表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

230/239

第百九十七話 分かたれた道

次回は5月6日の予定。


 その刹那、背筋に冷たい物が疾走はしった。

 オーサーは”自分は常に監視されている、信頼されていない”という疑念以上に二度と訪れない好機が巡ってきたと直感した。


 六洞帯主とエイリークが出会えば彼も考えを変えざるを得ないだろう。

 彼らは人界の理を逸脱した存在だ。オーサーの口の端が自然と緩み、余裕の笑みが零れる。


 「そうだよな。エイリーク、お前にも世界の真理の一端に触れる権利がある…」オーサーはのそりと身を起こして手を伸ばす。


 「ッ‼」


 エイリークは本能で身の危険を察知して手を引っ込めてしまった。

 今のオーサーは正気ではない。対してオーサーは歪んだ表情のままエイリークを見上げる。


 「どうしたんだ、エイリーク。俺の話を聞いてくれるんじゃなかったのか?」


 オーサーはさらに一歩詰め寄ってエイリークの手首を掴もうとする。


 「おい‼何の真似だ、オーサー。お前、本当にどうしちまったんだ⁉」


 「どうもこうも、俺は変わらねえよ。いつだってお前たちの味方さ…」


 オーサーの”味方”という言葉に虚偽は無い。しかし彼の言葉の意味するところは同胞ではない。

 いつでも切り捨てられる都合の良い道具のような物だった。

 

 エイリークと彼の仲間たちは瞬時に身構え、オーサーとの距離を取る。

 何かの意思通達があったわけではない。

 それは供に切り抜けた試練の数々によって生み出された連携だった。


 オーサーはかつての仲間たちの姿を羨望に満ちた昏い瞳で見据える。


 (いつだって思い出すのは俺の女房と親父の言葉だ…。”今のお前は勝機じゃない。近寄るな”だとよ。俺は何も変わっちゃいねえのに、あいつらは近寄るなと言う。世界から受けた理不尽な仕打ちに仕返しをして何が悪いんだ…)


 オーサーはエイリークたちと同じように短刀の柄に手をかけて戦いの時に備える。

 それは断絶ではない、新たな絆を紡ぐ為の通過儀礼だと信じて。


 「同道諸兄よ。状況が少しばかり向こうに傾いてしまった。私はオーサーに助力しようと思うのだが、いかがなものか?」


 舞台は変わって六洞帯主の本拠地”樹泉山”、青々とした木々に囲まれた清水沸く泉の前に立つ神仙の一人が静かに切り出した。

 彫りの深い、厳しくも整った顔立ちに青い巻き毛を肩まで伸ばした男は黄金の瞳を残りの三人に向ける。

 本人曰く自虐を込めて”黄金の瞳は神に為り損なった人間の末路”と語る。


 「その言葉を待っていたぞ、水夾京道兄‼さあ、今すぐ我の縛を解いて出陣の許可を‼」


 逞しい偉丈夫の姿を思い起こさせる男の声が上から聞こえてくる。


 男は籠の中にいた。

 四肢は縄で縛られ、さらに鳥を飼っておくような籠に入れられている。


 「…。意見はないのか?」


 水夾京は男の声を聞いていないふりをした。

 そこに白髪の老人が手を挙げる。

 老人は籠の中にいる巻き毛の金髪の大男を一度睨んだ後、水夾京に話しかけた。


 「私は道兄の方策に賛成しますぞ。多芸多才のオーサーでも今回は相手が悪いという他はありませぬ」


 ガシガシガシ‼

 全身がとにかく金色の大男が檻の中のチンパンジーよろしく柵を揺らしながら吠える。


 「ぬぬぬッ‼何を弱腰な事を言っているのだ、ウワハミよ‼将たる者はまず兵の先頭に立ち、武威を示す物だろうが‼かのエイリークなる男がどれほどの英雄の才を持つか検分するのは我が適任だろう‼」


 「さてどうしたものかね。私にはこういう時の機微はさっぱりだからな…。李宝典、君に任せようかな」


 泉の側で仙水を救いながら六洞帯主の首魁”コウヨウシュ”は一番親交の深い李宝典に尋ねた。

 はるか昔に李宝典が斉の国を追われ、雲中子によって崑崙山に来た時以来のつき合いである。

 李宝典はその場を左手で制して答える。


 「ふむ、水夾京の意見に異論無し。だが、あくまで保険の範疇と考えるべし。コウヨウシュ、そもそも英雄の才とは理では計り切れぬ物だ」


 「君が言うと説得力が違うな」


 コウヨウシュはくつくつと笑いながら仙水を手酌で運ぶ。

 そして悪戯っぽくウワハミを見た。


 「…そうは思わないか、ウワハミ?」


 「全くお言葉の通りで…」


 ウワハミは苦笑交じりに答える。

 しかし内心ではコウヨウシュがウワハミの隠し事に気がついている事を察し、委縮していた。

 その一方でコウヨウシュ当人は困惑するウワハミから興味を失っていた。

 コウヨウシュはウワハミとは違って人間が修行をして仙人になったわけではない。

 琵琶が月の光を浴びて命を持った妖怪となり、名のある仙人の下で修行して仙人となった存在である。 

 六洞帯主の中では龍種の血を引く最年長の両面獅の次くらいだった。

 とにかく特異な出自からして他の良く五人(一人は獣の姿をしているが便宜上、”人”と呼ぶ)とは考え方が根本から違う。


 「やれやれ、どうにも私には人の心という物がわからないな。世の中は実に良く出来ている。水夾京、ご覧通りだ。そのようにしたまえ」


 コウヨウシュはそう言って長いまつ毛に覆われた瞳をゆっくりと閉じる。

 そして座禅を組み、瞑想に入った。

 彼は五感を超越した”眼”を常時開いているので見る事も聞く事も、言葉を発する必要さえない。


 コウヨウシュとは覚者に匹敵するほどの功徳を積んだ神仙だった。


 「かねてからオーサーより”敵”は百戦錬磨のつわものと聞いている。油断して取り逃がすわけにも行くまい。”スコル”を使おうと思うのだが…」


 水夾京は他の神仙たちの様子をうかがう。場合によっては無関係な人間にも被害が及ぶかもしれない。 

 人情家のウワハミは特に嫌がるだろう。


 「スコル⁉あの”人形”を使うつもりか‼正気か、水夾京道兄よ」


 ナナフシが籠の中から驚いた様子の声を上げる。


 「無論、被害を最小限に止める為に自壊プログラムを組み込んである実験体だ。…完成体の方は使わない」


 水夾京は努めて冷徹に言い放った。

 今の段階の人類で六洞帯主が想像した人口生命体”スコル”に勝てる者などいないという事は彼自身が一番理解している。


 「そのプロ何とかの仕組みは私にはわからないが、その必要はあるのかい?いっそ都市の人間が全滅するまで暴れさせてみればよかろうよ」


 「コウヨウシュ道兄ッ‼貴方はやはり命という物を軽く見ておられるのではありませんか‼」


 「おいおい、ウワハミ。私に命の理を説くのは無駄だよ?私は自我を獲得した時からこうして在るだけの、在るがままの存在なんだから」


 コウヨウシュは嘲弄とも受け取れる薄ら笑いを浮かべながらウワハミを見る。


 (これは挑発だ。乗ってやる義理はないな)


 ウワハミは黙して事態を見守る。

 コウヨウシュは自分の魂胆が後輩に見抜かれている事に気がついて面白くなさそうな顔をする。

 次の瞬間、コウヨウシュの整った鼻先に槍の穂先がつきつけられる。


 (やれやれ藪をつついて蛇を出したか)


 コウヨウシュは眼前の、水面の上に立つ李宝典の顔を苦笑交じりに見る。

 この男も仙人のくせに感情が先立つ傾向が強い。


 李宝典は槍を袖の内に戻すと、水夾京とウワハミの姿を見た。

 共に武の心得を持つ者たちだが、意表を突かれて絶句していた。


 「仮にスコルが暴走すれば我が武威をもって止める。水夾京、ウワハミ、これでいいな?」


 ウワハミは目の前で両手を組んで頭を下げる。


 「どうか市井の者たちを喧騒に巻き込まぬよう、お慈悲を…」


 「李宝典、私が君たちに比べて未熟だという事は認めよう。だが実力行使に出る際に加減を間違えるほど愚かではない」


 ウワハミは恭しく誠実に、水夾京はやや不機嫌そうに応対する。

 李宝典は目を伏せた後、両手を組んで略式の礼を済ませる。すっかり蚊帳の外に追い払われたコウヨウシュは座禅を解いて横になっている。


 「師淑、我の出番は‼」


 ガンガンガンガンッ‼


 ナナフシは金属製の策を殴って己の存在を誇示した。


 「お前の縛は両面獅から直々に”解くな”と言われている。よって今回は留守番だ」


 李宝典は籠の方を一瞥してから背を向ける。

 そして泉からおかに飛び移ると地面に正八角形の図を描いた。


 李宝典が姜子牙から授かった”術”だった。

 誰よりも早く術の正体に気がついたコウヨウシュは寝返りを打って八陣図に見入る。


 「ほう。随分とご執心のようだね。私からも、君の慧眼に叶う英雄との出会いを願うばかりだ」


 「世辞は無用だ、コウヨウシュ。エイリークという男が英雄の器で無ければ弑するのみ」


 「しかし、果たしているものかね。黄大将軍に匹敵するような英雄が…」


 コウヨウシュは泉の水を手酌で飲みながら、昔日の英雄の勇姿を思い浮かべる。

 強さと弱さを兼ね備えた人物だったと思う。

 足りない物があるとすれば運が悪かったとしか言いようがない程に。


 「とにかく気をつけてくれ、李宝典。例の”天数を持たぬ者”の動向も些か気になる」


 天数、天が授けた星の宿りや寿命とは無縁の者がこの世には存在する。


 コウヨウシュはかつてナナフシを破った速人から不吉な風を感じ取っていた。


 「それは実に楽しみな事だ。その者には是が非でも聞かねばならぬ事がある」


 時間にして三千年という時間をかけて練り上げた”気”が全身を駆け巡る。

 かくして李宝典の”斬妖千剣陣”は完成した。


 李宝典は水夾京に準備が整った事を伝える。


 「こちらの準備は整った。水夾京、スコルをオーサーの下に」


 「心得た」


 水夾京は天に向かって人差し指と中指を示し上げる。

 直後、周囲の光景は森と泉から、天球儀と白と赤のエーテル体が入ったフラスコが並ぶどこその実験室のような世界に置き換わる。


 「ぬう、相変わらず心地の悪い事よ。これがパラケルススの再来と呼ばれた水夾京道兄の力だとしてもだ」


 慣れぬエーテル流が生み出す風の気配が気に入らなかったのかナナフシは不満をもらす。


 六洞帯主の中で唯一、水夾京だけが欧州出身である。


 「文句なら後でいくらでも聞いてやろう。ただこのアトリエは貴公らを入れておくには狭すぎるのだ。少しばかり我慢をしてもらうぞ。原初の土より生まれたミドガルド蛇。その遺骸から這い出た巨狼フェンリル。さらにその毛の一本から生まれた狼と人間の嬰児スコル。目覚めの時だ」


 水夾京が呪文を唱えると天井に浮いていた試験から次々と巨大な三角フラスコに赤、緑、青のエーテル流体が注ぎ込まれる。

 混ぜ合わされた複数の液体は成長を繰り返し、やがて人の姿に変わった。


 水夾京が指を鳴らすとフラスコが消えて、その代わりに一人の男が現れた。


 その男は白い肌、白い髪、瞳の色まで白だった。

 血の気の通わぬ無機質な瞳は目の前に立つ水夾京の姿を認めると自ずからかしずく。


 水夾京は男の頭に向って手を伸ばした。


 「スコルよ。これからお前を第十六都市という場所に転送する。良いか、私の合図があるまで何者も通すな」


 スコルと呼ばれた男は水夾京の言葉を聞き入る。己の魂に刻みつけるように。


 「了解いたしました」


 スコルは水夾京の顔を見ながら答えた。

 何も映さぬはずの白い瞳は自身の造物主の姿を認めるとアイスブルーに変わる。


 「ふむ」


 痩身の男、水夾京は満足そうに呟くと第十六都市のオーサーに向けて交信を始める。


 スコルは直立不動のまま次の指示を待っていた。


 そして舞台は再び第十六都市に変わる。


 追い詰められたはずのオーサーの顔に余裕が生まれていた。


 二度目の水夾京からの通信があったからである。


 (難儀しているようだな、オーサーよ。こちらはスコルを加勢させよう。お前のすぐ近くに転移させるつもりだが問題は無いな?)


 スコル。


 以前オーサーを裏切ろうとした外部組織の連絡員を始末する時に使った人物、とオーサーは覚えている。


 (こちらは問題ありませんよ、水夾京殿。その出来れば連中に怪我をさせないように加減してやってくれませんか?エイリークが味方につけばそのままこちらの戦力になりますから)


 オーサーのどこか嬉しそうな声を聞いて水夾京は嘆息する。

 ウワハミと同じくらい人間味のある水夾京はオーサーの旧知の仲間に対する未練を理解する事が出来た。


 エイリークを屈服させる事も、その仲間たちを説き伏せる事も実際には楽な作業ではないだろうがそれでも孤独な戦いを強いられてきたオーサーにとってはこの上なく心強い物なのだろうか。


 水夾京はオーサーの未練がましさにやや呆れながらも即座に答える。


 天数を持たぬ者、速人の存在は六洞帯主にとっても脅威だ。

 彼との交戦は今は”墓参り”の為に席を外している両面獅から禁じられている。


 (承知した。おそらくは荒療治になるだろうから君もそれなりの覚悟をしておけ)水夾京は右手を広げ、ナインスリーブス全体の構造を把握する。そして通信に使っている世界樹の根の一本を介して位置を特定した。(なるほど、なかなかに因縁深い。これが因果応報というものか)


 水夾京は第十六都市の場所を確認した時に、ある出来事を思い出す。


 今現在、第十六都市と呼ばれている場所はかつて水夾京が仲間だった男が一人、外界に出て行くのを見送った場所だったのである。


 水夾京はほくそ笑み、目の前に控えるスコルを第十六都市に送った。


 ジッ…、ジジッ…。


 それまで何も無かったはずの場所に火花が散る。”高原の羊たち”のメンバーの中で魔術の才に長けたダグザは最初にその変化に気がつき、エイリークたちを呼び止めた。


 「待て、エイリーク。様子がおかしい。これは…”物質転送”だと⁉」


 出動する際には常に携帯している魔術杖ワンドから得た情報を知ったダグザは驚愕する。

 

 今のナインスリーブスの時代には遠距離の”物質転送”は机上の空論とされていた。


 「おいおい、ダグ。物質転送の魔術なんか無いってガキの頃俺らに会話マウント取っていたのはオメーだろ?今さら撤回なんかさせねーって」


 「ダグ兄。アタシらが馬鹿だと思って嘘教えて喜んでるんじゃないの?」


 エイリークとマルグリットの夫婦は声を揃えて反論した。


 ダグザは子供の頃、彼らを相手にドヤ顔で講義した事を後悔する。


 「その話は後で謝るから今は目の前に集中してくれ‼」


 パシンッ…‼パシンッ‼


 火花がいくつも飛び散り、やがてプラズマ光球までもが発生した。


 ”物質転送”の魔術の矛盾とは移送する際に使われる通路とエネルギーの等価交換に在る。

 魔術を使用する時に媒介となる魔力には大きく分けて外魔力オド内魔力マナという物があり、これは本質的には同じ物ではあるが実際には別個の存在である。


 「ダグ兄さ、確か子供の頃に場所から場所に”物が自力で移動するか”、”物が別の場所に移動する為の馬車みたいな道具”が必要になるとか言ってたよねー。ひっひっひ」


 「そうだよ、マルグリット君。この世のどこにそんな大きな仕掛けを作る人間がいるのかねー。ぐひひひ…」


 エイリークとマルグリットがいやらしい顔で粘着した。

 こうなっては美男美女も台無しである。


 「悔しいがお前たちの言う通りだッ‼この世のどこかに世界の至る場所に通じる道を作ったヤツがいて、そいつは膨大な魔力を使って物質と魔力を等価交換しているんだ‼以上、説明終わりッッ‼」


 ダグザはエイリークとマルグリットの肩を掴んで後ろに引っ込める。


 何から何まで”異質”だった。

 魔力と精霊が存在するナインスリーブスでは実体を持つ事象である、人が歩けば足音が生じるように、大量の魔力が移動すれば魔力を感知出来る者ならば必ず変化に気がつく。

 或いは何らかの影響を受けるはずなのだ。


 しかし、今ダグザたちの目の前で何物にも影響を与えずに魔力による”物質転送”が行われた。


 「これではまるで魔王ヴォーダンの御伽噺ではないか…」


 ダグザは目の前の信じられない出来事を前にして呻く。


 プラズマ光球の明滅が収まり、それまで誰もいなかった場所に男が立っていた。


 「ほう。地上人の中にも察しが良い者がいるという事か。だがしかし、その推察も完全ではない。ヴォーダンの魔術は我々のそれを遥かに越えている」


 

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ