第百九十二話 老人と悪童たち
次回は一月二十四日くらいに投稿する予定です。
現在のエイリークの家の平均年齢。
速人(10歳)、ディー(16歳)、雪近(20歳)、エイリーク(33歳)、マルグリット(33歳)、レミー(10歳)、アイン(8歳)。即ち18.5歳くらい。
ここに平均年齢65歳くらいのジジイ集団(最年長はスウェンス72歳)が加わる事により40歳くらいまで平均年齢が跳ね上がってしまったのである。
「ハン、何を言っていやがる。お前だっていつかは爺さんって呼ばれるようになるんだぜ。なあ?」
スウェンスは同行してきた角小人族の長老たちに同意を求める。
「親方の言う通りだぞ、エイリーク」
「左様。親方は何でも正しい」
セイルとベンツェルらはそれこそ示し合わせたように頷いていた。
「スウェンスさん、朝も早い事ですし。とりあえずは玄関ホールにお席を用意させていただきますので、そちらで御寛ぎください」
速人の話を聞いてふとした事に気がついたスウェンスは小声でセイルに尋ねる。
「ホール?そんな物、この屋敷にあったか」
一番最後に彼がエイリークの家に来た時は吹き抜けというか屋根がそのものが無かった。
「ええ。階段付きのご立派な大広間があるんですよ。そこには若の絵が飾ってあって」
セイルは若い頃のダールの描いた風景画を思い出しては嬉しそうに目を細めていた。
「そりゃダールにしてみれば拷問みたいなもんだろ」
スウェンスはいつも気難しそうな顔ばかりしている息子の顔を思い浮かべながら苦笑する。
一方、速人は雪近とディーに人数分の椅子を用意するように指示していた。
「つーわけで、いつもより多めに椅子を用意してくれ」
「人数分だね。了解」
スウェンスの急な訪問には驚いたが彼の破天荒な性格についてはエイリークたちから聞いていたので、不本意ながらも速人は納得する。
ここでスウェンスに魔物の骨や皮を加工する工房を使わせてもらえないかという相談をしようとも思ったが、今の速人の仕事はあくまでエイリークの朝食の支度をする事なので今回は我慢する事に決めた。
「スウェンスさん、俺はエイリークさんたちの朝ご飯を作るのでそろそろ失礼します。もう少し時間が経ったら雪近とディーが居間に案内してくれると思うのでお待ちください」
速人はキッチンに戻る際に、軽い挨拶をすませた。
「おう。仕事の最中だったのか、そりゃ悪い事をしたな。それと俺たちの事なら大丈夫だ。さっきも話したが今日ここに来た理由は家を見に来ただけだからな。用事が終われば帰るつもりだからよ」
スウェンスはセイルたちを連れて中庭に移動する。老人たちはボードに書かれた図面と実物を見比べながら屋敷の外を回っていた。
(そういえば屋敷の補修をしている時にセイルさんが、屋敷の詳しい間取りなんかはスウェンスさんが把握しているって言っていたよな…)
速人はスウェンスの仕事ぶりに感心しながらキッチンに戻って食事の支度をした。
それから約三十分後、エイリークたちは食事を終えてお茶を飲んでいる。
レミーとアインは学校に行かなければならないので身だしなみを整えたり、筆記用具と教科書が入ったカバンを取りに部屋に戻っていた。
エイリークはお茶のお代わりを受け取った後、昨晩の返事を速人にする。
「速人、昨日の話だがな。一晩かけてじっくり考えたが(普通に寝た)俺様の一存では決められない。今日、職場にみんなを集めてそれで話す事にする」
エイリークはティーカップに口をつけてハーブティーを啜りながら横目で速人の様子を見る。
昨晩は良い考えが浮かばすに寝てしまったわけなので後ろめたい気持ちがないというわけでもない。
「…。俺もその案には賛成だよ。どちらにせよオーサーが危険人物である事は今のうちにソリトンさんたちにも説明した方がいいと思っていたし」
速人はマルグリットにもお代わりを用意するとティーポットに新しいお茶を用意する為、キッチンに戻って行った。
速人が不在になるとすぐにエイリークとマルグリットは相談を始める。
「ダーリン。何か話がもっと厄介な方向に流れてない?」
マルグリットはソリトンたちには今回のオーサーの疑惑について教えないものと考えていた。
エイリークもマルグリットと同じ考えで額に汗を浮かべている。
「俺もハニーと同じ考えだ。何とかこのまま諦めてもらう良い方法はねえかな?」
「何をだよ?」
エイリークとマルグリット以外、誰もいなくなったはずの部屋に野太い声が響く。
二人は同時に声の聞こえた方を見るとスウェンスが立っていた。
「爺ちゃん…、驚かせるなよ」
スウェンスは食堂の隅に移動すると屈んだ。
そして壁と床を交互に見入って観察している。
「いや実はな、外の方はほとんど見終わったから今度は中を見せてもらおうと思ってな…。で、お前ら何の相談をしているんだ?」
スウェンスは床を撫でながら訝しそうにエイリークたちを見る。
「いくら爺ちゃんでも簡単には話せないぜ。これは俺たちのプライベートでデリケートな問題だからな」
エイリークは端正な口元には似つかわしくない厭らしい笑みを浮かべながら人差し指と親指を使って「まる」を形作る。
どうやら異世界でも剣と魔法のファンタジー世界でも「金銭」を意味するサインらしい。
マルグリットも整った顔立ちを台無しにするような下種っぽい笑い方をしていた。
二人ともに、速人から月の初めにもらったお小遣いを使い果たしてしまったのだ。
ゴンッ!
結果エイリークの頭の上に拳骨が落ちた。
「今日はコイツ(拳骨)が俺からの代金だ。まだ欲しいってのなら喜んでくれてやるぜ」
エイリークは青い瞳を涙で滲ませながら引き下がる。
スウェンスの角小人族内でも屈指の腕力は老いても盛んだったらしい。
お前もコイツが欲しいのか?とマルグリットに鋭い視線を向ける。
マルグリットは怯えながらエイリークの金髪を撫でていた。
「畜生。これじゃあ復帰したのを素直に喜べねえぜ。ところで爺ちゃん、物は相談なんだけどよ」
エイリークはマルグリットの胸に体を預けたままスウェンスに話しかける。
「やれやれ。そんな事だろうと思ったぜ…」
それからため息を一つ。スウェンスはエイリークの表情から真面目な話である事を察して向かいの席に腰を下ろした。
「実は速人が、ここ最近街の内外で起こった事件はオーサーが絡んでいるって言ってるんだよ」
「ふうん」
スウェンスは腕を組んで考える素振りを見せる。
実際、彼はオーサーの事を戦争が終わる前から信用していなかった。
「やけに落ち着いてるね、爺ちゃん。オーサーがもう一回戦争をやろうだなんてアタシは信じられないよ」
マルグリットはやりきれないといった表情で両手を放り出してしまう。
オーサーは融合種族にとって数少ない眷属種族側の理解者だった。
ガタン。
ついでにマルグリットに寄り掛かっていたエイリークも落ちた。
「先に言っておくが、俺はオーサーのヤツは最初から危険だと思っていたぜ。何十年か前にマールを頼って第十六都市に来た時からな」
スウェンスはそう言ってオーサーの事をダールとマールから紹介された時の事を思い出していた。
あの時オーサーはレッド王国同盟と自治都市にとっての平和の架け橋となったダルダンチェスを頼って第十六都市に来たと言っていた。
しかし、当時の事を思い出す限りでは、最初から市議会の議長を務めていたスウェンスと話す為の方便だとも受け取れる。
結局、不幸な事故でマールは死にオーサーへの嫌疑は霧の中に消えてしまったが…。
「親父が生きていた頃の話かよ…」
エイリークが眉間に皺を寄せながら当時から引っかかっていた事を思い出していた。
マールの死後、オーサーはすぐにエイリークたちに親身になって力を貸してくれた。
しかし、よく考えてみるとレッド王国同盟の中流階級に生まれて軍人として正規の教育を受けた者の行動としては疑わしく、果たしT信頼に足るか心もとない。
何か裏があるのかとも考えたが、当時は厄介な出来事が続いてそれどころではなかったのだ。
「じゃあさ、爺ちゃんはオーサーが怪しいって思ってたのにどうして放っておいたの?」
「それは皆まで言うなってヤツだな。あの頃は街の内と外の両方に敵がいたからだ。利用できる者はいずれ裏切るとわかっていても組まなくちゃやっていけなかった。情けねえ話だが、俺の限界なんてその程度の物だ」
実際戦時中は真意が定かではないオーサーに限らず先祖代々からの政敵であるナル家と共闘した事もあった。
多くの火種を抱えながらも戦争終結に至ったのは奇跡の類なのだろうが、偽りの結束が個々の努力によって真の絆に成長したからだとスウェンスは信じたかった。
またオーサーに関してはエイリークと行動を共にする間に心変わりしてくれればと楽観的な考えを持っていた事も確かである。
(いや、そうじゃねえ。俺自身がオーサーの事を気に入っちまったのが本当の理由だ。エイリークじゃねえが本当にやりにくい話だな…)
スウェンスは二人に気がつかれないように反省する。
ガチャ…。
三人の会話が途切れた時を見計らったかのように速人が食堂に姿を現す。
カートの上にはお茶が入ったティーポットとスウェンスを含めた人数分のティーカップが用意されていた。
速人はすぐにテーブルの上のティーカップを乗せ、代わりに新しいハーブティーを用意した。
三人はスウェンスの存在を無視しているところに底無しの悪意を感じる。
「ハッ。小僧、何か言ったらどうなんだ?それとも俺にビビッちまったか」
スウェンスは苦し紛れに憎まれ口を叩いた。
「スウェンス様、お砂糖はいくつにしますか?」
速人は微笑みながら角砂糖の入ったシュガーポットを取り出す。
マルグリットとエイリークは物欲しそうな目で眺めていた。
角砂糖は希少な嗜好品であり、来客用だった。
「4つだ、畜生‼」
スウェンスは砂糖の入ったハーブティーを受け取るとふうふうもせずに流し込む。
味と温度が丁度良い状態になっている事など今さら確かめる必要も無い。
(問題は家に帰って自分で茶を淹れる度に虚しい思いをするんだよな…)
スウェンスは太い眉をへの字にしながら、名門の出身らしく音を立てずにハーブティーを味わった。
「速人。学校行くまでまだ時間あるから私たちの分も用意してくれよ…アレ誰かいるのか?」
そうこうしている間にレミーとアインが食堂に戻っていた。
二人は初見となるダグザの祖父スウェンスの姿を凝視している。
「おう、ちっと邪魔してるぜ。レミーとアインだったな。ダグの爺ちゃんのスウェンスってもんだ」
スウェンスは笑いながら二人に向かって小さく手をフ振る。
レミーは生まれたばかりの頃、一度で会っているがそれきりなので面識は無いも同然である。
しかし子供の頃のエイリークによく似たレミーとアインの姿を見るとスウェンスの涙腺も自然と緩くなってしまう。
「へえ、アンタがダグの爺ちゃんか。想像していたのよりずっとゴツいな」
レミーはスウェンスの胸元と腕を見ながら率直な感想を述べる。
事実ダグザの体は全体的に細身なので目立たないが筋肉質と呼べる代物だ。
「初めまして、スウェンお爺ちゃん。アインです」
アインはぺこりとお辞儀をする。
スウェンスは目元を拭うと二人に握手をしていた。
これだけでもスウェンスは今日まで自分が生きていた事が決して無駄では無かった事を確認する。
速人は横目でスウェンスたちの心温まる交流を見ながらレミーたちのハーブティーを用意した。
びしっ‼びしっ‼
「痛ッ‼いいだろ、ちょっとくらい‼」
「痛いってッ‼けちんぼ速人‼」
もちろんシュガーポットの中身を盗み食いしようとするエイリークとマルグリットにお仕置きをする事も忘れない。
角砂糖はあくまでお客さんの為に用意しておいたのだ。
それをお菓子のようにつまむなど許されるはずもない。
「レミー、アイン。お茶が入ったぞ」
速人は片目を閉じながら言った。
「速人。ウチの父さんと母ちゃんが意地汚い真似をしたらもっとキツイのをくれてやれよ」
レミーは吐き捨てるように言う。
「お父さん、お母さん。ちゃんと言ったらお菓子出してくれるんだから…」
エイリーク一家の良心アインも困ったような口調で両親に説教を始める。
(すまねえ。アイン、レミー…、全部俺のせいだぜ)
スウェンスは自分の放任主義という教育方針に責任を感じて冷や汗を流していた。
「…、ところでさ、まだオーサーとかいうヤツの話で揉めていたのかよ」
レミーはティーカップに口をつけながらエイリークに視線を向ける。
「さあ俺様には何のことやら…」
「レミー、人を疑ってばっかいるとダグ兄みたいな目つきになっちまうよ?」
レミーは下手くそな言いわけをしている両親を最初からいない物と断じて速人に聞く事にした。
「速人、昨日から父さんたちと言い争っているみたいだけど実際はどうなんだよ」
「レミーはオーサー・サージェントさんと面識はあるのか?」
レミーは口元に手を当て、自身の記憶を辿る。
アインに物心がついた頃のかなり前の話だが頼りなさそうな顔をしたエルフ族の男の顔が浮かんだ。
「多分あるな。そうだ、その時も馬車を狙った強盗の事件でこっちに来てたはずだ」
レミーの方が昔の事を覚えていた。
エイリークとマルグリットも即座に当時の事を思い出して驚いた顔つきになっている。
最近は数が減ったが四、五年ほど前に第十六都市の周囲では貨物馬車を狙った強盗事件が多発していたのだ。
(やべえ。俺もすっかり忘れていたぜ…)
またもやスウェンスは二つの意味で責任というものを感じる。
速人はレミーの話を聞いても驚く様子は無かった。
なぜならばそれらの事件に関してはレナードとダールから聞いていたのだ。
「オーサーの事を知っているなら話は早いな。アメリアさんやシグ、シエラに合ったら注意するように言ってくれ」
「何でそこまで警戒するんだよ。見た感じタダのおっさんだって」
レミーは両親の友人を悪く言われて気分を害してしまったようである。
或いはもう少し自分の事を信用しろと言っているのだろう。
「違うよ、レミー。オーサーは本当の実力を隠している。実際に戦えばエイリークさんと互角くらいだろう。…いずれ手段を選んでいられなくなったらレミーたちを誘拐するかもしれない」
速人は頑なにオーサーの危険性を説く。
「話にならねえな。父さん、何か言ってやれよ!」
レミーは後ろを向いて両親に助勢を求めるが、エイリークたちは反論できずにいた。
オーサーはエイリークたちのような目覚ましい功績を持ち得なかったが役立たずだった事は一度も無い。
それどころか、いつも要所では姿を見せてエイリークの勝利に貢献していた人物だったのである。
「レミー、悔しいがこの子豚の化け物みたいな顔をしているガキ(速人の事)の言う通りだ。オーサーは強い。俺様とハニーよりはかなり下だがソルやダグみたいな雑魚じゃ返り討ちに遭っちまうだろうな…」
ガンッ‼
再びスウェンスの拳がエイリークの脳天に落とされた。
孫を侮辱されて瞬間で切れてしまったらしい。
「おう。この馬鹿の話はともかく、お前の話には賛成だ。オーサーが姿を見せた時にはウチの連中に報告に来るように言っておくぜ」
「ありがとうございます、スウェンスさん」
速人は礼を述べて頭を下げようとする。
しかし、スウェンスは右手を前に出して返礼を遮った。
「俺の言葉を額面通りに受け取ってるんじゃねえよ。今はその逆だ、速人。オーサーに的を絞る前にまずエイリークたちに話をさせてやれ」
速人は瞬き一つもせずにスウェンスを見つめる。
それは”オーサーが行動を起こすまで猶予は無い”事を告げる意志表示だった。
「あのな、エイリークはエイリークなりに考えてみんなで決めようっていう答えを出したんだ。今度はお前はエイリークの意見を聞いて黙ってやる番じゃねえのか?」
スウェンスも速人同様に譲らない。
かつて交わす言葉が足りなかったゆえにエリオットの父アストライオスはエイリークの父マールティネスを死なせてしまった。
またそのような悲劇を繰り返すつもりはない。
速人はむっとした顔つきになるとそのままテーブルまで歩いて行ってしまった。
やがて湯気と共にハーブティーの香気が部屋に充満する。
「なあ爺ちゃん。仮にオーサーが敵だったとして俺たちはどうすればいいよ思う?」
それまでスウェンスと速人に気圧されていたエイリークは口を開いた。
直後スウェンスは横目でエイイリークを睨みつける。
「偶には自分で考えろ、エイリーク。速人はな、そういうところも含めてお前の事を心配してるんだよ。お前は器がデカすぎて細かいところが雑になっちまうんだ」
スウェンスは手を振ってエイリークを追い払う。
速人が背後に気を配っている事など承知の上だった。
「ヒント、ヒントだけでも頼むよー。そうだ、久しぶりに肩を揉もうか?」
今度はマルグリットが両手を使ってエア肩もみを披露する。
「…ぶはっ‼そいつは勘弁してくれ。この年齢で脱臼した日には元に戻らなくなるかもしれねえからよ‼」
スウェンスはマルグリットが子供の頃に肩を揉んだせいで脱臼しかけた事を思い出す。
「ダーリンは?マッサージしてあげようか?」
「ゴメンよ、ハニー。今日は辞退させてもらうぜ」
エイリークも両肩の骨もヒビが入った事を思い出して引き下がる。
マルグリットは残念そうな顔をして引き下がってしまった。
そこにハーブティーを持った速人が現れた。
「エイリークさん、これを飲んだら出発してくれよ。リーダーが遅刻続きじゃ格好がつかないんじゃないか?」
速人はエイリークの目の前にハーブティーを置いた。
「…。わかったよ。今日は事務所でみんなと一緒に相談するからそれでカンベンしてくれ…」
エイリークはティーカップに口をつけた後、うんざりとした表情で言った。
速人はスウェンスの前にティーカップを置く。
スウェンスはティーカップの中を満たしている薄緑色の液体の匂いを嗅いでからハーブティーを飲んだ。
「フン。悪くねえな」
「それはどうも」
エイリーク一家とスウェンスがハーブティーを飲んでしまうと速人は使用済みの食器と共にキッチンに消えてしまった。
その後、エイリークとマルグリットは子供たちと一緒に隊商”高原の羊たち”の事務所に向かった。
レミーは家を出る直前まで文句を言っていたがアイン同様に嬉しそうな顔をしている。
普段のエイリークたちは仕事で家を空ける事が多いので少しでも共に過ごせる時間が欲しいのだろう。
速人は口にすると怒られるので黙っていたが両親に寄りそうレミーとアインの姿を心の底から祝福していた。
「野暮な事を聞くようだが、お前の親はどうしちまったんだ?」
玄関の入り口でエイリークたちを見送った後、スウェンスが不意に尋ねる。
スウェンスもまた幸福な家族の姿を満ち足りた表情で見守っていた。
「俺の親は元の世界で別れたきりだよ。その辺の記憶も曖昧だから自信はないけど」
速人は自嘲気味に答えた。
記憶は確かに存在するが、それは自分の記憶ではない。
かつて存在した○○速人という自分と同じ姿をした全く別の人間の記憶であると知っている。
「ところでな、恥ずかしい話だが…」
スウェンスは顔を全く別の方向に向けながら話を続ける。
よく見ると角小人族の特徴である小さく尖った耳まで顔を赤くしていた。
「ぷっ」
会話の続きがわかっていた速人は思わず吹き出してしまう。
「…笑うんじゃねえよ。そのいざとなるとダールのヤツに会いに行くのが恥ずかしくてよ。出来ればダグとレクサとアダンも同席できるように…セッティングして欲しい」
速人は肩を震わせながら首を縦に振る。
この不器用さはやはりダグザの祖父、ダールの父親以外の何者でもない。
スウェンスは地面に唾を吐いた後、セイルたちの待つ玄関ホールに向かった。
速人は雪近とディーと共に家の掃除を始める。
最近は雪近たちは奉仕労働に駆り出される機会が多いので、速人は二人に家の仕事を手伝わせながら他の仕事でも役に立つ知識と技術を教えていた。
(いつ俺がいなくなってもいいように、こいつらには包み隠さずに全てを教えておこう)
そんな速人の儚げな表情を遠間から雪近とディーは見つめている。
二人の不安げな視線に気がついた速人は作業を再開した。
そしてさらに時間が過ぎ去り、にぎやかな昼食が始まる。
速人は屋敷の中を見学しているスウェンスたちに声をかけて昼食に誘った。
スウェンスは食事などそっちのけで気にしてはいなかったが他の老人たちの空腹と疲労の為にかなり動きが鈍くなっていたのだ。
いやむしろ彼らの中で最年少のロアンが一番衰弱していたかもしれない。
「ああ、美味い。ありがとう、速人。生き返るよ…」
ロアンは席に座ってすぐに料理に食らいついていた。
セイルとベンツェルも椅子に腰を下ろしてから「いただきます」と挨拶をするとシチューを食べ始めた。
この後コルキス、ブランジェルと続くわけだが礼儀作法に五月蠅い老人たちが黙々と食事をする姿に雪近とディーは目を丸くして驚くばかりであった。
「おいおい、お前らもうヨボヨボの爺さんになっちまったのか?音に聞こえたボルグ隊も大した事はねえな」
スウェンスは年下の老人たちに嫌味を言うと皮の厚いバケットを豪快に齧る。
温かいシチューではなく牛乳を飲んでいるのは、後輩たちへの当てつけだろう。
速人は老人たちの他愛ないやり取りを見て笑ってしまう。
「おい、速人。あんまりこいつらを甘やかすんじゃねえぞ。すぐに役立たずの爺さんになっちまうからな」
そう言って牛乳の入っていたマグカップを出した。
速人はすぐに牛乳を継ぎ足す。
「そりゃ親方はこのお屋敷の仕掛けがわかるからいいですよ。でも俺たちみたいな凡人に大親方の考えなんかわかるわけがねえですよ…」
硬骨漢というあだ名がピッタリの男ブランジェルが珍しく弱音を吐いた。
彼は今日休暇をとってエイリークの屋敷に来ているが普段は防衛軍で新人や候補生たちから鬼教官と呼ばれている人物である。
またブランジェルは戦時の怪我が原因で引退はしているが、現役の隊員たちに劣らぬ胆力の持ち主だった。
「おい、ブランよ。俺の親父が何だってんだ。ルギオン家に生まれた百年に一人の天才、大エヴァンス?上等だ。相手にして不足はねえよ」
スウェンスは豪快に笑うと袖をまくって力こぶを作る。
(こちらはこちらでもう少し老人らしくした方がいいな…)と速人は思った。
「オホンッ‼オホンッ‼」
速人の生暖かい視線に気がついたスウェンスとブランジェルは二人して咳払いをする。
「ところで速人、屋敷を回って気がついたんだがお前もしかして屋敷の全体図といか設計図を用意していやがるのか?」
「うん。最初ここに来た時に色々調べてから試しに設計図を書いたんだけど」
スウェンスは速人の話を聞いた後、凝視する。
彼も若い頃に新人を見たことがあるが知性があるのかさえ怪しい獣同然の人種だった。
スウェンスは無言のまま手を出して屋敷の設計図を持って来るように指示を出した。
「雪近、お茶のお代わりが必要だと言ったお客さんに出しておいてくれ」
「了解」
速人は近くにいた雪近に仕事を任せると自分たちが住んでいる小屋に向かった。
数分後、速人は数枚の設計図が入った円筒状の容れ物を持ってくる。
スウェンスはさらに難しい顔をしながら巻物を広げてエイリークの屋敷の設計図を見ていた。
「ふむ。設計図の出来上がりは”まあまあ”じゃねえか」
「どうもありがとうございます」
次にスウェンスは図面にアラビア数字で「120」、日本語で「高さ」と書かれている部分を指でなぞる。
「それでこの文字みたいな物は何だ?お前もしかして文字や数字がわかるのか?」
スウェンスは怪訝な表情をしている。
基本的に新人は他の種族に比べて魔力が無いに等しいのでこの異世界ナインスリーブスでは文字を使う必要がない。
「ああ、これは俺が元の世界で使っていた数字と文字だよ」
それを聞いた途端にスウェンスの表情が一転する。
魔力を操る術を持たない新人が文字を使えるというのは前代未聞の出来事だった。
「マジか⁉お前そんな顔なのに文字使うのか‼ダグから聞いた話じゃ魔力が使えないから聖刻文字も理解できないんだろ?」
以前に速人が”大喰い”という怪物を倒した時、ダグザと元の世界の文字や学問について幾つか話をした。
その際にナインスリーブスでは現在使われている新公用語には記すだけで”力”を発揮する”聖刻文字が原型になっている事を知った。
ダグザの話から速人は聖刻文字と北欧神話のオーディンの13の碑文が酷似している事にも気がついている。
そこでスウェンスに聖刻文字の隆盛について尋ねようかと思ってみたが…。
「やっべええよ…。マジでコレは。よその世界にもあるのかよ、文字。これは宇宙樹の樹竜人起源説ってのも眉唾物になってきたな」
既に引きこもり研究者モードになったいた。
速人は助けを求めてセイルたちの方を見たが全員がそろって首を横に振っていた。
「速人殿、俺らでもこうなったら無理だ…すまねえ」
速人は少し考えてから老人たちに質問をする。
「ではせめてユグドラシルのトレント起源説というのは何かを教えてくれませんか?」
セイルはベンツェルを見た。
ベンツェルは首を横に振ってコルキスを睨む。
「某は民俗学の方は明るくありませぬ。ブラン、お前は?」
白髪のコルキスはすがるような瞳を義弟に向けた。
「ええと、トレントというのは巨神以前に宇宙樹から現れた始まりの人間というですね。存在した証拠が残っていないので架空の存在とされていますが…。頭に捻じれた二本の角と金色の瞳という龍種の特徴を持っていたので龍の仲間だったのではないかと言われています」
トラッドの父ブランジェルは防衛軍の養成所で教鞭を取っているだけあって豊かな知識を持っている。
しかし専門外の知識だったので心許なかったのも事実だった。
「勉強が足りねえなあ、がり勉のブランジェル君よお。トレントは50年くらい前から帝国や同盟の一部では存在を確認する証拠が幾つも上がっているってのによ」
突如として部屋の中に「ニチャア」と音が聞こえてきそうな粘着質な声が響く。
声の主はスウェンスだった。
「まあ帝国由来の情報は市議会の圧力でフィルターがかかったまんまだからな。知らないのは無理もねえ…。ていうか何で俺を抜いて話を進めようとする?」
スウェンスはブランジェルの肩を強く握った。
「すいません、親方。以降気をつけます…もう出しゃばりませんっ‼」
ブランジェルはスウェンスの圧力(握力とも言う)に屈し、あっさりと音を上げてしまった。
速人はスウェンスの手首に手を添えた。
ビキッ⁉
スウェンスは手首の関節と指の腱を抑えられて一時的に麻痺状態になる。
「痛ッ‼」
速人はスウェンスの腕を取ってブランジェルを解放してやった。
「市議会は何で帝国の情報を制限するんだよ、何か意味あるの?」
「よそから来たお前には馴染みの薄い話かもしれないが市議会の指示する巨人族の起源説にケチがつくからだよ。補足すると市議会はトレントが巨人の直接の祖先、帝国はトレントの子孫が小人族(ドワーフ、レプラコーンなど)って主張しているんだ。前者の説が通れば自治都市の領土は拡大。後者の説が通れば帝国に土地を返さないで済むって寸法だ」
速人は故郷を失い大陸各地を彷徨うことになったテレジアたちや帝国上層部の都合で見捨てられたドワーフ族のカッツ、オーク族のトマソンの事を思い出した。
「だがよ速人、勘違いするんじゃねえぞ。オーサーはせっかくまとまりかけた今の形をテメエの感傷で潰そうとしているんだ。俺もその辺は間違わねえ」
速人はカッツとハイゲルの親子が自分たちの意志でサンライズヒルの町を第二の故郷にすると決めた事を思い出す。
速人の浮かない表情から事情を察したスウェンスは決意が揺らがないように釘を刺しておいた。
エイリークの方針を支持する一方で、情の深さが命取りになるのではないかという不安も残っている。
戦争が終わって十年、誰も結論は出せていない。
「それでも俺はオーサーをこのまま野放しにしておくのは反対だよ。…どんなに正しくてもやってはいけないことってのはあるんだ」
速人は自身の迷いを捨て去る為に大きく息を吐いた。




