第百五十九話 再びサンライズヒルの町へ
遅れてしまいました。もうしわけありません。
次回は七月四日くらいに投稿したいと思います。
好奇心旺盛な年頃の少女レミーも人が死んだという話題が出てくると眉をひそめる。
戦争が終わってから十年以上の時間が経過しているが、戦禍の爪痕は深く人々は何かと神経質になっていた。
レミーとアインも学校の教師たちから戦争とは忌むべきものであると教えられている。
レミーはこれ以上は何も聞きたくはないと黙り込んでしまった。
速人はレミーの心情を察して話を打ち切ることにする。
速人はこの場を適当に切り上げて次の行動に移る為に、事務所の内部にある炊事場へと向かった。
その理由とはケーキを食べる時に使った食器を洗う為に他ならない。
家事とヌンチャクに愛された少年、速人は何をするにもまず目先の仕事を終わらせなければならぬと心に決めていた。
食器は使い終わったら水につけてすぐ洗う。
それが終わったら布巾で拭いて元あった場所に戻す。
速人の生活は異世界にあっても変わる事はないのだのだのだ…(残響音)。
速人は外で大人たちがめそめそと泣く声をバックミュージックに食器を洗っていた。
側では速人と同じ世界の江戸時代から来た青年「宗雪近」とヨトゥン巨人族の青年「ディー」が棚に洗い終わった食器を運んでいる。
二人の青年の家事への熟練度はこの一か月で中年の主婦レベルまで上がっていた。
速人はアップルジンジャーケーキが乗っていた大皿の水滴を残らず拭き取ると雪近とディーに棚から離れるように指示をする。
仕事とは慣れてきた頃が一番失敗し易いものだ。
などと古典の随筆「徒然草」の一文を思い出しながら速人は棚の一番上にケーキ皿を置く。
速人が”高原の羊たち”の事務所に出入りするまでは埃だらけの場所だったが、今は新品と見紛うばかりの光沢を見せている。
速人は自身の仕事ぶりに満足しながら音を立てずに長方形の大きな皿をあるべき場所に置いた。
そして脚立代わりに使った長椅子をテーブルの前に戻す。
小休止用のテーブルと長椅子はダグザとレクサの寄贈品らしい。
「速人、ところでこれからどうするのさ。やっぱりエリオットさんとセオドアのところに行って説得するの?」
ディーは椅子に掛けながら疲れた様子で尋ねる。
正確な数は調べていないが今日の集会には百人以上の人間が出席しているだろう。
家事の熟練度が中年の主婦レベルの雪近とディーには荷が重すぎたようだ。
ビシィッ‼
速人は人差し指を親指で止めて、ディーの白磁器のように細やかな額にデコピンを打ち込んだ。
ディーは地面に這いつくばって悶絶している。
数日前から速人はこの二人にサンライズヒルの町の事は他言無用と言っておいたのだ。
「この脳足りんが…ッ‼ディー、お前の首の上に乗っているのは頭じゃなくて野菜か何かか?今の時点じゃ俺はエリオットとセオドアの居場所を知らない事になってンだよ‼こんな話をあの毎日お祭り騒ぎ脳のおめでたい連中に聞かれたら色々と面倒じゃねえか‼」
「うう…。すごく痛い…。でもゴメン、また俺やキチカのせいでまたダグザさんに疑われたんだっけね…」
ディーは涙を流しながら額に手を当てている。
ディーは本気デコピンを食らえば一撃で昏倒する事を知っていた為に、自分が加減をされている事も理解していた。
速人は反省した姿を見届けた後、冷えタオルをディーの額に当てる。
ディーの額の中央には小さな赤い丸の痣が出来上がっていた。
雪近は傷ついたディーを心配しながら速人にエリオットたちを町の中に入れる方法について質問をする。
「前々から俺たちの失敗は認めるし、反省もしてるよ。けど仮に説得に成功したとしてどうやって町の中に入れるつもりだよ。俺もこの町に来てそう長いわけじゃないが、出て行くのは簡単だけど入って戻るのは難しいんじゃねえの?」
速人は核心を衝かれて不快を露わにする。
第十六都市は出て行く者に対しては寛容な態度を示すが、戻って来る者に対しては厳しい態度で接する。
速人や雪近のような人権さえ認められていない人種は論外だが、親の不祥事が原因で街を出奔したエリオットとセオドアが帰還するのは難しいだろう。
例え二人が優良種たるアポロニア・リュカオン族であっても免罪符にはならない。
さらに前大戦最大の戦犯であるグリンフレイムの妻テレジアの下に身を寄せていた事が判明すれば死刑という結果も十分に考えられる。
もしも考え得る状況の中で最悪の事態ともなればエイリークたちも黙ってはいないだろう。
速人は当初からスウェンスの問題が解決してからエリオットたちの話をするつもりだっただけにとんだ計算違いとなってしまったことは言うまでもない。
「俺としては二人を薬物で眠らせた後、家畜の腹に詰めて町の中に連れて行くつもりだが…。他にいい方法はあるか?」
速人は以前から宴会に使った羊や牛を解体しながら内臓を抜いて代わりに人間を詰めて移送する方法を考えていた。
感知系の魔術によって発見される可能性があったが、その場合は家畜に丸呑みされたところを救ったと主張して誤魔化すつもりだった。あまりの突飛な発想に雪近とディーは顔面蒼白となる。
「…速人よお。お前には人間の感情とかないのか?」
その時、速人は頭頂部を鷲掴みされて目線の位置まで持ち上げられる。
射抜くが如き視線の主はエイリークだった。
マルグリット、レミー、アインも一緒に来ている。エイリークとその家族は速人に対して極めて非友好的な雰囲気を漂わせている。
彼らはしばらくキッチンには来ないものと思っていたので手痛い失敗だった。
エイリークは片手でスイカジュースが作れそうなほどの力を込めて速人の頭に指を食い込ませる。
「この嘘つき小僧が、今日という今日は絶対に勘弁ならねえッ‼エリオとテオをどこに隠しやがった‼吐け、全部吐いて楽になっちまえ‼」
エイリークは腰まである金髪を振り乱しながら速人の身体を上下に大きく振った。
レミーは自分の喉をかっ切った後に舌を出して親指を下に向けている。
マルグリットは両方の親指を下方に向けて「地獄に落ちろ」というジェスチャーを送っていた。
速人は両親と姉を説得するようにアインに目で頼んでみたが、アインは後ろを向いて何も見なかったフリをしていた。
かくして速人はエイリークによってバスケットボールのドリブルよろしく地面に何度も叩きつけられてボロボロになってしまった。
「どうだ、こん畜生が。ハア…、ハア…。大人の無茶を甘く見るんじゃねえぞ、速人。エリオとテオの居場所をさっさと吐きやがれってんだ…」
エイリークは全身から汗を流しながら苦しそうに呼吸をしている。
かつての大戦の英雄も時を経て、肉体が中年化している何よりの証拠だった。
「二人の居場所を教えてもいいけれど、一つだけ条件がある。それを守れないなら質問には答えられないな」
速人は最後の条件という部分には警告の意味を込めて言った。
エイリークは考える素振りを見せた後に無言で首を縦に振る。
本能だけで行動する馬鹿に見えて、要所では機知を働かせられる優秀な男だった。
レミーが何かを言いたそうな顔をしていたが、マルグリットが引き止めた。
エイリークは速人の両脚から手を放すとマルグリットと一緒にロープでグルグル巻きにした。
そしてロープの先を長い棒に結びつけると速人を外に引きずって行く。
かくして速人は事務所の前で逆さ吊りの状態で外に出されることになった。
速人は寂しげな瞳で人々に解放を訴えたが誰一人として同情する者はいなかった。
ベックやアルフォンスでさえエイリークたちの物騒な表情から当然の理由というものを察していた。
エイリークは速人の頭をバンバン叩きながら事務所の前に集まった人々に速人の非道を訴えた。
「おい、お前ら静粛にしろ。これからこの嘘つき小僧の弾劾裁判を始めるからよ。まず最初にコイツの最大の罪だが、俺の事を全然尊敬していない。次にこれは二番目くらいに重要な話だが、エリオとテオの居場所を知っているらしい。以上だ」
エイリークは大きく手を振り上げてから速人の尻を叩いた。
速人はさして変わった様子を見せることもなく無機質な瞳でエイリークを見ている。
そして、エリオットとセオドアの行方について話題が上がった事をきっかけに集まった人々が騒ぎ出した。
ダグザが彼らを代表してエイリークの前に現れた。
「速人、この前私にもう隠し事はしないと言った矢先にコレか。このまま大きな石を抱かせて川に沈めてしまいたいところだが私も一児の父だ。今回だけは許してやろう。それでエイリーク、エリオたちはどこに身を潜めているんだ?」
エイリークは速人の両頬をつまんでから限界まで引き延ばす。
結果速人のほっぺは餅のようにどこまでも伸びたが気持ち悪かったので止めることにした。
「まだ居場所までは聞いてねえよ。おい、速人。約束とやらはダグが守ってくれるそうだからさっさとエリオとテオの居場所を言っちまいな」
「速人、さっさと喋らないとレミーとアインとダグ兄が苦しむことになるよ。アンタそれでもいいのかい?」
マルグリットはその場から逃げようとするレミーとアインの手を掴みながら言った。
ダグザは既にエイリークによってヘッドロックをかけられた状態で捉えられていた。
(このままではダグザさんは痛みが原因で心理的外傷になって不能に、レミーとアインは両親に裏切られたことがきっかけで食べ物の好き嫌いが多い悪い大人になってしまう…。俺はどうすればいいんだ⁉)
速人は左右に体を振りながら考えるが身体に縄が食い込んで痛いだけだった。
「わかった。言う通りにするからレミーとアインとダグザさんを放してやってくれ。ついでに俺も頭に血が集まって気持ち悪くなってきたから降ろして欲しい…。うえっ…」
比喩表現ではなく速人の顔は青くなっていた。
流石のエイリークとマルグリットも変わり果てた速人の姿に気味が悪くなってきたので縄を解いて下ろしてやることにした。
数十秒後、速人は足元をふらつかせながらエリオットたちの現状について説明する。
「一応最初にエリオットさんとセオドアさんについて説明させてもらうけど、二人は別の場所で結婚をしていて家庭を持っている。そこで俺からの条件はたった一つだ。二人を無理矢理連れ戻すような真似だけはしないで欲しい」
速人はエイリークたちの様子を注視する。
集まった人々の大半は二人の現状について各々の意見を交換するようになっていた。
やがて群衆の騒ぎが収まると彼らを代表してエイリークが速人に質問をする。
「なあ、速人。一つ、質問いいか?今みんなで話していたんだけど、こればっかりは気になってしょうがねえんだ。エリオットが結婚したってのはまあわかるが、テオが結婚したってのは嘘だろ?」
「そうさね、速人。あんな挙動不審を絵に描いたような人間と一緒になりたい女はいないよ…」
その場にいた全員がエイリークとマルグリットの意見に同意する。
少なくとも速人はセオドアの妻ジュリアと二人の間に生まれた五人の子供たちを知っているので否定する他なかった。
「しかし俺にはセオドアさんには2Dじゃない3Dのリアル嫁が存在するとしか言えない。以上」
そこからまた騒動が再開された。
今度はセオドアが妻帯しているという事実に対する一方的な批判が繰り返される。
「惚れ薬か、催眠術で…」
「実はどこかの国の王子様っていう洒落にならない嘘を…」と心無い意見が聞こえてくる。
速人は彼らの議論に耳を傾けながらセオドアに対して憐みの情を覚えるようになっていた。
しばらくして皆の騒ぎが収まり、エイリークが”速人の出した条件を飲む”という結論を出したことを伝える。
(※責任は全てダグザ持ち)
「わかった。速人、俺たちはお前の指示に従う。何があってもエリオとテオを無理矢理連れ戻すような真似はしない。…テオが結婚詐欺をしてたら止めさせるけどな。それで二人は今どこにいるんだ?」
エイリークは爽やかな笑顔で速人の頭を何度も叩いた。
速人は叩かれた回数を心の中で数えている。
痛みよりもエイリークの手に染みついた整髪料の匂いが速人をイラつかせた。
「二人は第十六都市の外にあるサンライズヒルの町に住んでいる。アンドそろそろ俺の頭を叩くのを止めないと指の爪を一枚ずつ剥がすかもしれない」
速人はそう言いながらエイリークの手を頭から除けた。
エイリークは何かに驚いた様子ですぐに言い返してきた。
「ああッ⁉サンライズヒルだ?馬鹿言うな、そこはもう無えよ。町は戦争で燃えちまったし、住人は一人を覗いて皆死んじまったんだ。なあ、ハニー?」
マルグリットも頭を縦に振って同意する。
彼女の浮かない様子を見る限りではあまり良い記憶ではないらしい。
そしてサンライズヒルの町の名前が出て来た途端に集まった人々の表情も暗いものになっていた。