第百八十三話 失われた記憶と帰還と再会と
すごい遅れてすいません。次回は十一月三日くらいに投稿します。話も結構進みます。
「速人。ところで”石の山の下に眠る蛇”の事は思い出したかい?」
テレジアの話を聴いた瞬間、速人の全身の血流が大きく波打った。
なぜテレジアがその事を知っているのか。
速人がテレジアと出会ったのは一か月前であり、素性に関しては以前住んでいた村が山火事で焼けて彷徨っていたところをエイリークに助けられたという話をした程度である。
速人がいくつかの疑念を口にする前に、誰かがその質問に答えていた。
「いや、まだ思い出していないよ。アイツの身体に刺さっている水竜の毒が塗ってある毒矢は強力だからな。当分、眠ったままだろう」
それは奇妙な感覚だった。
口を開けて、声を発しているのは自分なのに第三者としてその様を自分で眺めている。
だが速人の心はざわめき、かの星を丸呑みする蛇神の化身たる大蛇との戦いを思い出す。
老いた速人は毒に侵され、光を失いかけた瞳で蛇の喉を狙い続けた。
かの戦いにおいける速人の勝利は天の気まぐれにすぎない。
「そうか。呼び止めて呼び止めて悪かったな。お前はいつも通り思うように進むが良い。そして記憶が戻った時にもう一度、ここを尋ねろ」
速人はガラにもなく他者を心配するような声をかける。
テレジアは口の端を歪めて苦笑していた。
「わかった。、毎度の事だがお前には迷惑をかけてばかりだな。ティ…」
エイリークが背後から速人を抱き止める。
速人はその時になって自分の意識と肉体が誰かに乗っ取られていた事に気がついた。
テレジアも同様にジェナやダイアナに囲まれて同様に心配されていた。
「おい、速人。お前本当に大丈夫か?」
エイリークは速人の目を見て正気を取り戻している事に気がつくとすぐに解放する。
速人は冷や汗を流しながらエイリークに感謝を伝えた。
「ありがとう、エイリークさん。さっきまで自分でも何やっているかわからなくて本当に助かったよ」
エイリークは速人の声を聞いて安心する。
速人は何かと自身満々で悟ったような事ばかり言う気に食わない小僧だったが、一か月も生活を共にしていると情が湧くというものである。
マルグリットたちもエイリーク同様に心の底から心配した様子で速人の姿を見ている。
速人は一人一人に向かって頭を下げて感謝の意を伝えた。
正直な話、他人の世話を焼くのは得意とするところだがその逆は苦手の類である。
中でも普段から憎まれ口を叩くレミーが心配そうな顔をしていた事に心が痛む。
エイリークは日頃の恨みと心配の半々で速人の頭をわしゃわしゃと撫でた。
「おい、一体どうしたんだよ。いきなりテリーと、何だその…ずいぶん古いつき合いのあるみたいな感じで話を始めてよ…」
エイリークは先ほどの速人とテレジアの様子を見て旧知の仲である者が久々の再会を果たしたような雰囲気を感じていた。
さらにテレジアが速人の事を「小さな悪魔」ではなく「速人」と名前で呼んでいた事にも疑問を抱いている。
「それがさ、残念な話なんだけど俺にも全然わからないんだよ…どんな話をしていたんだ?大体でいいから教えてくれないか」
それまで奥に引っ込んでいたダグザが前にずいと出て来る。
エイリークとマルグリットは会話の内容まで覚えていなかったので質問する権利をダグザに譲る事にした。
「そういえばテリーはお前に”石の山の下に眠る蛇”とやらがどうとか言っていたな。速人、何か心当りはあるか?」
速人は目を閉じて記憶の底を探るが、結局何も思い出す事は出来なかった。
生まれ育った世界や以前暮らしていた開拓村の生活を思い出す事は可能だが、”石の山”や”蛇”といった単語と符合する物は無い。
しかし奇妙な事に”石の山の下に眠る蛇”という言葉を聞くと山ほどの巨体を誇る蛇の姿を思い出してしまう。
それにまつわる記憶は無いというのに、大蛇の姿形だけはしっかりと覚えている。
「…こう具体的なイメージは出てくるんだけどさ、困った事に全然覚えていないんだよな。ダグザさんはどうなのさ?」
「当事者であるお前にわからないというのに私にわかるわけがないだろう。まあナインスリーブスの神話に登場する事物と照らし合わせるならば”石の山”とは世界の果てにあると言われる山の事だな。残念ながら最初の世界樹がいまだに確認されていないから探しようがないがな。”蛇”の方は真っ先に思いつくのがミドガルド蛇くらいだがあくまで伝説上の存在ゆえに是も確認する方法が無い。…ミドガルド蛇はヴォーダンの遺体が悪さを見張る役目があるだろうから尋ねて聞くわけにもいくまい」
ダグザは呆れた様子で速人の質問に答える。
その反面、ナインスリーブスの神話はダグザの研究分野でもあった為に得意気な様子に見えた。
ミドガルド蛇とは巨神ヴォーダンが討たれた後に魔王の遺体の見張り役としての役割を他の巨神たちから与えられた神獣の類であり、今もこの世のどこかにある”忘却の海”と呼ばれる場所にいるらしい。
また神話の話が正しければミドガルド蛇はこの世の終わりまでヴォーダンの遺体の側を離れないと伝えられているので当然のように例の大蛇はミドガルド蛇とは別物だろう。
速人はしばらく考えた後、現時点における情報量の不足と日没までの時間が迫っている事に気がつき急いで荷物を持ち上げる。
第十六都市ではアインとディーと雪近が待っているので夕食の時間までには戻りたい。
最悪、隣に住んでいるソリトン一家には夕食の世話も頼んであるがソリトン夫婦は普段からエイリーク一家にこき使われているので余計な負担をかけるのは辛い物があった。
(正直、さっきの白昼夢を見た原因を特定したいところだが時間の問題がそれを許さない。これ以上は後でダグザさんに相談する事にしよう)
速人はリュックサックを背負い、両手に荷物を持った。
そして最後にもう一度、アンとジュリアに挨拶をしてからウィナーズゲートの町へと通じる道に向かって歩き出した。
その後ろ姿を神妙な顔つきでテレジアが見ている。
テレジアは何となく子供たちと一緒に後を追いかけようとするジェナとエリオットに声をかけた。
「ジェナ、エリオ。最後に言っておくがお前とエリオは何も間違ってはいない。私たちに比べれば上手くやっているさ。だからスウェンスに会った時は胸を張って立派になった自分たちの姿を見せてやりな。それがきっとスウェンスにとって何よりの朗報となるはずだからね」
「わかった。私も母様の言う通りだと思う。第十六都市でスウェンに会ったら次はお前がサンライズヒルの町に来い、と言っておく。だから安心して待っていてくれ」
テレジアは返事をする代わりに右の拳をジェナに向かって出した。
ジェナは満足そうに微笑むと自分の拳とテレジアの拳をくっつける。
二人の別れの挨拶が終わるのを見計らってエリオットは無言でテレジアとダイアナたちに頭を下げる。
「行っておいで」
テレジアは短い挨拶をすませるとマティスの家の中に入って行った。
ダイアナたちもその後に続く。
こうして速人はエリオットを連れて第十六都市に帰る事になった。
その後、ウィナーズゲートまでの道中は無難に過ごし、一行は数十分も経過しないうちにエレベーター前に到着する。
文明の利器というほど大それた物ではないがエリオットの子供たちは都市に通じる全自動の昇降機を前にして緊張した様子で周囲を見守っている。
いや数十年ぶりの帰還となるエリオットとセオドアとマティスも周囲の変化を目の当たりにして終始驚いていた。
中でもマティスは知り合いと思われる人間が横切る度に脱兎の如く逃げ出してはベックに捕まっていた。
「おいマティ。お前な、さっきあれだけ覚悟があるみたいな事を言っていたくせに何で逃げようとしているんだよ」
マティスは皆と目を合わせないようにしながら反論する。
先ほどすれ違ったのは赤の他人だったがこうして街に近づく度に歩みが遅くなっている事を実感している。
正直な気持ちを言えばベックの言うように昔なじみと会うには勇気と覚悟が足りなかったのも事実である。
だが敬愛するセオドアの前でだらしない姿を見せたくはなかったので人気の少ない入り口を使う事を提案した。
「うるさいな、別にいいだろ…。…いや、良くないか。ところでベック、もう少し人通りの少ないエレベーターを使わないか?」
ビクッ!
「…ああんッ⁉」
ベックの額に浮いた血管が脈打つ。
「速人、エイリーク。二人を抑えてくれ」
「はいは。ベックさん、ニュートラルの位置まで戻って‼マティスさんも挑発に乗らないで」
「ベック、没収試合になりたくなければ下がってくれよ」
ダグザは速人とエイリークに頼んでベックを後ろに下げさせた。
これ以上マティスとベックの凶暴化した姿を子供たちに見せるわけにはいかないという道徳的な配慮からである。
はあ。ダグザは大きなため息を吐いた後、ベックに代わって説得することにした。
別の入り口はあるにはあるがその大半が下町の駅に直通する物であり、おそらくはマティスが一番行きたくない大市場付近の通路に出てしまうのだ。本末転倒というものだろう。
「マティス医師、別の通路はないわけではありませんがそこを使えばアルやシャーリーと鉢合わせる可能性が高くなりますよ?」
「ぬぐっ‼まさか坊ちゃんにまで虐められる日が来るなんて…」
マティスは自分が昔の友人たちに囲まれる姿を想像して項垂れてしまう。
別の場所で医者の仕事をするという嘘をついたうえに昔なじみを避けて街に帰ってきた事がバレればそれこそ半殺しにされても文句は言えない。
マティスは全員から怒声を浴びせられる事を覚悟しながら歩き出した。
当然、彼が逃げ出さないように隣にはセオドアとベックがいる。
どんっ‼
マティスとベックが口喧嘩をしながら先に進んでいるとエレベーターの前で中年の男にぶつかってしまった。
マティスは大慌てで中年の男を助け起こしたが、男の方はマティスの顔を見た途端に大きく飛び退いてしまう。
マティスは見覚えのある灰がかったブロンドの髪を見て奇妙な既視感を覚える。
「お前、…もしかしてキリーか?」
マティスは丸太のような太い腕で逃げようとするキリーを背後から拘束した。
キリーはベックに助けを求めるような視線を向けたが、ベックは地面に唾を吐いて是を無視する。
「チッ、面倒な時に出てきやがって。おい、キリー。タダですむと思うなよ?」
(うわあ…。今のベックの顔、今夜の夢に出てきそう…)
この時、レミーは”誰にでも優しいお祖父さん”と思っていたベックの粗暴な一面を見てショックを受けていた。
「ゲッ‼マティスとベックの兄貴ッ‼」
「キリー。お前な、何で逃げるんだよ。速人君の話じゃ、バックレたのを改心して近いうちにアルのところに謝りに行くって言ってたそうじゃないか?」
ベックは指の関節を鳴らしながらキリーに近づく。
その横顔はヒャッハーなモヒカンを殺る時のケンシロウのそれに似ていた。
速人はキリーの身の安全を確保する為にエイリークと一緒にマティスとベックを遠ざける。
かくして難を逃れたキリーは腰を抜かして座り込んでしまう。
セオドアとエリオットはキリーの足の怪我を知っていたので助け起こしに行った。
キリーは尻やズボンの裾についた土ぼこりを払いながらセオドアとエリオットに礼を言った。
やがてダグザたちによって落ち着くように説得されたマティスとベックが舌打ちをしながらキリーの前に現れる。
速人とエイリークは早々に恐慌状態に陥ったキリーと二人の間に割って入った。
「クソッ‼まさかお前まで出て行っていたなんてな…。大体テメエ反省してんのか、クラァッ‼」
とても医者兼町長とは思えない怒りを含んだ大声に周囲の人々は思わずふり返ってしまう。
そしてマティスがブチ切れると同時にエイリークがタックルをかまして後ろに下げた。
その後セオドアとエリオットが二人で以前速人と一緒にウィナーズゲートの町にやって来た時にキリーと再会したのだがキリーの事情を考えて黙っていたということを打ち明ける。
マティスはセオドア相手でも立腹の様子で何も言わずに背中を向けてしまった。
三人が暗い表情で黙っているとエレベーター付近の通りからキリーの妻エマがやって来た。
「あらら。うちの亭主の隣にいるのはもしかしてマティとベック?ちょっとキリー、今日はつくづくついていない日だね。ケニーのお墓参りは別の日にした方がいいんじゃないの?」
「あっ!エマ、お久しぶりさね!アタシだよ、マギー!」
エマの姿を見つけたマルグリットがレミーを連れて迎えに行った。
エマは微笑みながらマルグリットとレミーの方に歩いて行く。
マルグリットは十数年ぶりに再会したエマに自分の近況と娘のレミーの紹介をしていた。
エマはしばらく呆気に取られていたが、成長したマルグリットがエイリークと結婚して二人の子供と一緒に幸福な生活をしている話を聞いているうちに泣き出してしまった。
「良かったね、マギー。本当に良かったよ。私はずっとアナタとエイリークにはもうしわけない事をしたって思って…」
マルグリットは泣きじゃくるエマを抱きしめて頭を撫でてやる。
戦時中、エイリークの母アグネスは自分の為に割り当てられた医療物資を使わずにエマの母親に渡していたのだ。
アグネスは戦闘中に負った怪我が原因で死んでしまったが、エマやエマの母親を恨んでなどいなかったはずだ。
二人の様子から大方の事情を察したエイリークは速人にベックとマティスの処遇を任せるとマルグリットたちの方に向かって走って行った。
そしてエイリークとエマは涙混じりに互いの再会を喜び合う。
遠間からエイリークたちの様子を眺めていたマティスとベックはシャツの襟を正していつもの紳士の姿に戻っていた。
二人はキリーの事もそうだが、アグネスが死んでからすっかり元気を失ってしまったエマの事も気にかけていたのだ。
エマの母親はアグネスから譲り受けた医療物資のおかげで快方に向かったが、終戦の日を迎える事なく死んでしまった。
「ダグザさん、今の様子だと一回、落ち着ける所に移動した方が良さそうだね」
「そうだな。とりあえずエイリークの家に行こうか」
速人はダグザと相談して一行はエイリークの家に移動する事になった。




