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第百八十六話 老人たちの夜明け

 次回は十一月二十六日くらいに投稿します。遅れてすいません。

 レプラコーン区画、夕刻の話である。

 かつて”至高の騎士”と讃えられたセイルは幾つかの書類と格闘をしていた。

 彼は第十六都市の警備隊を定年退職した後、かなり昔に閉鎖した父親の工房を再建する。

 セイルの父親は騎士と職人を両立する優秀な人間だった。一族が代々継承してきた工房は戦争が悪化した事が原因で閉鎖してしまったが、セイルの父親はいつ再開しても困らないように色々と手段を用意していた。

 今こうして健全な状態で工房が経営できるのも偏にセイルの父親の残した功績である。


 (やれやれ…。また決算がおかしい事になっていやがる。俺はロアンのヤツに説教なんざ出来ねえな)


 セイルは自分の失敗を反省して黙って頭を垂れるロアンの姿を思い出しながら苦笑する。


 とん、とん。


 セイルがインクの替えを用意していると部屋の扉から小さなノック音が聞こえてくる。

 大昔ならロアンに大声で「挨拶はどうした?」と怒った物だが相手がロアンの息子のローレンであればそうするわけにもいかない。

 下手にローレンを怒鳴れば妻と息子の嫁を敵に回すことにならからだった。

 セイルはインクの入った瓶の蓋を締めると扉まで歩いて行った。

 ドアノブに手をかけるとロアンの子供の頃によく似た少年ローレンが立っていた。

 ロアンとローレンは戦死した妻の兄と父親によく似ているので昔の事を考えているとどうにも気後れしてしまう。セイルは祖父の威厳を保つ為に咳を一つしてから大きな声でローレンを迎えた。


 「オホンッ!ノックなら聞こえているぞ、ローレン。用事は何だ?またお祖母ちゃんに力仕事でも頼まれたのか」


 「ううん。違うよ、お祖父ちゃん」


 ローレンは首をぶんぶんと横に振る。

 セイルは破顔しながらローレンを抱き上げて部屋の中に案内した。

 エイリークについ最近まで小遣いを与えていただけあってセイルは子供に甘い性格である。


 ちなみにその小遣いは速人から「本人の為にならない」と言われて止められている。


 セイルはローレンをソファの上に座らせると完食用のビスケットを勧める。

 ローレンはビスケットを見るとニッコリと笑い、すぐに食べ始めた。

 セイルは魔力で起動するヒーターを使ってポットを温めてローレンと自分の為にハーブティーを用意した。

 そしてローレンの席の向かい側に座り、ビスケットをつまみながらお茶を楽しむ。


 「ローレン、それはそうとワシに何か用があったみたいだがそれはもういいのかね?」


 「親方がお祖父ちゃんに御用事があって尋ねきたんだよ」


 ガタンッ‼


 ローレンの一言でセイルの顔色が変わる。

 セイルはいきなりソファから立ち上がった後、ヨレヨレのシャツとズボンを外出用の綺麗な物に着替えた。

 そして鏡の前で白髪が目立つようになったダークブルーの髪に櫛を入れて、香水を吹きつける。

 かくしてセイルは好々爺から老練な軍人に変身した。


 「ローレンよ、ワシは親方を舘に引き留めておくからお前は近所のお爺ちゃんたちの家に行ってすぐにウチに来るように言いなさい。後、今度からは我が家に親方か若様か坊ちゃんが尋ねた時は最優先で伝える事、いいな?」


 「うん!わかった!」


 ローレンはビスケットとお茶を平らげると部屋から出て行った。

 セイルは鏡の前でもう一度、身だしなみを整えてから駆け足で一階の客間に向かった。

 そして階段を下りる途中、窓から玄関の前で立っているスウェンスの姿を見て驚く。

 セイルはローレンに向かって裏口から出て行くように言うと青いベルを取ったツインビーのようにスピードアップして扉の前に立った。

 そして首のネクタイを締めてから扉の外にいるスウェンスに恭しく挨拶をする。


 「大変長らくお待たせいたしました、親方。どうぞ大したもてなしもできませんが家の中にお入りください」


 セイルは扉を開いた後に頭を下げる。

 他者に頭を下げているだけなのに品位は損なわれず所作は美しい。

 それは角小人レプラコーン族の名の知れた騎士侯の末裔に相応しい礼儀を尽くした態度だった。

 しかし結構な時間を待たされたスウェンスは引きつった笑顔でセイルを見ている。

 スウェンスは上に赤い縞模様のシャツ、下はベージュ色の作業用ズボンを履いていた。

 そして両手を使って金属製の鍋を持っている。


 「…あのなセイル。もう俺の祖父さんの代じゃねえんだ。大げさな出迎え方をする必要はねえぜ?それよりローレンはどうした、外に遊びに行っちまったか」


 スウェンスは言伝ことづてを頼んだローレンの姿が見えなくなっている事を心配して尋ねる。

 セイルは微笑みながら相槌を打ち、スウェンスを応接室に案内した。

 その際にちゃっかりとスウェンスから鍋を受け取っていた。


 (やはり我が家には親方用に玉座は必要だな…)


 セイルはテーブルの上に鍋敷きと鍋を置きながらそんな事を考えていた。

 スウェンスはソファの上にどっと腰を下ろす。

 

 スウェンスは最初から長居をするつもりはなかったのだが慣れない立ち仕事と外での待ち時間が長かった為に疲れていたのである。


 「ところで親方、今日はどのような御用事で我が家に来られたのですか?」


 「ああ。それなんだがな、今日は昼に料理なんぞを作ってみたんだがこれが全然無くならねえんだよ。それで近所のお前のところで食べてもらおうと思って持ってきたんだが迷惑だったか?」


 スウェンスは会話の途中に鍋の蓋を開いて見せる。

 鍋の中には大ぶりに切ったチキン、カボチャとニンジンとカブなどが入ったシチューが入っていた。

 料理は素人目に見てもかなり良い出来栄えである。

 セイルは目を細めながら両手を広げてスウェンスの手料理を絶賛した。

 逆にスウェンスはセイルの大げさな反応を見てげんなりとしてしまう。

 本人に悪気はないのだろうが、昔からスウェンスが何をしても手放しで喜ぶのはどうにかならぬものかと思っていた。


 「何と!親方の料理とは素晴らしい!我が家の家宝にしましょう!」


 「…いやそこはすぐ食ってくれよ」


 スウェンスはシチューの入った鍋を押しつけて帰るつもりだったが、外からロアンが現れる。

 ロアンはセイルに何かを尋ねる予定だったが家の中にスウェンスがいる事に気がついて挨拶を始めた。

 そしてロアンの帰宅に気がついたロアンの妻とセイルの妻が居間の方からやって来た。


 (俺とした事が失敗した。こんな事なら鍋をローレンに押しつけて帰るべきだったぜ…)


 スウェンスは席を立とうとしたが、セイルによって強引にソファに座らせられてしまった。


 「親方、いらっしゃいませ。何も無い家ですが、どうか気のすむままにお過ごしくださいませ…。とおろで親父、外のあの列は何だ?叔父貴たちが正装になって列を作っていたぞ?」


 「はっはっは。何を言うかと思えば愚息よ、ルギオン家の頭領が久しぶり(実質三日くらい)に我が家に来たのだから同胞たちに声をかけてやるのは当然の事だろう」


 セイルは手に力を入れて逃げ出そうとするスウェンスの妨害を続行中。

 

 「ただいまー!お祖父ちゃん、言われた通りにみんなのところに行ったよ!」

 

 それから間もなくローレンが玄関から姿を現した。

 ローレンの後から軍用の礼服を身に着けたベンツェルがついてくる。

 ベンツェルはスウェンスの姿を見つけるとすぐに頭を下げた後、その場に屈んだ。


 「お久しぶりです、親方。このベンツェル、一日千秋の思いで親方と再会できる日を楽しみにしておりました。それにしても親方ともあろう御方が人の悪い。手紙を出してくだされば兵を率いてお迎えに言った物を…」


 「あのな、ベニー!隣の家にシチュー持って行くのになんでわざわざ兵隊を連れて行かなきゃならねえんだ!お前の家だってすぐ近くじゃねえかッ!」


 スウェンスは強引にセイルを引き剥がした。

 しかし扉の前は既に角小人レプラコーン族の中でも名の知れた武人たち(※全員老人)がバリケードを作っているので通行不可となっている。


 スウェンスは椅子を蹴飛ばして唾を吐きたい気分になっていたが幼いローレンの前だったのでおとなしくソファに腰を下ろす。


 「親方の言い分も間違ってはいまいぞ、ベンツェルよ。まずはレプラコーン区画全ての住民に声をかけてパレードを開催した後に他国の要人を集めて親方の復活祭をするくらいの気概が無くてはな…」


 セイルは玉座の上から全市民に向かって手を振るスウェンスの姿を妄想しながら笑みをこぼす。

 するとベンツェルを始めとする老人たちは賛同し、大いに盛り上がった。


 「ご近所のみなさん。盛り上がっているのは結構ですが、そろそろお夕食の時間ですから今日のところはお家に帰ってはいかがですか?」


 セイルの妻が毅然とした態度で言い放った。

 老人たちは縋るような目つきでセイルの方を見たが、当のセイルは耳を引っ張られて目に涙を浮かべている。

 ベンツェルの方は自分の娘、即ちロアンの妻によってこれまた耳を引っ張られて家に連れ戻されていた。

 かくしてスウェンスの復活祭は幻に終わり、スウェンスはセイルの家で夕食をご馳走になる。

 

 セイルの家族は揃ってスウェンスの作ったチキンのクリーム煮を口に運ぶ。

 スウェンスは昼に三人分は食べていたので代わりに香草がたっぷり入ったサラダを食べていた。

 ホワイトソースに包まれたチキンを食べたロアンは料理を絶賛する。


 「美味しい!こんな美味い料理を食ったのは生まれて初めてかもしれないな(※ロアンの母親と奥さんが睨んでいる)。流石は親方だ…」


 ロアンはチキンの次にニンジンとカボチャを口に運ぶ。

 どれもよく煮込まれて柔らかく野菜独特の優しい甘味が感じられた。

 月並みの表現だが料理店に出て来てもおかしくはないレベルの料理だった。

 そしてロアンだけではなく彼の家族の誰もがスウェンスの料理を絶賛している。


 しかし当のスウェンスはあまり納得していない様子でロアンたちを見ていた。


 「そうかロアン、俺の料理は美味かったか…。だがこれは美味いだけの料理なんだよな。はあ…」


 スウェンスは己の未熟さにため息を吐く。

 

 この”チキンのクリーム煮”は昔メリッサがよく作ってくれた料理でスウェンスは当時の出来事を思い出しながら作ったはずだが出来上がったのは原型オリジナルとはかけ離れた美味しいだけの料理だった。

 スウェンスは誰よりもメリッサと過ごした時間が長かったはずなのにそれが出来ず、ついこの間孫のダグザが連れてきた変な顔の子供(※速人の事)はメリッサの味を忠実に再現していたのである。

 落ち込まない方が嘘というものだろう。


 どうにも浮かない様子のスウェンスを見かねてセイルはそれとなく尋ねた。


 「あの親方、何か嫌な事でもあったんですか?」


 「前にな、ダグが俺を心配して家まで訪ねてきたんだ。で、その時にダグが連れてきた変な顔のガキが弁当を置いていったんだが…」


 スウェンスは当時を思い出して神妙な面持ちとなる。


 やけに目端の利く子供だった。

 家にやって来てキッチンに案内した時にはスウェンスがまだメリッサとダールの食器を大事にしている事に気づき、あえてその事を追求しなかった。

 

 おそらく同行していたダグザにも詳しい事を打ち明けていないだろう。


 「ああ、それは速人殿ですね。私の嫁さんとロアンから聞きましたよ。何でも家内の話では速人殿からメリッサさんの料理の事をずいぶんと聞かれたと言ってましたっけ」


 セイルの言葉を聞いたスウェンスは半ば納得する。

 もしも次の機会というものがあれば速人という子供は完全に近い形のメリッサの料理を作ってくる事だろう、と。

 多分その時にはダールやエイリークも一緒に連れて来るかもしれない。


 先延ばしにしていた課題に決着をつける機会がやってきたのだ…。


 「そう、その速人ってガキだよ。つうかセイル、お前ずいぶんと速人ってガキの肩を持つな。何かあったのか?」


 「ええ。まあ奇縁とでも言いますか、速人殿は勇敢で行動力のある子供でしてついこの前のエイリークの家で若の為に食事会を…」


 セイルは速人との出会いからダールの為に開かれた食事会の話をする。

 

 現物を見た事があるセイルとロアンを除くその場にいた全員がエイリークの家で屋外BBQパーティーが開かれた話をスルーして聞いていた。


 しかしスウェンスは話の中で昔気質の頑固さを持ったセイルが速人を高く評価していた事を気にかける。

 スウェンスの記憶にある限りでも速人という少年は卓越した観察力を持っていた。


 (…という事は当然ババアの隠し味も再現しているだろうし、エイリークたちをここに連れて来るのは間違いねえだろう…。今さら俺に合ってどうするんだ…)


 スウェンスは前回の弁当に込められたもう一つの速人からのメッセージについて考えていた。


 「過去に囚われるな。お前はまだ全てを失ったわけではない、だと?…ガキが知ったような口をきくんじゃねえよ…」


 スウェンスは手入れをしなくなりボサボサになった頭を掻いた。

 メリッサが健在だった頃ならば皆の前で説教をされていたことだろう。

 スウェンスは過去に囚われたままの自分の姿に思わず笑ってしまう。

 近しい者たちから距離を置いたのではない。結局これ以上失う事が怖くなって逃げ出しただけだった。


 「なあ、セイル。ここだけの話だが近いうちにエイリークたちが俺のところにやって来るかもしれねえがその時は放っておいてやってくれねえか?俺はこの十年間のありのままを受け入れることにしたぜ…」


 「今さら何を水臭い事を…。十年前にメリッサさんが危篤なのをあいつらに隠していたのは俺たちも同罪ですよ。まあ今日は飲みましょうや。親方の決意の祝い酒って事で…」

 

 セイルはワイン蔵から秘蔵のワインを取りに行った

 

 「それじゃあごゆっくりどうぞ。親方も年齢なんですから飲み過ぎないように気をつけてくださいね」 

 

 そしてセイルの妻とロアンの妻は子供たちを連れて席を外し、食堂にはロアンとセイルとスウェンスが残った。

 三人は特に言葉を交わす事も無く夜が明けるまで酒を酌み交わした。

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