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第百五十七話 失われた時をもう一度

次回は六月二十日に投稿する予定です。暑くてバテていました。ごめんなさい。

 翌日、速人はエイリーク一家と同居人の雪近とディーの世話をさっさと終わらせるとそのままダグザの住んでいるアパートに向かった。

 出かける前に、ケーキの試食会は昼すぎに隊商”高原の羊たち”の事務所で行うという約束をする。   

 その際にエイリークとマルグリットは半分寝ているような状態だったが、レミーとアインも学校が終わってから来るような事を言っていたので二人が約束を忘れてしまった時にはフォローを頼んでおいたのだ。

 かくして速人は麦わらのバスケットを持ってダグザのもとに向かう。

 

 エイリークは速人の姿が見えなくなると二度寝に入ってしまったが隣のソリトンの家に泊まっていたベックがアームロックからのスリーパーホールドで見事に起こしてくれたらしい。

 後日、レミーからその話を聞いた速人はベックにお礼を兼ねてピーナッツのジャムを持って行った。

 本編とは全く関係のない話だがベックはソルトピーナッツやピーナッツバターをパンに塗って食べることを好む。


 ダグザは自立の意志表明の為に両親の住む上層の立派な家ではなく、中層のアパートに住んでいる。

 

 ダグザとレクサの感覚では模範的な”庶民の住まい”なのだろうが、速人の目には高額所得者ばかり暮らしている建物としか映らない。

 こちらの建物には荷物移送専門のエレベーターがあるとダグザから聞かされている。

 速人は管理人の案内でダグザの部屋に向かうと事情を説明する。

 ダグザは速人から話を聞いた後にレクサとアダンを連れて上層にあるダールの家に向かった。アダンの世話はレクサの実家か、ダグザの実家、もしくは速人が引き受けている。

 ダグザとレクサは夫婦揃って有能な人物なので日曜日以外はほとんど休暇を取っていない。

 速人は二人の勤勉実直な性格を好ましく思っていたのでアダンの世話は出来る限り手伝っていた。

 かくして速人は三人を連れて再びダールの家にやって来たのである。


 ダールの家では既にダールとエリーは朝食を終えたばかりであった。

 ダールは今週は珍しく休日を二日続けて取っていたらしい。

 

 速人は室内に通されて直ぐに勿怪の幸いとバスケットの蓋を開けた。

 ダールはバスケットの中から流れ出る懐かしい香気に当てられ普段以上に険しい顔になる。

 逆にエリーは懐かしい香りを前に手を叩いて満面の笑顔を見せた。

 

 ダグザとエリーは極めて相対的な両親(エイリーにとっては義父、義母)の対応に困惑してしまう。

 

 速人は口もとをいやらしく歪ませてバスケットの中から茶色の長方形の包みを取り出した。

 それを見た瞬間、ダールの顔が食事に毒を盛られた地獄の魔王のそれに変わった。

 この時はうら若きダールの物憂げな横顔に一目惚れしてダールの祖母に婚約の申し入れをしたという逸話を持つエリーも戦慄してしまう。


 「いかがですか、ダールさん。これが私の本気というものですよ。ぐふふふ…」


 チッ‼


 ダールは雷鳴のような舌打ちをした。

 速人はケーキの包みを解いてから中身を見せつける。

 それはダールの記憶の中にある母親が焼いたケーキと同じ物だった。

 外観だけではなく匂いも完全に再現されている。

 速人は呆然と立ち尽くすダールをよそにエリーの許可を取ってからキッチンに向かった。

 

 ダールは居間のソファに座り、手を組みながら速人の到着を待った。

 

 エリーはダールの事を心配しながらもレクサと一緒にアダンとの再会を楽しんでいる。

 

 ダグザも父ダールの異変を心配しながら速人の後についてキッチンへと向かっていた。


 速人はキッチンで特にダグザと会話を交わすこともなく、ダールとエリーの分のケーキを切り分けた。


 ダグザとレクサには”高原の羊たち”の事務所に行った時に昔なじみの仲間たちと一緒に食べてもらうつもりだった。

 一応、その辺の説明はダグザの家を出る前に済ませている。


 速人はまだ温かいお茶が入った小鍋に火をかけてから例の小瓶の中身を匙ですくって入れる。

 火をかけた小鍋から沸き立つ匂いに、ダグザは過去の記憶に思いを馳せてしまう。

 それはダグザが子供の頃、風邪で寝込んでしまった時に祖母メリッサが用意してくれたお茶の香りだった。

 速人は温まったお茶をティーカップに注いでからトレイに乗せる。

 そしてまだ呆気に取られたままになっているダグザに声をかけてから居間に戻った。

 速人は両手に二枚のトレイを持って居間に現れた。

 その後ろからやや気疲れしたような顔をしたダグザが現れる。


 速人はダールとエリーの前にケーキの皿を置いた。


 「フン。速人、やはりお前は何もわかってはいないな。料理とは食べさせるものではない。食べてもらうものなのだ。いくらお前が母上のケーキに似せた物を作ろうとも本物を知る私やエリーの心を動かそうなどと思い上がりも甚だしいぞ」


 ダールはフォークを手にしながらも目の前のケーキを口に運ぼうとしない。

 この魔王の如き容姿を持つ男にも迷いというものがるのか。

 しかし、彼の隣に座るエリーは普通にケーキを食べている。

 

 エリーはメリッサが生きていた頃を思い出してか、食べている途中に涙を拭っていた。

 

 ダールはエリーが涙を流している姿を見て、余計に食べ難くなってしまった。

 ダグザたちの前で生前の母の姿を思い出して涙ぐむ姿を見られたくなかったのである。


 「…。えーと、じゃあ…御義父様。これ、私が食べてしまいましょうか?」


 レクサは対面に座るダールの皿に向かって手を伸ばそうとする。

 それはレクサ的には”ダールが食べないから自分が食べる”という親切心と利己的な欲求から生じたごく自然な行為だった。


 「結構だ。君はおとなしくしていたまえ、アレクサンドラ」


 しかし、ダールは一瞬で普段の姿に戻って皿を自分のところに引き寄せる。

 アレクサンドラ(レクサ)の事は生まれた時から知っているが、彼女の無神経な部分を常に神経を尖らせていた。


 さくっ。さくっ。すっ。…ぱくっ。


 ダールは電光石火の勢いでケーキをフォークで切ってから口に運ぶ。

 速人は踵を返して用済みとなった食器をキッチンに運んだ。


 程無くして居間からダールのすすり泣く声が聞こえてきた。


 速人は居間に戻るタイミングを計りながら洗い場に残っている食器を洗っていた。

 エリーは朝と昼の分をまとめて洗う性分なのか、残っている食器の量は多かった。

 速人は鍋、フライパンを水につけてその間にフォーク、スプーンと皿、カップを順に洗った。

 次にタワシで鍋とフライパンを洗い、最後にそれらの食器についた水を拭き取る。

 台所の食器を全て食器棚に片付け終わった後、速人は手を洗ってから居間に戻った。


 居間では目を腫らしたダールがハンカチで鼻を拭いている。

 そして、部屋に取り残されたエリーとダグザとレクサが恨みがましい顔で速人を睨んでいる。

 この場合、控えめに言ってもダールの世話を押しつけてしまったのかもしれない。


 速人は意味も無く微笑みながら、三人からは露骨に目を逸らしていた。


 「速人、まず最初に礼を言っておこう。君のおかげで母上の料理を久々に堪能させてもらったよ。ありがとう」


 ダールは速人に向かって深々と頭を下げた。

 速人も同様に頭を垂れる。

 その後ダールは努めて無心にケーキを食べてしまった。


 「だが私の父がこのケーキを食べても喜びはしないだろう。私が思うに、このケーキもまた母が存命だったからこそ好んで食べていたのだ」


 そこまで言ってからダールはハンカチで鼻水を拭ってから咳払いをした。

 どうやら話の途中で色々な出来事を思い出し、感極まってしまったのだろう。

 速人はあえて不調なダールの様子に気がつかないフリをしながら、彼の懸念について答えることにした。


 「実は俺昨日レミーにも、今のダールさんと同じような事を言われましてね。その時からずっと考えていたんですよ。今のスウェンスさんに必要なのは昔の思い出を大事にすることじゃなくて、この先どうやって生きていくかなんじゃないかって」


 ダールは速人がスウェンス自身の将来の展望について語った時に目を逸らしてしまった。

 それはダールがルギオン家の嫡子として責務を果たせなかった事が要因の一つでもあったからである。

 

 では何をどうすべきか?


 ダールは何かを訴えるような眼差しで速人を見つめる。

 戦後、十年の月日が経過したがダールには答えを出すことが出来ない命題でもある。


 速人はダールの抱き続けた辛苦を労うような口調で、かつてスウェンスの家で開かれていた慎ましやかな”茶会”を再開することを提案する。


 「そこで俺、考えたんだよ。もう一回、スウェンスの家でお茶会をやるのがいいんじゃないかって。多分、全部元通りってわけにはいかないだろうけど、スウェンスさんがどれほど多くの人々に必要とされているかって知ってもらわなきゃならないんだ」


 「それが父の心の傷に塩を塗り込むことになってもか?…正直、私は反対だ。少なくとも私はその場にいる資格はない…」


 ダールは項垂れて目を伏せてしまった。

 かつて茶会に参加していたのはエイリークたちだけではない。

 ダールの親友であるエイリークの父マールティネス、祖父のダルダンチェスらも参加していたのだ。

 二人は己の使命を果たし、天に召された。

 ダールの母メリッサの事と同様に、空いてしまった席の事など今さら考えたくはない。


 「まあ今回だけは俺も無理強いはしないよ。だけど”お茶会”が上手く行ったら、ダールさんも参加してくれよ」


 そう言い残すと速人は背もたれのついていない椅子から立ち上がるとダールとエリーに別れの挨拶をする。

 ダールは俯いたまま返事らしき呟きを残す。

 エリーは苦笑しながらアダンとダールの心配はないと速人に告げた。

 速人は最後にもう一度、頭を下げてから玄関に向かった。

 後からダグザとレクサが慌てて速人を追って来る。

 どうやら二人は、先刻の速人の明け透けのない物言いに驚かされてばかりといった様子だった。


 「速人。お前な、私の父を虐めるな。あんな見た目が恐い人でも身内の話ともなれば心細くなることもあるんだ。全く…、子供だからといって何を言っても許されると思うなよ?」


 速人は「ハイハイ。ワカリマシタ」と言ってダグザを追い返す。


 事務所までの道中でレクサからも”私が義母と義父に嫌われたらどうしてくれる”と散々、文句を言われたが歩行速度を上げて上手に躱して行った。


 三十分後、速人たちは都市の中層にある”高原の羊たち”の事務所の近所に到着する。


 ダグザとレクサは速人に文句をつけながら早歩きで移動していたので汗まみれになっていた。

 大人が百人くらい収容できそうな事務所の前には”行列が出来るラーメン屋さん”のピーク時くらいの人々並んでいた。

 遠間から見ても並んでいる面子は皆エイリークの知人ばかり。

 早くも速人の脳裏には嫌な予感しかしない。


 速人が眉間に皺を寄せ額から汗を垂らしていると、中通りの向こうからぜえぜえと息を吐きながらダグザとレクサが姿を現す。

 先ほどまで口うるさかった二人もこの光景を見てしまった後では何も言えなくなってしまっている。


 速人は行列の原因が半分わかっていながらもダグザに事の次第について尋ねた。


 「ダグザさん、この長蛇の列は一体…?」


 「あまり考えたくはないのだが、エイリークが祖母の茶会に参加していた人間全員に声をかけたのだろう。多分お前への嫌がらせの為に…」


 ダグザは落ちかかった前髪をかき上げて遠くから列の端から端までを見渡す。

 誰もが見覚えのある顔ぶれであり、紛れもなく新旧の隊商キャラバン”高原の羊たち”のメンバーだった。

 人だかりの側にある郵便屋(※第十六都市には郵便局というものが存在しないので配達、配送業は郵便屋という民間の組織が請け負っている)の軒先ではシャーリーが息子のケニーの襟首を掴んで「黙れ」と脅かしていた。

 会話の内容から察するにケニーがシャーリーに家に帰れと言ったらしい。

 牝ライオンと牡のハツカネズミ、戦ってどちらが勝つかなど想像するまでもない。

 ケニーは父アルフォンスに引っ張られて安全な場所に運ばれていた。

 速人がシャーリーに乱暴狼藉を控えるように伝えに行こうとした時、事務所の前でウンコ座りをしているエイリークと目が合った。

 エイリークはすぐに立ち上がり、両手をショートパンツのポケットに手を突っ込んで大股で近づいて来る。


 「おう、速人。ずいぶん遅かったじゃねえかよ。お前がダグと一緒に悪巧みをしている間に俺様は仲間全員に声をかけておいたぜ?…やっぱり戦いで最後に物を言うのは数だよな?」


 エイリークは世の中の全てを見下している男のような顔つきで言う。


 …かつて倍以上の軍勢を相手に戦った男とは思えぬような発言だった。


 速人は一発殴ってやりたい心境だったが、時間が差し迫っている為に今回は見送る事にした。

 エイリークは速人との一戦を見越してファイティングポーズを取っていたが、速人は隣を素通りする。

 速人はダグザにケーキの準備に入る事を伝えて事務所の中に入った。

 ケーキは既にソリトンとハンスによって事務所の中に運び込まれている。

 ダグザはこの場に集まった人間に一列に並ぶようにしろとエイリークに説明していた。


 速人は事務所の内部でボコボコに殴られて地面に転がっているソリトンとハンスに頭を下げておいた。


 かくして数名の尊い犠牲のもとに(ケーキは元の四分の一くらいのサイズになってしまったが)メリッサのケーキの試食会を開くことになった。

 最前列には当然のようにエイリークとマルグリットの夫婦がケーキの乗った皿を手にして立っている。

 エイリークは悪者のような顔しながらフォークの先でケーキを突いていた。


 「おい、速人。これが婆ちゃんのケーキだってか?グルメの俺様に中途半端なものを食わせやがったらタダじゃおかねえからな?」


 エイリークは正方形に切り分けられたケーキを鼻先まで近づける。

 そして鼻の穴をいっぱいに広げてから匂いを嗅いでいた。

 懐かしいリンゴとショウガとラム酒の香りがエイリークの鼻腔をくすぐる。

 それまで性格のねじくれた餓鬼のような顔をしていたエイリークの顔は一瞬にして普段の精悍な顔立ちの美男に戻る。

 

 いや戻らざるを得なかった。


 エイリークは一息ついてから茶色のケーキを口の中に入れた。

 何度か噛んでから喉の奥に流し込む。


 (これは婆ちゃんの作っていたケーキの味だ。畜生、速人の野郎はやっぱり嫌な野郎だ)


 エイリークは口内に残るすりおろしたリンゴとショウガの食感と共に昔を思い出す。


 「速人、お前はつくづく嫌なガキだ。俺様にこんなものを食わせるなんてよ。おかげで思い出したくないことまで思い出しちまったじゃねえかよ…」


 気がつくとエイリークは両目に涙を浮かべていた。

 速人は用意しておいたハンカチをエイリークに渡す。

 エイリークは涙を拭った後、ずずずっと鼻をかんでいた。

 

 ナインスリーブスはまだティッシュペーパーの存在しない世界なのでこれだけは許容せざるを得なかった。


 エイリークはこの場に集まった仲間たちの姿を感慨深げに見守っている。

 今ここにいる人間、いなくなってしまった人間はエイリークにとってかけがえのない存在だ。

 レプラコーン区画の自宅で過ごしているスウェンスも間違いなくその一人だろう。


 「それでこんなものを作って、お前はどうするつもりなんだ?…まあ大体、想像はつくけどよ」


 エイリークは大きく溜め息をつく。


 スウェンスを一人にしておくつもりは無かった。

 メリッサの突然の死、レミーとアインの誕生。

 たくさんの出来事を理由に疎遠になっていたことも事実である。

 今ここで重い腰を上げなければ永遠に会う機会はないのかもしれない。


 速人はエイリークの複雑な胸中を察しながら話を続ける。


 「実はエイリークさんたちに昔スウェンスさんの家でやっていたお茶会をやってもらおうと思っているんだ。全部が昔のままとは行かないだろうけど、お茶会でスウェンスさんと今まであった出来事の話をして欲しいとも思っている。駄目かな?」



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