第百五十四話 謎は解けた‼
すいません。遅れました。次回は六月五日に投稿する予定です。
翌日、速人とダグザとレクサとアダンと一緒にダールの家を訪問していた。
速人的にはダグザの両親からメリッサの料理について聞くのは最後の手段と考えていた為に心苦しい展開だった。
速人は腕に抱いたアダンが機嫌を損ねないように頭を撫でてやったりする。
アダンは父親と祖父の遺伝のせいかとても気難しいところがあった。
少しでも気に入らないことがあろうものならすぐにぐずりだすのである。
今朝もエイリークの雑な抱っこのせいでアダンが大泣きしてしまったのだ。
もっともこの話で速人はエイリークを責めることはなく、ひどく落ち込んだエイリーク(※マルグリットとレクサからダブルで説教を食らった)を慰めてやるほどだった。
この時点で生まれたばかりのアダンの中では 実母 = 速人 という認識が生まれていたことは言うまでもない。
「すまんな、速人。私たちも子供のあつかいには慣れているつもりだが…。アダンに関してはお前に任せるほかない」
「アムとレミーはおとなしかったからねー…。まさか自分たちの子供でこんなに手を焼くとは思わなかったのよ」
(それでも育児を放棄しないだけマシだろう)
速人は孫たちを慰める好々爺(※10歳)のような視線を二人に向ける。
ダグザとレクサは同時にため息を吐いた後、ダールの家の扉に手をかける。
山々に囲まれ、鬱蒼とした森の奥の古城に潜んでいそうなダールだったが上層に住む人間の普通の屋敷に住んでいた。
出入りをしている使用人は数えるくらいでエリーの実家に古くから仕える人間ばかりである。
第十六都市の市議会において角小人族の筆頭議員の邸宅とは思えないほど質素な邸宅だった。
ダグザはドアノブの上についている魔晶石に白磁器のような肌に包まれた長い指を乗せる。
ナインスリーブスではバネ仕掛けのボタン式という技術よりも先に魔晶石に魔力を流し込む技術が発達しているのだった。
しばらくすると扉の奥から鍵が外れる音がした。
「ママ、おはよう。僕だよ、ダグザだよ」
ダグザは実家に帰ると自分の事をダグザ、父親の事をパパ、母親をママと呼ぶように強要されていた。
速人は普段の冷厳なイメージのダグザとのギャップを感じて必至に笑いを堪えていた。
レクサも口をおさえて速人の頭を叩き「笑っちゃ駄目」と一応、自重を促していた。
ダグザは横目で二人を牽制しながら母親の到着を待つ。
両親共に名家の出身だが私事は自分たちで行うというのがダールとエリーの流儀だった。
使用人たちはダールとエリーが留守の間、家の掃除や来客への応対をしている。
(たしか今日は使用人が家に来ない日だったな…。二人とも若くはないのだから人を多く雇って出勤日を増やしてもらえると安心できるのだが…)
ダグザが両親への新しい相談を考えると、扉の奥から他を圧倒するオーラが漂っていることに気がついた。
おそらくダールは音を立てずに今から扉の近くまで来て上着の襟を整えたり、手鏡で身なりを確認しているのだろう。
ダグザは扉を指で突く動作で、速人とレクサにダールの存在を伝える。
これがエイリークとマルグリットなら大声を出して騒ぎだすところだが、チーム・ダグザの俊英なエージェント二人は無言で首を縦に振って対ダール用にシフトチェンジする。
やや時間が経過して扉が内側からゆっくりと開いた。
ダールトンは極めて洗練された動きで扉を開けて、外の来客たちを確認した。
(今日の来客は…我が愛しの息子ダグザ、愛らしくて何よりだ。他にはダグの妻の座を勝ち取った義娘アレクサンドラ、日々私の妻エリーのように圧が強くなっているな。そして人類とは思えぬ醜さを持つ子供、速人か。いずれ来るとは思っていたが予想以上の速さだな…)
ダールは先日、ロアンとレナードから速人に関する情報を受けていた。
そして速人がダグザと一緒に父スウェンスの邸宅を尋ねたという話からダールの家に情報収集にやって来るのではないかとも考えていた。
「おはよう、ダグ。遠慮する事はない。私とエリーが住んでいる以上ここは君の家でもあるのだ、遠慮せずに入りたまえ」
ダールは友好的に微笑みながら、右手を室内に向かって右手を差し出した。
しかし今のダールの姿は冒険者たちを虎鋏や底に槍が仕込まれた落とし穴という罠が満載の地下迷宮に誘う魔王のそれに似ていた。
幼い頃から敵の恫喝に対処する方法を訓練されている速人も三歩下がる。
実子であるダグザ、子供の頃からダールを知るレクサはさらに十歩下がっていた。
ダールもダグザよりさらに陰影の濃い容姿に自覚はあったが、こうまで露骨に下がられると気を悪くしてしまった。
気がつくとダールの白い額に血管が浮かび、ひくひくと脈動している。
しかし空気の読める男、速人はダールに先んじて産着に包まったアダンを差し出した。
「ダールさん、おはようございます。今日はアダンがどうしてもダールさんとエリーさんに会いたいっていうんで連れてきちゃいました」
速人は無理矢理笑いながら露骨なお世辞を言った。
ダールは本来、虚飾を嫌う性質だったが初孫を見て普段絶対に見せないような恐ろしい笑顔になる。
ここだけの話、ダグザも物心がつくまではダールが抱っこをした途端に泣いていたらしい。
「おお!そうかそうか!アダンは私に会いたかったのか!ハハハッ!これはいい、傑作だ!今日ほど喜びに満ちた日と巡り合うことは我が人生においても類稀なるものだろう!ハハハッ!」
ダールは速人からアダンを受け取り、狂喜乱舞する。
…言い方 × 3。
速人とダグザとレクサは渾身のツッコミを心の奥にしまっておくことにした。
アダンの事はダールに任せ、速人たちはダールの家の中に入った。
ダグザが成人してから独立するまで過ごしたのはレプラコーン区画にあるスウェンスの家である。
若い頃のダグザはエイリークと行動を共にする事が多かったので、昔の屋根のついたジャングルのような家で暮らす事も多かったらしい。
速人とダグザはそのまま玄関付近でエリーの到着を待っていると勝手知ったる他人の家とばかりにレクサは内部に乗り込んで行った。
レクサは途中で二人がついて来ない事に気がつき引き返してくる。
そして咎めるような目つきで二人に文句を言った。
「ちょっと二人とも、何でそこにつっ足ってるのよ!これじゃあ私が図々しい女みたいじゃない!大体ここはダグの家みたいなものなんだから奥さんの私が入っても悪いわけないし!」
言葉の後半は自身を失ったのか、レクサの声も小さくなる。
ダグザは速人を前につき出してレクサを諫める役を押しつけた。
(角小人族の怪力、噂以上だな)
速人は両肩をガシっと鷲掴みされた瞬間にダグザの必死さのほどを感じていた。
「フフフ、レクサさん。ダグザさんはお母さんに奥さんと仲良くしているところを見られるのが恥ずかしいのですよ。男とはそういう生き物なのです、察してあげてください」
ゴリッ。
速人の肩にダグザの指が深くめり込んでいた。
心なしか真一文字に閉じた端正な口元から白い歯が見えたような気がする。
ダグザの怒りに染まったブルーの瞳が”余計な事を言うな”と言っていた。
速人は事もなげにダグザの手首の経絡を抑えて両手を外す。
後には激痛のあまり地に膝をつけたダグザの姿があった。
「こ、この怨み忘れんぞ、速人…。すごく痛いじゃないか…ッッ‼」
速人は口元にいやらしい笑みを浮かべながら手をひらひらとさせる。
ダグザはすぐに反撃しようとしたが目の前から迫る圧倒的なオーラを浴びて直立不動の姿勢を保つ。
ダグザの母エリーがレクサに手を引かれて玄関までやって来たのだ。
レクサは眉をつり上げ、口を尖らせてある事無い事を義母に告げ口していた。
やがて優美で穏やかなエリーの顔にも影がかかってくる。
「ダグ、お帰りなさい。速人ちゃんはいらっしゃい、ね。ダグはお説教しなければならない事がたくさんあるから入って来なさい。速人ちゃんはいつもエイリークのお世話をご苦労様、自分の家だと思ってくつろいでもいいわよ」
ダグザは実の母親に一言で切って捨てられ言葉を失う。
しかし、速人は狡知を匂わせる笑顔を見せるとエリーの目の前でバスケットを開けて見せる。
バスケットの中にはバターと酒の匂いに包まれたタルトが入っていた。
エリーは無花果のタルトを見た瞬間、それこそ花を咲かせたような笑顔を見せる。
速人が取り繕う間もなくエリーはバスケットを強奪し、部屋の中に入って行ってしまった。
後に残されたダグザは引きつった笑顔で速人に礼を述べる。
「速人、危ないところを助けてくれてありがとう。母上とレクサのダブル説教を食らうと正直、明日出勤できるかどうか怪しいものだ。だがな、これだけは言わせてくれ。私だって理解しているんだ。私自身の価値なんてものはアダンが生まれた時に失われていたということは…」
ダグザは俯きながら歯を食いしばり、固く握った拳を震わせる。
ダグザには色々と複雑な事情がありどそうだが今の時点では優先順位が低いので放っておくことにした。
速人はダグザの背中を撫でながら彼の手を引いて居間に向かう。
ダールの家の居間には装飾控えめの暖炉と長方形の大きな木製のテーブルとこげ茶のソファが規則正しく配置されていた。
テーブルの装飾は凝ったものであり、速人が興味深そうに眺めているとエリーが故郷の実家から持ってきた家具であることを本人から聞いた。
エリーの生まれ故郷は第十六都市から離れた場所にあり、ダナン帝国の内部分裂に巻き込まれなくなってしまった。
エリーの祖父が無一文同然で第十六都市のルギオン家を頼ったことがダールとの出会いのきっかけになったということを、速人は聞かされる。
速人は感心して相槌を打ちながらエリーとレクサの側からバスケットを移動させた。
既にタルトの飴がけの部分が剥がされている。
放っておけば下地のクッキーだけになっていることだろう。
速人はテーブルを汚さないようにエイリークの家から持ってきた白いナプキンをしいてからタルトを切り分けた。しかし…。
「あら速人ちゃん。これは少なすぎるわよ?私は…そうね、…これくらいでいいわ」
「じゃあ私はな…これくらい‼」
エリーは八等分にされた円形のタルトから堂々と四切れ持って行った。
次にレクサは二切れを持ち去る。残るタルトは二切れになったのだが、うち一つをエリーが素手で掴んで食べてしまう。
レクサは笑いながら「もー!お義母さま、ひどいー!」と怒っていたが目は笑っていなかった。
もはや「ケーキを三等分にできない奥様たち」どころの話ではない。
速人は愕然とするダグザを見ながら残ったタルトを二等分して皿の上に乗せた。
速人がタルトを小皿に乗せていた時、ダールが玄関から戻った。
ダールは家族でも見たことがないほど甘々な笑顔になっていた。
アダンは不気味に笑い続ける祖父の人差し指を握って上機嫌な様子である。
それが余程嬉しいのかダールの笑顔はさらに凶悪なものに変わっていた。
「ダールさん、俺がケーキを持ってきたから食べてよ。アダンは俺が面倒を見てるからさ」
速人はダールに向かって両手を出した。
ダールもダグザとレクサの視線に気がつき、赤面しながらアダンを速人に渡す。
エリーはダールが子供好きであることを知っていた為に夫が息子と義娘の前で威厳を保とうと奮闘する姿を眺めていた。
速人はアダンを揺り籠に置いてから、十六分の一になってしまった無花果のタルトをダールとダグザに差し出した。
ダールとダグザは「いただきます」と言ってから各々のタルトを食べ始める。
ダールはバターの匂いがするカリカリに焼き上がった生地から、ダグザはシロップと酒に漬け込んだ乾燥無花果から食べていた。
血を分けた親子でも好みが分かれるということなのだろう。
「悪くない味だな。あえてシロップや砂糖の甘味を抑えたのは私の舌に合わせたということか。短時間でよくぞここまで調べたものだ。褒めてやろう」
ダールはタルトを全て平らげた後、感想を口にする。
そしてエリーの淹れてくれたお茶を飲んでいた。
ダグザは完食した後、ハンカチで口を拭っている。
エリーとレクサは二人の満足した様子を微妙な顔しながら見つめていた。
「ダールさん、エリーさん。実は今日はお願いがあってお家までお邪魔させてもらったんだけど…」
速人はダールとエリーに向かって頭を下げる。
「母上の料理の話を聞きに来たのだろう?…既にロアンとレナードから、速人とダグが私のところに来た時には協力するよう言われている。余計な事をするな、と言ってやりたいところだが、
私たち親子の不仲が周囲の人間にこうまで迷惑をかけているとは思ってもいなかった。反省ついでに相談に乗ってやろう」
ダールはいつも通りの尊大な態度を崩さずに協力を引き受けてくれた。
エリーも微笑みながら首を縦に振る。
最初から事情を知っていたダグザとレクサはダールたちが機嫌を損ねなかったことに一先ず安堵する。
速人は最初にスウェンスの家に訪れた時の様子について話をすることにした。
「一昨日スウェンスさんの家にお弁当を作って持って行ったんだけど、あんまり喜んでもらえなかったみたいなんだ。それでレナードさんやエイリークさんにも食べてもらったんだけど、やっぱりその時も味が違うって言われちゃったんだ。どんな小さなことでも構わないからさ、ダールさんのお母さんが使っていた秘密の味つけとか知らない?」
「母独自の工夫というものか…。ううむ、そもそも私は台所に入れてもらえなかったからな」
ダールは速人の話を聞くなり困ったような顔になってしまった。
エリーが当時を思い出し、苦笑しながらダールの家庭事情を説明する。
「あのね、速人ちゃん。ダールのお母さま、メリッサお義母さまは古風な女性で男性がお台所に入ることを許してくれなかったのよ。たまに親方がお鍋の様子を見に行った時も「こら!勝手に台所に入るんじゃないよ!」ってすごい剣幕で…」
エリーはメリッサの声真似をしながら当時の様子を再現してくれた。
ダールとダグザとレクサは思い出を懐かしみながら笑っている。
速人はダグザたちの姿を見ながら、メリッサがどれほど多くの人々から慕われていたかについて考えていた。
心温まる昔話が終わった後に速人は先日までの話題に上がった小瓶について尋ねることにした。
「メリッサさんが料理の時には必ず使っていた小さな瓶について何か知ってるかな?前にスウェンスさんの家に行った時には見つからなかったんだ」
エリーとダグザは記憶に引っかかる部分があったらしく何とか思い出そうと首を傾げている。
「ごめんなさいね。昔お義母さまにその小瓶の中身を教えてもらおうと思って色々と聞いたんだけど自分で考えろって言われたのよ」
エリーは申しわけなさそうに俯きながら答える。
(答えを教わる前に自分で考えろ、か。まさに教師の鑑だな。俺も見習わなくては)
速人の思った通りにダグザの祖母メリッサは教師としての資質に恵まれた女性であることが窺えた。
そうこうしていいる間に、席を外していたダールが駆け足で居間に戻って来た。
その手には金属製の蓋つきの小瓶が握られている。
ダールは一度、蓋を回して開けてから速人に向かって瓶を渡した。
中身は表面に顔が映るくらい綺麗に磨かれていて何が入っていたかはわからないような状態となっていた。
「これは、その母の形見の代わりに実家から持ち出した物だが…。私の性分というか中身が酷く汚れてしまっていたのでしっかりと洗浄してしまったのだ」
ダールは身体を二つに折って頭を下げた。
速人はダールから受け取った小瓶をブタ鼻の近くに寄せて匂いを嗅ぎ取る。
瓶の内側からはわすかな酸味と甘味を残す爽やかな香り、そして特徴のある香辛料の匂いが残っていた。
速人は目を閉じて思い当たる限りの調味料を思い出す。
(甘さと苦さ。そういう事か…)
速人はついにメリッサの使っていた隠し味の正体を突き止めた。