第百五十話 隠し事
次回は5月16日に投稿する予定です。
一日遅れてすいませんでした。
「ううう…。やる気でねえええ…。何もしたくねえええ…。誰か俺の代わりにメシ食って、糞して寝てくれえええ」
「はあああ…。こんなに憂鬱になったのはレミーを産んだ時以来さねえ…。誰かアタシの代わりに風呂とか入ってくれないかい…」
美男と美女が無駄口を叩きながらゴロゴロとしている。
誰もが視界に入れただけで絶望したくなるような光景だったが、彼らに近しい関係にある者たちは”いつものアレが始まった”風に感じていた。
速人は雪近とディーと三人で荷車を屋敷の裏口に移動させる事を優先し、作業が終わらせてから二人が転がっている場所に戻って来た。
エイリークとマルグリットは相変わらずグダグダ言いながら寝転がっている。
二人の服が汚れないように屋外用のシーツを敷いてくれたのはダグザかソリトンの計らいだろう。
(ありがとう、ダグザさん、ソリトンさん。二人のおかげで洗濯物の心配が少なくなったよ)
速人は二人の保護者的な立場として心の中で礼を言った。
エイリークは速人の姿を見つけると横になった姿勢で早速難癖をつけてきた。
速人は腹を空かせた子供のわがまま聞いている母親のような顔で二十三歳年上の男の愚痴を聞いてやることにした。
二人の姿を見ているダグザはハンカチで涙を拭いている。
「おい、速人。お前はそうやっていつも何を考えているかわからねえ不細工な顔で俺たちを見下しているんだろ、この野郎…。知ってるんだぞ、お前が俺のいないところで”最近のエイリークのゴージャスな髪型が決まってない、あの人もそろそろ年齢だな”って悪口を言っているってよ」
速人は懐からエイリーク用の携帯食であるビーフジャーキーを一枚、出した。
それを見たエイリークは口を開けて”ここに入れろ”とばかりに指をさす。
速人は慈しみ深い聖母のような顔でエイリークの口の中にビーフジャーキーを入れたやった。
夫が満ち足りた表情でビーフジャーキーを食べている姿を見たマルグリットは上半身を起こして口を開けて”ここ!ここ!”と仕切りに指をさしていた。
(この姿、レミーとアインに見せるわけにはいかん。思春期の人格形成に悪い影響を与えるからな)
速人はもう一枚のビーフジャーキーをマルグリットの口の中に入れながら早々に二人の駄目中年を起き上がらせる策を考えていた。
「速人。アンタってさ、喧嘩ばかりしてるけどアタシよりウチの旦那ばかり優先してるよね。そういうのって女性差別っていうんだよ?知ってた」
「このチビのセクハラ野郎が。お前の親の顔を見てやりたいぜ…。きっと血も涙もない糞親なんだろうな。…美味い、もう一枚」
その後、速人は池の鯉に餌を与えるような感覚で手持ちのビーフジャーキーをエイリークとマルグリットに与え続けた。
この一か月で二人の性格に慣れていた雪近とディーは既に水の入ったジョッキを用意している。
エイリークたちは「シケてやがんな。酒じゃねえのかよ」とブツクサ言いながらジョッキの中身を飲み干していた。
速人がエイリークの家に来てからは昼間もしくは子供たちの前での飲酒は一切禁止されている。
(酒を飲みだしたら使うつもりだったが必要なかったか…)
速人は密かに用意していた凶器をポケットの中に戻していた。
ソリトンとダグザは歯をガタガタさせながら速人の方を見ている。
速人は片眼を閉じながら口元に人差し指を当て、シィッ…と無言で待機せよというジェスチャーを送った。
二人は空腹が満たされると起き上がり、”高原の羊たち”のメンバーも徐々に近くまで集まって来る。
エイリークは頭を無造作にかきながら速人とダグザとハンスを呼びつけた。
「ダグ、ハンス。今日はもう疲れたからみんなと一緒にどっかの店で飲んで解散しようぜ。ダグのおごりでよ。速人、お前はレミーたちに飯を食わせてやってくれ。メシ代は、そうだな。ダグに頼んで用意してもらってくれ」
エイリークの無茶苦茶な提案を聞いて、ダグザは額に血管を浮かべながら固まっている。
ハンスとソリトンもまらエイリークの傍若無人ぶりに真っ白になっていた。
ひゅん、ひゅん、ひゅん。
速人は小石の混じった砂が詰まって革袋、ブラックジャックの名で呼ばれる暗器を振り回しながらエイリークの前に立った。
「駄目だよ、エイリークさん。今日は俺がごちそうを作るから、みんなで食べていってもらってよ」
速人は目を光らせながら冷たく言い放った。
少しでも気を緩めようものなら右手に構えたブラックジャックによって脳天を粉砕されてしまうだろう。
エイリークは背後から自分の肩を掴まれていることに気がつく。
目を細めながら首を後ろに向けるとそこには永遠の愛を誓ったはずの妻マルグリットの姿があった。
彼女はエイリークを両肩を掴んで前に押し出そうとしているのだ。
ひた、ひた、ひた…。
速人はフォンフォンと音を立てながらブラックジャックを振り回す。
前からは速人が、後ろからは愛する妻の裏切りがエイリークを絶望の淵へと追い込んだ。
「わかった!わかった!今日はおとなしく家で食ってやるから、その物騒な玩具を引っ込めろよ」
コクリ。
速人は暗器をポケットの中に入れからキッチンに戻って行った。
マルグリットはエイリークから手を放すと、何食わぬ顔でレクサたちのところに移動していた。
エイリークは額の汗を拭いながらダグザのところまで歩いて行った。
ダグザたちはエイリークを心配して声をかけてみたが、マルグリットに盾として使われた事が余程ショックだったせいか俯いたまま何も言わなかった。
”高原の羊たち”のメンバーたちが今後の方針について話をしていると今度はレミーたちが家に帰って来た。
レミーとアメリアはレクサたちと談笑しているマルグリットのとこに向かう。
アインとシグルズはソリトンとエイリークのいる場所まで走って行った。
四人が各々の目的とする人物のところに行った後、仕事を終えたベックとコレットが遅れて到着した。
「やれやれ早く到着すると聞いていたが、ここまで早いと心配になってくるものだな。ソル、今回の仕事はどうだった?何かトラブルでもあったのか?」
ベックは項垂れている最中のエイリークをすっ飛ばしてまず最初に義理の息子ソリトンに仕事の首尾について尋ねる。
ソリトンは一瞬驚いたような顔つきになってからベックの問いかけに答える。
最初に話を聞かれるのはエイリークで自分はエイリークの持ち帰った情報を補うのが仕事だと常日頃から考えていた為である。
「ああ、仕事自体は成功した。同時に問題も発生してしまったが…」
ソリトンはいつまでも調子が上がらないエイリークの姿を心配そうに見ている。
今回の仕事に同行したマルグリット、ケイティらも同じような視線を送っていることから似たような心境なのだろう。
ソリトン自身も今回の仕事の結果に満足しているわけではない。
果たして自分の子供の前で打ち明けても良いものか、と帰り道の途中でその事ばかり考えていた。
(おかしいな。仕事で何か妙な事があったのか)
出来る男ベックは先ほどからソリトンたちの煮え切らない様子から状況を察したらしく早々に会話を切り上げようとした。
「問題については後日、全員が揃った状態で相談することにしようじゃないか。今日は速人君の作る食事を楽しんだ後は家に帰ってゆっくり休もう」
ベックはニッコリと笑いながらエイリークとソリトンの肩を軽く叩いた。
エイリークはベックが自分たちを心配してくれている事に気がつき、頭を上げた。
ソリトンは外側だけでもエイリークが立ち直った事を喜び、ダグザとハンスと共に他のメンバーをエイリークの家の中に先導した。
他のメンバーたちもエイリークの様子を見て多少のぎこちなさは残ったままだがソリトンたちに従ってエイリークの家に入って行った。
レミーは大人たちの頼りない姿を見て愚痴を溢す。
「何だよ、あれ。仕事が終わって無事に帰って来たんだったらもう少し嬉しそうにしたらいいのに…。帰りを待っている私らの身にもなれってんだ」
レミーは普段の調子に戻っていないマルグリットに不満があった様子だった。
レミーの子供じみた愚痴を聞いたアメリアはレミーのウェーブのかかった金色の髪を優しく撫でる。
アメリアなりの年少者に対する配慮なのだろうが、レミーは自分が子供扱いされている気がして嫌そうな顔をした。
この後、アインとシグルズが理不尽な暴力の犠牲となる。
「レミー、エイリークおじさまとマギーおばさまにだって調子の悪い日はありますよ。貴方の気持ちもわかりますがお二人をあまり困らせてはいけません。今日はお二人が無事に帰ってきた事を喜びましょう?」
アメリアはレミーを抱き締める。
レミーも同世代の女子と比べて発達している方だが、この差は生涯の間に埋まるものなのか。
アメリアの大人びた態度と美しい銀髪を見ながらレミーは努力で何とかならぬものかと考えてしまう。
(こんな弱気な姿を速人に見られたりしたら何と言われるか…)
レミーはアメリアのハグから逃れようとした瞬間、キッチンから戻った速人と目があってしまった。
速人はデカイ目を歪ませながらアメリアにハグされているレミーの姿を見ている。
「アム。もういいから。速人テメエそこを動くなよ…」
速人はヴェノムのようにレロレロさせながらレミーを見ていた。
しかし、ヴェノムの主人であるエディ・ブロックは基本的に冗談が嫌いな性格なのでほとんど笑ったりはしない。
ヴェノムのあの口かはシンビオートなりに人間を観察した結果だった。
「あら?レミーもういいんですか?」
レミーはぶっきらぼうに言ってからアメリアの身体から離れた。
アメリアはレミーが自分から出て行ってしまったので少しだけ悲しそうな顔をする。
レミーは手の骨をバキバキと鳴らして速人の方に向かって行った。
速人は白い歯を見せてニッと笑った。
それはおおよそこの世のものとは思えない邪悪な笑顔だった。
レミーは右手に拳の形を作り、オーバースィングの動作で速人の顔面に拳を振り下ろした。
「速人。私はなお前の気味が悪い笑顔が気に食わねえ…だから死ねやッ!」
シュバッ‼
速人は素早くバックステップを決めてレミーのスィングブローをやり過ごす。
相手がアインやシグルズならば今ごろ顔面が陥没しているのだろうが、食事を作りながら床掃除と洗濯をこなす超人的な家事リストである速人からすればテレフォン動作にすぎない。
そしてレミー連携のキンタマ潰しを目的とした前蹴りも難無く避けてしまった。
「レミー、アイン、そろそろ食事の支度が終わるから学校の道具を部屋に持って行った方がいいんじゃないか?アメリアさん、シグ、シエラ。荷物を居間で預かるから渡してくれないか」
速人は持っていた大きなカゴを地面に置いた。
アメリアとシグルズとシエラは教科書と長方形の石板を置いている。
石板はテクストと呼ばれる魔晶石で作られた魔術道具であり、学校で貸し出されている速人の住んでいた世界でいうところのノートのような道具だった。
(テクストは前面を指でなぞって文字を記す道具だが魔力を持たない俺には使う事の出来ない道具だ。というか勉強が嫌いだから使いたくもない道具なわけだが…)
速人はカゴを持ち上げて再び、屋敷の中に入って行った。
その際にレミーが先回りをして速人の前に立つ。
レミーはエイリークに良く似た気の強そうな顔で速人を睨んでいた。
「いい気になるなよ、速人。そのうち絶対にぶん殴って泣かしてやるからな…。後、今回の私の攻撃はどこが足りなかったか説明してくれ」
言葉の後半でレミーの顔は赤くなっていた。
速人はまだ攻撃を受けるのかと思っていたので肩透かしを食らったような気分となる。
しかし、このまま黙っているとアインとシグルズに危害を加えるのは間違いないので答えてやることにした。
「今のレミーは全体の動きが大雑把すぎるかな。力と速さよりもフォームを修正した方が良いよ。エイリークさんやマルグリットさんみたいに我流で上手く当てられる人もいるけど、レミーは正式な方法を勉強した方が合っているんじゃないかな」
レミーは何か思い当たる部分があったせいか「わかった。考えてみる」と言い残して屋敷の二階にある自分の部屋にアメリアと一緒に向かった。
アインはシグルズとシエラを連れて自分の部屋に戻る。その際にアインは「お姉ちゃんの事、ありがとう」と言った。
速人は居間の入り口側にあるコートや靴を収納する棚の中にアメリアたちの道具を一つずつ丁寧に置いた。
(待てよ。早くキッチンに戻らないとエイリークさんがつまみ食いに来ていいそうだな…)
速人は急ぎ足でキッチンに向かった。
キッチンの入り口では予想通りにエイリークとマルグリットが涎を垂らしながら待ち構えていた。
二人の足元には最後まで抵抗しようとしたダグザとソリトンがボロボロの姿で転がされていた。
速人は懐からブラックジャックを出してエイリークに接近する。
エイリークはうつ伏せになっているダグザの上に乗って両頬を引っ張ていた。
「があああああああッ!ひゃめろ(止めろ)!ひゃめれふれえ(止めてくれれえ!!)」
ダグザは手足をジタバタさせるがエイリークにはまるで通用しない。
エイリークは口を耳元まで裂いたような笑みでダグザの頬をさらに引っ張った。
マルグリットは変顔になったダグザを見て大笑いをしている。
「俺に説教をするような悪い口はこうだ!ダグ、反省したかコラ!」
ガンッ‼
速人は背後からエイリークに向かってブラックジャックを振り下ろした。
エイリークは古風にも目から星を出して前に倒れ込む。
速人はこっそりと逃げようとしているマルグリットを目で威圧してエイリークを縛る手伝いをさせた。
かくしてエイリークのグルグル巻きが完成した。
エイリークの暴虐から解放されたソリトンとダグザは大広間で休んでいたケイティとレクサから治療を受けている。
ハンスとモーガンは患部を冷やす為の冷たい水の入った桶に布巾を入れては絞っていた。
エイリークは意識を取り戻した直後、速人に文句を言った。
「お前は本当に卑怯な野郎だぜ、速人。いつも暴力に頼りやがって…。俺の子供相手じゃ全力を出せないっていう弱点を知っているくせによ」
「あのさエイリークさん、夕飯はもう出来ているからおとなしくしてろよ。俺だって本当はこんな事はしたくないんだ」
速人はブラックジャックをさらに大きく振り回す。
石と砂の詰まった革袋が回転する度にエイリークの顔に風が当たる。
五体満足の状態ならばともかく肩の関節を外された状態で転がされているので避けようがなかった。
冷酷非情な戦闘マシーン、速人ならば容赦なくエイリークの頭を潰しにかかるだろう。
「ハイ。ワカリマシタ…」
エイリークは別の意味で心を折られ、何も言わなくなってしまった。
(速人。知っているとは思うがエイリークはお世辞にも打たれ強いとは言えない男だ)
(了解)
ダグザは速人にこれ以上攻撃する事を思い止まらせるようアイコンタクトで伝えた。
速人はエイリークをおんぶして食堂に連れて行くことにした。