第百八十七話 泣くな、爺。
次回は十二月四日くらいに投稿したいと考えている。遅くなってすまん。拙者は武士ゆえに…。
次の日。
速人はエイリークたち”高原の羊たち”のメンバーと共にレプラコーン区画へと通じる道を歩いていた。
エイリークは朝早くに起こされてダルそうにしていたが他のメンバーは普段と同じく機敏な歩調で速人について来ている。
列の先頭で今朝何度目かの大きな欠伸をしたエイリークがマルグリットに窘められていた。
エイリークの妻マルグリットは夫同様に享楽的な性格に見られがちだが任務は信念をもって着実に遂行する生真面目な性分である。
そしてエイリークは常にマルグリットにとって一番の存在でありたいが為に自ら頬を打って脳を蝕む眠気を追い出していた。
速人は周囲の様子を警戒しながら、まずレプラコーン区画と他の区域を隔てる門の前まで先行してこちらの事情を説明する事にした。
エイリークは彼らを身内同然と考えているが、それはあくまで十年以上前の話である。
現在は引退した兵士に代わって別の世代の人間が配備しているので一応の説明は必要だと思われた。
速人はダグザと一緒に第十六都市の警備隊から配属された兵士たちに通行許可を得るべく交渉を始めた。
今回はダグザの顔見知りが多かったので交渉は恙なく成立する。
ダグザは新旧の兵士たちに謝礼と挨拶を済ませてエイリークたちを門の外に連れ出す。
実質、英雄という立場と都市の古くから存在する支配者階級の関係は思った以上に複雑だった。
ダグザは額の汗を拭いながら面通しを提案した速人に礼を言った。
今回に限っての話だがダグザとて数年でこうまで警備する側の人間が入れ替わっていたとは思っていなかったのだ。
殊更に考えたくはないのだが、マルグリットら”融合種族”への”角小人族”の偏見はいまだに根強い。
ダグザは旧態依然の因習めいた種族差別に辟易しながらため息をつく。
同胞と家族同然の友人との認識の差異に悩み続けたのは今さらながら自分だけではないのだと再確認させられたのだから。
「やれやれ思った以上にてまどってしまったな。お前の意見を聞いていなければもっと厄介な話になっていたかもしれん。皆を代表して礼を言わせてもらうよ。ありがとう、速人」
ダグザはハンカチで額の汗を拭ってから後方の事務所を見る。
以前はこうでは無かった。
気心の知れた知人友人が出入りしていた場所にいつの間にか他人が入り込んで占拠されてしまったような気になってしまう。
しかし速人はそんなダグザの動揺を見抜いて背中を叩く。
「ダグザさん。見知った場所に知らない人がたくさんいていい気分はしないだろうけどさ。これからはそういうのもまとめて見直して行く必要があるんじゃないかな?」
速人は先ほど事務所の中でダグザが”新人”から挨拶をされている場面を見ながら、彼が違和感を覚えていた事に気がつく。
しかし、ダグザにはこの十年の間エイリークたちと一緒にしなければならない仕事がありレプラコーン区画の方まで気が回らなかったのでどうする事も出来なかったのだ。
ダグザという人間は外見同様に繊細で、常に”公明正大であれ”という家訓を大事にして特権階級の人間として扱われる事を特に嫌っていた。
(でも相手の方も別に下心があって遜ったわけじゃないんだけどね)
速人はダグザ無暗やたらと持ち上げようとして睨まれた警備隊の新人の事を思い出してほくそ笑む。
「なるほど、確かにお前の言う通りだがな…、その厭らしい笑い方は止めろ。どうせ私を人生経験の足らないヤツだと心の中で笑っているのだろう?」
その直後、ダグザと速人の間で沈黙が流れる。
速人は両手を投げ出して”さて何の事やら?”と誤魔化すジェスチャーをするとエイリークのもとに向かった。
「おい速人野郎、お前またダグを虐めていただろうが⁉」
エイリークは背後から速人の首を絞めて持ち上げた。
周囲の人間もダグザと速人の間に流れる険悪な空気に気がついていた為に詳しい事情を聞こうと集まって来る。
速人はエイリークの太い腕で吊るされた状態で笑っていた。
「えふっ、えふっ。どうって事ないよ、いつもの話さ。さっき区画の事務所に挨拶に行ったら新人と別の部署から来た役人がダグザさんにやたらと媚びを売ってソリトンさんたちの悪口を言ったら、ダグザさん凄く怒っちゃってさ。この先はそういう事が今まで以上に増えるから気にするなって言ってやったんだよ…。ごふっ」
速人は顔を赤くしながら話の要点だけをエイリークたちに伝える。
若い頃からダグザはマルグリットやソリトンたちが出自が原因で風評被害を受ける事に憤慨していた。
現場の融合種族を代表してソリトンが素直な感想を述べる。
自分たちとの関係を重んじて味方になってくれるダグザ配慮は嬉しいのだが、ソリトンたちの親は掛け値なしの悪党でありまたそういった人種が他の融合種族や眷属族に迷惑をかけているのも事実である。
「ダグ兄にも困ったものだ。…俺たちの親はどう転んでもクズの悪党には違いないというのに。ガキの頃ドルマがあいつ等をその場で処刑したと聞いた時には素直に喜んだものだ。…物心つく前からあいつ等は面白半分に俺たちの仲間を殺していたからな」
ソリトンの言葉の後半には明確な殺意が込められていた。
彼同様にマルグリットら”盗賊の子供”組の面子も物騒な顔をしている。
つまるところソリトンたちが真っ当に生きる人々の為に戦う理由とは、親たちの犯した罪滅ぼしでもあったのである。
普段は陽気なマルグリットとハンスの妻モーガンの顔にも影がかかっている。
エイリーク、コレット、ベックら”第十六都市で生まれた人間”組はすぐに彼らのところに行って慰めの言葉をかけて火消しをした。
そしてエイリークの裸締めから解放された速人は着地した後、自分の額をヌンチャクで殴って活を入れる。
気がつくと額から血を流している速人に皆は恐れを抱いた。
「ここでまとめちゃうけどね。人はいつか死ぬし、そこにいた誰かがいなくなった場所に別の誰かがいるなんてのは全然珍しくないし気にするほどの事じゃない。大事なのは待つ事さ」
「俺たちは何を待つんだよ。十歳そこらのガキが偉そうな事を言いやがって‼」
そこでエイリークが皆を代表して速人を問い詰める。
ベックを含めて大人たちの視線は自然と速人の挙動に集中した。
そこで速人は部外者を装ってさも気楽そうに語った。
「スウェンスさんの気持ちが落ち着くまでさ。元通りになるまで何年かかるかは俺にもわからないけど決して無駄じゃない時間だよ。さ、スウェンスさんの家までもう少しだから頑張ろうよ」
速人は伝えるべき事を伝えた後、スウェンスの家がある方向に向かって歩き出す。
(クソが…。俺の人生の半分も生きていないくせにわかったような事を言いやがって。けどよ…)
エイリークはエリオットとセオドアとマティスの事が気になって振り返る。
三人は昔の仲間たちに囲まれて今日まで何をしていたかなどを聞かれていたが決して嫌な顔はしていない。
(悔しいが俺の力だけじゃこうは行かなかっただろうな…。サンライズヒルから引っ張り出したのも豚餓鬼の協力があったからだし)
エイリークは人間関係をまとめる力において自分は速人に劣るという事実を認めざるを得なかった。
実際に再会したエリオットたちの前ではメリッサの死を隠そうとしたのである。
速人があの場で事実を告げなければテレジアはエリオットとジェナの娘夫婦がサンライズヒルの町を出る事を許可しなかっただろう。
テレジアは厳しい(※偶に自分にだけ甘い)が義理堅く面倒見の良い性格だという事は周知の事実である。
エイリークは己の無力を悟って表情を曇らせる。
速人は心配して様子を見に行こうとしたが、夫の異変に気がついたマルグリットが彼の側に行って色々と話を聞いていた。
これも適材適所というものだろう。
速人が二人の姿を見ながら一人で得心していると後ろからソリトンとケイティがやって来た。
ソリトンは自分の生みの親たちの話をしていた時の物騒な雰囲気は失せて普段の冷静さを取り戻していた。
一方、ケイティの方はソリトンの説得に苦労させられたらしく少し疲れているようにも見えた。
意外にもそのケイティの方から速人に今日のお茶会に出席する人間について尋ねる。
「ねえ、速人君。今日のお茶会にはうちの子供たちを参加させなくても良かったの?アムが生まれた時にはお爺ちゃんお婆ちゃんはお祝いに来てくれたのよ」
ケイティの話を聞いてソリトンが納得した様子で頷いている。
速人もその話は以前にベックとソリトンから聞かされていた。
ケイティとしては引き合わせる人数を多くした分だけスウェンスが喜んでくれると思っているのだろうが事態はそれほど単純ではない。
如何に大きな器量を備えたスウェンスとて心の準備というものは必要なのだ。
速人は首を横に振りながら、今日のお茶会に参加するメンバーがエイリークの世代に限定したかを説明する(※ベックとマティスは例外)。
「ケイティさん、今回は”本番”の予行演習みたいなものだからエイリークさんと同性代の人に限定したんだよ。スウェンスさんだって好きでみんなと距離を置いていたわけじゃないし、誰とも会わないようにしていた事にも責任を感じていると思うんだ。だから一度に大勢で尋ねるよりも少しずつ慣れてもらった方が俺は良いと思うよ」
「…速人、少しずつと言っているが俺たちの世代を揃えると結構な人数になると思うぞ?」
ソリトンは速人の肩を指で突いた後、後方に広がる長蛇の列を指さす。
ざっと五十人くらいはいた。
実際”高原の羊たち”のメンバーからスウェンスの家で開かれていたお茶会に参加した事がある人間の中から厳選したわけだが、それでも五十人くらいになっていた。
速人はお茶会が開かれていた当時の子供だらけになっている場面を想像して苦笑する。
ソリトン夫妻も同様に当時の風景を思い出して笑っていた。
元はスウェンスの家の中で行われていた慎ましい行事だったが、そこにエイリークたちが加わる事によりお祭り騒ぎになってしまったらしい。
「ところで速人、さっき”本番”と言っていたがそれはどういう意味なんだ?」
「そうだな。これは俺の勝手な思い込みかもしれいないんだけどさ、スウェンスさんが一番最初に謝りたいのはダールさんじゃないかと思うんだ。言い方は悪いけどスウェンスさんは表舞台から引っ込んで全部ダールさんに押しつけちゃったわけだし。だからと言ってダールさんと二人だけで話をさせたらお互いに謝ってそれで終わっちゃう可能性の方が高いからね」
ソリトンとケイティは頭の中にダールとスウェンスが交互に頭を下げている姿を想像してしまう。
二人とも大人の風格を備えた傑物には違いないが頑固な性格の持ち主だった。
そしてダールは常に父であるスウェンスを尊敬しており、スウェンスはダールを優秀な後継者としてお互いに一歩下がった状態で接していたのも事実である。
二人は考えた末、速人の”一度ダールとスウェンスは親子としてこの十年を語り合った方が良い”という意見に賛成した。
「お前の言う通りだ、速人。あの二人はいつも俺たちの前では他人のように接している方が多かったような気がする。親のいない俺たちに気を使ってくれるのは嬉しい事だが、やはり俺はスウェンとダールにも幸せになって欲しいと思う」
「私もソルと同じ意見よ。私には両親がいるけれど、子供の頃からお世話になっているダールさんとお爺ちゃんには仲良くしてもらいたいわ」
速人は二人に向かって無言で頷きスウェンスの家が見える地点まで進む。
道中レプラコーン区画の人々が何事かと見に来ていたが集団の内部にエイリークとダグザの姿を見ると”いつもの事か”と帰ってしまった。
流石にここまで来るとエイリークたちを覚えていない人間はいないという事だろう。
速人はエイリークが空腹に耐えられなくなって暴走しないよう定期的に食料を与えに行っていた。
そして”高原の羊たち”の一行は周囲の風景が新しい建物から古い建物に代わり小さな畑と庭園を挟んで家屋が点在する場所まで問題なく移動した。
速人はそこに至るまでの道のりで大きなリュック一つ分の食料をエイリークとマルグリットに食べられてしまった。
エイリークとマルグリットの浪費癖は今に始まった事ではないが食費も家計を圧迫する要因となっている。
この時、速人の脳内では如何にして次の給料日まで食つないで行くかという問題が首をもたげていた。
速人が次なる難題で頭を悩ませていた頃、スウェンスは家のソファで横になっていた。
前日に隣家のセイルとベンツェルらと細やかな酒宴を終えた後、帰宅してからも一人で明け方まで飲んでいたのである。
スウェンスは苦にならない程度の頭痛に耐えながら身を起こして窓の方を見る。
虫の知らせというものだろうか、外がわずかに騒がしい気配を感じる。
スウェンスは足元に注意しながらベランダ側の窓まで歩いて行き、カーテンを引っ張り覗き窓を作る。
こうまでして隠れる理由は後日談に近い物となるが稀に様子を見に来るダールへの配慮である。
エイリークたちは知らないがダールは母親が死んでからもスウェンスに会いに来ていたのだ。
(やれやれダールの野郎、今日は来ないような事を言っていたんだがな…。議会の方でまた何か面倒な事でも起きたのか?)
スウェンスはダールによって議会内部における派閥の衝突について相談を受けていた。
各自治都市におけるギガント巨人族を中心といた巨人族派の専横は今に始まった事ではないが近年は商業圏の拡大によって勢力を盛り返してきた他の眷属種族と競争が目立つようになっている。
古参の眷属種たる角小人族としては新旧勢力の衝突には無縁でありたいところだが、ギガント巨人族が私兵を使って他の勢力を妨害するような事態に発展すれば穏健派のダールも重い腰を上げる必要が生じる。
そしてダールの台頭は巨人族派を警戒させて、未だに帝国を敵視する反帝国派の議員たちの野心を刺激する結果となる事も十分に考えられた。
事実、スウェンスが暫定的に市議会の議長(※市長と議長は別)に就任した時に彼を持ち上げて反帝国の旗印にしようとする動きもあったのだ。
スウェンスは当時のきな臭い熱気を思い出し、複雑な心境になりながら外の景色を見た。
(やれやれ。そもそもルギオンの一族は肥大化して世界そのものに成り代わろうとする帝国に嫌気がさして出て行ったんだ。今さら戻るなんて御免だね)
ガンッ‼
目の前に広がる信じがたい光景を見て驚き、ガラスに顔をぶつけてしまった。
二日酔いの頭痛に別種の頭痛が加わった。
「やられたぜ、ど畜生が…。あの変な顔のガキまさかここまで手が早いとは思わなかったぜ。いや俺も年齢を食ったって事か」
スウェンスは窓にぶつけて赤くなった部分を撫でる。
同時に痛みが続いている事からこれが夢ではない事を思い知らされた。
窓の外には速人を先頭に隊商”高原の羊たち”のメンバーがスウェンスの家に向かって歩いている。
スウェンスはこの時、前日にセイルたちに近いうちにエイリークたちがここに来るかもしれないと話しておいた事が思い出す。
運命の皮肉というものを実感して自虐的に笑った。
その後、スウェンスは洗面台に行って身なりを整える。
鏡に映ったスウェンスは白髪が増え、身体は弛んでしまっていた。そしてため息を一つ。
(ダグには前に会っているから今の俺の事は知っているだろうが、エイリークたちにはさぞ失望されちまうだろうな…)
喧騒が近づく。
もう聞くことが無いと思っていた子供たちの声が聞こえる。
前はメリッサが迎えに出てくれたのだが、今は家にはスウェンスしかいない。
スウェンスは鏡の奥にいる情けない顔をした老人に別れを告げてから玄関に向かった。
「おーい!爺ちゃん、生きているか!俺だよ、俺!エイリークだ!」
エイリークはスウェンスの家に到着すると扉をガンガン叩いた。
(いつ死んでもおかしくない年齢の人間を相手に”生きているか”はねえだろ、馬鹿野郎。一体アイツはどんな教育を受けていやがるんだ)
スウェンスはそこまで考えてから思考停止した後に自己嫌悪に陥る。
早くに親を亡くしたエイリークたちを育てたのは他でもないスウェンスだった。
スウェンスは大きな足音を立てながら扉の前に立った。
それからドアノブを掴み、扉を開ける。
「そんなにでかい声を出さなくてもしっかり聞こえてるぜ、エイリーク。体の方はガタがきちまっているけど、耳と声には自信があるんだ。で、今日は一体何の用だ…」
スウェンスは昔のように挨拶をしたつもりだったがそこで言葉を止めてしまう。
それは彼らしからぬ失策だった。
彼らの前に姿を現さなくなって十年以上の月日が流れていたのだ。
再会の感動で涙が出ないはずがない。
スウェンスは心ならずも涙を流していた。
意図して自分から切ってしまった絆は失われず残っていたのである。
扉の外にいたエイリークは、マルグリットは生き別れの家族と再会した時のように大粒の涙を流していた。




