表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

226/239

第百九十三話 後悔のない人生など無いものだ

 かなり遅れてすいません。もうすぐ安定すると思うので今しばらくお待ちください。次回は二月七日を予定しています。


 「オーサーが第十六都市にやって来た時に身柄を確保。その後、事情徴収という処遇で我々の話は決まった」


 ダグザは疲れた様子で話を終える。

 

 速人は何も言わずに頭を下げる。

 そして抱っこしていたダグザの息子アダンを彼の母親であるアレクサンドラに託すとキッチンに移動した。

 ダグザは速人の姿と気配が消えると大きな息を吐く。正直、断腸の思いだった。

 或いは楽観的な考えかもしれないが速人の方から提案に応じてくれたのは勿怪の幸いという物である。

 無論、話がこのまま無事に済むとは思えずレッド同盟の協力者イアンにも連絡を取らなければならない。


 ダグザは速人が用意してくれたタオルで汗を拭いた。


 「何か一気に老けちゃったわね。ダグも、私も」


 レクサは腕の中ですやすやと眠るアダンの頭を撫でながら言った。

 

 子供はいい気な物だとは口が裂けても言えない。

 

 なぜならばアダンはついさっきまで全く泣き止まなかったのだ。

 仮にここがエイリークの家で無ければ大惨事となっていた事だろう。


 「そうだな。君の言う通りだ、レクサ。今度の敵はオーサーとは正直どうしていいかわからないよ…」


 ダグザの目の前に大きな手が出される。


 「そういう時の為に俺やダールがいるんだからよ。遠慮なく頼れ」


 スウェンスは得意気にニヤリと笑った。

 ダグザは気恥ずかしそうに笑いながらスウェンスの手を取った。


 「それで親方には何か考えがあるんですか?」


 レクサはダグザとスウェンスの仲に嫉妬して頬を膨らませている。

 

 スウェンスはアレクサンドラの昔と変わらぬ様子に安堵しながら笑った。


 「俺の意見はダグと同じだよ。しばらく様子を見る事になるが無茶はしない」


 「オーサーなら話せばわかってくれると思うけどなー」


 レクサはそれでも納得が行かないようで小首を傾げている。


 「まあ対話の余地を見せながら自分のペースに引き込むのがヤツの手口だろうな…。ところでレクサ、俺にも曾孫ってのを抱かせてはくれないか?」


 スウェンスはニヤケ顔でアダンを見つめていた。


 レクサはアダンが機嫌を損ねてしまった時の事を思い出し、悩んでしまう。

 実際に今でも速人の助力が無くては泣いたアダンを泣き止ませる事が出来ない。


 「なあ頼むぜ。でへへ…」


 スウェンスは人差し指をアダンに掴ませて笑っている。


 しかしレクサはスウェンスが義父ダールと同じくらい子供の扱いがヘタクソだという事も知っていた。


 「ごめんなさい、親方。この子が泣き出したら私じゃ寝かせられないのよ。悪いけど速人が来るまで我慢してね」


 レクサはアダンを抱っこして客室に行ってしまった。

 そして代わりにエイリークとアインが居間に姿を現す。

 一部始終を見ていたエイリークは隣にいたアインを持ち上げてスウェンスに見せた。


 「ウチのアインで良ければ好きなだけ抱っこしてやってくれ、爺ちゃん」


 スウェンスは泣き笑いになりながらアインを抱き締めた。


 「ああ。なんつーか、マールやお前と比べておとなしい子だなアインは」


 スウェンスはアインに頬ずりをすると下ろしてやる。アインは突然の出来事に驚いていた。


 「悪いな、アイン。抱っこなんかされて嬉しい年齢でもないだろ?」


 スウェンスは後頭部に手を当てながらアインに謝罪した。


 「ううん。僕もスウェンスお爺ちゃんに抱っこされて嬉しかったよ。…ちょっとだけ恥ずかしかったね」


 (スウェン、俺は立派な大人の男だ!抱っこなんてしないでくれよ!)


 その時、スウェンスの中でアインの姿と幼いころのダルダンチェスの姿が重なる。

 二人の容姿に共通する部分は少なかったが、アインにとってダルダンチェスは曾祖父なので否が応でも過去を思い出してしまう。

 スウェンスは意識せずに涙を流していた。


 「ちょっと席を外させてもらうぜ‼」


 スウェンスはアインに泣いているところを見られたくなかったので洗面所に直行する。


 「あれ?僕何か嫌われるような事をしちゃったのかな?」


 アインは心配そうにスウェンスの後ろ姿を見ている。

 幸いにして涙は見られていないようだ。エイリークは苦笑しながらアインの頭を撫でてやった。


 「さあな。俺にもわからねえよ。今日は調子が悪いんじゃねえか?」


 「違いない。最近忙しかったからな」


 ダグザが相槌を打つ。ダグザはダールからダルダンチェスの死は急な出来事だったと聞いている。

 二人は親友であり、スウェンスは自分の後継者のように考えていたらしい。

 幼子おさなごに大人たちの思惑などわかるわけもなく、アインは不思議そうな顔をしながらスウェンスの出て行った扉の方を見ていた。


 約一時間後、エイリークたちは食堂で夕飯を食べていた。


 その日に限って家長の席にはスウェンスが座っていた。

 両隣にはエイリークとダグザが座っている。

 二人ともスウェンスと世間話をしようとしていが当のスウェンスは曾孫のアダンばかり見ている。


 「ねえ、速人。親方にアダンを預けてもいいかしら?」


 レクサの話を聞いていた速人はアダンの顔を見る。

 アダンはスウェンスに向かって”近寄るな”と殺気を放っている

 どうやらアダンはスウェンスから一方的に好意を向けられて不快に思っていたらしい。

 速人には実の母親ですらわからぬ事も理解する事が出来た。


 「おい、レクサ。何でアイツの機嫌取りなんかしてんだよ?」


 スウェンスは速人に露骨な敵意を向けていた。

 自分より先にアダンに懐かれていた事が何よりも気に入らなかったのである。


 「だってあの子、私よりもずっと速人の事が好きみたいだし…。こればっかりはどうしようもないわ」


 レクサはアダンの前髪に触れながらため息をつく。

 ようやく授かったレクサとダグザの間に生まれた男子アダンは実母よりよその子供に懐いていた。


 「おい速人。その何だ、ちょっくらアダンと話をつけて俺にも抱っこさせてくれよ」


 やがてスウェンスは抱っこしたいという欲求を我慢出来なくなり速人に頼む事にした。

 速人はその時エイリークとマルグリットに真ん中にゆで卵が入ったミートローフを切り分けていた。


 「おい、速人。俺たちの事は自分でやっとくから話聞いてやれよ」


 「爺ちゃんはさ、ああ見えて子供が大好きなのさね。早く言ってやんなよ」


 夫妻は小声で速人に伝える。


 「テメエら、何をコソコソと話をしてやがる‼ていうかマギー、こんな外見なりで悪かったな‼」


 その直後、スウェンスが大声で文句を言ってきた。


 エイリークとマルグリットはスウェンスの方に向かって「早く行け」とばかりに手を出している。

 速人はミートローフを切っていたナイフを布巾で綺麗にするとレクサの席まで移動した。

 スウェンスは席を立ちあがり鼻息を荒くしながら二人の様子を見ている。


 (ダールさん、大変だったろうな…)


 この時、速人はダグザが生まれた時のダールとエリーの苦労に同情していた。


 「アダン」


 速人はアダンに向かって両手を伸ばした。


 「すごいよ、レミー。あのアダンが泣いてないよ…」


 「速人あいつの事は基本的に嫌いだけど料理と赤ん坊の世話は認めなけりゃいけないよな…」


 レミーとマルグリットはダグザの家の暴君アダンを意のままに操る速人に尊敬の眼差しを送る。

 逆にダグザ(実父)とレクサ(実母)とスウェンス(曾祖父)は感謝と嫉妬の入り混じる複雑な心境だった。


 「アダン、スウェンスさんが…」


 速人はアダンに優しく話しかける。


 (速人よ。分かっているとは思うが、私が主でお前が従僕だ。立場の違いを忘れるなよ?)


 アダンは目を尖らせ高圧的な態度で速人に接する。


 「スウェンスさんが抱っこしたいっていうんだけど、ちょっとだけいいかい?」


 (スウェンス?…さっきから変顔で私に媚びている、あのキショイ爺の事か。お断りだな)


 アダンは荒い鼻息で拒絶の意を伝える。

 速人はアダンの相変わらずの暴君ぶりに嘆息する。


 「そこを何とか頼むよ。男なら器のでかいところを見せてくれよ」


 速人は小声で懇願する。


 アダンは口をへの字にして速人を睨んだ。


 (私の家来の一人にすぎぬお前が、絶対君主たる私に器量を問うてか?無礼者め)


 アダンは首を傾けて速人と目を合わせようとしない。


 「おい、エイリーク。うちの曾孫なんかすげえ事をしてないか?速人のヤツを徹底的にこき使っていやがるぜ」


 「爺ちゃん知らねえだろうけどよ。アダンが本気で泣いたら野郎はやとでも機嫌を直すまでどうにもならねえらしいぜ?」


 エイリークは夜通しで泣き続けるアダンを思い出して身震いする。

 この男は傍若無人を絵に描いたような性格だが、何かと忙しい大人たちに代わって子供の頃から下の世代の面倒を見てきたのでアダンの時も助力を惜しまなかった。


 「少なくともエリーやレクサより赤ん坊の世話が上手いお前らが言うんだからそうなんだろうな…。仕方ねえここは速人に任せて待ってみるか」


 スウェンスは両腕を組んで目を閉じる。

 

 その後、速人の説得はしばらく続いた。


 「どうぞ、スウェンスさん。アダン様で御座います」


 速人は大きな顔の上半分を真っ青にしながらスウェンスにアダンを差し出す。


 「お、おう。悪かったな…」


 スウェンスは慎重に手を出してアダンを受け取った。

 アダンはウトウトしながらスウェンスの顔を見ている。


 「爺ちゃん、起こしたら駄目だよ?」


 マルグリットはスウェンスに小声で注意した。


 「へへっ、…わかってるぜ」


 スウェンスはニヤケ顔でアダンを抱いている。


 「ふう…想定外の労働だったな」


 速人はカートに手をついて立ち上がり、エイリークたちにお茶のお代わりを用意した。


 「大丈夫か、速人。少し休んでいてもいいんだぜ?」


 エイリークが珍しく速人に気を使って声をかける。

 今の速人は一目でわかるほど衰弱していた。


 速人は一度振り向いて親指を立てると汚れた食器をカートに乗せてキッチンに戻った。


 「あいつは本物のプロフェッショナルだな」


 「そうだね…」


 エイリークたちは食後の休憩をすませて出発の準備を始めた。


 その後、速人は食器洗いの仕事を手早く終わらせると雪近とディーを連れて玄関に向かう。


 速人はエイリークたちを見送る事も立派な仕事だと常に考えていた。

 アダンはレクサの実家に預けるとダグザから聞いている。


 スウェンスはレプラコーン区画の工房を周った後で家に帰ると言っていた。


 「速人。俺は昼過ぎにベックと一緒に屋敷ここに来るつもりだからな。その時、”高原の羊たち”の事務所に行こうぜ?」


 スウェンスは屋敷を出る前に念を押す。


 「わかったよ。それでスウェンスさん、お昼は用意しておくか?」


 「昼か。そうだな、俺とベックとコレットの分も用意しておいてくれ」


 スウェンスは笑いながら屋敷の前に止まっている馬車の方に歩いて行く。

 アダンの為にレナードが用意してくれた馬車だった。

 御者の席に座っているレナードはアダンとスウェンスが自分の馬車に乗る事を知って上機嫌になっていた。

 ダグザは先にレクサとアダンを馬車に乗せた後、速人の近くにやって来る。


 「速人。念の為に言っておくが私もエイリークたちと同様にオーサーの事を信用しているが今の平和を壊そうというのであれば話は別だ。断固阻止するつもりだ。だがそれでもアイツの事は最後まで信じてやりたいと思っている…」


 「わかっているよ。俺だって約束は守るさ。だけど他のみんなにもちゃんと理解できるように説明してやってくれよな」


 速人はエイリークとマルグリットの方を見る。

 仮にあの二人が説明しても感情論が先走ってあまり上手くは伝わらないだろう。


 「ククッ…!り、了解した。私にまかせてもらおうか…」


 ダグザはすぐに速人の考えを理解して笑いを押し殺した。

 そして身体を震わせながら馬車に入って行く。

 そんなダグザの後ろ姿を見ながらマルグリットが呟く。


 「何かさ、ダーリン。アタシらダグ兄と速人に馬鹿にされてない?」


 マルグリットは眉間に皺を寄せながら馬車の小窓と速人の姿を見ている。


 「そうだな。ハニーの言う通りだぜ。きっと”今日の話で俺様が「ばーっ!」とか「ぐわーっ!」とかって本人にしかわからないような曖昧な説明をする”って笑ってるんだぜ。ったく本当に性格の悪い奴らだ」


 …この場に速人がいれば「理解しているなら止めろ」と言うだろう。


 その後エイリークとマルグリットは速人の頬をつねったり、頭を叩いたりしてから職場に向かった。

 レミーとアインも置いて行かれないように走って行く。


 (これが見納めにならない事を祈るばかりだ…)


 速人はエイリークたちの姿が見えなくなると屋敷に戻り、いつも通りに仕事を続けた。


 今日の予定は午前中は屋敷の掃除、午後からは雪近とディーは奉仕労働の為に街の外にある採石場へ行かなければならない。

 速人は仕事をしながらオーサーに出くわした時の事について考える。

 こうして居間の掃除が終わった頃には昼食の支度をしなければならない時間になっていた。


 (さてスウェンスさんはダグザさんのお祖父さんだから約束した時間通りに来るだろうな…)


 速人は苦笑しながらキッチンに移動して昼食の準備を始める。

 雪近とディーはキッチンの休憩用テーブルに突っ伏して休憩をとっている。

 速人自身気がついていなかったが、今日に限って普段の数倍のスピードで仕事をしていた。


 「おい。雪近、ディー、起きろ。昼飯だぞ」


 速人はいつの間にか眠ってしまった雪近たちに声をかける。


 「うわっ!すまねえ、速人。うっかり寝ちまった!」


 「はは…。ごめん、速人。でもさ今日っていつもより急いで仕事をしてない?」


 二人は飛び起きて食事の支度を手伝おうとした。


 「いいよ。昼の準備は終わってるからさっさと食べてしまってくれ。今日は俺も出かけるから家の戸締りもしておきたいし」


 速人は早く食堂に行けと促す。元は速人の都合で急がせてしまったのだから二人に非は無い。


 ディーは真っ先に食堂へ向かったが、雪近はキッチンを出る前に話しかけてきた。


 「お前さ、悩みでもあるんじゃないか?」


 雪近は真剣な表情で速人の真意を探ろうとする。


 「…。少なくてもお前に相談して解決するような悩みは無いよ。俺の心配をするよりも今日の仕事で怪我をしないようにしてくれ」


 雪近は速人の容赦無い返答こたえを聞いて落ち込んでしまう。


 「へいへい。どうせ俺はお荷物ですよ」


 雪近は不貞腐れた捨て台詞を残して食堂に向かった。

 その後、速人は食堂に向かいスウェンスとベックとコレットに挨拶をする。

 三人は速人の用意したスープとパスタを食べている最中だった。


 「悪いな、速人。わざわざ昼飯まで用意してくれるなんてよ」


 スウェンスはフォークに巻きつけたパスタをスープに浸してから食べていた。


 「スウェンスさんに限らずベックさんとコレットさんにもエイリークさんはお世話になっていますからね。使用人としては当然の対応ですよ」


 速人は頷きながら、赤唐辛子とニンニクで味をつけたパスタを口に入れた。


 (本国イタリアではアリオ・オーリオ・ペペロンチーノを”絶望のパスタ”と呼ぶらしいがこの世にこれ以上パスタらしいパスタもあるまい)


 速人はニンニクと赤唐辛子と塩でしか味をつけられていないパスタを音もなく啜る。

 この味の良さがわからぬ者など舌がついていないも同然なのだ。

 速人は素早くパスタを平らげると食器を持ってキッチンに行ってしまった。


 ベックは浮かない表情で、そんな速人の後姿を見ている。

 今の速人には心の余裕というものが全く感じられなかった。


 「親方。あのオーサーが悪事に加担しているなんて…冗談ですよね?」


 ベックもエイリークたちと同様にオーサーと良好な関係を築いていた。

 エイリークの家に来る前にスウェンスからオーサーの裏切りについて聞かされた時は一瞬、心臓が止まるのではないかというくらい驚いた。


 「俺も速人の前で否定してみたが、ほぼ間違いねえだろうな。あいつが本心ではどんな思いで終戦協定に立ち会ったかと思うとぞっとするぜ」


 十数年前、火炎巨神ムスペルヘイム同盟の首謀者グリンフレイムが死んだ後、帝国と同盟と自治都市の代表が集まって終戦協定が締結した。


 スウェンス当時の第十六都市の市議会の議長であり、その場に出席した経験がある。

 同盟からは七枝王国から黒枝王国の国王とオーサーらが出席していた。

 オーサーの軍内での階級は中の下というところだったが黒枝王国の国王の強い要望によって式典に参加した、と本人が言っていたのをスウェンスは今でも覚えている。

 その時は帝国の大臣とも色々と話をしていた。

 その時から、いやそれ以前からオーサーは単独で交友関係を広めて世界の秩序に楔を打つ事を画策していたのだ。


 「…」


 スウェンスはふと気になって黙り込んでしまったベックの顔を見る。


 ベックもスウェンス同様に”良くない予想が的中してしまった”という思いがあった。


 「何か思い当たる事でもあるのか、ベック?」


 「私もこういう言い方はしたくはないんですが…はあ。エルフの人が私のような融合種リンクス族に優しくしてくれるかなってそう思ってたんです」


 ベックは大きく息を吐いて目を伏せてしまう。

 そんな事は考えたくも、言いたくも無かったのだろう。


 「すまん。嫌な思いをさせちまったな。どうにも俺はこういう時の配慮が出来てなくていけねえや…」


 スウェンスはベックの肩に手を置く。


 「私は監視をつける程度で解決すると思うのですが、エイリークはどうするんでしょうね?」


 「…アイツもお前の考えとそう変わらねえよ。だが速人は違う。ヤツはオーサーがとんでもない事をやらかす前に殺しちまえって言ってる…」


 (まるでアストライオスか、俺の従兄弟のマーフィーだ。誰かが止めないと誰かの為に人を殺し続ける。そして最後には…死ぬ)


 スウェンスはそこで黙ってしまう。


 速人がすぐ近くまで来ていたからだ。


 「よう。盗み聞きとは趣味が悪いな」


 「はあ、使い終わった食器を取りに来ただけだよ。雪近たちが午後から採石場でお手伝いだからね」


 スウェンスは頭をかきながら椅子から立ち上がり、自分の食器を大きな物から順に重ねた。

 ベックとコレットも彼に続いて食べ終わった食器を重ねてキッチンに持って行ってしまった。


 「ゴメン。スウェンスさん、ベックさん、コレットさん。そういう意味じゃ無くて普通に出してくれるだけでいいから」


 速人はスウェンスたちが食堂から戻るとすぐに謝った。

 よく見ると三人とも手や袖が濡れている。

 この短時間で食器の後片付けをしてくれたのだろう。


 「全くよ。この家は客にこんな事をさせるのかよ?」


 スウェンスは意地悪い笑みを浮かべながらハンカチで手を拭いている。


 「何を言っているんですか、親方。”自分で使った食器は自分で洗う”ってメリッサさんが言ってたじゃないですか」


 コレットが得意気になっているスウェンスに向かって口を尖らせる。


 スウェンスはベックの背後に回って隠れてしまった。


 「まあまあ。母さん、ここは一つ穏便に…」


 ベックは情けない顔でスウェンスを擁護しようとするが、その態度が逆にコレットを怒らせてしまい最後にはベックとスウェンスを守ろうとした速人まで説教されることになった。


 「親方は一度くらい皿洗いをしたくらいで調子に乗らない‼ベックは親方を甘やかさない‼全く速人君まで巻き込んで二人とも恥ずかしくないのかしら?」


 コレットはスウェンスとベックを糾弾する。


 「ははは…。反省しています」


 スウェンスはブツブツと文句を言っていたがベックは頭を下げて謝罪していた。


 「どうぞ、コレットさん。粗茶です」


 比較的早くにコレットの説教から解放された速人は食後のお茶の用意をしていた。

 雪近とディーは先に着替えをすませてテーブルに座っている。


 「あら、どうも。ところで速人君、私はオーサーという人の事をよく知らないけど力づくじゃなくて話し合いで解決した方がいいと思うわ」


 コレットは孫のアメリアやシグルズと年齢の変わらない速人の身を心配している様子だった。


 「うん…。俺もエイリークさんを信じてギリギリまで待つ事にするよ」


 速人は歯切れの悪い返事をする。


 「おう、みんな。そろそろ出発の時間だ。懐かしき”高原の羊たち”の事務所に行こうぜ」


 頃合いを見たスウェンスが席を立って食堂の出入り口に向かう。

 次いで雪近とディー、ベックとコレットが部屋を出て行った。


 (コレットさんの手前、嘘を言ってしまったが俺は最初から話し合いなんて出来る相手じゃないと思う。なぜならオーサーは()()()()()()だからな)


 最後に残った速人はディーポットとカップをカートに乗せるとキッチンに移動した。

 

 数分後、屋敷の門を閉じてから雪近とディーは中央区画の駅に向かった。

 今日はコルキスが監督役で送り迎えの馬車を出してくれるらしい。

 速人はスウェンスたちと共に中央区画から少し離れた場所にある”高原の羊たち”の事務所に向かった。

 

 速人は道中、大通りに出る度にオーサーの姿を探したが見つからなかった。

 第十六都市の最重要人物であるスウェンスを同行させているという事に責任を感じていたが、それ以上に事件が起こる前に決着をつけたいという気持ちも強い。


 (余裕がねえな、アイツ。まるで姿を消す少し前のマーフィーを見ているような気分だぜ)


 スウェンスは独り言ちでからため息をつく。

 今の速人はスウェンスが若い頃に死んでしまった従兄弟のマーフィーによく似ていた。

 当時ルギオン家には政敵が多く、スウェンスの父エヴァンスやスウェンス自身が命を狙われる事件が頻繁に起きていた。

 襲撃事件の大半はセイルたちによって未然に防がれたのだが、スウェンスの従兄弟のマーフィーは襲撃犯たちを先に排除する事を訴えた。

 しかい当主のエヴァンスは大掛かりな争いに発展するかもしれないマーフィーの意見を受け入れなかった。


 「頭を冷やせ」

 

 エヴァンスはマーフィーの身を案じてそう言ったのだろう。

 しかし正義感の強いマーフィーにその言葉は届かず、彼はたった一人でルギオン家の敵を排除していた。

 そしてマーフィーは犯罪者として第十六都市から追放されてしまった。

 最後に彼は別の自治都市で以前に彼が襲撃した敵対勢力に捕縛され、酷い私刑リンチを受けて殺害されてしまったらしい。


 エヴァンスはマーフィーの死を知った直後、病に伏せてそのまま亡くなってしまった。


 当時エヴァンスも、スウェンスも必死でマーフィーを止めようとしたが彼を止める事は出来なかった。


 その時の無念は今でもスウェンスを苦しめ続けている。


 (例えオーサーを殺しても今の平和に納得していないヤツが居なくなる事は無え。速人、お前はそういうヤツが現れる度に殺しつもりかよ…)


 スウェンスは意を決して立ち止まる。

 ベックとコレットは何事かと戸惑っていたが、速人はスウェンスの様子に違和感を覚えていたので落ち着いていた。


 (そうか。そういう事か…)


 速人は得心した後、息を飲んで周囲を見渡す。

 幸いにして周囲には知り合いの家も多い。


 「スウェンスさん、トイレが近いのか?それとも…」


 速人はスウェンスの股間を注視しながら小声で言う。


 老人になってしまえば何事にも不都合が生じる。

 それは特別な事では…、「違えよ‼俺は漏らしてねえよ‼このガキが、お前は本当に失礼なヤツだなッ‼」スウェンスは大声で叫んだ後、速人にヘッドロックをかます。


 ベックとコレットはお互いの友人の家に行ってトイレを借りる準備をしようとしていた。


 数分後。


 路上でブチ切れたせいでスウェンスは尿意を催し、結局はアルフォンスの家でトイレを借りる事になった。

 スウェンスは用を足した後、眉間にしわを寄せて手を拭いている。

 筋骨たくましい背中からは陽炎のように不機嫌を象徴するオーラが立っていた。


 「すいません、アルフォンスさん。突然お邪魔する事になって」


 「気にするなよ、速人。実は俺も近いうちに親方のところに顔を出そうかと思ってたんだ。今回はその手間が省けて良かったぜ」


 ダダンッ‼


 スウェンスが二人の間に大股で割り込んで来た。

 アルフォンスの父親とベックは突然の出来事に驚き、互いの顔を見合わせる。


 「スウェン、お前よう。ジジイなんだから落ち着きって物を身につけろよ…」


 アルフォンスの父親は倒れそうになったところをベックに助けてもらっていた。

 スウェンスとアルフォンスの父親は二人は同期の友人関係である。


 「うるせえ、糞爺ィ‼お前と俺を一緒にするな‼」


 「こんな事を言いたくはないが俺もこの前マティとキリーを怒鳴っている時にうっかり…」


 「黙れ、俺は漏らしてねえッッ‼とにかくだ、こんな貧乏臭え家にこれ以上いられるかってんだ‼速人、さっさと行くぞ‼」


 スウェンスは乱暴に扉を開けて出て行ってしまった。


 「本当にすいません、みなさん。近いうちに必ずお礼を言いにあがりますから…」


 「速人、お礼の品は…ケーキでいいよ」


 シャーリーはしっかりと注文をつける。


 速人はアルフォンスたちに頭を下げてからスウェンスを追いかけた。

 アルフォンスの父親が何かを思いつめた表情でベックとコレットを呼び止める。


 「ベック。スウェンと速人に”俺とアルの事は気にするな”と言っておけ」


 「?…どういう意味だよ」


 ベックはコレットに先に行っているように伝えるとアルフォンスの父親に向き直る。


 「言ったままの意味だ。死んだケニーのバカもそうだったが、今のあいつらは余計な事を考え過ぎている。どんなご大層な目的があったとしても自分てめえが死んだら意味が無いだろうがよ」


 おそらく今のスウェンスと速人を見て何か思う事があったのだろうとベックは推測する。

 アルフォンスの父親は基本的に仕事以外では無口な男である。


 「何だソレ、全然わからねえよ。大体、オヤジはアタマ悪いんだから説教なんかするなよ…」


 ベックは憎まれ口を叩くとそのまま家を出て行ってしまった。


 「誰が馬鹿だ‼二度とウチに来るんじゃねえぞ‼」


 …ベックは身内相手になると言葉遣いが雑になる。


 結局、速人とスウェンスはベックとコレットよりも先に隊商キャラバン”高原の羊たち”の事務所の前に到着してしまった。


 「あの二人、置き去りにしちまったな。面目ねえ」


 「待ちましょうか」


 二人は責任を感じてベックとコレットの姿が見えるまで事務所の前で待っていた。


 「爺ちゃんに速人、事務所の前で何をやっているんだよ」


 速人とスウェンスがその場で待っているとエイリークとマルグリットに声をかけられた。


 (今は勤務時間内だよな…)


 速人はエイリークに疑惑の視線を向ける。

 二人が歩いてきた方向からして屋外カフェで仕事をサボっていたのは間違いないだろう。


 「ずいぶんと良い御身分じゃねえか、お二人さん。さっさと素敵な言いわけを聞かせてくれよ」


 スウェンスも疑念に満ちた視線を送っている。


 「俺とハニーはだな、高度な政治の話とか、経済の話をしてたんだよ。なあ、ハニー?」


 「そうさね、爺ちゃん。会議が面倒くさくなってきたから抜け出してきたなんて濡れ衣だよ!」


 エイリークとマルグリットは額に汗を浮かべながら必死に誤魔化そうとする。


 「ふうん。政治と経済ねえ…」


 「その話、レミーとアインが聞いたら泣きますよ?」


 …二人は速人とスウェンスに説教をされた。


 要約すると今朝、事務所に集まった仲間たちとオーサーに関する話し合いをしたところ「オーサーを拘束すべきではない」もしくは「オーサーの事は同盟に任せるべきだ」といった具合に意見が分かれてしまったらしい。


 「だからと言ってカフェに行ってイチャイチャするのは筋違いだろうがよ。…少しは成長しろってんだ」


 スウェンスはエイリークとマルグリットの頬を見ながら言った。

 二人の頬にはキスマークがついている。

 おそらくは人目も憚らずにキスをしたりしていたのだろう。


 (コレがレミーにバレたらまた大喧嘩だろうな…。少しは思春期の子供がいるという自覚を持ってくれよ)


 速人は額に手を当て、頭痛を堪えた。


 「エイリークさん、とりあえず事務所に入って話を進めましょう。俺にも少しだけ考えがありますから」


 速人はどっと疲れた様子で事務所の入り口を指さす。

 同じくしてアルフォンスの家の方角から走って来たベックとコレットの姿が見えていた。


 速人は二人が到着するのを待ってから事務所の扉に手をかける。


 「出迎えはどうした⁉子分ども‼」


 「ただいまー」


 二人は無邪気な挨拶をしながら事務所の中に入って行く。


 事務所のロビーではダグザとレクサとソリトンが話し合いをしていた。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ