第百八十九話 落涙
すごい遅れましたすいません。次回は十二月二十一日くらいになると思います。
速人は急いでセイルの家に向かった。
セイルの家族は普段からスウェンスの家に出入りしているのでスウェンスから警戒されずにお茶会の準備をするにはうってつけの隠れ家だった。
家の中ではセイルの妻と近くに住んでいるベンツェルたちが椅子やテーブルの準備をしてくれていた。
速人は彼らに挨拶と協力のお礼をしながらお茶会の準備を本格的に進める。
如何にも”不慣れな人間の急ごしらえのお茶会”という演出こそが今回のお茶会では肝要だったのだ。
(こういうのエイリークさんは嫌いだろうな…)
速人は出来るだけ古びたテーブルクロスを選びながら考えていた。
「おう。速人殿、首尾はどうでしたか?」
速人はスウェンスの家の方に向かって親指を立てる。
それは万事上手く行っているという合図だった。
セイルの家で待っていた老人たちはエイリークたちがスウェンスの家を訪ねた事を喜んでいた。
彼らは戦争が長期化した原因が自分たちにあると考え、エイリークとスウェンスが疎遠になってしまった事では何も言えずにいたのである。
特にセイルとベンツェルはエイリークの祖父と父とは仲が良かった為に尚更責任を感じていたのかもしれない。
これからどう転ぶかわからにというのに涙混じりに昔話をしている。
速人としてはお茶会の準備を手伝ってほしかったのだが道具だけではなく場所まで提供してもらっているので一人で作業を進めることにした。
「おい、親父。外のアレは一体どういう事なんだ。俺は何も聞いていないぞ‼」
そこに憤慨したセイルの息子ロアンが現れる。
服装からして朝の散歩からの帰りらしく白いシャツとベージュの長ズボンだった。
首までボタンをしていない事から仕事に行く前である事を察する。
ロアンはセイルの息子らしく身なりにはエイリークとは別の意味で気を使う生真面目な男である。
(この実直さの万文の一でもエイリークさんにあれば…)
速人は叶わぬ望みを思いついては内心で嘆息した。
ロアンに遅れてブランジェルの息子トラッドとベンツェルの息子レイもやって来た。
どちらも現役の第十六都市の軍人であり、レイはベンツェルの後継者として多くの部下に慕われていた。実物に出会うまでは速人も噂通りの人間だと思っていた。
「待てよ、ロアン。朝からそんなに大きな声を出したら腹が減っちまうじゃねえか。そしたら飯が食いたくなって俺はまた太っちまうよ。落ち着けって、なあ?」
…始終こういう感じである。
以前レクサからレナードの代になってから防衛軍の人間は全体的にスローペースな人間が増えたと聞いていた仮にも軍属の人間がだらけていて良い物かと速人は考える。
だが天の采配は確かに存在し、やる気ゼロのレイの傍らには精気あふれるロアンがいた。
まずロアンは愛想笑いを浮かべるレイをギロリと睨んで黙らせる。
ロアンが怪我が原因で防衛軍を辞める前は、彼に何かと世話になっていた為にレイは強く出る事が出来ない。
レイはそのままベンツェルの後ろに隠れようとしたが逆にベンツェルに殴られていた。
速人は似たような光景をレナードの家でレクサとジムの兄妹が喧嘩をしていた時に見た覚えがあった。
やはりレナードのスローペースな性格は部下に浸透しているのだ。
「お前が太ろうが痩せようがどうでもいい。それで親父、エイリークたちが親方の家の前に集まっているようだが何か知らないか?」
ロアンに凄まれたセイルは助けを求めるように速人の方を見た。
戦場において相棒ベンツェルと共に千の敵を討ち果たしたという伝説を持つセイルも大恩人と瓜二つの容姿を持つ息子には強く出られない。
速人がコルキスから聞いた話ではセイルの妻の父親の活躍によって若き日のセイルとベンツェルは命を救われたらしい。
そしてロアンはその経緯を両親や知人から知らされてはいない。
セイルの家庭事情を知る速人はセイルに変わって事情を説明することにした。
ロアンは生まれつきの強面なので若い頃から年下に怖がられる事が多く息子のローレンが赤ん坊の時に泣かれたせいで子供の前では遠慮しがちになるのだ。
速人はわざとらしく咳払いをして背伸びをしている子供を装う。
ロアンは前にローレンの前で大声を出して妻と母親に怒られた事を思い出し、急に弱気になる。
「オッホン。ロアンさん、実はね、今日はエイリークさんたちがスウェンスさんの為にお茶会を開こうと言って集まっているんだ。それでセイルさんたちはエイリークさんたちがスウェンスさんを誘いに行っている間にテーブルを出したり、お菓子とお茶の用意しようとしているんだよ」
「お茶会…。そういえば前にダグザ坊ちゃんが帰ってきた時にそんな話をしていたような…。しかしな、名前は速人だったか?子供のお前は知らないだろうが、最初に「お茶会はしばらく休もう」と言ったのは親方なんだぞ。エイリークたちの気持ちもわからんではないがありがた迷惑って事もあるだろうに…」
ロアンの”スウェンスがお茶会の中止を求めてきた”という初見の情報を聞いた速人は思わず首を傾げてしまう。
速人の予想では自然消滅したものとばかり捉えていた。
速人が頭の中で情報を整理しているとセイルが突然、右手を上げた。
よほどの事情があったのか豪放磊落な気質のセイルらしからぬ曇った表情となっている。
「ううう…。速人殿、本当にすまんっ!実はメリッサ奥様が亡くなってから内輪だけで何回かお茶会を開いていたのだが、その度に奥様の事を思い出したウチの家内と息子の嫁が泣き出してしまってな。お優しい親方は”誰かが悲しむお茶会など開かない方が良い”と言ってそれから止めてしまったのだ。面目ない…」
速人はセイルの思いがけない告白に黙ってしまう。
(俺も予想していなかったわけじゃなかったがそういう事情があるなら先に言ってくれよ…。やはりスウェンスさんはダグザさんのお祖父さんなんだな。自分よりも他人の心情を優先してしまう…。場が湿っぽくなる前に準備を進めてしまおう)
速人は最近はため息が多くなったなと内心自重しながらセイルを慰めようと笑いかける。
しかしセイルの嘆きは次々と老人たちに伝染していつの間にか家の中全体が湿っぽくなってしまった。
この気まずい状況が速人が原因であると考えたブランジェルの息子トラッドは憤りを隠さずに速人の前までやって来る。
そして人差し指をつきつけると同時に速人を糾弾した。
「さっきから聞いていれば部外者が好き勝手言いやがって‼大体、お前みたいな子供に何がわかるってんだ‼俺たちだって好きで親方の事を放っておいたわけじゃないんだ‼お前が生まれる前からあの戦争でいなくなっちまった人たちの事を思い出しては悲しんで、苦しんでるんだよ‼それを傷口に塩を塗るような真似をしやがって、ガキは引っ込んでろよ‼」
おいおい、やっちまったよ…。トラッドの予想を裏切らない見当違いな発言に全員が落胆する。
大見得を切ったトラッド本人は自分の意見が支持される物と信じ込んで周囲を見るが誰もが皆”頭が痛い”という感じの顔になっていた。
幼いころからトラッドの失態をフォローしてきたロアンとレイはトラッドの肩に手を置いて”落ち着け、暴れ牛”と声をかける。
この時初めてトラッドは自分の発言が場違いな物である事を知った。
そして最後に速人が愚者に止めを入れる。
「関係者のアンタより分かってるつもりだよ、トラッドさん。一応説明しておくけど今回のお茶会はスウェンスさんの為だけじゃなくてエイリークさんたちと親方の為に開くんだからね?…ていうかさコッチは予定が詰っかえているから黙っていてくれないかな」
速人は蠅や蚊を追い払うように手を動かした。
次の瞬間、トラッドは顔を真っ赤にして吠えたてる。負け犬の遠吠えだった。
「がああああああッ‼このガキッ‼エイリークの兄貴から聞いていたけどやっぱムカつくぜ‼ぶん殴ってやるからそこでおとなしくしてろ」
トラッドは袖を捲って筋肉に覆われた太い腕を露わにする。
本人は脅しのつもりだろうがエイリークに比べれば見劣りする物だったので、速人は動じない。
エイリーク > トラッド = 速人より弱い、という数式が直ちに成立した。
トラッドは拳に息を吹きかけて”これから痛い拳骨を落としてやる”というジェスチャーをするが速人は動じる様子はない。
鋼よりも固い頭蓋骨を持つ速人からすればトラッドの拳など綿菓子にしか見えなかった。
トラッドは目を血走らせ速人の頭に向かって拳骨を落とした…、否途中で背後に回っていたコルキスに腕を掴まれている。
「叔父上、何をするんですか。俺はタダこの生意気な糞餓鬼に世間の厳しさを…、ぐえッ⁉」
トラッドは腕を取られた後、間髪入れずにブランジェルに横面を張り飛ばされた。
ブランジェルとトラッドでは身長は息子の方が高かったが、力の勝負は父親に軍配が上がる。
「もうしわけありません。義兄上、速人殿。愚息は後で教育しておきますのでこの場は何卒ご容赦ください」
ブランジェルはその場で屈んでから頭を下げる。
かつて戦場で負った怪我のせいかブランジェルの姿勢は心もとない。
コルキスは義弟の体を心配して怒りを収める。ブランジェルが現役だった頃、無理をし過ぎたのが原因で大怪我をしてしまった事をコルキスは自分の責任だと考えていた。
一方コルキスの雷喝を免れたトラッドはロアンの背後という安全地帯に身を隠す。
(醜いな…。肝心の跡継ぎがアレではブランジェルさんが可愛そうだ)
速人の中では既にトラッドの位階は最底辺にまで転落していた。
路上に転がるゴミには目もくれず速人は屋内に運び込まれていた椅子を幾つか持って外に移動した。
セイルの家は普段から隅々の渡って管理されているので屋内に塵一つでも持ち込むような真似はしたくない。
速人は外庭に会場の絵図を描きながら次々と人数分の椅子やテーブルを運び出す。
数分後、呆気に取られていたセイルたちは遅れて速人と一緒に大きなテーブルなどを運び出していた。
最初から他人の助けなど期待していない速人だったがセイルたちの要領の良さには素直に感心する。
彼らは七十歳前後の老人とは思えぬスピードで動き、数十分後にはお茶会の会場が出来上がっていた。
次に速人は大型のヤカンでお湯を沸かしてお茶の準備をする。
セイルたちは女性陣から食器の扱い方を厳しく指導されながらテーブルにティーカップや皿を並べていた。
速人は彼らの働きぶりを絶賛するが逆に未だに何もせずに口を開けたまま立っているロアンたちに蔑みの目を向けた。
(やれやれ。でかいの図体と態度だけかよ)
速人はエイリークの家から持ってきた大きなバックからケーキの入った箱を取り出す。
そしてケーキナイフを使って人数分に切り分けた。
「なあ親父、俺も何か手伝うか?」
しばらくして居心地の悪さに気がついたロアンが会場の準備を手伝おうと申し出る。
しかしセイルは首を大きく横に振る。
「無えよ。頼むからおとなしくしてくれよ、ロアン」
ロアンは細かい作業が苦手であり、下手をすれば会場を破壊しかねないほど不器用な男だった。
そして、セイル自身もロアンに文句を言えるほど手先が器用ではない。
会場設置の手伝いを断念したロアンは次に母親のところに行ったがここでも門前払いを食らってしまう。
行く先々で同じような目にあったロアンは最後に速人のところにやって来た。
「速人。俺にもお茶を淹れるのを手伝わせてくれないか?」
ロアンは行く先々で拒絶されたせいか少し瘦せていた。
仕事の鬼として知られる速人だったがロアンの衰弱ぶりに心を動かされる。
そこで予備の飲料水を確保する為に井戸から貯水槽に水を汲んできてもらう事にした。
ロアンは見ている側が気の毒になるほど明るい笑顔で雑用を引き受けて、幼なじみのレイと弟分のトラッドを連れて井戸に向かった。
速人はロアンたちに頭を下げると黙々とケーキの切り分け作業に没頭した。
「さてケーキとお菓子の準備が終わったな…。ダグザさんはまだかな」
それからさらに数十分後、速人は切り分けたケーキを大皿に乗せてテントの中にあるテーブルの上に置く。
一足先に仕事を終えたセイルたちには家の中で休んでもらっていた。
速人は一向に姿を現さないエイリークたちの事が気になって一度スウェンスの家まで戻ろうと思ったがその矢先にダグザとレクサと鉢合わせとなる。
「速人、こちらの準備は終わったぞ。そろそろお祖父さまとエイリークたちがここにやって来る。お前の方は…、聞くまでも無かったな」
ダグザはわずかな間に作られたお茶会の会場を見ながら複雑な心境となる。
おそらくはダグザの両親に色々と聞いたのだろうが、見事なまでにあの頃のお茶会の会場そのものを速人は上手く再現していたのだ。
速人はお菓子とケーキが用意されているテントまでダグザとレクサを案内する。
レクサはテーブルの上に置かれた焼き菓子とケーキを見て思わず感激の声を上げた。
基本的にエイリークと親しい間柄の人間には甘党が多い。
レクサは少女のように(※35歳、一児の母)目を輝かせては焼き菓子をつまんでいる。
「すごいわ、速人‼いつの間にケーキとクッキーを焼いていたの⁉…ていうか流石の私でもこれを全部食べるのは難しいと思うわよ?」
(一人で全部食べるなよ…)
速人は瞬時にレクサをお菓子の皿から引き離すようにダグザへと目配せをした。
ダグザは愛妻に頬を引っ張られながらも何とか作戦を成功させる。
結果レクサは不機嫌になってしまったが肝心のお茶会が始まる前にお菓子が無くなるという事態を回避したという点は喜ぶべきだろう。
速人は皿に予備のお菓子を補充しながらスウェンスとエイリークたちの動向について尋ねる。
遠くからスウェンスとエイリークたちの声が聞こえているので到着まで大した時間を必要としないだろうがエイリークの性格を考えれば細かい変化にも留意しなければならない。
「ところでダグザさん、あれから時間が経ったけどエイリークさんとスウェンスさんは喧嘩とかしてない?」
情けない話だが二人が些細な事がきっかけで大喧嘩をする可能性は十分にあった。
何か心当たりがあったらしくダグザは冷や汗を垂らしながら速人が抜けている間の出来事を説明する。
「ああ。…何も無かったというわけではないがお祖父さまがエイリークに髪を切れと言った時に軽く触れあった程度だ。あの二人にとっては挨拶のようなものだから気にする必要はない(と思う)」
速人はダグザの話を最後まで聞いた後、1トンの重石を背負った気分になっていた。
人間関係において正解という答えは無いのかもしれないが、それでも現場に残るべきだったと速人は後悔をしながら額を手で覆う。
速人が極度に落ち込んでいると水汲みの仕事を終えたロアンたちがやって来た。
ロアンとレイに遅れて到着したトラッドはテントの中にいたダグザとレクサの姿を見るとロアンの背後に隠れてしまう。
「速人、水汲みの方は終わったぞ。足りなくなったらいつでも言ってくれ」
ロアンは朗らかに笑いながら貯水槽の方に親指を向ける。
二、三日は飲み水に困らないほどの水が入っていた。
ダグザとレクサは引きつった笑顔を見せていたが速人はロアンの実直さに好印象を抱く。
「ありがとう、ロアンさん。良かったらロアンさんたちもお茶会に寄って行っていかない?手伝ってくれたお礼にお菓子と食べてよ。今日はエイリークさんのお友達がみんなで来るからお菓子もいっぱい用意しておいたんだ!」
「そうだな。それではお言葉に甘えて俺も久しぶりにお茶会に参加させてもらうよ。ダグザ坊ちゃん、俺たちも参加していいですか?」
「こちらとしては大歓迎だ。ロアン、レイ、トラッド。特にロアンがいればエイリークもこれ以上は暴走しないだろう」
ダグザは明るい表情で頷いた後、同意を求めようとレクサを見る。
レクサはロアンたちを見ると眉間に皺を寄せながら難癖をつけてきた。
「ええーッ‼何でロアンたちが来るのよ‼これじゃあ楽しいお茶会が説教大会になっちゃうじゃない…。自重しなさいよ」
レクサの非難を浴びたロアンの顔にいつもの険しさが戻っている。
速人は即座に両者を人間可燃物と認定して引き離すことにした。
そしてレイがロアンを、ダグザがレクサを抑えているところにタイミングよくマルグリットとケイティが尋ねてきた。
テントの外、即ちセイルの家の前には既にスウェンスと隊商”高原の羊たち”のメンバーが集まっていた。
集団の先頭ではエイリークがスウェンスにヘッドロックを食らっていたが速人は見なかったことにした。
「速人、ダグ兄、レクサ。椅子とテーブル用意してあるみたいだけど、アタシたち先に座っちゃってもいいの?」
マルグリットは久々にスウェンスの元気な姿を見た為、いつも以上に嬉しそうな顔をしていた。
ケイティもまた後ろでエリオットと話をしているソリトンたちの姿を見ては微笑んでいた。
だが対象的にダグザはレクサに引っかかれて顔に爪痕が出来ていた。
無残な顔になってしまったダグザを見たロアンが怒りだす。
負のスパイラルはどこまでも止まらない。
「アレクサンドラ、このじゃじゃ馬め‼お前が乱暴だからレナードさんやジムが苦労をするんだ‼坊ちゃんに謝れ、馬鹿者‼」
ガスッ‼
ロアンが怒声を上げた瞬間にレクサの左ストレートが顔面に入った。
ロアンは鼻血を垂らしながら後ろにいたレイに背中を預ける。
速人は”ダウンだ、ダウン。次やったら失格だぞ”と意味不明なセリフを言ってから引き下がらせた。
その後、レクサはマルグリットとケイティに両サイドから拘束されて騒動は落ち着いた。
ケイティはロアンの無事を確認すると速人にお茶会の進行具合について尋ねる。
「速人君、今日のお茶会の準備を一人で任せてしまったけど本当に大丈夫?」
仮に人手が足りなければ自分たちが手伝うというケイティの配慮を速人は好ましく思う。
途中レクサが拘束を嫌って何度か暴れたがケイティのベック直伝の関節技が功を奏し脱出には至らない。
「お茶会の準備は終わったような物だから、みんなを席に案内して待っててもらってよ、ケイティさん。俺はお茶を用意するからさ」
速人はテーブルの上に置いてある大きなティーポットを指さす。
ケイティは数種類のクッキーが入った皿を持ってテーブルに移動する。
マルグリットも気絶したレクサをダグザに預けるとケイティの手伝いに向かう。
速人はテーブルの上に乗ったたくさんのティーカップにハーブティーを注いだ。
やがてエイリークとスウェンスが会場に姿を現して、お茶会の主賓席に腰を下ろす。
二人は着席するなりハーブティーが入ったティーカップを取ると一気に飲んでしまった。
激しい運動の後(暴力)で喉が渇いたという事だろう。
エリオットとセオドアは二人がまた喧嘩にならないように注意しながら見ている。
エリオットの妻ジェナとハンスの妻モーガンと他の女性陣は次々とケイティとマルグリットの手伝いに向かった。
より正確に言うならばエイリークとスウェンス、そしてエリオットとセオドアが先に着席しているという状態である。
何となく居心地の悪さを覚えたエリオットとセオドアは自分たちも手伝いに行くと言ったがエイリークによって止められる。
「あのなテオ、エリオ。お前らはある意味今日のお茶会の主役みたいなモンだからじっとしていろよ。爺ちゃんもだぜ?」
エイリークの話を聞いていたソリトンとハンスが微笑みながらセオドアたちに手を振っていた。
彼らにしてみれば今は自分よりもスウェンス、エリオット、セオドアとの再会の時を楽しむ方が重要だという事だろう。
セオドアは彼らが今でも自分を友人だと思っている事が何よりも嬉しかった。
エリオットはベックと一緒に会場の準備に参加しているマティスを羨ましそうに見ている。
「いやエイリーク、今日の主役ってのは爺ちゃんだろうがよ。俺とエリオと義父さんは爺ちゃんの見舞いに来たんだし」
「俺もテオの意見に同感だ。メリッサはお茶会の時はダールにも手伝わせていたからな。ホラ、向こうで速人がお茶を注いでいるから手伝ってくるよ」
エリオットは椅子から立って速人の方に向かった。
ウザがられるから止めておけ、と三人は心の中で呟く。
そして予定調和的にエリオットは速人に連れられて元の場所に戻ってきた。
速人の表情が芳しくない事から食器を破壊してしまったらしい。
「双載棍」という漢字が書かれたエプロンにもハーブティーが染み込んだ痕跡がある。
エリオットは弁明しようとしたが逆に問答無用に着席させられた。
速人がティーポットにお茶を補充する為に戻ろうとするとスウェンスが声をかける。
「よう、速人。この前出した宿題の採点をしてやるからさっさと”物”を持ってきな」
スウェンスは片目を瞑りながら人差し指を立てる。
速人は無言で首を縦に振るとテントまで戻り、長方形に切られたケーキを人数分持ってきた。
ケーキの表面は茶色というより黒に近い焦げ茶だった。
表面から漂ってくる匂いもレモンの爽やかな香りは消え失せ、代わりに焼いたリンゴとジンジャーとバターが混ぜ合わさった独特のカラメルの匂いがスウェンスの鼻腔をくすぐる。
スウェンスの瞳から大粒の涙がこぼれ落ちた。エイリークたちは何も言わずにスウェンスが手づかみでケーキを食べている姿を見入っている。
そうあの時もスウェンスはケーキを手でつまんではメリッサに怒られていたのだ。
「今回はなかなか苦労させられましたよ、ムッシュ。まさかレシピを教わった側の方が教師役よりも優秀だったとは思いませんでしたからね」
スウェンスは口の中で懐かしいケーキを味わいながら何度も首を縦に振る。
メリッサがセイルの妻やダールの妻エリーに教えたケーキのレシピはそもそもが間違いだった。
メリッサの優秀な教え子たちは改良してしまった為にオリジナルとは別の物になったのである。
苦くて、塩味が混ざったお世辞にも出来が良いとは言えないアップルジンジャーのパウンドケーキ。
それこそがスウェンスが待ち焦がれた味だった。
スウェンスはケーキを飲み込んだ後、顔を手で覆いながら速人に礼を言う。
「完敗だぜ、坊主。今日のところは俺の負けだ。よくもまあうちの婆の味を再現しやがったな…。もう二度と食えねえと思ってたのによ」
スウェンスはテーブルに突っ伏して泣いた。
今こそ本当に妻の死を受け止めたような気がする。
号泣するスウェンスのもとにエイリークたちが集まり、必死に彼を慰めようとする。
(愛する者を失い、その事実を受け入れられなかったのはスウェンスさんだけじゃない。みんな同じだったって事だな。やれやれ手間のかかる大人どもだぜ…)
速人は周囲に気を利かせてテントに戻って行った。
 




