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第百九十五話 VS オーサー 第一幕 オーサーの事情

次回は三月二十八日くらいに更新したいと思います。遅れまくってすいません。


オーサーは一刻も早く第十六都市を離れなければならなくなった。

言うなればこの時はまだその程度にしか考えていなかったのだ。


”後悔あと先に立たず”とはこういう事だろう。


オーサーはとにかく脱出口に向かう。

戦時中にエイリークから教わった物資搬入用のエレベーターがある方角を目指して全力で駆け抜けた。

一般的に例のエレベーターは都市内部のそれも特定の関係者にしか使えないと思われているが責任者に話を通しておけばさえおけば融合種リンクス族でも利用できる。


(しかし、全然わからねえ。何故このタイミングで俺が狙われるんだ?あのガキ、俺の”協力者”とか言っていたな。一体誰の事を言っているんだ)


オーサーは毒づきながら最近身の回りで起こった出来事について思い返す。

彼は長い間、軍人として仕事をしている為に他人から恨まれる事はある。

それを職務として割り切っているが目立って疎まれるような真似はしていない。

さらに言うと今日まで続けてきた遠大な計画は常に隠し通してきたつもりだ。

第三者がオーサーの存在を疎んで暗殺者を送り込んできたとも考えたが、それにては相手の行動が周知徹底している。


(多少危険な賭けだがエイリークたちと連絡を取る必要があるな。あのガキが死んでいるという確証がない以上、最低でもエイリークの差し金じゃないという現地が欲しい…)


その時、オーサーは速人の目に恐怖を覚えていた。

戦時中はいくつもの死線を越えたという自負を持つオーサーだったが速人の狙った対象を決して生かしておかないという目つきには心の底から恐怖を感じた。

先ほどのスズメバチを使った戦法は数ある中でも確実に相手を仕留める部類だったが速人が相手では足止めにしかならないと考えてしまう。


やがてオーサーは建物同士の隙間を抜けて見慣れた通路に辿り着く。


ふう。


そしてようやく落ち着ける場所に来た事を実感した時、自分でも驚くほそ大きな息を吐いた。

真昼の温かさを感じる日差しを浴びてオーサーは首と肩に湧いた汗を拭う。


(この先はアルの家の近くか…。いつあのガキが現れるかわかったもんじゃねえからな。さっさと移動するか)


オーサーは道中、何度も背後に警戒しながら”高原の羊たち”の事務所を目指した。


場所は変わって先ほど戦場となった小路にある古びた倉庫の前。

全身が煤だらけになった速人が身体にこびりついた蜂の死骸を取っていた。

半分はヌンチャクで叩き落としたが、もう半分は周囲に火薬をまいて一気に焼き払った。


速人の着物は裏側を厚手の丈夫な布で補強している為に爆発や燃焼にある程度は耐えられる。


「クソが。よりによってスズメバチなんぞをけしかけてきやがって…」


速人は毒消しの効果がある一族秘伝の丸薬を飲み込んだ。


スズメバチの毒にも有効な代物である。

薬草とにかわの悪臭が喉に充満して、すぐにでも吐き出したい気持ちになった。

しかし、先ほどの戦闘でオーサーが主犯である事がほぼ判明した。


 中でもオーサーが”妖精王の贈り物(ギフト)”の保持者である事を隠していたのは決定的だろう。

 ナインスリーブスにおいて第三の有力な眷属種ジェネシスであるエルフ族は特に”妖精王の贈り(ギフト)物”を持つ者を嫌悪する。

 かつて速人が暮らしていたレッド同盟の開拓村のスタンロッドというエルフ族の男がそう教えてくれた。


 「速人。私たちエルフ族はね、”妖精王の贈り物”を持って生まれた者を特に嫌うんだ。なぜならそれはかつて我々が袂を分かったハイエルフたちが関わっているからね」


 かくいうスタンロッドも”妖精王の贈り物”(ギフテッド)持ちで両親は必死に隠していたらしい。

 速人は死んだスタンロッドの横顔を思い出しては涙を堪える。

 彼はあの場所で死ぬべきではなかった。


 (どのような形とはいえオーサー・サージェントの”協力者”は機神鎧ヴォーグに関わっている。絶対に話してもらうぞ…)


 焦土と化した開拓村の姿を記憶の底から掘り出して胸に刻みつける。


 速人は着物で顔の煤を拭うと”合流地点”に向かって走り出した。


 「オーサー」


 オーサーが第十六都市の機能的な意味で”中央”である中央区画に向かって歩いていると見知った顔に声をかけられた。

 声の調子は澄んだ岩清水を思わせる心地よい音程。

 だが声の主は今一番オーサーが出会いたくない相手だった。


 「よう、ダグ。久しぶりだな」


 その時オーサーは”なぜダグザがここにいるのか?”をすぐにでも聞き出しておきたい衝動に駆られた。

 しかし口を真一文字に結んで踏み止まる。

 ここはエイリークの事務所の近くなのだから不合理な点など何一つない。

 オーサーは視線を彷徨わせながらダグザの言葉を待つ。


 「エイリークとマギーの姿を見なかったか?ついさっきまで事務所の中にいたはずなんだが急に姿を消して」


 エイリークとマルグリットが何かの拍子に外出する。

 オーサーにもよくある経験だった。


 (…そっちかい‼)と渾身の叫びを上げたい衝動に駆られるが鋼の自制心で抑え込む。


 気がつくとオーサーを憐れむような目つきでダグザが彼を見ていた。


 「まあ、その何だ。私たちにとってエイリークとマギーが仕事の途中で姿を消すのは日常茶飯事だからな。今さら驚かないさ…」


 そう言いつつもダグザの目から涙が溢れる。

 一体いつになったらエイリークは一人前の大人になるのだろうかと思い悩む親心が彼の涙の理由である。

 無論オーサーにとっても共通の悩みだったので苦笑いを浮かべる以外に方法は無かった。


 「残念ながら俺のところには来てねえよ。お前さんも大変だな、ダグ」


 オーサーはいつもの調子で会話を続ける。


 「正直な話、慣れたくはないのだがな」


 ダグザはそれとなく道の周囲を見る。


 普段は人通りの少ない道のはずだが、今日に限って人数が多い。

 ダグザは己の持って生まれた不運に対して嘆息する。

 出来れば衆目に触れぬようオーサーの身柄を抑えたかったのだ。


 「エイリークの話は一先ひとまず置いておくとして…オーサー、今日はウチの事務所に何の用件だ?」


 ダグザはあえて同行していたソリトンとケイティに指示を出さずにオーサーのすぐ近くまで移動する。オーサーは破顔してそれを歓迎する。

 今のところオーサーはダグザの変化には気がついていない様子だった。

 そして周囲を警戒しながら話を続ける。


 「ああ、それか。急な話なんだがな。俺、命を狙われているみたいなんだよ」


 オーサーは今し方、自分がやって来た方向を睨んだ。


 まだ”敵”が出て来る気配はない。

 あの手の輩はプロ意識が強く、無関係な人間を巻き込むようなやり口は好まない傾向があるとオーサーは考えていた。


 「お前の命を狙っているだと⁉…まさか同盟の内部で何か起こっているのか」


 ソリトンが思わす声を上げてしまう。


 (ソルのお馬鹿。何で行っちゃうのよ)


 (このタイミングでか…)


 彼の伴侶であるケイティとつき合いの長いダグザは思慮深げなソリトンが何も考えずに発言していることに気がつていた。


 「ダハハハッ!そうなんだよ。実は上司の機嫌取りが足りなかったみたいで…、じゃなくて同盟の方は問題ない。まだ首の皮一枚で繋がっているってトコかな。けど自治都市のお偉方からは嫌われているよな」


 ソルの発言からダグザが何らかの疑いを持って自分に接近してきた事を察したオーサーはいつもの調子に戻そうとする。

 

 ダグザは賢い男だが、感情に流されやすい一面も持っている。

 オーサーの方から降参してしまえば思い切った行動は出来ないだろう。


 (頼む、ダグ。俺に時間をくれ。俺の計画が軌道に乗れば全部説明するし、命を捧げだっていいんだ…)


 オーサーは旧友の弱みに付け込むことに言い様の無い罪悪感を覚えていた。


 「…だろうな。第十六都市ウチの市議会のギガント巨人族派は戦後の会議から除外された事を根に持っている。身内の話ながらどこまで強欲なのか。恥ずかしい限りだ」


 ダグザは心の底から悔しそうな顔をする。世界を相手に戦ったグリンフレイム率いる”火炎巨神同盟ムスペルヘイム”との戦いの後、第十六都市を含める多数の自治都市は戦時中に制圧した帝国と同盟の領土を返却させられた。

 自治都市群の言い分を通せば今度は帝国と同盟と自治都市群の戦争が始まるのは目に見えていたので当時の自治都市群の首脳たちとダグザの祖父スウェンスが自ずから手を引く事によって事態は収拾したはずだった。

 しかし時が経過してスウェンスたちが表舞台から姿を消すと”喉元過ぎれば熱さを忘れる”が如く正当な報酬が受け取れなかったと騒ぎ出す者たちが現れるようになったのである。


 「仕方ねえよ、ダグ。それが政治ってモンだ」


 オーサーもこの時ばかりは素の表情を出す。


 レッド王国同盟、ダナン帝国、自治都市群は慢性的に人口が足りない。

 人手が足りなければ、当然資金も思うように集まらず産業も成り立たない。

 よって国の運営も暗礁に乗り上げてしまう。

 乱暴な言い方をすれば現時点では”土地と人をかっさらって増やす”以外に方法は無い。


 「今しばらくはお前も窮屈な思いするかもしれない。漆てくれ、オーサー」


 「ハハッ。そりゃお互い様だ、ダグ。俺たちの上役”七枝王国セブンスブランチ”も第十六都市を警戒している。特にお前の親父さんをな」


 そう言いながらオーサーは故郷を出る前に上司から言われた事を思い出しては苦々しい顔つきとなる。


 オーサーの上司はエイリークとの交友関係を知ってか、出発する前に再三ダグザの父ダールトンに挨拶をしておけと言った。

 彼らの目的はハッキリとしている。ダールトンが彼の父スウェンスに続く二代目の”総議長”に立候補する事をひどく恐れていた。


 (あのクズどもめ。何がルギオン家の名前で声をかければ帝国の半分が動く、だ。ダグの実家が帝国を離れたのはもう百年以上も前の事だぞ)


 疑心暗鬼にも程がある、とオーサーの中の”闇”が幾分か過熱された。


 「オーサー、どうした?気分でも悪いのか」


 気がつとオーサーのかなり近くまでダグザたちが来ていた。

 オーサーも技量うでには自信があったが、ダグザたち歴戦の勇士が相手では分が悪い。


 「さっき暗殺者に襲われた時に怪我をしたんだよ。我慢出来ないほどじゃないんだが、お前らの顔を見ると気が緩んじまってそれで…」


 オーサーは薄笑いを苦笑しながら包帯が巻かれた手首を見せる。

 案の定、ダグザたちは心配そうに負傷した箇所を見ていた。


 (ケイティ。にわかには信じ難い話だがオーサーは速人の追撃から逃れるほどの手練れだ。我々の実力では追い詰めることさえ出来ないだろう…)


 (了解よ、ダグ兄。一度事務所に戻って人を集めてから捕まえた方が良さそうね)


 ダグザは瞬時にしてケイティとアイコンタクトを取った。


 ソリトンはケイティの表情から二人の間に何らかの情報交換があった事を確認してオーサーから距離を置いた。


 ソリトンは空気の読めない男だが”察し”は良い。


 (マズったな。これじゃあ自分から”俺は敵です”って言ってるようなモンだぜ)


 オーサーは自分が警戒されている事を十分に意識しながら三人との位置を把握する。

 幸いにして包囲から逃れられるようご丁寧に隙間を作ってくれていた。


 オーサーは悪びれもなく彼らの厚意に甘えて当初の目的とは別の方角に向かって歩き始めた。


 「今日はいきなり訪ねて来て悪かったな。それでお前らに迷惑をかけたんじゃ俺の面目丸つぶれだ。日を改める事にするよ」


 オーサーはダグザたちに手を振ると背中を向ける。


 先ほど対峙した速人がダグザたちに危害を加えるのではないかと考えたが、今は一刻も早く第十六都市を離れなければならない状況となっていた。


 「ああ。そっちも気をつけてくれ」


 一方、ダグザはそれと知りつつオーサーを見逃す事にした。

 仮に自分たちと出会う前に速人と交戦したならば相応の手傷を負っている事は間違いないだろう。

 下手に追い詰めれば手段を選ばない行動を取る可能性も否定できない。

 加えて現役のソリトンとダグザはともかくケイティは実戦から離れてかなりの時間が経過している。

 仮にケイティがオーサーとの戦いで怪我でもすれば彼女の子供たちが悲しむ顔が目に浮かぶ。

 ダグザにとってアメリアとシグルズは実の甥と姪のような存在となっていた。

 どの考えも結局はダグザの勝手な思い込みにすぎない。

 しかし、子の親になってしまったダグザには以前のように大義の為に何かを犠牲にするような考え方は出来なくなっていた。


 (これでいい。今回の接触でオーサーも自分に疑いの目を向けられている事に気がついたはずだ。速人の言っていた通り、オーサーとエイリークを引き合わせるのはやはり危険だ)


 ダグザは自分でも気がつかないうちにエイリークの父マールティネスが死んだ時の事を思い出してしまう。

 当時も似たような状況で、追い詰められたアストライオスが暴走してマールティネスが殺害されてしまったのだ。

 オーサーはアストライオスほど思慮の浅い男ではないが万が一という事もある。


 「ダグ兄。本当に追いかけなくていいの?」


 「ああ、今回はそれでいい。情けない話だ我々だけではオーサーを捕らえる事は不可能だろう。最悪でもエイリークかマギーがいなければ…」


 ダグザは今日の己の失態を心に刻もうとオーサーの背中を見た。


 オーサーはダグザたちには目もくれずに通りを曲がろうとした。


 あえてダグザたちの様子に気がつかないフリをしたのはオーサーの誠意だった。


 (あばよ、ダグ。次に会う時は敵同士かもな)


 オーサーは心の中で別れの挨拶をしながら大通りに向かった。

 別離の涙がオーサーのエメラルドの瞳を潤す。

 オーサーはハンカチを当て、涙と一緒に感傷的な気持ちを拭き取ろうとした。


 バカンッ‼


 同時に重厚な筋肉に覆われた太い腕がオーサーの視界を席巻する。

 見覚えのある無駄に健康的な小麦色の肌。


 (ああ、そうだ。さっきダグが”会議の途中でいきなり姿を消した”とか言っていたな)


 オーサーは仰け反りながら目から涙を、鼻から血を流す。


 「ようやく見つけたぜ、オーサー。さっきから外を歩いているエルフを全員ラリアットの餌食にしてやっていたんだが…」



 オーサーは身を翻して立ち上がろうとする。

 鼻の穴から大量の血を流しながら巻き添えを食った連中を憐れむ。


 (何て事を…。外交問題に発展するぞ)


 その時、うつ伏せになったオーサーの両足を取って反り上げた。

 ミチミチミチという異質な音が聞こえたのと同時に両足の関節と腱が悲鳴を上げる。


 オーサーは大口を開いて絶叫する。


 「ひあああああああああッ‼」


 中年のエルフの男性が道の真ん中で絶叫している。

 彼は右手を前に出して周囲の人々に助けを求めるが誰一人として反応する者はいなかった。

 彼が第十六都市で比較的数の少ないエルフ族の出身だからといって差別しているわけではない。


 「ダーリン。オーサーがもう悲鳴を上げてるよ?もしかして贋物かも…」


 うつ伏せになったオーサーの体の上ではエイリークの妻マルグリットが逆エビ固めを極めていた。

 そう言ってマルグリットは体重を後ろにかける。


 ミチ、ミチ、ミチミチ…。


 「おい、贋物野郎。本物のオーサーはどこに逃げやがったんだ。早くゲロしないと俺とハニーで両端から引っ張るぞ?」


 「頼むから…俺の話も聞いてくれえええええッ‼」


 数分後、ダグザたちによって救出されたオーサーは疲弊した状態となっていた。

 結果オーサーの身体からだはパスタのように捻じられ、引っ張られ、さらに何度も地面に叩きつけられた。

 

 ちなみにエイリークとマルグリットは今ケイティから説教をされている。


 「なあダグ、人間ってもう少し月日の経過と共に成長する生き物のはずだぜ?こいつらと来たら…」


 オーサーは暗黒の過去を思い出していた。


 「その話に関しては弁明の余地も無い。本当にすまない…」


 ダグザに次いでソリトンとケイティも頭を下げようとしたが、ダグザ当人によって止められた。


 エイリークを御する役割を担当する者としての自負なのかもしれない。

 彼らと十年以上のつき合いがあるオーサーは特に追求する様子はない。


 「何だよ、俺らが全部悪いみたいに言いやがって。俺とハニーはオーサーが悪い奴らに騙されてるっていううから目を覚まさせてやろうと思っただけだぜ?」


 エイリークは人差し指を立て、オーサーとッダグザを威嚇する。


 「待て待て。誰が誰に騙されてるだって?まずその辺を説明してくれよ」


 オーサーは自分の噂の出所を確かめる為、エイリークとの話を続ける。


 「いや、それはだな。速人っていうウチで飼っているガキがだな、お前が悪い奴に騙されて悪事の片棒を担いでるって言ってるんだよ」


 「………」


 エイリークの率直すぎる返答にマルグリット以外の人間は凍りついていた(オーサーも含む)。


 「速人だ?もしかして前にソルたちと一緒にいた新人ニューマンのガキか?なるほど、そいつの飼い主が今回の下手人ってわけだな」


 オーサーはそう呟くと口に手を当てながら現在の状況を整理する。

 先ほどの襲撃は速人という新人ニューマンの子供と彼の保護者の意志が原因であり、その人物の考えにエイリークとダグザは必ずしも肯定的ではない。

 オーサーは咳払いをしてからエイリークたちに向き直った。

 

 自ずとその場の空気も引き締まる。


 「なあエイリーク。これは俺からの提案だが、速人ってヤツに俺は無害だから襲わないでくれって言ってくれないか?」


 殊更に苦笑しながら包帯が巻いてある右手を見せる。


 「オーサー。お前、速人に会ったのか?」


 エイリークは驚いた様子でオーサーを見ている。

 その時のエイリークは緊張のあまり額に汗を浮かべていた。


 「おいおい。一体どうしちまったんだ、エイリーク。俺は被害者だぜ?」


 エイリークはオーサーの右手を凝視している。

 仮にオーサーが本気の速人と戦ったのだとすれば、狙われるのは利き手である。


 (速人のクソが。疑うなら自分の目で確かめてみろって、そういう意味か)


 エイリークは額の汗を拭い去り、一人の人間としてオーサー向き合う。


 「オーサー、お前って左利きだったよな…。じゃあ何で右手に怪我なんてしてるんだよ」


 ざっ。


 エイリークの声の調子が重苦しい物となった瞬間にマルグリットがオーサーの背後に回ろうとする。

 しかし、エイリークは先に右腕を出して動きを制した。


 「ダーリン…」


 「すまねえな、ハニー。今、俺はオーサーと話がしてえんだ。頼むよ」


 マルグリットは無言で頷くとエイリークの横に並ぶ。


 「…」


 ほぼ同時にソリトンも短刀を鞘に納めた。


 「あのな、エイリーク。俺には全然意味が分からねえんだが…」


 いつの間にかオーサーの顔から道化じみた笑みが消え失せていた。


 「…ケイティ。私の後ろに下がっていなさい」


 ダグザは彼の変貌を警戒してケイティを後ろに下がらせる。


 「速人は戦いの時に、相手の利き腕から潰しにかかるようなクソガキだ。つまりお前が右手に怪我をさせられたって事は、お前の本当の利き手は右だ。違うか、オーサー?」


 「それは前に説明したろ?親が左利きってのを嫌がって、ガキの時分ころは右手を使えるように練習したって」


 それも嘘だった。


 お世辞にも優秀とはいえないオーサーの弟が厳しい両親や家庭教師に怒られないように左利きになったのだ。

 それは決して報われる事のない”優しさ”だった。

 なぜならば彼の弟も両親もその事を知っていたのだ。


 「止めてくれよ、オーサー。何で俺にもそんな嘘をつくんだよ。俺たち、友達だろ?」


 親友の喉の奥から絞り出すような声。

 それはあの時のオーサーの弟と同じ言葉だったと記憶している。


 「ねえダグ兄、利き腕を偽っていたってそんなに重要な事?」


 ケイティが自分の右手を見ながら尋ねる。

 口に出していなかったがマルグリットとソリトンも疑問に感じていたらしく、ダグザの方を見ている。

 

 「オホン。利き腕が違うという事は、有利な魔術属性の数が違うという事だ。以前にオーサーは”自分は風の属性が得意だ”と言っていたが実際にはもっと多くの得意な属性を持っているということだろう」


 ダグザは咳払いをした後、慎重に言葉を選びながら話した。

 次いでマルグリットが手を挙げる。


 「ダグ兄。有利な属性が多いと何か困る事でもあるの?アタシは大地と火以外はからっきしだけど、それで困った事はないけど」


 「そうだな。まず魔術式の圧縮、呪文詠唱の高速化が段違いになる。つまりマギーの得意分野だと、”火山弾”の魔術が予備動作無しで放てるような物だ」


 ”火山弾”は火と大地の属性を複合させた高等魔術の代表格である。

 特別な教育を受けたわけではないがマルグリットは高等魔術の類は難無く習得している。

 おそらくは彼女の生まれ持った才覚の高さによるものだろう。


 「うわ何それ。超疲れそう…」


 マルグリットはダグザの話を聞くとげんなりしていた。

 知識の理解と実践を両立させる才女だったが、根気はゼロに等しい。


 「それが何だってんだよ。あの時は俺もいきなり襲われて混乱していたんだ。思わず向きになって力加減を間違えちまったのかもしれねえぜ?」


 エイリークは暗い表情のまま首を横に振る。


 「問題はそこじゃねえよ。お前が速人に見つかって本気で戦ったって事だ」


 「それは向こうが問答無用で襲ってきたからだよ。本当、死ぬトコだったんだぜ?」


 オーサー自身は不備の無い答えを発したつもりだった。

 だがエイリークは疑惑の眼差しを解くことはない。


 「速人はな、街中では決してお前と戦わないって約束したんだ。アイツは嘘ばっかつくクソガキだが、約束は守る性格だ」


 「…それが何だってんだ」


 「お前は普通の手段でここに来たんじゃねえ…。だから速人は人気のない場所でお前を捕らえようとした。…違うか?」


 「いや最初からアイツは俺を殺す気だったよ…」


 否、違う。わざわざオーサーの前に現れてから襲ってきたのだ。


 そして彼の思うままにオーサーを上手く誘導している。おそらくソリトンたちと鉢合わせになった事も小僧はやとの思惑の一部だろう。


 「オーサー、エイリークの言う通りだ。今の今まで他のメンバーからお前に関する報告が無かったという事は、我々の知らないルートを使ったという証拠だ」


 オーサーは悔しさ紛れに歯噛みをする。

 普段からの慎重すぎる性格が仇となってしまったのだ。

 思えばデレク・デボラと手を切った時点で必要以上に他者を警戒するようになっていた。

 今回に限って人目を避ける為に神仙”水夾京”から教わった第十六都市が帝国の城塞だった頃の通路を使ったのである。


 (一体どこまで俺の計画がバレているんだ。いっその事、ここで計画の一部をぶちまけちまうか?)


 自治都市、帝国、同盟に潜む不満分子を扇動して決起させる。

 そして本格的な戦闘に発展する前に鎮圧。結果として不満分子の側にダメージは少なく、国家の側はそれなりに消耗する。

 国家の側は財政、人事の面で疲弊してやがて法の取り締まりを強化するだろう。

 だがその事が逆に不満分子を刺激してさらに決起するという悪循環が生じるのだ。


 (そこに誰もが大英雄が現れて敵味方両方が納得するような結果を出したらどうなる?世界は統治者の代替わりを求めるようになるだろう。かつて大陸西部を掌中に治めたリュカオン族の伝説の女王アポロニアの覇業の再現だ)


 オーサーは血まみれの玉座に腰を下ろすエイリークの姿を思い浮かべ、ほくそ笑んだ。


 「…何が可笑しい?」


 「クククッ、実に滑稽な話じゃないか、ダグ。かつて俺たちは戦争を止める為に努力したものだが、現在いまは些細な意見のすれ違いで言い争いをしている。目の前に解決すべき問題は山積みだというのに…」


 ダグザはオーサーの態度から不穏な気配を感じ取り、距離を置いた。

 オーサーは陰鬱な笑みを浮かべながら話を続ける。


 「賢明なダグザ、お前の言う通りだ。今回、俺は最初からお前らに会うために第十六都市に寄ったわけじゃない。遠大な計画の障害を排除する為に来たんだ…」


 ダグザは襟を正して、エイリークの前に立つ。まるで己の役目はエイリークの盾であると言わんばかりに。

 彼はいつもそうして後に続く者たちに道を示していた。


 「オーサー・サージェント。その口ぶりでは、もう何度も我々を避けて第十六都市に来ていたようだな…」


 エイリークを守るようにマルグリットとソリトンが傍らに立っていた。


 「ああ。下世話な仕事をお前たちにさせるわけには行かなかったからな。嫌々ながら下種共と手を組ませてもらったよ」


 「都市の付近に現れた野盗どもは、お前の仕業だったのか…。信じられん」


 ソリトンは端正な面差しを濁らせながら呻いた。


 野盗の出現によって発生した被害自体は大した物ではなかったが、一連の事件をきっかけに流通業から手を引いた者たちの数は決して少なくない。

 ソリトンは離職した者たちに何とか元の仕事を再開してくれないかと頼み込んでいる義父ベックの姿を思い出す。


 「まあベックたちには悪い事をしたと思っているよ。だが同盟の腐敗政治を告発するには他に方法が無かったんだ。…ノートンの姿を見ただろ?今の同盟では、国家に忠誠を尽くして戦った奴はみんな冷遇されている。戦時中は国の中に引っ込んで逃げ回っていた連中のせいでな」

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