第二百話 速人が来る‼
次回は六月九日に投稿する予定です。
(オーサー、スコルを連れて撤退せよ。エイリークは我が術中に引き入れて見分する)
李宝典は樹泉山からオーサーに向けて念を送った。樹泉山を為す通天樹は全ての世界樹と繋がっている為に性質さえ理解していれば、例え第十六都市の基部に使われている世界樹の模倣品であっても通信機のような役割を果たす事は可能である。
そしてオーサーは六洞帯主たちから信頼の証として世界樹の根を使った護符を受け取っている。
(色々とご迷惑をおかけしてすいませんね、李宝典殿。場所の方は俺が用意しておきますのでとりあえずご厚意に甘えてトンズラこかせてもらいます)
オーサーは心の中で李宝典に頭を下げてから最寄りの小さな出口を目指す。
オーサーと李宝典のやり取りを傍受していたスコルもまた身体を元のサイズに戻してから、オーサーの後を追いかけた。
しかしそれを逃すマルグリットではない。いち早く手近な武器を見繕って、全力で投擲する。
武器とは馬車でも使わなければ運べそうにない水の入った大きな樽だった。
「ぬぐぐぐっ‼逃がすか、どアホが…ッッ‼」
小さな馬車の荷台くらいはある防火水槽が空を飛ぶ。魔術が存在する世界であっても非現実的な光景に全員が絶句する。
「流石は俺のハニー。パワフルで美しいぜ」
エイリークだけがうっとりとした顔でマルグリットの逞しい姿を称賛する。
オーサーは突然、自分の周囲が巨大な影に覆われて言葉を失っている。
エイリークとマルグリットを敵に回すという事は天災に遭うと同意義である事は自覚していたが、いざ彼らと相対してみると明らかに想定の許容範囲を越えていた。
「影の下か。益々好都合だな」
李宝典は樹泉山のスコルに向って念を送った。
ガッ‼
一瞬のうちにオーサーの背後に巨大なスコルが出現して樽を受け止める。
「まだまだァッ‼」
マルグリットは残った五つの樽を次々とスコルに向って投げた。しかし、その度に新しいスコルが出現して樽を受け止める。
樽を受け止めたスコルの手は衝撃で潰れかけていたが問題はそこではなかった。
「ねえ、ダグ兄。あれって私たちが弁償するのよね」
ケイティが鋭い視線をダグザに向ける。防火水槽を六機、メンバー全員の減給は免れないだろう。
今のケイティは昔の”少女”ではない。金銭にずぼらな夫に代わって家計を管理する家庭の守護神だった。
「安心しなさい、ケイティ。そこは何とか父上に交渉してみよう…。いや、そうじゃなくて敵の数がおかしい事になっていないか?」
「待って、ダグ。そこは重要よ。仮にお義父様の力を頼ってしまえば…全員にお説教が待っているわけだし」
ダグザの妻レクサが深刻そうな顔で苦言を呈する。ダグザの父ダールトンは弁舌爽やかで無駄な事は口にしない男だったが、間近の迫力というか圧は半端では無かった。
本人に悪気がないだけにどうしようもない。
「ダグ、俺からの提案だがいっそ速人に頼んでみないか。アイツなら防火水槽を新しく作るくらいワケはないと思うんだが…」
ソリトンは先日速人がエイリークの家の近くにある街路樹に小鳥用の巣箱を作っていた事を思い出していた。
「おう、そうじゃわい‼ダグ兄、ワシからも速人に頼んでやるからそうせんかのう‼」
ハンスは豪快に笑いながらスコルの引っ搔き攻撃を避けた。
ソリトンはすぐにスコルを追撃してハンスたちから引き離す。ハンスの持つ”妖精王の贈り物”はいざという時に脱出手段として使える為、深手を負わせるわけにはいかない。
ハンスはニッと笑ってソリトンに感謝の意を伝える。
オーサーはハンスが無事である事に胸を撫で下ろしながらスコルに助力を要請する。
「スコル、真上の通路を壊して道を塞いでくれ。そろそろ第十六都市の防衛軍が動くはずだ。エイリークとレナードが揃えば俺だけでは抑えられねえ」
スコルは口を真一文字に結ぶと頭を垂れた。
彼は”自尊心”という物を知らなかったがエイリークとの戦いで本来ならば自分よりも劣るはずの存在と見くびっていた事を反省する。
同時に己が主の目的を果たす為の道具にすぎない事実を再確認してオーサーの意志に従う事を決めていた。
(私に与えられた時間は限られた物だというのに、私は主の意志よりも己のチンケなプライドを優先した。これでは下等動物どもと何も変わらぬ)
感情の発露を内側に向ける気質も、スコルの血肉が水夾京を規範に作られた証拠である。
「承知した。しかしオーサーよ、それなりの被害は出るぞ?」
スコルは頭上に広がる第十六都市の中層区画を連ねる空中回廊を眺めながら呟く。
「それならリサーチ済みだ、スコル。今の時間帯は連絡通路が封鎖されるからな」
スコルは傷ついたままの右腕に意識を意識を集中する。
やがてスコルの掌に先ほどの流体ナイフを生み出した赤い果実が現れて、一気に膨張した。
「なるほど。そいつが以前に水夾京の御大が言っていた大地を焼き尽くす”暁の果実”ってヤツか。便利なモンだ」
「さてもご覧あれ。これがナインスリーブスに大地に森の緑の豊穣をもたらした力だ」
スコルの呟きと共に果実が爆ぜ散る。目線の先に赤い液体が付着した後に、通路の石材を融解させて…爆発した。
ガラン、ゴロン…。長大な通路の一部だった瓦礫がエイリークの目の前に落下する。
「おい…。何やってんだよ、オーサー。アタマがおかしくなっちまったのか?」
その瞬間、エイリークにとってオーサーは説得の余地がある元仲間から倒すべき敵となっていた。
父と母が命を賭けて守ろうとした故郷を友と信じた破壊したのだ。もはや悪夢以外の何物でもない。
「ああ。俺はいつだって正気さ、甘ちゃんの英雄様。おかしいのは俺じゃねえ、世界の方だ。だからな俺は見せかけの平和に微睡む狂った世界を正しい方向に導く為に何だってしてやる。エイリーク、俺を止めたいなら俺を殺せ。そしてお前が世界を元に戻してくれ」
「待て、オーサー‼」
エイリークはオーサーの方に向かって手を伸ばした。しかしオーサーはエイリークには一瞥もくれない。
「俺はいつもの場所で待っている。その気があるなら追いかけてきな」
オーサーはスコルを伴って都市の出入り口に向かった。
エイリークはなりふり構わずにオーサーを追いかけようとするが、李宝典が送り込んだスコルの分身たちが邪魔をする。
樹泉山より送り込まれた新たなスコルたちは強さこそ前のスコルには及ばない物の、頑丈さはほぼ互角だった。
加えてエイリークたちは”敵を決して殺さない”という戒律を自らに課していた為に前に進もうとしても倒す度に復活されて足止めを食らっていた。
「クソが‼これじゃあ全然追いかけられねえじゃねえか‼こんな時に”人を殺すのが私の趣味です”って公言してる殺人マシーン小僧がいれば一発なのによ…‼」
スコルは爪を振り上げてエイリークに向かう。
エイリークは曲刀で爪の一撃を弾き飛ばすとスコルの腹に前蹴りを叩き込む。
普通の相手ならば昏倒して終わるところだが、スコルの眷属はすぐに起き上がってエイリークとの距離を取った。
「ダーリン‼」
「応ッ!愛しのハニー‼」
一体の敵を撃退すると今度はマルグリットが棍棒を投げて寄越す。
エイリークは曲刀をマルグリットに投げると同時に棍棒を手にしてスコルを横薙ぎの一撃で吹き飛ばした。
転倒から復活までの時間が短くなっているような気さえする。
ギュンッ‼
突如としてエイリークの目の前でスコルの肉体が持ち上がる。否、スコルは首に糸をかけられて引っ張り上げられているのだ。
ギュギュギュギュギュッ‼
スコルは何とか糸を断とうとするが首にかかった輪っかは締まる一方だった。
ブッ…。
スコルは首の骨が折れるまで上に引っ張られた直後、地面に落とされた。
機を見計らい速人が建物の隅から姿を現し、獲物を追撃する。
ゴッ‼速人は右ひざをスコルの左胸に落とした。
スコルは悶絶しながら口から血を吐く。だが瞳は死んではいない。
(やはりな。人間の時の急所と化け物になった時の急所の位置が微妙に誓う)
速人はわざとスコルが左上半身を起こせるように巧みに位置を換えた。まんまと騙されたスコルは自身のアドバンテージを最大限に利用して身体を持ち上げようとする。結果、身体のフォルムそのものに糸が絡む事となる。
速人は掌に隠した糸の束を緩めながらスコルに向って手裏剣を投げる。
スコルは刃物が如く爪を振るい、棒状のシュリケンを叩き落とした。
「小僧とて容赦せぬ」
スコルはさらに爪を伸ばして速人目がけて走り出す。
「まだ勝てるつもりだったのか。愚鈍にも程があるぞ…」
速人はほの昏く沈んだ瞳で自慢の爪をかかげて飛翔するスコルを見た。
くん、と速人はいくつかの糸を束ねて自分の方に寄せる。
「ッ⁉…これは引き寄せられているのか‼」
スコルは予定よりも早く速人に接近している事に驚愕する。スコルは爪の斬撃を放つタイミングを逸した事に気がつく。
「相手の動きを束縛する事だけが捕縛術ではない。時に縄を緩めて相手に偽りの自由を与えてやる事も妙味の一つと知れ」
速人は腰を下げてスコルを待ち受ける。
「仕上げだ。死ね」
そしてスコルの顎の下を狙ってヌンチャクを振り上げる。これは堪らぬとスコルは歯を食いしばりやり過ごそうとするが攻撃の為に体を開いてしまっているので防御は間に合わない。
現代の警察機構などで重用されている逮捕術とは敵を倒す事よりも捕縛する事を目的とする。
速人の使う捕縛術もまた武器を使って敵の動きを封じ込める事に重きを置いていた、両者に相違点なる物が存在するとすれば、逮捕術は対象をより安全に生きたまま捕らえる事を目的としている事だろう。
速人は敵を生かして返さない。
顎を打って前屈したスコルの顔面の中央、人中にヌンチャクを突き入れる。
(コイツを人型に作ったからには、人間の姿に何らかのメリットがあるからだ。ならば自ずと急所も人間と同じ場所にあるはず)
さらにコメカミ、耳、鼻と唇の間に連打して地面に沈めた。
ガン!ゴリィッ‼
仕上げに脊椎と後頭部を踏み砕く事も忘れない。
「切断して欠損すれば丸ごと補えばいいだけだからな。複雑な造りの部分を壊してやったんだ。さてどう再生するのか楽しみだな」
速人は口の端をヒクつかせているダグザを見ながらニッと笑う。うつ伏せになったスコルはそのまま動かない。
「どうやら死んでしまったようだな…。コイツの再生能力にも限界があったんじゃないか?」
他のメンバーのカバーに入っていたエイリークとマルグリットはしゃがみ込んでスコルの死体を木の枝で突いている。
次いで戦闘の気配が収まった事を見計らったソリトンたちがやって来た。
ピクッ。
その時、スコルの右の人差し指がわずかに動く。エイリークはマルグリットを後方に下げて武器を構えようとしたが、それよりも早く速人がスコルの腰のあたりに正拳突きを入れた。
スコルは目をカッと開くと倒れたまま全身を痙攣させる。
速人はスコルの上着とズボンをめくると仙骨のあたりに手刀を突き刺した。
エイリークたちは流血沙汰を恐れて目を背けるがスコルの肉体から血が流れる事は無かった。
速人は手刀をさらに深く入れて中を探る。スコルの肉体は人間というよりも粘土に近かった。
(粘土との違いは、人間と同じような気脈があるという事か。だとすれば…)
速人は手を開いて触覚を頼りにスコルの気脈の根源を辿る。
(フッ…。俺はうどんやそばの麺を作る修行をする過程で、触っただけで中の構造を把握できるようになったのだ。恐れ戦け、凡夫ども)
速人は”鉄鍋のジャン”のような笑い方をしながらスコルの肉体を弄る。百戦錬磨の”高原の羊たち”の面々とて声をかけ難い絵面になっていた。




