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第百九十一話 闇より深い夜を越えて…ジジイどもが来る。

 急な来客とか除雪作業とか色々と用事があってかなり遅れてしましました。すいません。次回は一月十三日くらいに投稿するつもりです。

 

 エイリークは速人の顔を見ると眉間に皺を寄せ不機嫌な表情となる。

 彼は速人たちと一緒に暮らすようになってから子供たちの前で飲酒する事を禁じられてきたからである。


 (この野郎、俺様の貴重な休憩時間に干渉する気か…。そろそろ力の差ってのを教えてやる必要があるな)


 エイリークは両手を組んでボキボキと鳴らす。

 現時点でエイリークは速人を相手に素手の戦いで一度も勝ったことが無い。


 「ケッ、俺様が敗北を認めるまで無敗なんだよ…」


 エイリークは卑屈な台詞を吐いた後、ソファから立ち上がった。


 「用事って何だよ。見ての通り今の俺様はハニーと酒を飲んでいるんだ。説教なら明日にしてくれ(明日になったらまた明日って言うがな…)」」


 「速人、おばさんだってたまには母親という立場を忘れてダーリンとイチャイチャしたいんだよ。寝る前にはちゃんと歯を磨くから今日のところは見逃してくれないかい?」


 …速人は別の意味で脱力した。


 だが第十六都市を巻き込む陰謀の首謀者の正体が判明した以上、次に相手が行動を起こすまで猶予があるとは思えない。

 

 速人は真剣な面持ちで首を横に振る。

 エイリークとマルグリットは速人の様子から事の重大さを察して姿勢を正して話を聞く準備をしてくれた。


 「エイリークさん、前に話してくれた謀反の未遂事件の首謀者の正体がわかった」


 エイリークは驚いた顔つきで速人を見ている。

 その話を聞くまでは、エイリークたちの旧友ノートンが起こそうとした謀反の事件は既に解決した物とばかり考えていた。


 「あのさ、ノートンの話って解決したんじゃなかったっけ?」


 マルグリットが首を傾げながら速人に質問をする。


 「事件は解決してないよ、マルグリットさん。結局何も起こらなかったっていう点では終わったのかもしれないけど、最初に謀反を起こそうと考えたヤツは捕まっていないからまた事件は起こると思うんだ」

 

 「ああ…、ええと…。それってノートンが反乱を起こそうとしたんじゃなくて、いや実際に起こそうとしたのをアタシたちがやっつけたんだよね?」


 マルグリットは速人の論旨が上手く伝わらなかった為にさらに考え込んでしまった。


 「おい、速人。俺とハニーは何をやらせてもパーフェクトだが細かい事を考えるだけは苦手なんだ。要するにもっと分かり易い説明を頼むぜ」


 速人は勢い良く頭を振った。


 「要点を言うと、ノートンさんは反乱を起こすようにそそのかされたって話だよ。俺がわかったのはノートンさんを騙した相手さ」


 速人はエイリークたちを味方につける為にわざと誤解するような言い方をする。


 オーサー・サージェントはナインスリーブスで出会った人間の中でも群を抜いた策士であり、エイリークの身内には特に甘い性格など知りぬいているだろう。


 (いや違う。最初から騙す気など無く、真剣に相手の事を考えているからこそ、エイリークさんにはオーサーの嘘が見抜けない)


 速人は先日スウェンスやエリオットらと談笑している姿を思い出し、罪の意識に苛まれる。

 おそらく今の自分とオーサーのやっている事に違いなど無い。


 「ノートンを騙した相手か…って言われてもな。アイツは基本的に他人を疑う事を知らないヤツだからな…」


 「何でも本気にするから、アイツの前では冗談言えなかったよね」


 逆に心当りが多すぎて見当もつかない様子だった。

 ノートンの性格を一言で表すならば誠実もしくは生真面目、融通が利かないという程では無かったが言い方が悪かった為に喧嘩になりそうになった事もある。

 とそこでエイリークとマルグリットは気がつく、そんな時にいつも自分たちの側でフォローをしてくれたのはオーサー・サージェントだった。


 そしてエイリークが何かに気がついた様子を見逃す速人ではない。


 速人はここが正念場とばかりに迅速に切り出す。


 「この前、ソリトンさんとハンスさんと大市場の近くを歩いていた時にオーサーってヤツに会ったよ」


 エイリークたちはハッと息を飲む。

 悪い予感、即ちオーサーが首謀者ではないかという疑念が強まった。


 「…別に珍しい事じゃねえだろ。あそこは眷属種ジェネシス融合種リンクスでも自由に買い物が出来るんだ」


 エイリークは視線を泳がせながら反論する。


 「確かに商売関係の人間が出入りするのは問題ないさ。だけどオーサーは軍人だ。同盟は妖精種スプライツには寛大だけど、他の下位種族には手厳しい」


 速人はレッド同盟に所属する開拓地にいた頃、そこの代官であるスタンロッドから身分制度の事情について聞かされていた(というか速人が聞き出した)。

 レッド同盟の人口の大半はエルフ族であり、七枝と呼ばれる七つの国から為る同盟が結成された当初からエルフ同士の差別は無くなった(形式上は)。さらに帝国と領土交渉が成立した事をきっかけに(※速人が後から知った話ではエイリークの祖父ダルダンチェスの功績らしい。当然エイリークは知らない)同盟内で永世奴隷としてこき使われてきた下位種族にもある程度の人権が保障されるようになったという。しかしその下位種族も古くからエルフ族に仕えていた犬妖精コボルト族、小鬼ゴブリン族、白小人ノーム族に限定された話で融合種リンクス新人ニューマンは相変わらず辺境の開拓地で一生を過ごさなければならなかった。

 この辺りの話はエイリークたちも戦時中に嫌というほど思い知らされている。

 眷属種ジェネシスであるエイリーク、ダグザ、レクサには医療物資が優先的に与えられたがマルグリットたち融合種リンクスには最後まで食糧支援さえも受けられなかった者さえいたのだ。


 「あそこにはアルがいる。アルとオーサーは戦争で兄弟が死んだっていう共通点があって何でも話せる友達になったんだ」


 マルグリットは心配そうにエイリークの顔を見ている。

 夫婦は共に共通の友人であるオーサーがアルフォンスを傷つけた犯人だと信じたくない一心だった。

 同時にオーサーの屈託のない笑顔を思い出す度に自分たちに取り入る為の演技だったのではないかという疑念をも抱く。


 「前にソリトンさんたちと一緒にオーサーに会った時は大市場には行かなかったって言ってたよ」


 だが速人はエイリークの細い糸のような期待させも容易く断ち切る。

 なぜならばエイリークの話はオーサーが犯人である事を裏付ける証拠でしか無かった。

 彼がどういうきっかけで”新しい空”という謎の組織を立ち上げて、反乱を起こそうと考えた理由は今の時点ではわからない。

 だが今のオーサーには神仙ナナフシのような桁外れの協力者が存在し、さらに多くの協力者を抱え込んで絵空事を現実にするだけの力を有している。


 (頼む、エイリークさん。一刻も早く決断してくれ)


 速人もまた決死の覚悟でエイリークと対面していた。

 オーサーは既に覚悟を決めた人間である。

 揺るがぬ信念を持った人間は己の死など厭わぬ覚悟をもって行動するだろう。

 その道程でノートンが、デレク・デボラが、オーサー自身が死んだとしても彼は世界の平和を壊しにかかるはずだ。

 たった一人の人間の狂気が世界そのものを滅ぼす。

 世界の平穏にはそういった脆さがある。


 エイリークは呼吸を整え、速人を見据える。


 「少し時間が欲しい。結論はみんなと相談して決める」


 エイリークは速人の顔を見ながら言った。祈るような気持ちだった。

 速人は放っておけばオーサーを殺しに行くだろう。

 正直な話、速人という人間の理屈は良くわからない。

 だが速人は嫌な事を人にやらせるくらいならば自分でやる人間だった。

 

 若くして死んだエイリークの父マールティネスも同じようなところがあった。


 「わかった。だけどあまり時間は無いよ。明日になったら親方の家に見張りをつけてくれ」


 速人は予期していた答えを受けて自分を納得させる。

 エイリークが答えを出さなければ今夜中にオーサーの潜伏先を調べて殺すつもりだったが、先にそれを封じられる形となった。

 

 男と男の約束は守らねばならない。

 速人は我ながら甘いと心の中で苦笑する。


 「速人、俺様がお前の言う事を聞いてやるのは今回限りだぜ。俺様は平和の為に一緒に戦ったオーサーとノートンを信じる。例え裏切られたって後悔はしねえよ」


 「その言葉がオーサーに届くといいな。俺もそっちの方がいいと思うよ」


 そう言うと速人は出口を目指して歩いて行った。

 振り返らず真っ直ぐに自分の部屋を目指す。


 (どちらにせよ、結果は同じだ。オーサーは近いうちにエイリークさんを仲間として迎え入れる為に何らかの行動に出るだろう…)


 ではエイリークがオーサーの誘いに乗って反乱に加わるかといえば、それはあり得ない選択だった。

 彼は苦心して火炎巨神同盟と戦って平和を勝ち取ったのだ。

 仮に今の平和が一時的な物だったとしても自分でそれを壊すような真似はしないだろう。


 (…都合の良い話だが、俺もエイリークさんがオーサーには恭順しないと信じたい。もしも彼が情に絆されて自分の信条に叛くような事になれば…)


 速人は自分が寝泊まりしている離れの小屋のドアノブに手をかけようとした。

 しかし、一瞬だけ早く扉が内側から開く。

 小屋の中からは乳白色の髪を持つ長身の青年ディーと、おそらく速人と同郷と思われる黒い髪の青年宗雪近が待っていた。


 「速人、エイリークさんと何かあったの?怖い顔をしているよ」


 ディーはいつもの気弱な顔で尋ねる。


 「お前よ、せっかくダグザの旦那のところのいざこざが終わったんだから少しぐらい休めって」


 雪近は速人に部屋の中に入るように手招きをしている。

 速人は腰の中に忍ばせた袋の中を探り、糸の絡まった板を取り出した。

 糸の先には曲がった金属製の針がついている。

 生まれてから釣りなどしたことがないディーにはそれが何かわからなかったが、ここに来る直前に死んでしまった叔父や父親と共に釣りをよくしていた雪近は速人の持ち物が海釣り用の糸と釣り針である事に気がつく。


 「あれ?それって釣り針と糸だよな。お前、そんな物を使うのかよ?」


 雪近は物珍しそうな顔で速人の持っている釣り道具に興味を示した。

 以前、速人が河釣りをしているところを見た事があるがその時はナインスリーブスの住人の道具と同じ物を使っていたのである。

 

 速人は仕方のないといった表情でため息交じりに釣り具を渡してやった。


 「コイツは俺の祖父さんの故郷に伝わるお守りだよ。…実際の釣りには使わない」


 雪近は頭の上に疑問符を浮かべながら釣り具を見ていた。

 釣り針には何かの模様が入っていたので速人に尋ねてみたが「自分で考えろ」と言われたきりだった。  

 次に雪近は普通の糸よりも太く編まれた黄色い糸、糸が巻かれた朝日を背負う青い竜の模様が彫られた板を確認する。

 後ろで雪近と共に釣り具を見ていたディーが模様について速人に尋ねた。


 「速人。この青い蛇みたいの、何さ?」


 「それは青龍だよ、四神の。あ、そうだ確かナインスリーブスには胴が蛇の龍っていなかったんだな…」


 ディーはそのまま生まれて初めて見た青龍の図柄を興味深そうに見ていた。

 雪近も板に彫られた青龍の絵にすっかり魅入られている。速人は二人を見ながらため息をついていた。

 

 「速人、青龍ってアレだよな。東の方を守ってる神様だったか」


 「ああ、俺の母親の実家は青龍を守護神として祀っているんだ。ごく一部だけどな」


 速人は如何にも興味が無さそうに答える。


 「しかしお前って本当に何でも作っちまうんだな。良かったら今度これの作り方も教えてくれよ」


 速人は雪近から釣り具を取り上げた。


 「それは駄目だ。コイツを受け取る資格があるのは強い奴だけだ。そうだな、お前が稽古で俺から一本取れるようになったら考えてやるよ」


 速人は雪近の鼻を軽く弾いた後、釣り具を袋の中に入れた。

 その後、雪近とディーから文句を言われたが速人は一顧だにせず布団の中に潜り込む。

 速人が早々に眠ってしまうと雪近とディーも各々の布団の中に入ってしまった。


 (雪近、俺がコイツの作り方をお前に教える時は俺がこの世からいなくなる時だよ)


 速人は二人の寝息が聞こえてきた頃、目を閉じる。

 後はエイリークが間違った決断をしない事を祈るばかりだった。


 深夜。


 エイリークとマルグリットは寝巻に着替えた後、同じベッドの中に入った。

 今夜は夫婦の営みをして嫌な事は全て忘れたい気分だったが、部屋に入る前にレミーに「必要以上に仲良くしないように」と釘を刺されたので今夜は何もせずに寝る事になってしまったのだ。


 「ふああ…」


 エイリークは部屋の中にある椅子に腰を下ろすと大きな欠伸をした。

 スウェンスのお茶会が終わった後、市議会から出頭を要請されていたのだ。

 議会に呼ばれた当初はエリオットたちの帰還がバレたのかと肝を冷やしたが、実際の理由はノートンの事件についてだった。

 ダグザの父ダールと彼を支持する議員たちの前でノートンの事件を報告したのだが、どうやらダールたちは事件の首謀者がノートンであった事を知らなかった様子で話の始終目を白黒させていたのを今でも覚えている。

 そして当然のようにダールと面識のあるノートンの名前を隠した張本人がオーサーである事も、速人に指摘されるまでもなく薄々とは気がついていた。


 (仮にこの話でオーサーを問い詰めたところでノートンの為にやったってとぼけるんだろうな。勘弁してくれよ…)


 エイリークはバンダナを外して下ろした前髪をクシャクシャとかいた。


 「ダーリン、大丈夫?」


 部屋の奥にある化粧台でメイクを落としていたマルグリットがエイリークの事が気になっていつの間にか後ろにいてくれた。


 「ハニー。…情けねえ話だが、かなり参っているぜ」


 エイリークはテーブルの上に乗った琥珀色のグラスを呷る。


 「…あの野郎、よくも俺様の部屋の酒をハーブティーにすり替えやがったな」


 中に入っていたのはアルコール飲料ではなくハーブティー(麦茶系)だった。

 後ろでマルグリットがクスクスと笑っている。


 「速人はダーリンの健康を心配してくれているのさね。昔はお酒なんか飲まなかったじゃない?」


 マルグリットは酒が回って顔を赤くしたマールに説教をしているエイリークの姿を思い出す。

 エイリークも両親とスウェンスが酒を飲むと腹を立てていた子供の頃を思い出して苦笑する。

 子供の頃は「酒は悪い物」とメリッサとエリーから教えられていた。

 だが、いつの頃からかエイリークは辛い事があると酒を飲むようになった。

 しかし元からアルコールに強い為に人に迷惑をかけるような行為は…、


 「酔ってソリトンにコブラツイストをかけるエイリーク」


 「ハイになって裸で街の中を走るエイリークとマルグリット」、…結構あった。


 今までの失態はともかく最近はアルコールに逃避する機会が増えていたので軽く反省することにした。


 「なあハニー、俺はどうすればいいと思う?速人の言う通りにオーサーをその軍に引き渡して逮捕してもらった方がいいのか…?」


 「うーん、どうかね…。多分速人が言いたい事はそういう事じゃないと思うよ。アタシは頭が悪いからハッキリと言えないけど街から追放か、半永久的に出禁じゃないの?」


 マルグリットは首筋を掻きながら答える。

 彼女があまり気乗りしない話をする時の癖だった。

 エイリークは背もたれに体重をかけながらオーサーと速人の事を考える。


 (多分、速人は俺にオーサーを排除しろとかそういう事を言っているんだろう。それが出来ないなら速人オマエがやるって言うんだろ。ガキが何を考えていやがる)


 エイリークは速人の顔を思い出しながら滅入った気分になる。

 どういう環境で育てばああも冷徹になれるのかは知らないが、速人の年齢は娘のレミーと変わらない。

 いや速人は出会ったばかりの頃のマルグリットやソリトンのような顔をしていた。

 それは自らの意志で生きる事を選んだ者の”目”だった。

 お題目こそ立派な物だが褒められた代物ではない。


 エリオットの父親アストライオスはアポロニア・リュカオンの一族再興という大きな使命をたった一人で背負い込み、その重責から道を外して最後には…。

 混戦の中で誤ってエイリークの父マールティネスを殺害し、アストライオスは自分の父親から一族追放を命じられて激昂して両親と妻を殺してしまった。

 それを知ったエリオットがどうのような気持ちで自分の父親を殺したのか、今でも想像する事さえ出来なかった。


 「ハニーにわからないなら俺にもわからねえよ。とにかく明日までに誰も傷つかなくていい方法ってのを考えなきゃならないんだよな。…めんどくせー」


 エイリークはボトルの中に入っているハーブティーをグラスに注いだ。

 そして一気に飲んでしまう。


 口には出さなかったがマルグリットはハーブティーを飲むつもりだった。


 「…」


 いつも仲睦まじい夫婦の間に気まずい沈黙が流れる。


 「あれ?もしかしてハニー、飲みたかったの?」


 「うん」


 マルグリットは扉の方を指さす。


 エイリークは何も言わず一階に降りてキッチンからティーポットを持ってきた。

 とりあえず鼻を近づけて匂いを確かめたが先ほど飲んだ物に比べると香りが少ない。

 マルグリットはエイリークからグラスを奪い取ると眉間に皺を寄せながらハーブティーを飲んだ。


 「薄いよ、ダーリン…」


 エイリークも自分のグラスに入ったハーブティーを飲む。

 急いで淹れたとはいえ茶葉の量と蒸らす時間が足りていなかったので普通のハーブティーを水で薄めたような味になっている。


 「ごめんよ、ハニー。俺もそう思う…。ところで何か良い案は浮かんだ?」


 「アタシも空っぽの頭で一生懸命に考えてみたんだけどね、全然思いつかない。お手上げだよ」


 マルグリットはうっかりグラスを空にしてしまい「ウエッ」と吐きそうになる。

 ハーブティーを淹れる時に茶こしを使わなかったので茶葉が残っていたのだ。

 エイリークは慌ててゴミ箱を用意してマルグリットに茶葉を吐かせた。

 マルグリットは咳込みながら茶葉を吐き出す。


 「ごめんよ、ハニー。俺の淹れたお茶、マズかっただろ?」


 「仕方ないさね。速人の淹れたお茶を飲むようになってから他で飲んでも美味しく感じなくなったんだし…」


 エイリークはマルグリットの桜色の唇をハンカチで拭いてやった。

 マルグリットはお礼とばかりにエイリークの頬に口づけをする。


 その直後、殺気を感じた二人は周囲を警戒した。


 ドンッ!


 外で誰かが扉に蹴りを入れた。


 「父さん、母ちゃん。明日、学校だから深夜にうるさくしないようにしてよ。これ以上、夜中にイチャイチャする気なら速人を呼んでくるから」


 不機嫌そうな声の主はレミーだった。

 どうやらエイリークが一階と二階を移動した事で目を覚ましてしまったのだろう。


 ダンダンダンダンッ‼


 レミーはわざとに大きな足音を立てながら部屋に向かう。


 「仕方ねえな…。今日はもう起きていても良い考えは浮かばねえから寝ちまうか」


 そう言ってエイリークはマルグリットの方を見たが、マルグリットは既にベッドの上で眠っていた。

 エイリークは盛大なため息をついた後、部屋の灯りを消してベッドの上に身を委ねる。

 マルグリットは無意識のうちにエイリークの太い腕を枕にシーツを被ってしまった。


 「おやすみ」


 エイリークは天井に向かって挨拶をすませる。

 そして長いまつ毛に覆われた眼を伏せて眠りに落ちた。


 あくる朝、速人は定時に朝食の準備を始める。

 エイリークたちとの議論がある程度は複雑になる事を想定しながらもスケジュールは崩さない。

 速人は茹で上がった卵を白身と黄身に分け、マッシャーで潰していた。

 そして水に漬けておいた玉ねぎの微塵切りをザルにかけて取り出す。

 これを白ワインビネガーとオリーブオイルで作ったソースと一緒に混ぜてタルタルソースを作る。

 白身魚のフライとタルタルソースの組み合わせはエイリークの大好物であり、今日の議論でも速人に対して多少は良い心証を持たせる為の小細工である。


 速人はエイリーク一家が魚のフライと付け合わせベイクドポテトを食べながら談笑している姿を想像しながら皿の上に料理を並べた。


 「速人、セイルさんと…アレ?誰だっけ…」


 玄関掃除をしていたはずのディーが慌てた様子でキッチンに現れた。


 「先に手を洗え」


 速人はディーを一瞥する事も無く黙々と調理を続ける。

 ディーは石鹸で手を洗うと報告を続けた。


 「セイルさんとダグザさんのお爺さん?みたいな人が来てるよ。速人を呼んでくれってさ」


 「スウェンスさんが俺を?…何の用だ」


 速人はディーに手拭いを渡すと今度は自分の手を洗う。

 そして白いエプロンを脱いでからエイリークの家の正門に向かった。

 ディーは朝食のメニューを確認した後、上機嫌で速人の後を追いかける。


 魚のフライにタルタルソースがかかった料理はディーの好物でもあった。


 「よお。前は済まなかったな、速人」


 「おはようございます、スウェンスさん。今日はどのような御用向きでいらっしゃったんですか?」


 正門の前にはダグザの祖父スウェンスとセイルたちが待っていた。

 速人はさっと全員の人数を数えて歓迎の準備を考える。

 スウェンスは速人のせわしない様子から何かを感じ取り大声で笑った後、首を横に振る。


 「いやいや、そうじゃねえよ。今日は客としてここに来たわけじゃなくてだな。ホラ、この家をお前が一人で改築したってこいつ等が言うからよ。気になって来ちまったんだ」


 スウェンスは片目を閉じて愛嬌のある笑顔を見せる。

 対して速人はヌンチャクの素材に対する話題を完全に無視された事を思い出し、不吉な表情になっていた。


 「何だ、恐え顔をしやがって。アレはお前が悪いんだぜ?俺はなこの世に自分が知らない物があるってのが許せねえ性質たちなんだよ。驚いたか、ガッハッハッハ‼」


 スウェンスは笑いながら速人の背中をバンバン叩いた。


 速人はスウェンスに殺意の込められた視線をぶつけるが動じる様子は無い。

 老人の肝の太さはエイリークの上位互換そのものだろう。


 「速人殿、今日は朝早くからすまねえ…」


 速人が額に浮いた血管をヒクつかせているとセイルがもうしわけなさそうに声をかけてきた。

 セイルとベンツェルはエイリークにとってバックボーンと言える存在なので雑に扱う事は出来ない。


 速人は逆立つ感情を抑えながらセイルに話しかけた。


 「いえいえ。気にする事はありませんよ、セイルさん。ところで今日はどういったご用向きで」


 「おう。それだ、それ。今日はなお前が改修したっていうエイリークの家を見学しに来たんだ」


 気がつくとスウェンスはいつの間にか速人の隣に立っていた。

 先ほど反対側の砲口にいた理由は速人が補修した床板を見ていたようである。

 つくづく油断ならぬ老人だ。

 

 速人はスウェンスに対する警戒レベルを一つ上げた。


 スウェンスは速人の頭上にある壁の状態を見ながら満足げに頷いている。

 その箇所は老朽化した壁を壊してから骨組みを入れて作り直した部分だった。


 「木を組んで骨組みを作ってからブロックで囲って、さらに何か塗っているのか。あんまり見た事がない建築様式だな。あれもお前のいた世界とやらの技術か?」


 「まあね。足りない材料が多かったからハンスさんに頼んで色々と用意してもらったから、どちらかといえばナインスリーブスの技術に近い感じだよ」


 スウェンスは携帯用のボードの上に指を滑らせて図面を模写している。


 「抜け目ねえお前なら当然知っているだろうが、この家はエイリークの祖父さんが独立した時に俺の親父が一人で立てた家だ。チェス(=ダルダンチェス。エイリークの祖父)のヤツは一か月くらいでゴミ屋敷にしちまったがな…」

 

 そこでため息を一つする。

 親友ダルダンチェスの話をしながらスウェンスは悲しそうに笑った。


 「…であいつ等がすげえすげえって言うから気になってわざわざ見に来てやったんだ」


 スウェンスはセイルたちの方を指さす。セイルたちはさらに恐縮しながら速人に向かって頭を下げていた。


 「ところでエイリークさんは呼ばなくていいの?」


 「まだ寝てるだろ?」


 スウェンスは玄関の周りを入念に観察していた。

 その間、速人はスウェンスと一緒にやって来たセイルたちに挨拶をする。


 しばらくすると玄関から寝巻姿のエイリークが現れて素っ頓狂な大声を上げた。


 「ぐあああああーーーッ‼速人、てめえッ‼俺様の神聖なる屋敷の平均年齢上げやがって‼」

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