第百九十九話 秘術”孤影群狼陣”
次回は六月七日に投稿します。
エイリークたちは基本的に片手持ちの武器を二つずつ持っています。いずれイラスト化しますのでその時をお待ちください。
エイリークは魔晶石が埋め込まれた曲刀を豪快に振り回し斬撃を放った。
スコルはこれを両腕でガード。直に刃で斬られたわけではないが、ダグザの加勢により本気を出したエイリークの攻撃は生半可な物ではない。
腕から新たに生えた腕毛ならぬ植物の蔓は呆気なく切断されて焼き払われる。
”秘紋”を解放する事によって瞬間的に肉体を再構築し得る再生能力に早くも限界が近づく。
「猿が。調子づくなよ」
泉の水面に映るその光景を見た水夾京は右腕をかざして何かをしようとした。
だがその高座で水夾京の様子を見守っていたコウヨウシュが指二本を立て、念動力でそれを制する。
「はあ。水夾京、第四の”秘紋”の解放は許可できないよ?君の言うところのセフィロトだったか、あれが独立してしまっては別個の竜樹が生まれてしまうのも同然だ…」
コウヨウシュはさらに”くい”と腕を上げて水夾京の右手を持ち上げる。
平素の時分は無機質な声質に冷厳な響きが宿っていた。
「それくらいは理解しているぞ‼」
水夾京は親の仇でも見るような目でコウヨウシュを見ていたが、やがてスコルとの接続を断つ。
コウヨウシュは素知らぬ顔で羽扇を取り出して風を送る。
コウヨウシュにはどうにも人間の怒りの経穴という物が理解できない。
「フムフム、わかってくれれば宜しい。それしても想像以上に厄介だな、最強の龍種の血統とは…」
「左様。両面獅の祖父は聞太師の片腕”黒麒麟”、さらには四海の守護神”東海竜王”の血を引いているのだ。あのエイリークという男、やはり生半可な事では折れぬだろう」
ザンッ‼
李宝典が突如、頭上から手刀を振り下ろした。その直後、張り詰めた糸が断たれてコウヨウシュの表情がわずかに翳る。
「つまらん真似をするな、道兄。我らは我らなりに真剣なのだ」
李宝典は火と金の印を結んで、すぐにコウヨウシュの仙具を修復する。
それは一万年生きた鶴の羽を解して編んだ風に流せば万里まで届き、糸を纏わりつかせれば自在に操る事も可能な仙具だった。
コウヨウシュは糸を袖の内側に引っ込めると眉間にしわを寄せながら李宝典を見る。
「私が作った仙具を新品同様に修復するとは、どこまでも可愛げの無い後輩だな。当然次の一手とやらは決まっているのだろうな?」
「当然だ、コウヨウシュ。水夾京よ、まずはスコルにオーサーを攫わせろ。エイリークなる男の目的はオーサーだ」
水夾京は頷き、スコルに新たな指示を下す。
彼も李宝典、ウワハミ、ナナフシほどではないが軍略に通じているので彼の言わんとする事を理解できた。
次いで李宝典は水面に浮く蓮の花に視線を移してオーサーの意識に直接語りかける。
「オーサー、エイリークを街の外に誘導しろ。この男の器がどれほどの物か見たくなった」
その頃オーサーはエイリークとマルグリット、スコルの戦闘を慎重に見守っていた。
(やはりこの二人は最初からケタが違う。スコルの怪力にも、再生能力にもまるでビビってねえ…。場合によっちゃ俺も本気を出すか)
オーサーは上着の内ポケットに手を入れて”兵”のストックを確認する。
先ほどの速人との戦いで”兵士”と”女王”は使い果たしてしまった。
使える”兵”は追っ手を妨害する力を持った者か、目くらましが出来る者くらいだ。
シン…。
そこに刺すような視線が入る。
エイリークとマルグリットが壮絶な戦い繰り広げながらオーサーの動向を監視しているのだ。
オーサーはスコルの巨体を盾にして視線をかいくぐる。
同盟軍の包囲網を一人で破った鬼神の如き巨人族のグリンフレイム、ダナン帝国に反旗を翻したドワーフ族の将軍”紅腕のブラッド”を倒したのは間違いなくこの二人なのだ。
休む間などあろうはずもない。
「ダーリン、おかしいね。そろそろオーサーが乱入してくるタイミングだと思うんだけど」
マルグリットはスコルの顔面に拳をぶち込む。
最速にして最大威力の打撃。スコルの人間部分の顔面が地面に落としたクリームケーキのように歪んだ。
だが目を潰されたはずのスコルは肋骨から生えたギザギザの葉のついた蔓でしっかりと反撃してくる。
ジャッ‼ジャッ‼ジャッ‼
そこをエイリークの曲刀が簡単に切り裂いた。
一方に隙が生まれれば、もう一方がそれを庇う。それこそが誰も失わない為に生み出したエイリークとマルグリットの戦法だった。
「あの野郎こっちがわざわざ割り込んでこれるように隙を作ってやってるのによ。オーサー、手前はオーサーのくせに俺様に逆らった罪で公園の汚い池の水を全部飲ますッ‼」
それを聞いたオーサーは「エイリークおそろしい男」という感じで白目になっていた。
「こちらも”武器”を使わせてもらうぞ…」
スコルは巨人の肉体に意識を集中する。巨大な左腕の手首と肘の内側に緑色の蔓が生え、その先端に花が咲く。
紫色の花はすぐに枯れてそこから葡萄のような果実が生まれた。全ては一瞬の出来事である。
「神の血をとくと堪能せよ…」
スコルが呪詛めいた呟きを発すると葡萄によく似た果実は膨張して破裂する。
真紅の体液は間欠泉のように絶え間なく流れ出した。
「シュッ‼」
スコルは苦悶の表情を浮かべながらエイリークたちに向けて両腕を振り回した。
ズアァッ‼
真紅の刃が一薙ぎすると地面が大きく抉られた。スコルの血液から作られた液体の刃が切断と溶解を同時に実行したのだ。
「やべえよ、ハニー。俺さ、ずっと隠したけど酸っぱい葡萄食べられないんだ…」
「ううん。ごめんね、ダーリン。アタシも実は酸っぱい果物は基本的に駄目さね」
マルグリットは悪戯っぽくウィンクする。二人は頬を赤く染めながら互いの瞳を見つめる。
そして前触れもなく互いの唇を…。
「コラ‼そういうのは後でいいから‼さっさとデカイのをやっつけちゃいなさい‼」
レクサは片手で抱えていたダグザを地面に下ろすと手槍を構えて投擲する。
エイリークはレクサに向って中指と人差し指を立てた(※イギリス式)。
「もうやったつうの‼俺様の完璧な仕事ぶりをちゃんと見ろ‼」
「えっ…?」
レクサがスコルに視線を向けると巨体が建物に叩きつけられた後だった。
スコルが攻撃した直後にエイリークとマルグリットは反撃を完成させていたのである。
「風の魔術ってのは便利な物で攻撃の形と音を隠す事も出来るんだよ…。アンタがノロくさと武器作ってる間にアタシらはしっかり仕事してたわけさね」
マルグリットは口を小さく開いて体内に空気を吸引する。彼女の使う”妖精王の贈り物”、戦神の雄叫び(ウォークライ)は発声量に応じて使い手に力を与える。
彼女は修行の末に筋力だけではなく、魔力の底上げも可能にしていた。
「昔ダールが教えてくれたんだよ。”力は使えるだけじゃ駄目だ”って。力をコントロールして出来るだけ誰も傷つけないように、正しい目的を見定めて他人の為に使えるようにならないと意味が無いってさ…」
マルグリットはその時の寂しげなダールの横顔を思い出す。
ダールにとってかけがえのない友人であるアグネスとマールを失った直後の話だった。
「アタシはね、お前みたいに他人の事をろくすっぽ考えずに力を使うヤツが大嫌いさね。だから起き上がれなくなるまでぶん殴ってたっぷり反省させてやるのさ‼」
(いやそれでは逆効果では…)
ダグザとソリトンとハンスは同時に似たような感想を抱く。
ギロリ。
しかしマルグリットが異論、反論の類は許さぬとばかりに睨みつけるとすぐに俯いてしまった。
大量の熱を含んだ空気の弾丸を受けたスコルはどうにか立ち上がる。今の攻撃が風の魔術を応用した単なる偽装めいた戦法ならばスコルの不死に近い能力をもってすれば対処は可能だった。
(仮に一人を倒そうとすれば、もう一人が必ず邪魔をしにやって来る。一人では対処しきれない…ッ‼これが人数による戦力の差というものか‼)
スコルは歯噛みしながらエイリークたちの戦法を学習していた。
その間に戦況の不利を悟ったオーサーが目配せで助勢の是非を問う。
(助けの必要はない、オーサー・サージェント。私は最初から捨て駒である事を知っている。お前は主の指示を待て)
わかった、と心の中で頭を振る。
オーサーは瞳の奥に宿る仲間を救いたいという感情を凍らせて通用路の出口に向かう。
事前に水夾京からスコルは仮初の命を与えられた道具と説明されていても、一時とはいえ背中を預けた仲間を見捨てられるオーサーではない。
速人に言わせれば非情に徹する事が出来ない中途半端さが、オーサーの危険人物たる由縁だった。
一方、樹泉山において李宝典の冷たい視線が戦場を俯瞰する。
当初の戦力はオーサーの方が上だったがここぞというところで融通の利かないスコルを助っ人として送り込んだ事が仇となっていた。
さらに最悪な事に時間が経過すればスコルは敗北し、ダグザという男が樹泉山の在り処まで特定する可能性も否めない。
(だが戦場では常に不測の事態を警戒する物。この程度は許容範囲だ)
李宝典は泉の水を一掬いして喉を潤す。この時、彼の心の中は戦場に降り立っていたのかもしれない。
「陣取りに失敗したツケが回ってきたな。さて敵が多勢を率いてきたのだから、こちらが数を増やしても文句は言われまい」
李宝典は着物の懐から小さな円柱型の宝石を取り出した。
そして真一文字に結んだ口の端をわずかに緩める。李宝典は久々の戦いを前に心を躍らせていた。
「李宝典、一体何をするつもりだ」
水夾京が訝し気に李宝典の右手を見ている。
仙術という分野では李宝典の一歩先を行く水夾京だったが、彼の使う術の全てを知っているわけではない。特に彼が得意とする自然物に仙気を浴びせて仙具へと加工する錬丹術の大半は理解が及ばす再現するには至らなかった
「敵が異なる属性の魔術を同時に操るような手練れならば、こちらはそれを逆手にとって封じる。見よ、水夾京、ウワハミ。火には水を、木には金を与えてやれば気の運行を阻止する事も不可能ではない」
李宝典は太い指の生えている右手を握り締める。
ピキ…ッ。
手の中で特別な術式の為に鍛えられた魔晶石が粉々に砕け散った。
「たしかゴギョウソウコクだったか…。未だに慣れない考え方だな」
水夾京は目を細めながら李宝典の術の工程を観察する。欧州を生まれ故郷とする水夾京はノーム、ウンディーネ、サラマンダー、シルフィードら地水火風を司る四大精霊と契約して生命力(魔力も生命力の一つの形とする考え)を通過替わりに譲渡する事により分世界の分岐点への介入するという考え方を起点としていた。
「そう難しく考える事もありませんぞ、水夾京師兄。我々にしてみれば世界は常に移ろいゆく物であり、師兄の故郷では世界の中心は不動の拠点である。真ん中が動かないで周囲はグルグルと回っていると考えてしまえば同じような物ではありませんか」
ウワハミは水夾京に向って微笑かける。水夾京は極めて優秀な男だったが一度深みに嵌ると自力では抜けられないという性質があった。今もそういう感じになっている。
「ふう。年上の貴兄に師兄と呼ばれるのは面映い話だが、今の説明で腑に落ちた。恩に着る」
「羨ましいね、二人とも。それが人間の社交辞令というヤツかい?人化してからもう何年経過したか覚えていないけど、私には理解出来ないよ」
コウヨウシュは面白くなさそうな顔で水夾京とウワハミを見る。
「左様。コウヨウシュよ、それが”魚心あれば水心”というものだ。人を性根から見下しているお前には逆立ちしても理解できないだろう(キッパリ)。話を戻すが、敵が智勇兼備の者ならばこちらの兵の数を増やして”足”を奪えばいい」
「君も言うようになったね、李宝典。姜元帥と話をしているような気分になってきたよ。それで話の続きは?」
「”足”を奪う即ち機動力を不均一にしてしまえばエイリークを他の者と容易に分断できるという話だ。あの一党”高原の羊たち”だったか。よく出来た軍には違いないのだがエイリークとそのつがいの女は他の者と力がかけ離れすぎている。わずかな綻びには違いないがそこを衝かせてもらおうか。金は石に宿り、石は太陽を妨げる壁となって影を産む。影は人の心を写して形を成し、数多の兵を呼ぶ。…これぞ秘術”孤影群狼”の陣。とくと味わえ」
李宝典は印を切って念じると地面に撒かれた粉塵から煙が立ち上がり、数体の新しいスコルが出現した。
コウヨウシュは水面に映る第十六都市の様子を見る。遠く離れた戦場にも樹泉山と同じように変化が現われていた。
傷ついたスコルの周囲に突如として無傷のスコルたちが姿を現したのである。
百戦錬磨の雄エイリークは応戦を避けて仲間たちに踏み止まるよう指示を下す。
「おい、ダグ。あれは幻か何かだよな」
エイリークは隣にいるマルグリットから曲刀を受け取り、オーサーたちに向って刃先を向ける。
マルグリットは代わりにエイリークの持っていた片手用の鎚をもらってケイティたちの方に移動していた。
「そうだろうな。普通、人間はあのように増えない。だがどういう事だ?私とハンスの”感知”の魔術をもってしても奴らが魔術を行使した気配が無い」
ダグザはエイリークの背後に回って片手に短刀を構える。もう片方の手には魔術杖を持ち、伏兵に警戒していた。
「ああん⁉お前だけじゃなくてハンスもかよ。だったら俺様にもわかるわけはねえよな…」
エイリークはダグザと背中合わせになりながら敵の動きを注視していた。新たな敵は気配こそ虚ろだが敵を殺傷せんとする明確な意思を放出している。




