プロローグ 21 ヌンチャクの涙
次回は9月20日に投稿するつもりヌン!
大喰らいとの壮絶なバトルに決着がつくから期待して待っていて欲しいチャク!
大喰らいは前面に体重をかける。
自分の爪が思うように動かせない。
出来たばかりの浅瀬という極めて不安定な足場。そして大喰らいは二本の脚で立って行動すること自体を不得意とする生物なのだ。
さらに視覚と聴覚を一つずつ奪われている。相手との十分な距離感を掴むことさえ出来ない。
速人はいち早くヌンチャクを外すと、大喰らいの腕に短刀を突き刺した。
バックステップで距離を取りながら、火打石で火の粉を散らす。速人は短刀の柄に着火するのとほぼ同時に後ろに飛び退く。
一瞬にして煙が立ち上り、大喰らいの腕の一部が爆ぜ散った。腕部の外殻にひびが入り、どす黒い血が噴出する。
「そういうわけで俺のターンだ!」
爆薬ナイフによる奇襲は思った以上の効果を出すことは出来なかったが、敵の外殻が破壊可能であることを実証してくれた。
この機を逃すわけにはいかない。
黒い血が混じった浅瀬を駆け抜ける。その間にもヌンチャクの動きに変化を加え威力を上乗せする。
大喰らいは当然のように傷ついた腕を庇いながら戦おうとした。
だが、速人は敵の動きを先読みしながら攻撃を仕掛ける。威力の高い、攻撃の前後に隙が生まれるような大技には手数にものを言わせた素早い攻撃を当てる。
その攻撃の中には必ずといっていいほど残った目や耳を狙ったものがあった。
大喰らいは半ば自動的に頭部をガードしようとするが、その行動もまた速人にとって想定内であった。
なんと、さらに背後に回り込んで傷ついた方の腕に追撃を加えて来たのだ。
最後には腕部の甲殻が剥がれ落ち、ヌンチャクの衝撃で肉が裂けた。
黒く染まった甲殻の破片が地面に続けて落ちる。
「オギョワアアアアアア!!!」
絶叫しつつも大喰らいは両手を振り回した。
これはただの暴走。恐れるに足らぬ。
爪を避けながら速人はさらに後退する。
大喰らいは速人を追いかけているうちに浅瀬から陸地に誘い出されていることに気がつき、急遽立ち止まってしまう。大喰らいは耳まで裂けた口から舌を出しながら息を吐き出した。
何度か咽ながら呼吸を続ける。そろそろ地上での活動限界なのだろう。もう少しの間、悪戦苦闘を演じるべきだったか。
速人もまた浅瀬から出ようとはしない。互いの命を奪わんとする獣と獣の視線が交差する。
わずかな沈黙を破ったのは大喰らいの方だった。
ゆっくりと速人の方に接近してきたのだ。ひどく不気味だ。
一旦、撤退するか。だが、速人の考えはすぐに変わることになる。大喰らいの視線だった。
速人を見ていない。先ほどからもう少し上の方を速人が降りてきた崖の頂上を見ているのだ。
速人も目の前に警戒を払いながら崖を見た。レミーたちと視線が合ったような気がした。
まさかレミーたちは崖の上から移動していないのか。速人は大喰らいの注意を引く為に石礫を投げつける。
研磨された石弾が魔獣の右目に突き刺さり、止まりかけていた血が再び流れ出す。
大喰らいは低い唸り声を上げながら速人を睨みつけた。
速人はそのまま追撃に移行するつもりだったが急停止した。
様子がおかしい。大喰らいはすぐに飛びかかってくるような真似をせずにしゃがんで力を溜めている。
何かを待っているのか、とかすかな違和感が確信に変わる。
鼻先に漂う幾度となく嗅いだことのある異臭。
瞬時に短刀のことを思い出した後に目を見開いた。
これは爆薬の匂いだ。
目を凝らして大喰らいの姿を見ると肩や胸が以前よりも盛り上がっていることに気がついた。さらに装甲がひび割れ、隙間から赤い光と細い煙のようなものが立ち上っていることに気がつく。
自爆する気か。
速人はその時に備え、腰を落とし両手で顔を覆った。
直後、隻眼の魔獣の上半身が爆発した。
熱を帯びた暴風を何とか凌ぐ。
特製の塗料でコーティングしてあるがヌンチャクは木製なのでこういった場合に使用することはできない。
しかし、咄嗟の防御が功を奏した為に爆発の衝撃で吹き飛ばされるようなことはなかった。
触覚をくすぐるような生暖かい気流。
即ち殺気を帯びた爪の一撃が再び、速人を戦場に引き戻した。
まともに受ければ命はない。後方に下がりつつこれを受ける。
腕に巻きつけてある包帯は爪と牙を持つ相手と戦うための防具だ。
爪が触れた途端に包帯は切り裂かれる。
触れた途端に灼けつくような痛みを覚えるが、出血はしていない。
多少の切り傷では血が出ないように鍛えた。これはその賜物だ。
だがしかし、速人はその直後に自身の見積もりの甘さに後悔することになる。
それは連携の一部。
あくまで本命はこれ。
ショートスイングから腹部を突き上げるようなタックル。速人は地面を転がり、壁面に叩きつけられる。 何回か受け身を取ることが出来たが、受けたダメージは深刻なものだ。
肋骨と胸骨のいくつかには間違いなくヒビが入っている。
「ぺっ」
速人は口内に溜まった血を地面に吐き出した。
不幸中の幸いか、今だに敵が近づいてくる気配がない。
打撲と骨折、出血の為に意識を繋ぐのがやっとの状態だった。
さっきの爆発を伴う目くらましは一対一において有用な戦術には違いなかったが相当のリスクを背負うものだったのだろう。
追撃するなら今しかない。
しかし、速人の意志に反して体は全く動かないような状態だった。
膝がガクンと下に傾く。こんな場所で倒れてたまるものか、と気合を入れ直すがどうにもならない。
どれくらいの時間が経過したのか、気がつくと速人は白い霧の中に立ち尽くしていた。
これは夢か、はたまた走馬燈の世界か。疑念を払しょくすべく、速人は自分の頬を軽くつねった。
痛い。
だが間違いなくここは自分の精神の中の世界だ。
もし現実ならば指先一つでも動かすには不自由を強いられているような状況のはずだ。
今すぐ現実に帰還せよ。速人は目を閉じて、そう頭の中に命じる。
だが、その願いは叶うことはなくその代わりに今もっとも出会いたくない男が目の前に現れることになった。
速人にとって忘れようにも忘れられない圧倒的な存在感。
薄れゆく意識は現実に引き戻される。
あの男が、褐色の肌を持つ偉丈夫が目の前で腕を組みながら立っていた。
「何と情けない姿だ。この程度の男が私のライバル気取りだったとはな」
男は軽蔑を含んだ笑みを浮かべる。
わずかに顎を傾け、三つ編みに結われた後ろ髪が軽く揺れた。
黒く艶のある長髪だ。トリートメントにもずいぶんと気を使っていることだろう。
「この程度の敵、すぐに倒して見せるぜ」
「ほざけ、小童。まずはお前のヌンチャクを見てみるがいい。お前の拙さと弱さに泣いているではないか」
「馬鹿な!!この俺がヌンチャクを泣かせているだと!?」
「辛い……。悲しい……。ご主人様が、僕を虐める」
速人は己の手の中にあるヌンチャクを見る。
ポタリ、ポタリ、とヌンチャクの棍の先が流れ落ちる涙。
目しかついていなかったが、確かにヌンチャクは泣いていた。速人は驚愕のあまり絶叫した。
「そんな!ヌンチャクを愛して止まない俺が!!ヌンチャクを泣かせていたというのか!!!」
これほど大切に使っているというのに、俺の何が間違っていたというのか。
速人の想いをよそに壊れかけたヌンチャクは嗚咽を漏らしながら己の心の内を語る。
「このまま壊れてしまうのは恐くない。けど武器として使われないまま捨てられるのだけは、終盤で偶然手に入れた”ふぶきのつるぎ”みたいな扱いを受けるのだけは駄目だヌン」
(ヌンチャクッ!そこまでの覚悟があったのかッッ!!)
速人は自分の覚悟がそこまで至っていなかったことを何よりも恥じた。
ヌンチャクの言う通りに、たとえ終盤のゾーマの城のあたりで多腕骸骨騎士系のモンスターからレアアイテム”ふぶきのつるぎ”を入手しても嬉しくも何ともない。
むしろ一度、地上に戻ってルイーダの酒場に預ける手間を考えればその場で捨ててしまいたくもなるだろう。
「左様。お前に足りぬのは覚悟のみ。速人よ、もう一度敵の姿をよく見てみるがいい」
いつの間にかもう一人の男が現れた。
太陽の輝きによく似た黄金の鎧を着た戦士だった。
豪壮な鎧の背中にはファーストガンダムのビームサーベルよろしく二本の棒がマウントされている。
その棒が変形して三節棍や鉤棍、ヌンチャクになることを知る者などもはや限られた者だけだろう。
男は頭上の陰を払い、力強い一歩を踏み出してきた。
格上のヌンチャク使いだけが持つ圧倒的な小宇宙めいたオーラに速人は気圧される。