第百七十三話 エイリーク、サンライズヒルの町に帰る。
次回は八月二十六日の更新を予定しています。毎回遅れてすいません。
エイリークは新生したサンライズヒルの町を見て複雑な気分になっていた。
あの忌まわしい防衛戦で無人となった家屋には新しい住人が入り活気らしきものが戻っていたが、エイリークたちが子供の頃によく使っていた駅は跡形も無く消えていたのだ。
(ダグたちと一緒にサンライズヒルの町の見回りをした後に駅前で馬車を待って、「戦争が終わったらとか…」そういう話とかしていたな…)
エイリークは変わり果てた町の様子を見ながら嘆息する。
一度は焼け落ちて何もかもなくなってしまってからどうにか復興したというのにそれを喜ぶことが出来ない自分に対して無力感のようなものを感じていた。
そして珍しく落ち込んでいるエイリークの様子に気がついたダイアナが声をかけた。
「だらしない姿を見せるな、エイリーク。曲がりなりにもお前はあの戦いの勝利者だ、胸を張れ。そうでもしなければお前に負けた人間の立つ瀬が無いというものだ」
エイリークは「ハイハイ」とやる気のない返事をする。
ダイアナは一息ついて人食いヒヒたちを連れて町はずれにあるヒヒたちの住処に向かった。
そこは丈の高い柵に囲まれているのでヒヒたちは町の中に入って来られないらしい。
もっともテレジアたちに逆らうような愚かなヒヒは一頭もいないという話だったが…。
速人はその愚かなヒヒがテレジアのおやつになっていた事を思い出し自虐的な笑みを浮かべる。
結局、町への案内はダイアナたちに代わってジェナとマイケルたちがすることになった。
長身のマイケルはエイリークとマルグリットに話かける時はなぜか速人の後ろに隠れてしまう。
二人に昔かなり酷い仕打ちを受けたということだろうか。
エイリークは自分よりも身長が高くなったマイケルたちにありったけの殺意が籠った視線を向けていた。
「エイリーク、実は昨日うちの母さんが君が速人と一緒に町に来るっていう話をしていたんだよ。偶然とは恐ろしいものだね。…っていい加減、俺の足を蹴るの止めてくれないか?」
「ケッ!図体だけ大きなっても仕方ないから俺様はお前の人間性に合わせて身長を調節してやってんだよ!…だが相変わらずテリーの勘はすげえな。前よかパワーアップしてるんじゃねえか」
エイリークは歩きながらマイケルのふくらはぎにローキックを打っていた。
その途中で速人が蹴りを受け止める動作を見せていたので歩調を落とし、マルグリットの背後に隠れる。
あの手に捕まれば容易に足の骨を捻挫させられてしまうからである。速人はその許可を得る為にベックとダグザの顔を見る。
ベックは”容赦する必要はない”と鼻息を荒くし、ダグザはやたらと冷めた瞳で”業務に支障をきたさない程度で”というサインを送っていた。
速人は嬉しそうに頷くと舌を舐めずり、両手の指をワキワキさせていた。
「フン、母様が凄いのは当然だ。我々が数多の試練を乗り越えて今日まで生き残ってこれたのも全て母様の戦士としてのカンのおかげだからな」
ジェナは母テレジアの勇ましい姿を思い浮かべながら、誇らしげに胸を張る。
しかし速人はヨトゥン巨人族としてこの世に生を受けた彼女たちが他種族から受けた迫害の数々を”試練”の一言ですませてしまうことに憐れみのようなものを感じる。
「ジェナ。速人の名誉の為に言っておくが、エリオとテオの居場所の話をしたのは彼ではない。我々が無理矢理、速人から聞き出したんだ。速人はサンライズヒルに案内する話になった時も乗り気では無かった。これだけは信じやって欲しい」
速人の後ろ暗い気持ちを察してか、ダグザはジェナたちを説得しようとする。
マルグリットとベックも同様に今回の来訪の責任は自分たちにあると頭を下げた。
流石にダグザたちに正面から頭を下げられてはジェナも無下にするわけにはも行かず「わかっている」と小声で返すと早歩きで行ってしまった。
「ダグ、僕たちもそれぐらいの事はわかっているつもりだよ。それに速人は町に公衆浴場を作ったりして色々と良くしてくれた。彼が考えも無しにエリオとテオの事を話したわけじゃないと、僕は信じている」
マイケルはテレジアの一族を代表して今回のエイリークたちの来訪に理解を示してくれた。
ダグザは彼らに一礼をしてから速人とエイリークたちにマイケルたちから一定の理解が得られたことを伝える。
速人の胸中は複雑なままだったが、ダグザたちに気を使わせるわけにはいかなかったので頭を振った。
「ジェナ、エリオとテオはどこにいるんだよ?俺様はこれでも毎日、超過密スケジュールで忙しいんだ。さっさと会わせてくれよ」
(「だったら来るな…ッ‼」)とジェナは心の中でそう言いかけて引っ込めた。
エイリークは自分が世界の中心と信じて疑わない性格の男である。
他人の言葉や常識など屁とも思っていないだろう、と諦めながら彼女は歩く速度を上げて行った。
そしてジェナの機嫌が益々悪くなったことを察して実兄のマイケルが代わりにエリオットたちのスケジュールを説明した。
「エイリーク。エリオたちは今日、町の外の警備をしていると思うよ。二人とも強いからね。それに最近は悪天候が続いて、結構な頻度で魔物が現れるようになったかさ。うちの母さん、姉さんたちやジェナは魔物と戦えるくらい強いけど、俺たちは戦いは全然駄目だし。町のみんなも魔物が恐くて外には出られないんだ」
マイケルは以前、自分の子供たちを連れて町の外で魔物に遭遇した際にひたすら逃げ回った事を思い出しながら苦笑する。
後で汗でメイクが落ちてテレジアとダイアナにさんざん怒られた。
そしてその時は警備をしていたエリオットとセオドアが駆けつけてマイケルたちを守ってくれたのである。
テレジアやダイアナたちも実戦経験を積んでいるのでかなりの強さを持っているが、軍隊で戦闘訓練を受けていたエリオットとセオドアの強さも決して引けを取らない。
しかし、レミーはマイケルの情けない姿を見てつい愚痴を零す。
「魔物なんて町に入って来なければ放っておけばいいじゃないか。なあ、母ちゃん?大体、外で暮らしているのに魔物くらい追い払えなくてどうするんだって思うんだけど」
レミーはそう言って掌を拳で叩く。
現時点でレミーは以前対峙した”水キツネ”と呼ばれる魔物を倒すくらいの実力を持っていた。
残念ながら水キツネとマイケルたちが戦えば見せ場無しで全滅してしまうだろう。
またマイケルたちのフォローをしようとしたマルグリットも今のレミーと同じ年齢の時には魔物を倒すくらいの事はやっていた。
何とかマイケルたちに非は無いと伝えようとしているのだが、実感が籠っていない為に説得力は皆無だった。
「うーん。マイケルたちは昔からお化けや魔物が全然駄目だからねえ…。それに魔物が動物を襲えば、新しい魔物になっちまうからさ。そこが厄介なんだよ、レミー。やっぱり魔物を倒せるような力を持った人間が必要になってくるのさね」
「マギーの言う通りだ、レミー。我々”高原の羊たち”のような隊商と呼ばれる組織が必要になったのは主に魔物の脅威から一般の人々を守る為なんだ。私もあまりうるさい事を言うつもりはないのだが、前回の演習に同行した時の失敗を忘れないで欲しいのだが…」
ダグザは苦い表情でレミーに説教を始める。
ほぼ同時にマルグリットとエイリークは他人事のように列の後ろに下がってしまった。
レミーは一か月ほど前に”大喰い”と呼ばれる大型の魔物と遭遇して速人に助けてもらった事を思い出して非常に悔しそうな顔つきになっていた。
そして、速人に向かって舌を出してから集団を先行するジェナを追いかける。
説教を受ける対象がいなくなってからもダグザの説教は続いた。
かくして速人とベックとマイケルたちはダグザの説教を最後まで聞く羽目になった。
「…というわけで若いうちは感情が先走って周囲の状況が見えてこないのだろうから、困った時は大人に頼った方が良い事もある。これは私の失敗談でもあるから心して聞くように…。む。また説教に集中しすぎてレミーに逃げられてしまったか…」
「まあそう言うなよ、ダグ。年寄りの私が聞いても十分、為になる話だったぞ。それにしてもシグの悪戯には困ったものだな。まるで昔のケイティの話を聞いているような気分だったよ」
ベックはダグザの説教を聞いた後、両手を投げ出して苦笑する。
その一方でダグザは自分の両親と年齢が違わないベックを相手に説教をしていたことに気がついて赤面していた。
速人は二人にエイリークたちがさらに町の中心部に進んで行ったことを伝え、急いで追いかけることを伝えた。
ベックたちはこの先余計なトラブルが加算されることを恐れて走ってエイリークたちのもとに向かった。
しかしエイリークとマルグリットはマティス町長の家に通じる道の前で普通に待っていた。
目が歪な形になっていたが、遅れてしまったのはダグザの責任である為に何も言い返すことは出来ない。
エイリークは口の中がらニチャニチャと音が出てきそうなくらい粘着質な嫌味を言い始めた。
隣のマルグリットもわざと聞こえるようなため息を吐いたり、もうやりたい放題だった。
ベックは下を向いて二人の無意味で粘着質なだけのクレームに必死で耐えている。
「君たちさあ、もしかして俺様の足を引っ張る為にわざわざ同行してくれたの?本当にそんなつもりで大人を名乗っていいと思っているの?それじゃあ困るよ、ベック君、ダグザ君。いいかい?いつまでも「明日からやる気出す」とか言ってるようじゃあ今後レギュラー出演は難しいんじゃないかなあ?」
「ウヒッ!ダグ兄、この前さ遅刻するのは普段からの緊張感が足りないとか言っていたよね?こんな大切な時に何考えてるの?もしかして何も考えていないの?それで本当にいいと思ってるの?」
こうしてエイリークとマルグリットのヘイトスピーチはしばらく続いた。
この時速人は俯きながら拳を握り締めるレミーの姿を見て彼女に憐憫の情を覚える。
さらに”外見の美しさは必ずしも人間性とは一致しない”という事実に気づき始めていた。
しかし愚者の夫婦は自分たちが虎の尾を踏んでいるという事を知らず、怒りに震えるベックの頭を小突いているうちに堪忍袋の緒が切れてついに逆襲を受けることになったことは言うまでもない。
結局、速人は額が割れるまでベックから頭突きを食らったエイリークを背負ってマティス町長の家に向かうことになった。
マルグリットはレミーに肩を借りて。よろめきながら歩いている。
ベックは乱闘の途中でシャツとズボンを破かれて”超人ハルク”みたいな姿になって歩いていた。
「全くこいつらときたら成長というものがまるでないな…。ああ、レミーは気にしなくていいぞ。レミーはちゃんとお姉さんらしく振る舞っているとケイティやコレットから聞いているからね」
ベックはそう言ってレミーの肩を軽く叩いた。
レミーは上半身が裸になったベックの姿を見ないようにしながら頭を振る。
彼女の父エイリークは普段からよく裸になる男だが、レミーも年頃の娘、よそのおじさんの逞しい裸に慣れているというわけではない。
三人の子供がいるジェナも豪快に笑うベックを見て赤面していた。
尚ベックは後日エイリークに人前ではだけた事を妻と娘に密告されてひどく怒られる。
速人は町の住人から誤解されることを警戒して、持っていたTシャツ(エイリークが発狂して全裸になる可能性がある為に持ち歩いている)をベックに着てもらうことにした。
ベックはその時になって女性陣の視線に気がつき素早くTシャツを羽織る。
その間、マイケルたちは昔の事を思い出しながら笑っていた。
「そういえばベック、マティス医師とはどれくらい会っていないんだ。もしかして全く連絡をとていなかったとか?」
「全くその通りさ。十年前だったかな、よその町に医者が足りないから呼ばれているマティスのヤツが言っていたから家族で引っ越す時に見送ってそれっきりだったんだ…。まさか故郷のサンライズヒルに戻っているとは夢にも思わなかったよ。はあ…」
あの時は誰もマティスの言葉を疑う者はいなかった。
もしもサンライズヒルの町に行くと知っていたら全員で止めていたし、絶対にベックはマティスについて行っただろう。
ベックはこの後どういう態度でマティスに会えば良いものかと考えていた。
エイリークも落ち込んでいるベックの姿を見てからはおとなしくなってしまった。
マティスが引っ越した当時はエイリークたちは結婚や終戦式典といった祝い事の真っ最中で、遠くの町に引っ越したマティス一家も仕事が終わったら第十六都市に帰ってきて元の生活に戻るとばかり考えていたのである。
さらに深く踏み込んでしまえば、体調を崩して家の外に出なくなったダグザの祖母メリッサもすぐに回復すると考えていた節があった。
「何だ、そういう話だったのか。第十六都市から誰も尋ねて来ないから妙な話だと思ったよ…。マティス医師も言ってくれたらいいのに」
マイケルはマティスの人柄から大方の事情を察した様子だった。
それから落ち込んだベックが少しでも元気になってもらおうとマイケルと彼の兄弟たちはサンライズヒルの町に住むようになってからの良い出来事をベックたちに報告する。
今から約二十年前、彼らは第十六都市の市議会から争乱の原因というレッテルを貼られて追放という形で追い出されたのでエイリークたちも心配していただけに安堵する。
だが彼らの心温まる交流の中でグリンフレイムとメリッサの名前を意図して出さないようにしている事を、速人は聞き逃さないようにしていた。
結局は悲しみは終わっていないし、これからもずっと続いて行くことなのだ。
速人はあえて踏み込まないように彼らから距離を置いてマティス町長の家を目指す。
比較的広い道の先にある町長の家の庭が見えてきたところで足を止めた。
「おい、速人。もしかしてあそこがマティスのおっさんの家なのか?さっさと案内しろよ」
気がつくと速人の背後にはエイリークとマルグリットとレミーの姿があった。
遅れてジェナたちが走っている。
(足が長いクセに歩くのが遅いなんて救いようがねえな、こいつらは…)
速人は眉間に皺を寄せながらマルグリットを相手に「自分の家の方が大きい」と自慢している姿を見て自然にイライラしていた。
だが二人の傍らでさらに凶悪な表情になっているレミーを見ていると彼女が気の毒になって気持ちを切り替える。
エイリークの娘はあくまでレミーであり、少なくとも速人は他人である。
「お前は余計な事でうるさいんだよ。私に同情するくらいなら、さっさと案内しろよ」
レミーは怒りながら速人の尻を蹴り上げる。
速人は臀部の痛みにレミーと自分との心の距離が近づいていることを確信して、微笑みながらマティス町長の家の玄関まで走って行った。
マティス町長の家の前には呼び鈴はあるのだが、現在は鈴そのものが外されていて使えなくなっている。
前に尋ねた時は修理中だとマティス本人から聞いていたがおそらくは新しい住人の世話に日々の生活を追われて暇が無かったのだろう。
速人は仕方なく家の外玄関に行って扉をノックする。
扉を叩いてからすぐにエプロン姿のマティスの妻アンが外に出て来た。
「どうも、その節はお世話になりました。おひさしぶりです、アンさん」
速人はアンに向かって頭を下げる。
アンは速人の異常なまでにでかい頭を見ると速人の存在をすぐに思い出し、微笑みながら挨拶を返してきた。
「あらあら、それはご丁寧にどうも。速人ちゃん、お久しぶりね。今日はどういったご用件かしら?うちのお父さんなら庭の方に行っていると思うんだけど…」
アンの声を聞きつけた途端にエイリークとマルグリットが急いでやって来る。
エイリークとマルグリットの姿を見たアンは驚きのあまりその場に固まってしまった。
「ゲッ‼アンおばちゃんが生きているぜ、ハニー‼」
「うわっ‼本当だよ、ダーリン‼やばいよ、あった時に何を話すか全然考えていないし…」
(どういう再会の挨拶だよ、こいつらは…)
速人はエイリークとマルグリットから交互に抑えつけられながら三人の姿を見守っていた。




