみが存在し得る。仮に九柱以上の世界樹が新たに降誕しようものならば世界の禁忌に触れた事で即座に排除されてしまうのである。
「それが殺戒を破るというヤツか。つくづく因果な生き物だな」
スコルは自嘲を含んだ笑みを見せる。
「そうだ。仮にこの先私が人を殺せば、主がどのような呪いを背負わされるかわからないからな」
「最後の御奉公というわけか」
「そうだ、天命を持たぬ者よ。私もこうして天命から外れる事で主の役に立つ事が出来る。生み出された生命の、知性を与えられた者として生まれて初めて恩返しが出来るのだ‼」
スコルの肉体が再び、膨張する。以前のような人間の原型を保った姿ではない。二本の脚で直立する巨大な人狼が姿を現した。
「例え無限の命を持っていたとしても、この世に不滅の者などいない。言い残すことがあれば今のうちに言っておけ、忠犬ハチ公」
「ならば言わせてもらおう。これからお前が戦う者は無貌の怪物ではない、愛を知る命だ。例えこの身が滅び去ろうとも我が意志が途絶える事は無い‼」
ミリミリミリ…ッ‼スコルの肉体の内側から金色の骨のような物が現れる。
それは水夾京が龍種の肉体を培養して作った龍骨だった。龍骨は陽光の如き輝きを放ち、スコルの生命力を食らい尽くそうとする。これが力の対価だった。
「おい、速人。マジでアレを殺れんのか?」
エイリークは苦笑しながら速人の肩を叩く。
正直なところ今のスコルはエイリークとマルグリットが全力を出しても殺しきれないような力を持っている事を肌身で感じていた。
「まあね。前に言っただろ、俺に殺せないヤツなんていないってさ。だから今度はエイリークさんがオーサーを説得してカッコイイところを見せてくれよ。約束だぜ?」
速人はウィンクをして巨大化したスコルの前に立ちはだかった。その背中は大きく、今のスコルにさえ見劣りはしない。
「じゃあここは任せたぜ、速人。帰ったらBBQパーティーだ。お前も参加しろよ?」
エイリークはマルグリットと共に大樹の向こうへ駆けて行った。
「ソル、お前はエイリークとマギーについて行きなさい。私とレクサは速人のバックアップに回る」
ダグザは呆気に取られているソリトンに命じる。本音を言えば自分が同行したい気持ちだったが、ダグザが行けばオーサーは警戒して心を開こうとはしないだろう。
それはオーサーの根底には利権の為に戦争を止めようとしない為政者への憎しみがある、と考えていたからである。 少なくとも第十六都市有数の名門ルギオン家の御曹司であるダグザは憎まれる側だった。
その事を理解してか、ソリトンは即座に決断した。
「わかった。万が一、戦いになっても俺の妖精王の贈り物があれば盾の役くらいは務まるからな。ハンズ、モーガン、ケイティ。ダグの御守は任せたぞ」
ソリトンはガラにもなく微笑みながらエイリークたちを追いかけて行った。
「ソル、気をつけてね‼」
ソリトンの妻ケイティが夫に声をかける。
ソリトンはケイティに向って手を振るとペースを上げて森の奥に姿を消す。
「まあ、あの三人が揃えば何とかなるでしょ?ホラ、三人とも危ないから後ろに下がって」
レクサはケイティとハンスとモーガンに後方に戻るよう指示すると小さな盾を構える。
「ダグザさん。念のために後ニ、三人つけるわけにはいかないか?」
速人はレクサの隣にいるダグザに話しかけた。
ダグザは複雑な印を結びながら術の詠唱に勤しんでいる最中だった。
「そうしてやりたいのは山々だが、これでも今回の出動では我々は最大戦力で臨んでいるんだ。モーガンとハンスはいざという時の退路を作る為に絶対に必要だし、ケイティは持つ妖精王の贈り物は万能だ」
速人は無言で頭を振る。ケイティの持つ”妖精王の贈り物”雷神変化は中ランクのギフトを真似する事が可能な強力な能力だった。
「仕方ないな。想定外だけど、コイツをさっさと倒して前に進むしかないな。例の結界はどうだい?」
「”土王城壁”か。ここは外だから問題はない。だが一度、中に入ると私の力でもお前だけを出す事は難しいぞ。本当にいいのか?」
ジャッ‼速人は気合を入れ直す為にヌンチャクを縦に伸ばして構えた。
「流石はダグザさん。そして親方にチューンアップしてもらったこのヌンチャクがあればあっという間にここを地獄に変えてやるぜ‼」
速人はスウェンスの作った新たなヌンチャク”夜叉蟹”を見てニヤリと笑う。
棍の先に金属製の鉤爪がついた拷問用具のような形をしたヌンチャクだった。
「お前は…私のお祖父さまに何という物を作らせているんだ、全く‼後でお祖父さまには、速人に凶器を渡さないように言っておかなければな」




