第百四十八話 ロアンの来訪
次回は五月六日に投稿する予定です。
その日の夜、居間に集まったダグザたちは部屋の割り当てなどについて話し合っていた。
話の大部分はレクサが最初から決めていた事だったので話し合いは終わる。
ダグザとハンスとアインは客室、レクサとモーガンとレミーとシエラはエイリークとマルグリットの部屋を使うことになっていた。
速人はレモネードと温かいお茶を彼らに振る舞っている間もずっとダグザの祖母メリッサの作っていた”ドワーフの冬の鍋”について考えていた。
速人はカップにお茶を注いだ後、皿の上に乗せてからレミーに手渡した。
レミーは皿を受け取ると神妙な顔つきで速人を見る。
以前、速人がティーカップの下に受け皿を用意してお茶を渡した時にレミーは”必要ないから次からは用意しないでくれ”と頼んだことがあったのだ。
「速人。お前さ、疲れてるんじゃないか?」
レミーは柑橘類の匂いがするお茶を受け取ってから、受け皿を速人に突っ返した。
速人は大人の余裕を窺わせる笑みを浮かべながら皿を華麗に受け取る。
どうやら速人の歪みきった笑顔はレミーの逆鱗に触れてしまったらしく、レミーは親の仇でも見るような目で速人を睨んでいる。
アインはレミーの隣でライオンを前にしたリスのように震えていた。
「確かに俺は人生という度に疲れているのかもしれない。だけど美しいレディの涙を拭いてあげるだけの余力はあるから安心してくれ。レミー…」
レミーは速人の大きな顔に向かって回転式肘打ちを繰り出す。
速人はレミーの攻撃を完全に見切り、後方に避ける。
速人は宇宙怪獣カネゴンのような大きな口でニヤリと笑った。
イラ…ッ‼
レミーはさらに前蹴り、ストンピング、左フックと追撃を仕掛けるが全て回避されてしまった。
ガンガンガンガンッ‼
速人の背後からアインの悲鳴とレミーの打撃音が聞こえてくる。
(姉弟ってのも案外いいものかもしれないな…)
速人はシエラに頼まれたレモネードのお代わりを用意しながらそんな事を考えていた。
「この速人野郎(※謎の罵倒)‼次に避けたらアインを殴るぞ‼」
レミーはアインの頭を掴んで前に出した。
アインは”速人、僕の代わりに殴られて”と目を潤ませながら訴える。
速人は哀願するアインからそっと目を離し、ハンスとモーガンのところにお茶を運んだ。
「ところで明日にはエイリークたちが帰ってくるって言ってたけど、どうするの?」
レクサはピンク色のレモネードが入ったグラスを空にする。
自棄酒を飲んでいるおっさんに見えなくもない姿だった。
「普通なら慰労会を兼ねた食事会をするべきなんだろうが、事情が事情だからな。数日休んでもらってから話を聞くというのはどうかね?」
ダグザはまだ暖かいお茶の入ったカップを手に取って音を立てずに飲んだ。
一つ一つの動作が洗練された上品な立ち振る舞いである。
そして、ダグザはカップ中身が半分くらいになるくらいほどお茶を飲むとレミーを止めに入った。
レミーは両親と比べて落ち着きのある性格だがそれでも凶暴である事には違いない。
ダグザの身を案じたハンスも席を立ち、レミーのところに駆け寄る。
「そろそろ止めなさい、レミー。その、あまり続けるとアインがソルのような自分の意見を全く言わなくなる性格になってしまうぞ?」
ソリトンは幼い頃から何かとエイリークとマルグリットにボコボコにされることが多かったので内向的な性格になっていた。
ハンスも首をブンブンと縦に振る。
レミーはアインから離れた後、最後にアインのほっぺを思い切り両方から引っ張った。
アインはもう涙を流す事も、悲鳴を上げる事も出来ないほどのダメージを受けていた。
しかし悲しいかな、リュカオン族は他の種族に比べて頑丈に出来ているので数分後には全てが元通りになってしまう。
残っているのは恐怖と心の傷だろう。
速人は何食わぬ顔で付近でテーブルを拭いていた。
「チッ。命拾いをしたな、アイン。そもそも何も言わないお前も悪いんだからな」
レミーは去り際に捨て台詞を残して行く。
本人は”八つ当たりして悪かったな”的な意味合いで言っているところが、彼女がエイリークとマルグリットの娘であること何よりも証明している。
その後、アインは復帰するまでダグザ、ハンス、雪近、ディーから手厚い看護を受けていた。
「速人、大変だろうけど明日みんなの為にお料理を用意してやってくれないかい?お金なら私と旦那が出すからさ」
モーガンは目を半開きにして眠たそうにしているシエラの頭を撫でながら言った。
マルグリットの妹分として育っているせいか、モーガンはレミーの私的制裁には興味が無い様子だった。
後で速人がハンスから聞いた話によれば昔からモーガンは仲間たちの間ではエイリークとマルグリットへの不満を聞く立場だったらしい。
(大事に至らない限り放置しておく方が人間関係を損なわずに済むという理屈か。今のスクラップ工場のゴミ捨て場に放置された車みたいになったアインを見ても説得力はないが…)
速人はモーガンの隣でうとうとしているシエラをソファに連れて行った。
シエラはソファに座るとすぐに横になって眠ってしまう。
「わかりました。実はレクサさんとダグザさんからも同じようなお願いをされているので料金は半分ずつということになりますが、それでよろしいですか?」
速人は必要経費を小声でモーガンに伝えた。
(※一人につき三万QP、合わせて12万QP)
モーガンはポケットに入っている長財布の中身を確認した後、苦笑しながら頭を縦に振る。
予算的にギリギリというところだろう。
実際、速人自身もエイリークの家の金庫から三万QPを出すつもりだったがダグザたちには普段から世話になっているので余計な気を使わせない為にも口外するつもりは無かった。
「何か悪いね。これじゃあどっちがシエラの母親かわからないよ。アタシらは姐さんと一緒に二階に行くつもりだから、アンタらは仕事が終わったら部屋に変えるといいよ」
「ありがとうございます、モーガンさん。それでは俺たちはこれから使った食器を持って洗い場に行くので何かあったらキッチンにいますので」
速人は大量の食器を乗せたキッチンカートを押しながら居間を出て行った。
その後ろにティーポットを持った雪近とディーがついて行く。
飲料水の入ったポットは居間に置いてきたが空になってしまったお茶とレモネードのポットはカートに乗せることが出来なかったので雪近とディーが運ぶことになった。
ディーはカートの上に重ねられた使用済みの食器を見ながら呟いた。
「モーガンさんとハンスさんってよく食べるよね。エイリークさんも大概だけど、夕食の後でもう一回分くらい食べているんじゃないの?」
レナードたちを送り出した後、ハンスとモーガンは速人に夕食の残りがないかと尋ねた時から夕食の第二部が始まった。
速人が早速ハンスとモーガンにスープの残りやパンの切れ端を使ってチーズトーストを出しているとレクサとダグザも食事に加わって、最後にはレミーたちが参加したのである。
実はディーもどさくさに紛れてパンケーキを食べている。
「まあ今日はダグザの旦那たちは食事を用意する側だったからな。自分で食ってる時間よりもレナードの旦那たちの相手をしている時間の方が多かったんだろうよ。なあ、速人?」
「それを言うならお前たちこそだ。雪近、ディー。今日は後の事は俺がやっておくから、お前らはさっさと寝てくれ」
速人はカートを一度、止めてからキッチンに入る。
部屋の中央に置いてある大きなランプの灯りを確認してから、カートを移動させた。
まず皿を水の入った桶に入れてから一枚ずつ手洗いを済ませる。
食器用洗剤の存在しない世界では仕事の手順が多くなる。
速人は食器の汚れが落ちるまでは別の仕事をするつもりだった。
「本当に大丈夫?俺たちも何か手伝うよ」
速人は目を瞑りながら首を横に振る。
そして部屋の奥にある小麦粉の入った大きな袋を指さした。
朝までは同じような袋が三つくらい残っていたが、今は一袋それも中身は半分以下になっていた。
ディーは心配になって予備のバケットが置いてあった棚を見たがやはり何も無くなっていた。
速人は大きなボウルをテーブルに乗せてから小麦粉を入れる。
そして、少量の砂糖と塩をいれてから水を加えて混ぜた。
速人の顔には悲壮感のようなものが漂っていた。
「俺も出来ればそうしてもらいたいんだがな…。今は明日の朝飯が作れるかどうかもわからないんだ」
速人はパン生地造りに集中する為それっきり何も話さなくなってしまった。
雪近とディーは「頑張れよ」、「早起きして俺たちも手伝うからね」と声援を送ると屋外にある部屋に戻った。
かくして速人は朝方近くまで一人で食事の準備と食器洗いをすることになった。
しかし、プロの中のプロを自負する速人は次の日も何一つ変わらぬ様子で皆の前に姿を現した。
ダグザたちに朝食を出してから家を送り出した後、速人はいつも通りに屋内の清掃と洗濯を始める。
雪近とディーは”奉仕労働の日”では無かったので速人の仕事の手伝いをしていた。
三人が昼食を終えてから正門の周りを掃除していると意外な人物を発見した。
凛とした雰囲気を身に纏う、長身の焦げ茶の髪を持つ角小人族の中年男性ロアンだった。
速人は手荷物を抱えながら困惑した面持ちで歩き回っているロアンに声をかけた。
「ロアンさん、どうかしたの?道に迷っているなら案内するよ」
ロアンは速人が声をかけた直後、目を大きく開いて飛び退る。
途中、転びそうになったが何とか立ち直った。
しかし速人はロアンの立ち方に違和感のようなものを感じていた。
ロアンは冷や汗を手で拭いながら速人たちに向き直る。
「うおッ⁉犬が喋った‼…ああ、何だ速人か。いきなりお前の顔を見ると心臓に悪いな…」
「速人、どうしたの。何かあった?」
ロアンの声を聴きつけたディーと雪近がやって来る。
雪近は塵取りを、ディーは箒を持っていた。
あまり物語の本筋には関係のない話だが、これらの道具も速人が二十一世紀の知識をフル活用して作った道具である。
「速人、昨日は親方の為に料理を作ってくれてありがとうな。親方も、うちの親父たちも大層喜んでいたよ。恩に着る」
ロアンはそう言ってから深々と頭をさげる。
ディーと雪近は突然訪ねて来たロアンがどこの誰なのかを聞いた。
「速人、この人は誰?もしかしてエイリークさんがお金を借りている人?…だったらさ、まずダグザさんに相談しないと駄目だよ…」
雪近とディーはよく鍛えられた筋肉質の肉体を持つロアンを見ながら、速人に相談をする。
速人はどう答えたものかと首を捻るが答えが出る前にロアンが大声で起こり出した。
「なッ⁉エイリークのヤツ、ウチの親父以外にもまだよそから金を借りているのか‼あのバカめ、今度会ったら説教をしてやる‼」
ロアンは顔を真っ赤にしながら怒りを露わにしていた。
(完全な藪蛇だな…)
速人は渋い顔をしながらロアンがセイルの息子で、昨日ダグザと一緒にレプラコーン区画に言った時に出会った事を説明した。
「こちらはセイルさんの長男のロアンさんだ。昨日ダグザさんと一緒にレプラコーン区画に行った時にダグザさんから紹介してもらったんだ」
「あれ?…俺もしかして余計な事を言っちゃった?」
ロアンは大きな声で「エイリーク‼出て来いッ‼今度という今度は許さんッ‼」と叫びながら外の通りまで走って行った。
速人とディーと雪近は怒り心頭のロアンを連れ戻しに行くことになった。
「ロアンさん、エイリークさんは仕事で街の外に出かけているよ」
速人はロアンの太い腕を取ってその場に引き止める。
「そうだったのか。俺とした事が取り乱して済まなかった…。子供のお前に言うべきことではないのだろうが、俺はエイリークの事をアイツの父親から色々と頼まれているんだ…。まあ、アイツの父親にも俺はかなり金を貸しているいるんだがな…」
ロアンはそこまで言った後、少しだけ寂しげな表情を見せてから深呼吸をする。
今は亡きエイリークの父マールティネスの事を思い出しているのだろうか。
結局ロアンは眉間にしわを残したままではあるが何とか思い止まってくれた様子だった。
「あ、そうだ。速人、ここで出会ったついでにエイリークの家がどこに行ったか教えてくれないか?親父には見た目が変わったから気をつけろと言われていたんだが全く見つからなくて困っている」
速人は無言のままロアンの手を引いてエイリークの家の前に連れて行った。
しかし、ロアンはエイリークの家の前まで行くと今度は逆に速人と共に引き返そうとする。
「速人、大人をからかっちゃ駄目だぞ。ここは別の人の家だろう。俺は子供の頃に何回か、エイリークの家に来た事があるから知っているんだ。全く…」
それから速人はロアンに”ここがエイリークの家である”事を説明するのに時間を費やす羽目になった。