第百六十九話 サンライズヒルの町に到着する
遅れてすいません。次回は七月二十九日に投稿したいと思います。
レミーは速人に強烈なビンタを一発見舞うと地面に座り込んで泣き出してしまった。
マルグリットはすぐに駆け寄ってレミーの頭を撫でて慰めている。
レミーの父親であるエイリークも彼女が恐怖心から泣いている場面に出くわした経験は無かったらしく妻と娘の姿を見て途方に暮れていた。
そのうちマルグリットに手招きされて一緒に慰めるよう命じられる。
速人はエイリークとマルグリットがレミーを慰めている姿を遠間から眺めながら「いいよ、レミー。実に感動的じゃないか…」と愉悦の笑みを浮かべる。
言うまでも無く速人は変態だった。
パーティーの良心とも言うべき存在、ベックは魔物との死闘でごっそりと精神力を削られ壁に背をつけながら休息を取っている。
本当ならば今すぐにでも孫娘同然のレミーの側にいてやりたかったが、巨大なヤドカリとの戦いで捕食されかけた(※速人が貝殻の方についていた口を破壊したので助かった)時のダメージが原因で立ち上がることが出来なかったのだ。
一方、ベックに次ぐ常識人であるダグザは魔物の死体を調査したいと言って出て行ったきり戻ってはいない。
エイリークはマルグリットと交互にレミーの頭を撫でながらおとなしくダグザの帰還を待っていた。
速人は地面に敷き布を広げて”戦利品”を並べている。魔物の体液や肉片は既に通路の近くを流れている川で洗浄しているので、その仕上げをしている様子だった。
エイリークは鼻歌を歌いながら魔物の死体から穿り出した魔晶石や骨を磨く速人の背中を見ながら種としての隔たりのようなものを感じていた。
やがてレミーの嗚咽が収まった頃、ダグザが通路の出口から姿を現した。
街を出た時は空の状態に近いショルダーバックがパンパンになっていたことにエイリークとマルグリットは何よりの恐怖を覚える。
ダグザは子供の頃から昆虫や化石の標本を作ることが大好きな性格だったのだ。
流石に三十五歳ともなれば止めていた趣味だと思っていただけにエイリークの表情も苦々しいものに変わる。
「速人、礼を言うぞ。お前がここに案内してくれたお陰で実に有意義な時間を過ごすことが出来た。これで曾祖父様の仮説が正しい事が立証されたのだ。近いうちにレポートをまとめることにしよう。はっはっは」
やけにハイテンションなダグザの姿をエイリークたちはジト目で見送る。
その間にもダグザはバッグの中から試験管を取り出して魔素の濃度がどうとかといった専門的な知識が無ければわからない話を速人にしていた。
速人はダグザの話の途中に相槌を打ちながら”戦利品”を風呂敷の中に包んでいる。
ダグザは自分の話が落ち着いたところでレミーとベックの変化に気がついた。
「レミー、ベック、私の見たところでは何か疲れているようだが…休憩を取った方がいいか?最悪の話だがサンライズヒルの町で一泊するつもりだから今無理をすることは無いぞ」
ダグザは恍惚の表情でバッグをポン、ポンと叩く。
本心を言えばこの場で採取した魔物の肉体の一部を分析したいのかもしれない。
エイリークは普段は何かと自分たちを急かしてくるダグザの変貌ぶりに理不尽な怒りを覚える。
すぐ行動に出ない理由といえば先ほどの戦いで目に焼きついてしまった全身が藻に覆われた巨大なサンショウウオのせいだった。
緑と茶色の藻が生えた皮膚の表面はヌルヌルしていて武器が通らない上に、炎と風の魔術に強い耐性を持つ魔物だったのである。
正直な話、二度と遭遇したくはない。
「…いや、私はいい。ここにいるとあいつ等の仲間が来そうだから…。早くサンライズヒルの町に行ってさっさと家に帰ろうぜ」
レミーはダグザと速人に目を合わせないようにしながら通路の出口を目指して歩き出した。
エイリークとマルグリットも指を二本立てて速人たちを威嚇しながら追いかける。
それとほぼ同時に壁に寄っかかっていたベックがどうにか立って速人たちの入る場所まで歩いてきた。
いつもの陽気な初老の男の顔はホラー映画の中盤でモンスターに襲われて死にかけた登場人物のようになっていた。
今のベックからは恐怖で精神がネジくれて疑り深くなっている気配がある。
速人は風呂敷包みを、ダグザはショルダーバックがベックの視界に入らないように配慮する。
ベックは自前の水筒の蓋を開けて喉を鳴らしながら渇きを癒す。
最後に遭遇した人面バッタから逃走する際にかなり吐いてしまったのだ。
(マズイ…。長いつき合いだが、こんなベックは今まで見たことがない…)
(ベックさん…。態度には出さなかったけど本当に”怖い”の駄目なんだ…)
この時、速人とダグザは初めて罪悪感を覚えていた。
「二人とも、先に言っておくが私は融合種族だが生まれてからずっと町の中で過ごしてきたんだ。そりゃ大きな魔物と遭遇した経験は何度かあるけれど、ああいうのは…うえっぷ!…とにかくシグが二十歳になるくらいまでは長生きしたい。…本当に頼むよ」
ベックは速人たちを見向きもせずに全身をよろめかせながらエイリークたちのもとに向かった。
ダグザと速人は早歩きでベックとエイリークたちを追いかける。
二人とも自身の欲望を優先するあまり取り返しのつかない失敗をしてしまった事には違いないだろう。
速人に先んじて川沿いの道から出発していたエイリークたちは細い石造りの通路を通って広間に到達していた。
レミーとベックは広間の隅っこの壁に背中を預けて小休止している。
エイリークとマルグリットは出入り口の反対方向にある礼拝堂のような場所を見て回っていた。
礼拝堂の奥には数体の神像と思しきオブジェが置かれており、二人はそれらの神像を鑑賞しながらホコリを払ってやっていた。
ダグザは近くに行って事細かく観察しつつ、全体的にゆったりとした神像の服装や顔立ちから正体を特定しようとしている。
速人は以前にサンライズヒルの町を訪れた時に使った通路があった寺院とは異なる趣きであることに気がつき、ダグザの意見を聞くことにした。
「ダグザさん。ここに祭られている神様の事を知っているの?」
「ああ、詳しいというほどではないがな。おそらくこれは古代の巨神族の王ロキの子供たちだろう。
先頭にいるツバの広い帽子をかぶっているのが冬の神ヴォーダン、籠から花を撒いているのが春の神シフ、頭に兜、手に鎚を持っているのが夏の神トール、大きな本を持っているのが秋の神ミミルだろうな。ヴォーダンが槍ではなく杖を持っている姿から察するに帝国の人間が使っていた神殿に間違いあるまい」
ダグザは隻眼の厳めしい表情をした髭面の男の神像を見ながら言った。
それもそのはずヴォーダンはナインスリーブスにおいては争乱の根源とされる存在だった。かつてナインスリーブスを支配していた神と同等の力を持っていた巨神族。
彼らの中でも飛び抜けた力を持っていたヴォーダンは”賢王”と呼ばれるロキを邪智を用いて殺害し巨神族の王を名乗る。
彼を王として認めなかった兄弟たちを次々と殺害し、ヨトゥン巨神族の聖地であるヴァルハラ宮殿を血に染めて支配者の座についた。
しかし暴虐の歴史は長く続かず、ヴォーダンの悪政を憎む者たちと虐げられた彼の子供たちの手によって世界の端に存在するという”最果ての崖”に追い詰められて命を落とす。
その亡骸は二度と復活しないように乙女の髪で編んだ布に巻かれて、ハガルの聖刻文字が彫られた愛用の槍と共に崖から落とされた。
それが速人の知るナインスリーブスのヴォーダンにまつわる神話だった。
ダグザたちがヴォーダンの名を”忌むべきもの”として嫌悪しているのは、かの魔王の死体から生まれた魔物たちが世界中に病魔をバラ撒き巨神族が滅びるきっかけを作ったからである。
ちなみにヴォーダン由来の神話の世界では魔王が他の巨神を殺して回ることで新しい季節が到来するということになっている。
ダグザはそれ以上、語ることはなく玄関と思われる場所にエイリークたちを集めた。
速人は最後にチラリと古代の巨神たちの石像を見る。
先の大戦でヨトゥン巨人族のグリンフレイムが名乗った”火炎巨神同盟”とはヴォーダンを倒した彼の息子ヴィーザルが他の巨神たちと共に興した反乱軍のことである。
速人は神像との出会いに運命のようなものを感じていた。
「速人、この建物の外がサンライズヒルの町なのか?」
「どうかな…。実はここだけの話、今来た道は前のとは別の通路なんだ。ちょっと自信無いかも…」
速人は五人から目を反らしながら答えた。
エイリークたちは輪になって協議すると全員で速人を罰を与えることにした。
速人は五人から殴る蹴るの暴行を受けながら自分の行動の軽率さを反省する。
エイリークたちは汗だくになるまで速人を殴り続けたが、当の速人は汚れただけでダメージをほとんど受けてはいない。
ダグザは「これ以上は時間の無駄だ」といって額の汗を拭いながら休止を提案する。
エイリークとレミーは最後まで渋ったがベックから諫められて引き下がる。
速人は身体についたホコリを払い落すと外に出て行った。
建物の外は以前と変わらぬ曇天だった。
これが第十六都市の周囲に張り巡らされている気象制御の魔術の影響なのかは速人にもわからない。
速人は振り返って建物の外観を見つめる。
一見して使われなくなって数十年は経過しているといった風情の建物だった。
荒れ果ててはいるが農作物と思われる植物が雑に繁茂していることから、かろうじて畑もしくは庭園だったことがわかる区画が建物の周囲にあることから自給自足をしていたのではないかという推論が立てられる。
速人は通路を覆い隠すように生えた雑草を鉈で切り払いながら前に進んだ。
その後ろから一人で先に出て行った速人に対して文句を言いながらエイリークたちが追いかけて来る。
速人は手当たり次第に雑草を刈りながら旧街道まで進んだ。
神殿跡地とは元から繋がる道だったせいか地面は平らになっている。
雪近とディーならば草木に巻かれて要らぬ苦労されたのだろうが、運動神経の良い人間ばかりを連れていたので救助に労力を費やすことはなかった。
しかし、エイリークたちは髪や衣服に木の葉や雑草がくっついて不機嫌になっている。
速人はエイリークたちに先んじて旧街道に到着し、周囲の気配を探っていた。
町の周辺はエリオットたちが定期的に警備に出ているので盗賊の出没は無いと思われるが可能な限りは戦闘は避けたい。
速人は五感を研ぎ澄まし、周囲の変化に気を配った。
そして次の瞬間、エイリークに背後からドロップキックをもらった。
速人はバランスを崩し、地面に顔を叩きつける。
(奇襲でダウンを奪ってからストンピングか。実に芸の無いことだ)
速人は受け身を取って素早く回転し、上半身だけを起こした状態でエイリークの追撃を待ち構えた。
エイリークは髪についたゴミを取っている最中だった。
ウェーブのかかった金髪を腰まで伸ばしているので茂みを抜ける途中で草や葉っぱがくっついて装飾されたクリスマスツリーのような状態になっている。
速人はすぐに己の過ちに気がつきエイリークの髪にくっついたゴミを取るのを手伝った。
途中、エイリークが何度か悲鳴を上げることになったがそれらは全て飽きっぽい性格のマルグリットが強引に引き千切った結果である。
速人はめそめそと泣くエイリークの髪をブラシでとかしてやることにした。
「痛えよ、ハニー。何も引っ張ることは無えだろうよ…」
エイリークは千切られた部分に自分でハサミを入れている。
マルグリットは道路の脇にあったベンチの上に腰を下ろして速人とベックとダグザに髪の手入れをさせていた。
ベンチは旧街道を使う人間が休憩する為に用意されたもので、周囲には穴だらけになっているが屋根のついた建物の跡がある。
レミーはマルグリットの隣に座って遠くの景色を見ていた。
レミー自身は両親が仕事で第十六都市の外に出た経験はあったが、戦後に封鎖された旧街道やサンライズヒルの町に行ったことは無い。
深呼吸のついでに泥の匂いが混じった空気まで鼻から吸い込んで咽っかえってしまった。
「げほっ、げほっ!何だよ、この臭いは…。何気に最悪だな」
「アハハハッ!レミーにしてみれば最悪なのかもしれないけれどさ、アタシにとってはこれが普通だ
ったんだよ?晴れていたと思ったら、急に嵐になったりしてホント大変だったんだから」
レミーの驚く様子を見てマルグリットは苦笑する。
子供の頃まで都市の外で暮らしていたマルグリットにとっては常に不安定な環境の方が日常だったのだ。
マルグリットはポケットからハンカチを取り出してレミーの鼻や口を拭ってやる。
(…このアタシが自分の子供の世話をしてやろうなんて思うようになったのは、町のみんなのおかげだね)
マルグリットは感慨に浸りながら拭いていたが、力の加減を間違えてレミーの口と鼻を塞いでしまった為に逃げられてしまった。
マルグリットの髪の毛についたゴミの処理が終わるとダグザとベックとレミーが速人の前に現れる。
レミーはマルグリットに思い切りゴシゴシされたせいで鼻と口の真っ赤になっていた。
三人を代表してダグザが質問を始める。
「速人、サンライズヒルの町は見つかったのか?困っているようなら私が魔術で現在位置を確認することも出来るのだが…」
ダグザが魔術杖で占術を使うことは速人も知っていた。
だがしかし神殿の外の景色は以前にサンライズヒルの町を訪れた時から知っている場所だったので今すぐにでも案内することが可能である。
「いや。もう大丈夫だよ、ダグザさん。この道を川の流れに沿って進んで行けばすぐにサンライズヒルの町に着くから」
「おい。本当に大丈夫なんだろうな?今度私に嘘をついたらアインとシグを酷い目に合わせるからな…」
「さっきから思っていた事なんだが、ここはサンライズヒルの町の近くと考えて間違いないだろう。私は町の住人ではないが”高原の羊たち”のメンバーだった頃は何度も来たことがあるからね。それとレミー、アインとシグを虐めるのは止めなさい。あんまり弱いもの虐めばかりしていると…、エイリークみたいになってしまうぞ?」
レミーはベックの説教を聞いた途端に驚愕の表情のまま凍りついてしまった。
エイリークは娘のレミーにとって尊敬できる大人であると同時に絶対に将来なりたくない大人でもあったのだ。
レミーはショックのあまりガタガタと震えながら親指の爪を齧っている。
ベックはすぐにレミーの隣で笑いながら謝罪を繰り返していた。
しばらくしてエイリークの髪が元通りになった頃、速人は五人を連れてサンライズヒルの町に向かった。
ねずみ色の川の流れに沿って歩いて行くうちに速人たちは洪水の後に荒れたままになっている畑を見つける。
エイリークたちは元の活気に富んだサンライズヒルの町を知っているだけに悲哀に満ちた目で泥水をかぶった土地を見ながら歩いていた。
ベックは時々、立ち止まり畑の方を見ながら天に向かって祈りを捧げている。
「ベック、そろそろ行こうぜ。エリオたちが待っている。お祈りは爺ちゃんのご苦労さん会が終わったら、みんなでやろうぜ。その方がいいに決まっている」
「やれやれ。お前に心配されるようでは私もまだまだ修行が足りんな。だがエイリーク、お前の言う通りだ。死んだ連中には悪いが今は親方の問題を優先させてもらおう」
エイリークは微笑みながらベックの肩を叩く。
エイリークの父親が死んだ時もベックは涙を流さず静かに祈りを続けた。
ベックが今までどれほど涙を流すことを我慢してきたかをエイリークは知らない。
戦争が終わってからもベックは泣くことはないだろう。
ベックもまた微笑みながらエイリークの肩を軽く叩いた。
ベックは照れているせいか顔だけではなく耳まで赤くなっている。
マルグリットとダグザはベックを見て笑っていた。
「おい、速人。向こうから何かが来るぞ?」
速人はエイリークに呼び止められる。
荒地となった畑の向こうにある森から何かが飛び跳ねながら走っている。
ぐおっぐおっ!
背中に鞭を打たれ速度が上がる度にそれは大きく吠えた。
耳まで裂けた口の中で巨大な犬歯がギラリと輝く。
明星のように赤い双眸は殺意の込めて速人たちに向けられる。
猿だ。
立ち上がれば六メートルくらいはありそうな巨大な猿が大地に爪痕を残しながら突進していた。
ダグザとベックは互いに抱き合って怯えている。
「ホウ!ホウ!ホウホウホウッ!ヒャアアアッ!」
猿の上には人が乗っていた。
胸と肩、背中には炎を纏う戦士たちの刺青が彫ってある。
黒い髪を逆立て、顔にはやはり燃え盛る炎のようなメイクが施されていた。
猿に乗った戦士の一人が急停止した後、後続の戦士を乗せた猿も立ち止まった。
速人は戦士たちのリーダーと思われる女性の顔をじっと見つめる。
(あれはたしか…テレジアさんの長女の…)
速人が考え事をしていると女戦士の背後にいる女戦士たちが弓矢を構えていた。
戦闘のモヒカンヘアーの女戦士は片手を上げて矢の発射を止めさせた。
「お前は豚面の悪魔…ッ‼やはり母様の言った通り村に現れたか!今度は一体何の用だッ!」
女戦士は敵意をむき出しにしながら速人に吠えてかかった。
速人はその時になってようやく彼女の名前を思い出す。
かの女戦士の正体はサンライズヒルの町に住むヨトゥン巨人族の長テレジアの長女ダイアナだった。




