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第百九十四話 VS オーサー 前哨戦

次回は三月三日くらいになります。毎度遅れてすいません。


 ダグザ、レクサ、ソリトン、ケイティの四人はエイリークとマルグリットが不在の時は隊商キャラバン”高原の羊たち”の責任者を務めている。

 彼らの大半は子供時代からのつき合いであり、彼らの中で最年長であるダグザが話のまとめ役になるのは珍しい事では無かった。


 ダグザは事務所の扉から現れたエイリークとマルグリットを睨みつける。

 

 ダグザが会合で皆の意見を聞いている間、二人は事務所を抜け出して休憩に出て行ってしまったのである。

 それが昔から繰り返されている日常の一コマだったとしても今置かれている状況を考えれば小一時間くらいの説教が量刑というものだろう。


 「やあ、お帰り。エイリーク、マギー。二人だけでゆっくり休んできたんだ。さぞ良い結論が出せたんだろうな?」


 ダグザは顔全体をヒクつかせながら笑っていた。

 レクサとケイティは腕を組んでエイリークとマルグリットに厳しい視線を送っている。


 「ハンッ!いい気なものね、エイリーク。オーサーの事でみんなが苦しんでいるっていうのに…」


 「大体アンタたちが持ってきた話だっていうのにどうして消えちゃうのよ!」


 ソリトンは自分がクッション役になろうと出て行こうとしたが、スウェンスがそれを引き止める。

 どう考えても悪いのはエイリークたちだった。

 ここで彼らを見逃そうものならさらに悪事を重ねる事となるだろう。


 (何というスムーズな連携だ。これがチームワークというものか…)


 速人は傍から見ると関与していないスウェンスによって、じわじわと追い詰めらるエイリークたちの姿を見ながら軍師スウェンスの手際に舌を巻く。

 この陰湿さと来たら、やはりダグザの祖父以外の何者でもない。


 「モチのロンだぜ、ダグ。なあハニー?」


 「そうさね。もう湖が割れて、そこを通って向こう側に渡れるほどの解決策さね」


 その場にいた誰も信用しなかった。


 けっ!…あまりの悍ましさにベックが地面に唾を吐く、というくらい最低の嘘だった。


 「まあ冗談はその辺にして今後のオーサー対策を考えましょう」


 速人は涼しい顔でエイリークを見上げる。

 

 エイリークとマルグリットは中指を立て速人を威嚇する。

 二人の大人げない大人と邪心の塊のような子供の間で火花散った。

 

 速人たちは他の”高原の羊たち”のメンバーが待っている事務所のホールに向かった。


 此処は”高原の羊たち”という組織の規模にしては大きな事務所ではないので滅多に全員が集まる事はない。

 もしも何かのきっかけで集合すれば建物の中がごった返しになるのは目に見えていたからである。


 速人はスウェンスの命令によって縄でぐるぐる巻きにされてベックに運ばれていた。


 エイリークも後ろで両手を縛られて目隠しをされた状態でマルグリットとは別にホールに連行されている。


 「おう、お前ら。仕事中に悪いが爺様がお節介を焼きに来てやったぜ。何せ話がオーサーの裏切りがどうとかだ。少しはこの老いぼれの知恵が役に立つだろうと思ってな」


 スウェンスが口を開くとエイリークの仲間たちがいつもの陽気さを取り戻す。


 ほぼ全員が旧友オーサーの裏切りを信じられず、混乱していたのだ。


 (これはこれで不味いな。こいつら、俺が出てくれば全て解決するって思っちゃいねえか?)


 速人は渋面を作ってスウェンスを見ている。内心では”それ見た事か”と思っているのだろう。

 スウェンスは自分の考えの甘さを反省しながら話を続けた。


 「オッホン!」


 スウェンスは咳払いをして場の空気を引き締めようとする。

 下手に強く咳をすれば周囲から心配される年齢だったので加減が難しい。


 「最初に言っておくが、あくまで俺は部外者の立場としてアドバイスするっていう意味だ。今回の主役はお前ら。ここを忘れないで欲しい」


 スウェンスの言葉を聞いた後、誰もが口を閉じていたが意図は概ね伝わっているのは間違いなかった。 


 次いでベックが話を始める。

 ベックの来訪はエイリークたちにとって想定外の出来事だったらしくベックの娘のケイティも驚きを隠せない様子だった。


 「みんな聞いてくれ。実は今回、親方に無理を言って私も同行させてもらった。正直な話、私はいまだにオーサーが裏切った話を信じられない。干渉するつもりは毛頭無いから皆の意見を直に聞かせて欲しい」


 話が終わるとベックは深々と頭を下げる。

 こうして以前よりも緊張感が増した状況でオーサーの処遇に関する最後の話し合いが始まった。


 (今さら話合ったところで何がどう変わるとは思わないが…)


 速人は疑念の籠った視線をスウェンスに向ける。


 「?」


 スウェンスは速人の視線に気がついて”この場は任せておけ”と笑って見せる。

 

 スウェンスは黒板に必要な情報とそれらに関する処方などを書いた。


 速人は黒板に書かれた字を目で追いながらスウェンスの真意について考えていた。


 タンッ‼


 ついにスウェンスは黒板に全てを書き終える。


 「まあ、これまでの出来事を順番に書いてみたが不自然な点ばかり目立っちまったな」


 スウェンスはオーサーの関わったであろう事件の後を睨んでいる。

 それらの事件は目立った被害が出る事も無く、綺麗さっぱりと解決していた。


 エイリークとマルグリットは何か思うところがあったらしく図式化された事件の概要を見入っていた。


 (ファンタジーRPG世界なのに刑事物のドラマみたいな事をしているってのは違和感があるな…)


 速人はただ一人、別の意味で頷いていた。


 「待ってくれよ、爺ちゃん。その話の流れだとオーサーが今の平和に満足していないみたいじゃないか…」


 アルフォンスの息子ケニーが立ち上がって声を上げた。

 彼の表情の中に焦りが見えたのも無理はない。

 彼の父アルフォンスとオーサーは互いに戦争で肉親を失い、意気投合して親友となった。

 特にアルフォンスの死んだ弟ケニーと同じ名前がつけられたケニーはオーサーに幼いころから親しくしている。


 「ケニーの言う通りだぜ、爺ちゃん。オーサーに限って今の平和を壊そうなんてあり得ねえよ‼」


 同様に従兄弟のアンソニーの表情も暗い物となっていた。

 彼の父親はアルフォンスの弟ケニーであり、従兄弟のケニー同様にオーサーとは親しい間柄だ。


 (※と文字にするとよくわからない関係になる)


 「落ち着け、二人とも。お前らの言う事も分かる。だがオーサーの本心はともかく今やっている事は新たな戦乱の火種を作っている事に違いねえ」


 そして「今、何をすべきか?」という部分で議論が止まった。


 あくまで一歩離れた立ち位置にあると主張したスウェンスには答えられない。


 「爺ちゃん。俺様には”どうすればいいのか”ってのが分かっちまったぜ」


 エイリークは晴れやかな表情でスウェンスの前に立つ。

 それは一切の迷いを捨てたわけではなく、オーサーを倒すという覚悟を決めたわけでもない。

 だが組織の長として、平和の存続を望む者として”決意の表意あらわれ”だった。


 「次にオーサーが第十六都市にやって来た時に俺たちの手で捕まえる。それでお互いの納得が行くまで話をする。いつも俺たちはそうやってきたからな」


 エイリークは速人の表情を窺う。


 しかし速人の目は昏く、疑念に満ちている。

 それはエイリークの覚悟や決意を疑っているのではない、エイリークの人としての甘さを責めていた。


 「わかった。俺が聞きたかったのはそういう返事だ。いいか、エイリーク。お前はこれまでどんな相手でも直に会って話を聞いてやってからこそ良い結果を出せたんだ。それに負い目を感じる事はねえよ」


 スウェンスはエイリークの手を握りながら何度も頷いていた。


 速人の目には自分たちに言い聞かせているようにしか見えなかった。

 しかし速人はこの場でそれを口にする事はしない。

 彼らの決意を曇らせる事は不本意であり、敵対者を根こそぎ排除するという自分のやり方よりも高尚まともだと思ったからだ。

 そして、エイリークとスウェンスが良い結果を導くように手を取り合うと予定調和的に周囲は拍手と喝采を送った。


 (そう、これが本来あるべき世の中の姿だ。やはり俺は間違っていて、彼らが正しい)


 速人は意を決して拍手を送る側に加わる。


 (この美しい光景が永遠に続く為にはオーサーの首が必要だ…)


 この時、速人は懐に忍ばせた短刀を強く意識する。

 速人はどこに行こうとも死の宿命からは逃れられない。


 そうある事を、自分で決めた時から。


 その日を境にオーサーに関する一切の情報は優先的にエイリーク或いはダグザのところに来るように手配された。


 速人の独走を危ぶんだダグザは、ソリトンやハンスを介して情報が伝わるように手配する。


 スウェンスもわりと親しい間柄にあるベックたちに速人の動向を注視するよう伝えていた。

 ベックは速人を監視しているようで嫌がったが、「速人が死ぬかもしれない」と脅しをかけると従ってくれた。

 ベックの中でも速人の事は実の孫と同じく考えるようになっていたからである。

 

 一方、速人は独自の手段でオーサーを警戒していた。

 平時、彼が立ち寄りそうな場所には常に気を配り些細な変化も見逃さないようにした。

 速人の行動がオーサーの警戒心を煽る結果にならないかと、エイリークから注意を受けた事もあったが速人は特に反論せずに謝罪する。

 エイリークは速人の反応に疑念を抱きながらも仲間たちと連携してオーサーの動向を探った。

 

 さらに二週間後、”高原の羊たち”の事務所でオーサーの名前が話題に上がらなくなった頃に事態は動いた。


 その日エイリークはマルグリットと一緒にある書類を提出する為、役所に出向いていた。


 数日前、区役所から事務所の近くで水道工事をやるという話があったので就業時間や今現在勤務している人数などを記載した書類を提出しなければならなかったのである。

 仕事は優秀だが約束事にはズボラなエイリークは案の定、提出期日から一週間ほど遅れて提出する事になった。


 ダグザとレクサからさんざん嫌味を言われ、エイリークはダグザにヘッドロックをかけてからマルグリットと共に出かけて行った。

 二人は市役所からの帰り道で、オーサーの事などすっかり忘れて喫茶店で時間を潰そうかと相談しながら中央区画の大通りを歩いていた。


 「ねえダーリン。今日はパンじゃなくてパスタって気分じゃない?」


 「パスタかー。ハニーには悪いけど、俺はパスタじゃないんだよな。どっちかというとパン?みたいな感じ」


 エイリークとマルグリットはそのまま他愛ない会話をしながらお気に入りの喫茶店に入ろうとする。

 その直前で背後からソリトンに声をかけられた。


 「エイリーク、良かった。お前も街に出ていてくれたか」


 ソリトンは白い息を吐きながら膝に手をつける。

 彼が来た方角から察するに下町の方から事務所に一目散で走ってきたのだろう。


 「おい、ソル。”お前も”って何か話がおかしくはないかい?」


 ぐいっ‼


 マルグリットはソリトンの襟首を掴んで持ち上げた。

 いつも陽気で滅多に怒る事がないマルグリットだったがエイリークと一緒にいる時に邪魔が入るとすぐ不機嫌になってしまう。

 エイリークよりもマルグリットとつき合いが長いソリトンの顔から一瞬で血の気が引く。

 このまま彼女を放っておけばソリトンの顔がルービックキューブみたいになるまで殴るのは間違いなかったのでエイリークは助け舟を出す事にした。


 「おい、ソルよ。仮にお前の話が事実だとして、”エイリークも”って事は他の誰が目的地で待っているんだよ?」


 エイリークの言葉を聞いても合点が行かないのか、マルグリットは口をへの字にしてしまう。

 しかしソリトンは質問の意図を理解して即答した。


 「ハンスだよ。いや違うか…俺もハンスも速人に言われて指定された場所で待機していたんだが…。さっき速人から”オーサーが大市場の近くを歩いているのを見た”という連絡があってだな…」


 その時、エイリークの頭の中の靄のかかった部分の記憶が鮮明となる。


 「ああッ‼クソッ、完全に度忘れしていたぜ‼よりによって速人の方が先に見つけちまったか‼」


 「うわああああ…。ごめん、ダーリン。アタシも完全に忘れていたさね」


 エイリークはマルグリットを落ち着かせる為に彼女の頭を撫でた。


 「大丈夫だ、ハニー。今ならまだ十分、取り返せるさ。おい、ソル。お前は速人に何て言われたんだ?」


 エイリークの予想では速人は自分で立てた計画通りに動いている。

 その際に事後処理として自分から”エイリークたちとの約束を破っていない”という予防線を張る為にハンスとソリトンを利用したのだろう。


 (畜生。…つくづく抜け目のねえガキだぜ)


 エイリークは今朝方、素知らぬ顔で自分たちを送り出した速人の横顔を思い出しながら毒づいた。


 「ええと…。オーサーを”例の場所”に追い込むから、エイリークたちと一緒に待機していてくれと言っていた」


 ソリトンは困惑しながら速人の言伝を思い出す。

 彼が聞いた当初はてっきりダグザの指示で動いている物と考えていた。

 しかしダグザならばエイリークとマルグリットがいない状況でソリトンとハンスを動かすような真似はしないだろう。


 (やれやれ俺も信用されていないのか…)


 ソリトンは自分の家にシチューや煮物を持ってくる速人の姿を思い出しながら落胆してしまう。

 彼はクールな外見に反して親しみ易い性格だった。


 「例の場所ってどこだよ?」


 ソリトンが呆気に取られているとエイリークが深刻な表情で尋ねた。

 事態の深刻さを自覚したソリトンは即答する。


 「サンライズヒルに通じる”秘密の入り口”が在る場所だ」


 そう自分で言った矢先にソリトンは違和感を覚える。

 背中に氷の塊を押し当てられたかのようにそっとした。


 「野郎。そういう事か…」


 エイリークは歯ぎしりをする。

 速人は最初から何も考えを変えてはいない、オーサーを抹殺する気だったと確信する。


 「ダーリン、ソル。どういう事?」


 「ヤバイぜ、ハニー。速人はオーサーが反論出来ない状況に追い込んで殺すつもりだ」


 マルグリットはエイリークの言わんとする事を理解できずに首を傾げる。


 「マギー、思い出してくれ。あの大市場の秘密の入り口は今…」


 「あっ‼魔物が入って来るかもしれないから閉じちゃったんだっけ‼」


 エイリークはマルグリットの手を引いて大市場の方角に走り出す。

 もはや一刻の猶予も無い。

 この先は判断の遅さが原因で誰かの命が失われる事は間違いなかった。


 時間は遡り、舞台はオーサーが使っていた下町の安宿に移る。


 オーサーはノートンの事件以降、レッド同盟の代表たちから自治都市周辺で発生する事件の処方を任されていた。

 彼の実績からすれば多くの部下を預かる役職に就いていてもおかしくは無かったのだが、本人の要望で昇進は全て断られていた。

 同盟への義理立てとして自分の代わりに適任とされる人物を推薦しておく事も忘れない。

 彼が関わった事件は優秀な人材でなければ解決出来ないように計画されている。

 故にそれなりの難事件を優秀な人材に早期に解決させる事によってオーサーという人間の重要性がプラマイゼロになるよう仕組まれていた。

 普段からの平身低頭な態度も加わって疑いの目を向ける者は皆無だった。


 (だが順風満帆とは必ずしも言えない状況だ。同盟、帝国のどちらも分断させるにはまだ時間がかかる。旗印が必要なんだ…)


 オーサーはシャツのボタンを留めてからフラフラと洗面台に向かった。


 (先客は無しか。今日はツいているな)


 オーサーは上機嫌で鏡の前に立った。

 第十六都市に滞在する時に使っているこの安宿は大昔にエイリークから紹介された場所で夏祭りの日に訪れると花火の音がうるさくて眠れないという欠点を除けば最高の隠れ家だった。

 思えば屋内に一つしかない洗面台を一人で使ったのもこれが初めてかもしれない。


 オーサーは鏡に映った自分の顔を見ながら”つくづく締まりのない顔だ”と愚痴をこぼす。

 そんな時に決まって思い出すのは十数年前に戦場で消息を絶った弟の事だった。

 オーサーの弟アンディは成績はクラスの真ん中より少し下だったが誰からも好感を抱かれる利発な容姿の持ち主である。

 五歳ほど年齢の離れたアンディは学業、訓練の相談相手として兄オーサーを頼っていた。

 オーサーは彼なりに自分の後継者を弟アンディであると考え、親身になって訓練につき合った。

 アンディはオーサーの協力もあって早い段階で軍学校を卒業する。


 ”兄の支えとなりたい”と公言していたアンディは短い期間で階級を上げて最前線に配置される事を望んでいた。


 「アンディ、あんまり危ない事をしないでくれよ。お前が死んだら誰が親父の跡を継いでくれるんだ?」


 「何言ってるんだよ。長男は兄貴だろ?」


 他愛ない兄弟の会話だった。


 しかしオーサーにとっては自分の死後、家族の事を任せられる唯一の存在との価値ある一時だったのだ。


 ダンッ‼


 オーサーはそこで思考を中断する。死者は帰って来ない。


 過ちを償う事など出来はしない。

 この十数年間、彼は忌まわしい過去を忘れそうになる度に己を戒めてきた。

 思わず八つ当たりしてしまった洗面台を確認したが、どこも壊れている箇所はない。


 オーサーは顔を洗い、濡れた手で髪を後ろに流すと自分のベッドに向かった。


 (様子見に来たつもりだが、今日あたりエイリークと話をした方が良いのかもしれない。この前、ソルがスウェンスがどうとか言っていたしな…)


 オーサーはベッドの上に置いた小さなバッグに荷物をまとめるとそのまま部屋を出た。


 歩く度に軋む廊下を歩き、バーのカウンターで昼の仕込みをしている店主にチップを渡す。


 「オーサー、まだ昼だぜ?今日はずいぶん早くに出かけるんだな」


 店主はQP硬貨を受け取るとすぐポケットに入れてしまう。


 オーサーはその仕草を見てニッと笑った。


 「今日はエイリークとデートだからな。早めに行かないとダグの額の血管が切れちまうからよ。そういう親父さんはカードゲームの成績が良くないみたいだな」


 「そいつは傑作だな。さっさと行っちまえ‼」


 店主は捨て台詞を残してキッチンの奥に向かった。

 オーサーは店主の背中に向かって手を振りながら外に出る。


 「さて、どうするかね…」


 オーサーは人目につかぬよう周囲に警戒しながら歩き始める。


 オーサー自身これから何をするというわけではないが公式の用事以外でよその国を訪れる時には常に第三者から監視されているかもしれないと考えてしまう癖が知らないうちに出来ていた。

 しかし第十六都市は数ある自治都市の中でも治安の良い場所なので単なる取り越し苦労という観は否めない。

 その日に限ってオーサーはエイリークたちと一緒に歩いた通りを避けなながら中層のエルフ区画に向かった。


 第十六都市の住人の多くはギガント巨人族であり、オーサーのようなエルフ族は嫌でも目立ってしまう。

 落ち着ける場所が必要だったのだ。


 (同盟の大使館に”出張の途中で立ち寄った”とでも言えば快諾してくれるだろう。土産を用意しようかな)


 オーサーは親交のある役人の顔を思い出しながら彼の好物を思い出す。


 (あの図体のデカイおっさん、名前は何と言ったか。とにかくそいつに新鮮なフルーツでも送ってデスクを一つ借りるとしよう。それからエイリークと連絡を取って…)


 オーサーは口笛を吹きながらエルフ区画に向かう前、大市場で土産を買いに向かった。

 郷里の歌を吹いたつもりだが曲に関する記憶が曖昧で逆に何の曲だったか忘れてしまうほどだった。


 (やれやれ。まだそういう年齢でもないだろ、俺…)


 オーサーは苦笑しながら口笛の原曲に思いを馳せる。


 あれはいつだったか誰かにせがまれて必死に覚えた曲だったはずだ。

 そうオーサーの弟が学校で聞かされた郷里の曲を両親の前で歌おうとして上手く行かなかった。

 そんな始まりだったような気がする。


 「兄貴は何でも出来るんだな」


 弟は目を丸くしながら郷里の歌を口笛で吹いたオーサーに向かって言った。

 当時のオーサーは「やれば出来るんだ。お前も練習するんだぞ?」と言ったような気がする。

 今にして考えてみればオーサーは昔から弟の気を引く為に色々と勉強していたのかもしれない。


 「今さら俺は何を考えているんだよ…」


 オーサーは誰に言うわけでもなく呟いた。


 その直後に「俺も同じさ。兄貴から褒めてもらいたくて一生懸命やった」オーサーはそこで停止してしまう。


 この問答は無意味だ。

 そう決めてから大市場を目指して歩き出した。


 仮にオーサーが幸運の持ち主だったとすれば、彼はこの時点で運を使い果たしてしまったと断言しても異論を挟む者はいないだろう。

 オーサーのささやかな日常を終わらせる者は、彼が街に入った時から見張っていたのだから。それは蝶を蜘蛛の巣に追いやるが如くオーサーを狩場に追い込んだ。

 彼が仲間に出会わずにこの場を訪れたのは偶然ではない。

 

 全ては仕組まれた必然だった。


 「これでいいんだよな…。これで…」


 宿の主人はオーサーから受け取ったチップを金庫の中に入れた。

 彼は数日前にベックの知人を名乗る者から”もしもオーサーがここを使った時は出来るだけ彼の邪魔をしないようにして欲しい”という伝言を受けただけだった。

 宿屋の主人は訝しんだが事がオーサーの命の危険に関わるという説得を受け入れて、一週間は宿泊客を取らないようにしていた。

 彼が宿を出て行く前に何か尋ねるべきだったのか。

 宿屋の主人は後ろ暗い表情のまま扉を閉じて鍵をかける。


 今日は休日だったのだ。



 その頃、オーサーは大市場から離れた裏の小道を歩いていた。

 秘密の通路というほどではないが、現地の人間にもあまり知られていない道である。いつの間にか足音が増えていた。

 実に下手くそな尾行だった。「…?」オーサーは振り返って追跡者の顔を拝もうとする。

 背丈は子供くらい、故郷に残してきた彼の長男くらいだった。

 頭巾をかぶり、外套マントを羽織っている。


 「何だお前。遊びにしては性質たちが悪いぞ?ちょっと来い、説教してやる…」


 オーサーは頭をかきながら悪童の頭を掴もうとする。


 ギンッ‼


 次の瞬間、金属と金属がぶつかり合う通路の端まで響いた。

 オーサーは刃の厚いナイフを逆手に、悪童は先端が曲がった短刀を順手に持って構えている。

 悪童の手に巻かれていた古い包帯は切り裂かれていた。出血はしていない。逆にオーサーはナイフを持っていない方の腕を切られている。


 小雨のような血が使われなくなってしばらく経つ路面を汚した。


 「おい、ちょっと待て。何を勘違いしているのかしらないが俺はだな…」


 オーサーは後ずさりしながら負傷した右手を下げようとした。


 ガギンッ‼ガギンッ‼


 二条の銀閃が撃ち落とされた。


 「見事だな。初見でこれを避けられたのは生まれて初めてだ」


 そう言ってマントを羽織った少年は両手を引く。

 黒く染めた糸の先には見慣れぬ形をしたナイフがついていた。


 (なるほど。ああやってナイフを紐で結んでおけば投げる度に無くさないわけね)


 オーサーは感心しながら口の端を引きつらせる。

 襲撃者は子供のような外見だが最初からオーサーを生かして返すつもりはないらしい。


 「なあ、お前。どこの誰に頼まれたかは知らないが俺みたいな小者を殺しても何の得にもならねえぜ?」


 はあ。


 マントの少年は短く息を吐いた。

 そしてオーサーの背後を人差し指を向ける。


 「お前の後ろは壁だぞ?どうやって逃げるつもりだ」


 「ハッ‼交渉のヘタクソな野郎だな。いいか、ここらの道は俺にとってホームグラウンドも同然…」


 オーサーは威勢よく啖呵を切りながら自身の背後を確かめる。


 (壁なんてあるわけねえだろ。ここは入り組んでいるが昔は軍用の連絡通路だってダグが…)


 さわさわ。指先に少しザラザラとした土壁の感触。

 オーサーはいつの間にか自分から袋小路に入っていた。


 「いいか、どこの組織のチンピラかは知らねえが俺に傷の一つでもつけてみろ。自治都市の守護者と謳われた”黄金の鬣”を持つ大戦士エイリークが黙っちゃいねえぞ‼」


 オーサーはそれこそ威勢ばかりが良いチンピラのように凄んで見せた。

 オーサー自身、慣れていないせいか威厳は限りなくゼロに近い。


 「はあ…。お前が誰を頼ろうと俺には関係のない事だが本当にそれでいいのか?人選ミスとかしていないのか?」


 マントの少年は頭巾の奥から憐みの視線を向ける。


 「人選ミスって…」


 オーサーはそこで気がつく。

 仮にオーサーがエイリークの名前を出してこの場を逃れてもエイリークに借りを作っただけの話である。

 即ちそれは…。

 

 「オーサー君。ハイ、名前貸した代金」


 「…オーサー、アタシら友達だよね?」


 もしも今日の事件がエイリークたちの耳に入ればオーサーは彼らが満足するまで対価を支払う事になるだろう。

 エイリークとマルグリットは英雄に相応しい実力の持ち主だったが一般的な英雄像とはかけ離れた部分を多く持っている


 (むしろそちらの方が多いような気がする)。


 妙な場面で力を借りよう物なら数か月でオーサーとオーサー実家の全財産を使い果たしてしまうだろう。


 (否、今はエイリークとマギーの事で気落ちしている場合じゃねえ。しっかち切り替えて行かねえと)

 

 オーサーは傷口に手を当て、簡易治療の魔術で止血する。

 さらに治療を終えた方の手に山刀を持って追撃に備えた。


 しかし、いくら待てども敵が動く気配はない。

 マントの少年はオーサーとの一定の距離を保ち様子見に徹していた。


 「おい、何のつもりだ?…仲間でも待っているのかよ」


 この場合、応急手当を妨害されなかったがむしろその事が気になっていた。

 少なくとも相対している最中の人間として、目の前の敵は相手に手心を加えたりするような人種とは考えられない。

 何よりも無駄を嫌い、与えられた仕事を確実に済ませる類型タイプである。


 「違う」


 マントの少年は周囲の様子を気にしながら答えた。


 「俺が待っているのは俺の仲間じゃない。()()()()()さ」


 「俺の仲間だ?」


 マントの少年は再び紐つきの短刀を投げる。


 オーサーは意識を前方に集中しながら心の中で念じる。


 (風にまつわる物ならばお前に見えないわけがない。さっさと敵の居場所を俺に教えろ)


 次の瞬間、金属を擦るような音がオーサーの頭の中に広がる。


 (時間差で六本か。…多いな)


 オーサーは会心の笑みを浮かべると山刀ファルシオンを振り、投射されたナイフを叩き落とした。

そして返す刀でマントの少年に切りかかる。


 少年は左手に持った短刀でオーサーの山刀ファルシオンを受け止め、同時に手を離す。

 

 オーサーもまた得物を捨て、魔術の印を切っていた。


 耳朶に違和感を覚える。

 間を置かずに鼓膜が振動した。


 (これは”音の弾丸たま”か…ッ⁉)


 音の無い風圧が少年の体に襲いかかる。

 少年は魔術の影響が出る前にマントを脱いで、後方に飛び退っていた。


 オーサーは少年の正体を見て驚愕する。

 以前、ソリトンらと一緒に街の中を歩いていた新人ニューマンの子供だった。


 「お前、あの時ソルたちと一緒にいた新人ニューマンの子供か…」


 オーサーは山刀を拾いながら少年を睨んだ。

 反対の手は既に”破裂音”の魔術の準備を終えている。

 

 マントの少年、速人は前方のオーサーと対峙しながら自身の両耳に意識を傾けて被害の度合いを確認していた。

 幸いにも耳鳴りが止まないとか聴覚を失うような事にはならなかったが、わずかな風の音でも気になるようになっていた。


 (あの魔術を何度も食らうと鼓膜が破れるどころではすまないな。敵を甘く見ていたか…)


 速人は十手と紐つきの苦無を懐に収めると代わりにヌンチャクを取り出す。

 オーサーは速人の見立て通り、エイリークやマルグリットに匹敵する恐るべき実力の持ち主だった。

 強さの底を知る為、費やした時間を惜しく感じている。

 結果としてオーサーが何らかの”妖精王の贈り物(ギフト)”を持っている事が判明したが速人の正体も向こうにバレてしまった。


 速人はヌンチャクを振りながらオーサーの出方を見る。


 「糞が…。コミュニケーションが取れないヤツを差し向けるたあ最悪だぜ」


 ”破裂音”の魔術で敵の動きを止めて山刀で相手の左の太腿を斬る。

 それでも斬りかかってくるような相手ならばナイフで喉を切り裂き、命を奪う。

 それがオーサーの得意とする戦法だった。

 命の奪い合いには徹底して向かないオーサー本来の性格ゆえに身についた戦い方でもある。

 しかし今目の前に立っている新人ニューマンの子供にオーサーの事情が通用するとは思えない。

 仮にオーサーが”理由も無しに人を殺せない”と打ち明けたとしても平気で命を奪おうとするだろう。


 「坊主。しばらくの間、動けなくなってもらうぜ…」


 速人とはまるで似ていないが何故かその時、故郷にいる自分の子供と姿が重なった。


 オーサーは右手の魔術式に新たな情報を書き込んで”破裂音”を行使する。


 速人はヌンチャクを構えて前方に飛び出した。

 魔術の威力を警戒した速人は正面からの衝突を避けて右に移動する。


 ブオンッ‼


 巨大な音の塊が速人の横を通り抜ける。


 オーサーの術は不可視ゆえに実際の形状は不明だが、術の効果は速人の想像通りの物だった。


 オーサーの術の影響を受けた場所には半球形の凹みが生じている。

 上から圧力をかけられているからではない。

 未だに詳しい原理はわかっていないがオーサーの魔術にかかると対象の姿が変形してしまうという物だろう。

 その証拠としてオーサーは武器を握っていない方の指を動かしながら、この次にどのような術を使うのかを考えていた。


 (”音の弾丸”と”不可視の空気弾”の複合技…。差し詰めエコーズACT2と猫草ストレイキャットを組み合わせた技か…。甘いな、オーサー・サージェント。この類の技はあまり他人に見せるべきではないということを教えてやろう)


 「ゲーム脳を侮るなよ…」


 速人は懐から小さな瓶を取り出して中身の液体を口に含む。

 その間にヌンチャクを振り回してもう片方の手の所作を隠しながらオーサーに急接近する。


 対してオーサーは山刀ファルシオンをベルトに戻してナイフを低い位置に構える。


 狙うは速人の喉。

 年端も行かない子供を手にかけるなど主義に反する行為だったが、相手はやとの技量は歴戦の勇士に匹敵するとオーサーの勘が伝える。


 そして、ヌンチャクとナイフが衝突する。


 電光一閃、オーサーのナイフはヌンチャクを避けて速人の腹部を切り裂いた。

 速人は腹に手を当てながら通路の出口側に移動する。


 切られたのは皮一枚、口を真一文字に結んで一族秘伝の軟膏を塗り込んだ。


 焼けつくような痛みの後に出血が止まる。

 以前ダグザに使ったような真っ当な薬ではない。傷口を溶かして固めるような処置をする薬だった。


 (なるほど、よく伸びる太刀筋だ。あの短刀、見た目以上のリーチがあると考えた方がいいな)


 速人は久々に手応えのある敵と対峙して喜びを感じる。

 己の”死”が近づくほどに”生”を実感するという人として明らかに何かが欠けている感情は他者から教えられた物ではない。生来の物だった。


 速人は応急処置をしている間にも口内で例の液体を唾液と混ぜている。

 敵に先手を許してしまったが、同時に敵にもそれなりの傷を負わせたのだ。


 一方、オーサーは表情を歪ませながら速人から距離を取っている。


 交差する瞬間に背中と脇にヌンチャクを受けてしまったのだ。

 骨折には至っていないだろうが、上半身を使った回避行動にはかなりの制限が設けられた事だろう。


 (あのガキ、最初から相討ちで当てるつもりだったのか。畜生、この前整骨院でマッサージしてもらったばかりなのにまた行かなくちゃならねえだろうが‼)

 

 それはあまりにも切ない中年の叫びだった。

 

 オーサーは以降、背中と腰が痛む度に速人への殺意を募らせる。


 オーサーは長い間、戦場を住まいとしているが”ある程度は我慢できる”のと”痛い物は痛い”のは別物だった。

 

 そして反撃に転じる前、まずは言いたい事を我慢する。


 「…俺の投げナイフってのも中々のモンなんだぜ?」


 オーサーは右手にナイフを構えるとサイドスローの要領で投げる。


 (フン、小賢しい真似を。そもそも”音”が違うじゃねえか…。合わせて一本、二本…五本くらいか)


 速人はヌンチャクを構えて急所に迫る投げナイフを次々と落とした。

 そして最後の六本目をスウェーバックで回避する。

 

 ナイフは壁には突き刺さらず、空中に止まっている。

 

 否、最後の一本はナイフではない。

 橙と黒のまだら模様、スズメバチだった。


 (やるな…。どうやら騙し合いでは互角らしい)


 速人はすぐにスズメバチを叩き落としてからさらに後退した。


 ずずずずずずず…。


 固い石をこすり合わせたような独特の羽音が頭上から聞こえる。


 「お前、ガキのくせにここまでやるとは恐れ入ったよ。褒めてやる」


 オーサーは建物の屋根近くに出来た不気味に蠢く黒い靄を見た。


 「はっきり言ってコイツは奥の手中の奥の手だ。生きて逃れたヤツは俺もまだ見た事がねえのよ」


 速人は空から迫る明確な敵意に身を引き締める。

 ヌンチャクを構え、不敵に笑った。


 「じゃあな、坊主。お前の事は忘れないでおいてやるよ」


 オーサーは苦も無く別の通路に向かって走り去る。


 速人はヌンチャクを片手にオーサーの逃げた方向を見る。

 オーサーが向かった先は速人が誘い込もうとしていた道だった。


 「やれやれスズメバチが相手か。流石に試した事はないな…(逆襲が怖いから)」


 ほどなくして空からゆっくりと黒い靄が降りて来た。

 それは同胞を殺された恨みか、いつもに比べて殺気立っているような気がする。


 速人は額の汗を拭い、ヌンチャクを構える。


 エイリークの為にも一刻も早くオーサーに追いつかなければならない。


 速人は壁を蹴って駆け上がり、黒い靄に自ずから入って行った。


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