第百五十三話 陰影と光明
次回は5月31日に投稿する予定です。
「怪しいヤツねえ…。目の前に顔だけが無駄にでかい不細工なガキがいるけど、最初に挙げるとすればお前だな速人よ」
エイリークは速人の額の中央を人差し指で思い切り押した。
指がめり込み、あわや皮膚が破れる寸前まで力を入れて日頃の鬱憤を晴らそうとする。
この男にもストレスというものが存在するらしい。
速人は童心のまま図体だけ成長した中年の事が急にうざくなり、人差し指と中指を握ってから捻じ曲げてやった。
その瞬間、エイリークの声無き悲鳴が食堂の中に響く。
レミーは「唾でもつけておけば治るだろ」と父親を無視していた。
「速人。お前はエイリークの話を怪しんでいるようだが、どこに違和感を覚えたんだ?最初に疑問点を説明してくれなければ我々も質問に答えようがないぞ?」
ダグザは指折りを食らって苦しむエイリークの応急処置をしながら速人に尋ねる。
速人は空になったエイリークの皿を他の使用済みの食器に重ねながら答える。
レミーとマルグリットはエイリークの食べていたたっぷりの生クリームが乗ったカップケーキを二人で分けて食べていた。
レミーの顔にはグーの形が、マルグリットの頬には靴跡が残っていた事はこの際だから追求しない方が賢明だろう。
母娘の乱闘を見ていたアインとシグルズとディーと雪近は身を寄せ合って震えていた。
「それは簡単な話さ、ダグザさん。事件の発生から解決までのスピードが異常なまでに速すぎるからだよ。それこそ最初から誰かが書いた筋書きに沿って進んだみたいに綺麗さっぱり話が終わっている。いくらエイリークさんに人望が在っても下手を打てば国家間の争いに発展してもおかしくはない話だぜ?」
ダグザは速人の話を聞きながら、エイリークの話の中で朧気に感じていた違和感の正体を探ろうとする。
慈しみ深い性格のノートンが開拓民に同情して力を貸す。
ここまでは良い。
だが、必死にかき集めても百人に届くかどうかも怪しい兵力で国王への直訴もしくは反乱をするかどうかと問われれば軍略に疎いノートンでも難しいだろう。
彼が根っからの平和主義者という観点から考えても現実的ではない。
せいぜい知人を頼って少しでも待遇が改善されるような交渉をするに止まるくらいだ。
「速人、お前の話には一理がある。ノートン殿ならばまず武力に頼らず、領主なり役人に取引を持ち掛けるだろう。だとすれば今回の事件の黒幕はエイリークを標的にしていると考えればいいのか?」
「その考え方で正しいと思うよ、ダグザさん。場合によってはノートンさんも黒幕の仲間かもしれない。多分、エイリークさんが来ているのを確認してからノートンさんは事件現場に現れたはずさ」
ダグザは呆然としているエイリークにきつい視線を向ける。
幼い頃から慣れているとはいえエイリークとマルグリットはダグザの禍々しい視線を受けて冷や汗を垂らしながら怯えていた。
(私がこれほど心配しているというのに、何だあの顔は…‼腹立たしいッ‼)
ダグザはエイリークたちの失礼な対応に不満を抱き、歯ぎしりをする。
肩を震わせ怒りを露わにするダグザをソリトンとハンスが何とか諫めようとしていた。
「落ち着け、ダグ。つき合いの長い俺たちから見ても今のアンタは怖い顔をしているぞ」
「ソルの言う通りじゃ、ダグ兄。今さら無理に笑えとは言わんが鏡でも見た方がいい」
速人はダグザに手鏡を渡した。
ダグザは鏡に映る自身の顔を複雑な胸中のまま確認する。
見慣れたはずの目の下の隈が濃いものとなり、それが生まれついての不健康そうな肌の白さと相まってさらに凶悪な人相になっていた。
ダグザは「少し席を外す」と短く告げると愚痴をこぼしながら洗面所に向かった。
バタン、と扉の閉じる音が聞こえるとエイリークが復活して皆の前に現れる。
ぱくっ。
レミーは同時に食べかけのクリームケーキを一気に口の中に入れてしまった。
エイリークは愛娘の隠蔽行為に対して怒りを覚え、ほっぺを軽くつねる。
その直後、レミーの悲鳴が木霊した。
「見ろ、お前のせいでウチのレミーが意地汚い娘になっちまったじゃねえか!俺の家族を洗脳しやがって…許さねえぞ、速人。さっさと新しいケーキを持ってこい!」
エイリークはスプーンで速人の頭を乱打する。
速人は何事もないような様子で、エイリークに叩かれながらハンスとモーガンとレクサにお茶のお代わりを用意していた。
そして、ティーポットをトレイの上に置いた後で身体を急反転させてバックスピンキックをエイリークのわき腹に当てる。
ダムンッ‼
蹴りの衝撃が、エイリークの重厚な腹筋を貫通して内臓を直に揺らした。
エイリークは蹴られた右のわき腹を抑え千鳥足で、額から脂汗を流している。
(何て重い蹴りだ。ハニー以外に俺を一発の蹴りで黙らせるヤツがいたなんて…、。あれ?ベック??もしかして俺を助けてくれるのか?)
気がつくとベックが大刀を構えた処刑人のような顔をしてエイリークの前に立っていた。
ベックは右肘を頭上に構えてエイリークを見下ろしている。
いつもの温厚な初老の男の顔から未来から来た殺人サイボーグのような目つきに変わっていた。
「エイリーク、お前という男は…!子供たちを相手に何をやっているんだ!今のお前は昔のマールそのものだぞ!」
ベックは太い腕を折り曲げて、エイリークの延髄に振り下ろす。
空手の猿臂という技に近い動作だが軌道が直線的で威力のみを重視したベック流チョッピングエルボーだった。
エイリークは延髄を肘で打たれてダウンする。
(何て事だ。お、俺はレミーに親父と同じ事をしていたのか…)
速人への暴力行為には微塵の反省の気持ちはない。
ただマールが面白半分にエイリークを痛めつけていたのと同じ事をレミーにしていたという事実だけが、エイリークの心を深く抉った。
ガインッ!
レミーは飛び上がってエイリークの背中に膝を落とした。
「ごめん、レミー。俺は自分の両親が俺たちにやっていた事を決してやるまいと思って今日まで生きてきたわけだけど呪われた血の宿命は見逃してくれなかったようだ…。すごく反省している、ごめんなさい」
エイリークは深く頭を下げる。
レミーは父親の過去に隠された深い闇を覗いたような気がして、その場で謝罪を受け入れることにした。
速人は親子喧嘩の顛末を横目で見守りながら使い終わった食器をカートに乗せている。
やがてダグザが身なりを整え、洗面所から戻って来た。
大体の話はソリトンとケイティが説明し一定の理解を示す。
速人は食堂に戻ったダグザとアダンを抱いているレクサに温かいお茶を用意した。
アダンはニッコリと笑い、お茶を運んできた速人に向かって小さな手を伸ばす。
速人はアダンを手を優しく握ってあげた。
「なあ、レクサ。アダンは君より速人に懐いていないか?段々私は心配になってきたんだが…」
速人が空になったティーポットを持ってその場を去るとダグザはアダンの手を握ってやる。
アダンは微妙な表情で父親の手を握り返す。その様子を見ながら、レクサはあっけらかんとした顔でお気楽な答えを返した。
「まさか!実の母親より、よその子供と仲良くなるなんて普通に考えればありないわよ。ねえ、マギー?」
「どうなんだろうね、その辺は。ホラ、ウチはレクサとかケイティに育ててもらったようなモンだから。案外、お母さんって聞いたらアタシやエイルよかレクサの顔を思い出すんじゃないかい?」
レクサとマルグリットは豪快に笑って同意する。
当事者であるレミーとアインは微妙な表情で母親の姿を見守っていた。
百年以上先の話となるがダグザとレクサの曾孫にあたるニコラスとチャールズの双子の兄弟を名付けたのは彼らの祖父であるアダンである。
アダンは生涯の恩師と仰ぐ速人への経緯を込めて孫たちに”ヌン”と”チャク”という名前をつけようとしたのだがダグザに猛反対されてニック(ニコラス)とチャック(チャールズ)という形に落ち着いたのである。
ダグザとレクサはこの時の自身の判断の甘さを後の生涯で悔やむ事になることをまだ知らない…。
「さて話を戻すが、仮にノートン殿が今回の黒幕の仲間だったと仮定してそこからどう対応していくつもりだ?彼の身柄はレッド王国同盟にあるのだから話を聞く為には会いに行くしか方法はないぞ」
ダグザの提案に対して速人は否定的な考えを抱く。
黒幕の狙いとは当初からエイリークと隊商”高原の羊たち”を第十六都市から引き離すことにあると考えていたからである。
仮にエイリークが同盟に向かえば道中で昔の仲間と戦わせることで精神的な揺さぶりをかけてくるに違いないだろう。
敵の目的は大戦の英雄エイリークを仲間に引き込む事にあるのかもしれない。
エイリークの妻マルグリットやソリトン、ハンスといった仲間たちはいずれも差別される立場である融合種族の出身である。一方的に虐げられる弱者の姿を見せつければ心が動かないという確証はない。
しかし、すぐに別の理由で反対してきた。
「ええー、同盟なんか行きたくねえよ。あそこエルフ以外の人間が外を歩いていたら悪い意味で目立ちまくるじゃねえかよ…。食い物だって肉より魚ばっか出てくるし…」
エイリークは十数年ほど前に何度かレッド王国同盟の七枝王国の一つ、紫の枝王国に行った経験があった。
しかしエイリークの自由奔放な性格とエルフ族特有の伝統と規律に厳しい気質が見事なまでに反発して交渉決裂寸前になってしまった事件をダグザたちは忘れてはいない。
(よく考えてみればあの事件でも仲裁役に入ってくれたのは今回の事件の当事者ノートン、イアン、オーサーだったな…。いかんな、私とした事が速人の自分以外は全て敵という考え方に毒されているのかもしれん…)
ダグザは頭を振って嫌な考えを追い出そうとする。
国の利害を越えて協力してくれた仲間を疑うなどダグザの信条に反する行為だった。
しかし速人はダグザの細やかな心の変化を見逃さない。
「どうだろうか、ダグザさん。俺がレッド王国同盟に行って確かめるというのは…俺はこれでも二年は王国の中で暮らしたことがある男だ。その俺の目で同盟内の事情を探れば細かい観点から事件の真相に気がつくことも出来るだろう。エイリークさんは乗り気じゃないみたいだし、他のメンバーだって昔の仲間を疑うような真似は避けたいだろう。…(中略)…いや、むしろそうするべきだ」
ダグザとエイリークの二対の瞳が雄弁を振るう速人を冷え切った見つめていた。
否、日頃から速人を良く思っていない二人の男だけではない周囲の者たちは全て疑惑の眼差しを向けている。
速人は助けを求めるようにベックを見たが、ベックは背中を向けてしまう。
この時、速人は自分が誰一人として味方のいない異世界に迷い込んだことを自覚した。
「絶対に駄目だ。お前は口実をつけて逃げるつもりだろうからな。そもそも私はお前を信用していない」
ダグザは速人に向かって人差し指を突きつける。
先ほどよりも禍々しい顔つきになっていたダグザを見て違和感を覚えたマルグリットがレクサに原因を尋ねる。
レクサはため息を吐きながら呆れた様子で一昨日、速人がウィナーズゲートの町で正体不明の敵と戦ったという話をした。
地獄耳の速人はレクサの密告を聞いてギョッとした表情に変わる。
エイリークは「チッ!」と周囲に聞こえるほど大きな舌打ちをした。
「そんな事だろうと思ったぜ、この嘘つき殺人鬼小僧が…。お前の行く先々は常に屍山血河しか出来ねえな。…。ノートンが敵の仲間っていう考えたくない前提で話を進めるが、これから俺たちがレッド王国同盟に行って話を聞いてくるっていうのはどうだ?」
ダグザは首を横に振る。
エイリークが第十六都市を放れる、それこそ敵の思い通りというものだ。
今から同盟に乗り込んでも、ノートンの身柄は別の場所に移されている可能性もある。
さらに第十六都市においてエイリークや”高原の羊たち”を嫌っている勢力が干渉してくる可能性も否定できない。
ノートンの話は別のレッド王国同盟側の協力者オーサー、イアンの報告を待つしかない。
エイリークの反発を覚悟しながらも、ダグザはソリトンにオーサーとイアンから何か連絡を受けていないか尋ねることにした。
その頃、速人はエイリークに背後から片腕と首を同時に絞められていた。
普段の速人ならばエイリークの指に関節技をかけて(※恋人繋ぎみたいに相手の手を掴み、小指の力を封じ込める技。プロレスでよく使用される)脱出するのだが、今回はレミーが強烈なローキックを連打しているので身動きを取ることが出来ないでいる。
(クソが…ッ‼こんな時にだけ団結しやがって…ッ‼)
速人は目でアインに助けを求める。
しかし時すでに遅し、アインはマルグリットの手によって別の場所に連れて行かれていた。
速人は朦朧とする意識の中、必死に前に逃れようとするがレミーの鉈で叩かれているようなローキックがそれを許さない。
そしてエイリークの丸太のような腕が喉を圧迫する。
「助けて、紅虎…」速人は意識を手放さまいとヌンチャクの神の名を呼んだ。
(楽しいね、父さん。速人が本当に苦しそうだよ)
(ああ、レミー。俺は今生き甲斐というものを感じている。くたばれ、速人。これが俺たちの家族愛だ‼)
レミーとエイリークは父娘でテニスのラリーを楽しむかのように清々しい表情で輝く汗を流しつつ、速人に地獄の苦しみを与え続けた。
数十秒後、速人は口から白い泡を吐きながら地面に倒れた。
レミーとエイリークはニッコリと笑いながらハイタッチを交わしている。
その姿を見たダグザとソリトンはレミーがエイリークに似ているのは外見だけではないということを今さらのように思い知らされた。
速人はベックによって蘇生して汗をかきながらグッタリとしている。
起き抜けにエイリークとマルグリットとレミーは人差し指と中指を立て、速人を威嚇した。
「ソル。イアンとオーサーから別れる前に何か言われなかったか?」
(速人の方を見ないようにしながら)
ダグザとて身内にも等しいエルフ族の二人を疑いたくはなかったが敵の全容が定かではない現状で在るが故に、嫌疑の対象から外す事は出来なかった。
ソリトンもダグザの意志を感じ取り慎重に考えてから答えようと努力する。
ゴホッ!ゴホッ!
速人は時折咳込みながら二人の話を聞いていた。
「…。イアンがノートンの処遇が決定次第、こちらに報告を寄越すと言っていたな。オーサーはいつものように急いで同盟の辺境警備隊の本部にかけ合いに行くと言っていた」
「そうか。速人、話は聞いての通りだ。我々はイアンから連絡が届くまでは第十六都市に止まるつもりだが異論はないな?」
速人は首を縦に振って即答する。
実際、速人自身もエイリークが第十六都市の外に出ることには反対だった。
その理由の一つとしては敵がエイリークの性格について知っているということは、エイリークの弱点である”トネリコの木に咲いたヤドリギの花から作った毒”について知っている可能性があるからでもある。
不死に近い治癒能力を持つリュカオン族にだけ利くというこの毒物はかつてエイリークの父マールティネスの命を奪ったのだ。
エイリークが敵の協力を拒み、この毒によって殺害されるような事になればそれこそ取り返しのつかない結果となってしまうことだろう。
この時、速人は己の命に換えてもエイリークを守ろうと考えていた。
速人が深刻な表情で考え込んでいるとエイリークが先ほどのクリームケーキの話をしてきた。
「ところでよ、速人。さっきのクリームがいっぱい乗っかったケーキ、俺様専用に十個ほど焼いてくれないか?お前は知らないかもしれないが俺様には意外に乙女チックなところがあって甘いクリームたっぷりのケーキも好きだったりするんだ」
エイリークは頬を赤く染めながら笑っている。
(知っているよ、クソ野郎…)
いつの間にかレミーとマルグリットとレクサというか食堂にいたほとんどの人間が速人とエイリークの周りに集まっていた。
余談だが、ナインスリーブスの人間の大半は甘党である。
「わかったよ、エイリークさん。じゃあ今度は今日のやつよりも大きなケーキを焼くことにするよ。他にリクエストはある?」
エイリークは速人の快い返事を聞いて子供のように破顔する。
そして過去にダグザの祖母メリッサからご馳走になったお菓子について語り始めた。
「そうだな。婆ちゃんの家でよく食べたアップルパイとアップルティーがあったら最高だな…」
エイリークの話を聞きながらマルグリットもまたメリッサとの思い出を話した。
当時の光景を思い出して、ダグザたちは穏やかな表情になっていた。
「懐かしいね、お祖母ちゃんの焼き菓子。でも最初に焼けたケーキは絶対にお爺ちゃんが持って行っちゃうんだよね。その時だけは”ここは俺の家だから当然だ”みたいなこと言ってさ。はは、昔はお茶会とかよく行ったよね?」
お茶会という単語が出て来た瞬間に、速人は目を輝かせる。
かつてセイルの家の前にある空き地で行われいたメリッサ主催のお茶会、それこそがダグザの祖父スウェンスを再び皆の前に引き出す絶好の機会だったのだ。