第百四十六話 賑やかな夕食
毎度毎度、更新が遅れてすいません。ごめんなさい。
次回は四月二十六日に更新する予定です。次は話が少し動きます。
この物語の舞台となるナインスリーブスという世界にはドワーフ族という人種が存在しており、彼らはそれまで世界を支配していたタイタン巨人族の圧政から他の種族を解放した古代ドワーフ族即ちドヴェルク族の直系の子孫であると称していた。
今ここで怖い顔をしているダグザたちレプラコーン族もまたドヴェルク族の末裔であることを主張している為に、ドワーフの話題が出ると険悪なムードに変わるということは速人もエイリークとマルグリットから注意されていたのだ。
(だからといってここまで酷いことになるとは…。俺もまだまだ未熟だな…)
速人はダグザとレクサに背を向け、ごく自然な歩調で他の鍋が置いてある場所まで移動しようとした。
しかし、速人の行く先には禍々しい顔をしたレナードとジムが待ち構えていた。
速人は苦し紛れに笑いながら素通りしようとするが、すぐに肩を掴まれて二人の前に立たされてしまう。
どうやら先ほどのダグザたちとの会話を聞かれてしまったらしい。
「待て、速人。お前さっき変な事を言っていなかったか?このノームの雪見鍋を、ドなんとかの鍋と。なあ、ジムよ?」
「全く。やっぱりドワーフは卑劣だよ、父さん。こんな幼気な子供を洗脳しようなんてさ。いいかい、速人。これは寒い地方に住んでいるノームたちが作った鍋料理なんだよ?それを暖かい地方にしか住んでいないドワーフどもが作ったなんて風評被害もいいところさ」
ナインスリーブスにおけるドワーフの活動範囲は広い。
世界最大の規模といっても過言ではないだろう。
対してレプラコーンは密集して暮らしている傾向が強い。
第十六都市を含める自治都市には多くのレプラコーン族が独自の生活圏を作っている。
第十六都市では多数の工房(※工場はまだ存在しない)、農地、巨大な市場などを持っていた。
速人としてはドワーフが文化的にレプラコーンより勝っていると言ったつもりはなかったのだが、レナード一家の逆鱗に触れてしまったらしく説教はさらに続く。
速人はこの場にエイリークたちがいない事を悔やむことになった。
いつもは真面目そうで礼儀にうるさそうだが紳士としての優しさを備えた風貌を持つレナードもこの時ばかりは恐い顔をつきになっている。
「いいか、速人。お前が我々の事を思ってメリッサさんの作っていた料理を出してくれたことには重々、感謝しよう。だが勝手に改名することだけは許さん。今後、このノームの雪見鍋をドワーフの専売特許みたいな名前で呼んだ日には…、エイリークとマギーへの経済支援は断ち切らせてもらうからな」
レナードの脅迫は、現在の速人にとって非常に厄介な問題だった。
速人がエイリークの家の財布の紐を握るようになってからは月末にレミーとアインが餓死寸前になるという事は無くなってたがそれでも経済的苦境に立たされてしまう。
エイリークとマルグリットは並の大人よりも収入が多いのだが、出費はさらに多かった。
さらに知人や友人たちにすぐ借金をする為に現在でも集計されていない分も多々ある。
エイリークの後見人であるベック、ダール、レナードからの金銭援助は貴重でありこれらの線を断たれてしまえば家を売って都市の外で暮らさなければならなくなる可能性もあった。
速人は種族のいざこざには関わりたくなかったが、機嫌取りとばかりに卑屈な笑顔でレナード答える。
「わかってますよ、レナードさん。今度ドルマとウェインの野郎に会ったら”調子こくな”って言っておきますから」
速人は無関係なドワーフ族の帝国軍人ドルマとウェインに心の中で詫びながら、下卑た笑いを漏らす。
レナードとジムの親子は速人の返事に満足した様子で自分の家族に鍋の中身を注いでやる為に移動して行った。
速人は安堵に胸を撫で下ろし、主にジムの弟エリックの家族が集まっている鍋に移動した。
話の本筋には関係無いがエイリークの周囲にはエリック、エリクソン、ヘンドリクセンと似たような名前の人間が多かった。
レナードの次男エリックもまたその一人である。
エリックとその家族らは数十人くらいで鍋の前で皿を手に持って速人の到着を今か今かと待っていた。
流石の速人とて”平均年齢が三十五以上の男女が集まってこの光景は如何なものか”と思ってしまう。
速人は微笑みながら(※営業スマイル)まずはエリックの子供たちの皿に温かいスープと具材を入れる。
エリックの子供たち(※基本的に全員が2、3歳は速人より年上)は待ち望んだ食事を前に感謝の言葉を述べながら皿を受け取っていた。
逆にエリックを筆頭とする大人たちは互いの皿に入っている”具が多い”とかと文句をつけて喧嘩を始めていた。
ここで速人はレナードに仲裁を頼もうとしていたが、レナードはレナードで別の家族にかかりっきりとなっていた。
速人が仲裁に入ろうとした時ベックとコレットが現れて爆発寸前の場の空気をどうにか収めてくれた。
男性陣にはベック、女性陣にはコレットが向かい話というか日頃の不満を聞いてやっている。
速人は長らくこういった場面で人間関係を修復してきたベックたちに礼を言い五つの大鍋を回り、全員に鍋料理を振る舞った。
基本こういった大所帯で幹事役に徹すれば料理を味わう機会などない。
速人は最初から用意してあったハチミツとバターと小麦粉を使って作った高カロリーの携帯食を齧りながら作業に没頭する。
そして始終あくせく働く速人の後ろ姿にディーと雪近はもうしわけなさを覚えながら鍋料理を食べていた。
「おい。速人、大丈夫か?」
同じく青い顔をしたダグザとハンスが声をかけてきた。
速人は返事をする代わりに一度だけ頭を下げる。
その時の速人は大勢の人間の相手と鍋の熱気のせいでかなり疲弊していた。
ハンスはタオルを冷水で濡らしてから絞り速人に手渡す。
ハンスは何かと大雑把な部分が目立つ男だが、長い間エイリークと行動を共にしているだけあって細かいところに目が届く人物である。
ハンスの妻モーガンはレクサと一緒に他の鍋のところを回ってくれていた。
速人はハンスから濡れタオルを受け取ると頭の先からゴシゴシと拭いた。
「ふう。もうすぐ鍋の中身が無くなるから俺は次の料理の仕上げにかかるよ。ダグザさんとハンスさんは喧嘩にならないように見回っていて。ハンスさん、タオルは洗って返すから」
「おう」
ハンスは鬼気迫る速人に圧倒されながら首を縦に振った。
速人は屋内のキッチンに帰りがてら食事中の雪近とディーに声をかける。
二人は汗だらけになっている速人を見て少しだけ驚いていた。
「ディー、雪近。そろそろ鍋の”締め”の料理を用意するから焚き火に小さい子が近づかないように見ていてくれ。人間、満腹になると気が緩みがちになるからな」
速人はレナードの家族に向かって指をさす。
レナードの孫にあたる子供たちは大人たちが会話に夢中になっている間、目の前で揺らめく焚き火を興味深そうに見ている。
ディーは少なくなった皿の中身をかき込んで子供のいる場所に向かった。
ディーは子供に焚き火が危険なものである事を伝えて両親のところに手を引いて行った。
雪近も皿に残った魚と汁を混ぜて啜るとディーの手伝いをする為に食器を片付けて向かおうとする。
雪近は青ざめた顔をしながらキッチンに向かおうとする速人を心配して尋ねた。
「別にいいけど。お前はどうするんだよ?全然食ってないじゃないか」
「俺とお前らを一緒にするな。自分のメシくらいはちゃんと食ってるよ。ホレ」
速人は袋の中から携帯食を取り出して雪近の目の前で口の中に放り込んで見せた。
日本人である雪近には速人の行為を概ね理解した様子で一応は首を縦に振った。
「わかったよ。だけどお前の体力にだって限界ってモンがあるんだから気をつけろよ」
雪近はそれでも納得しかねるという様子でディーのところに小走りで向かう。
どうやらディーはレナードの孫たちの中でも威勢が良い女児から攻撃を受けているようだった。
(レナードさんの家で生まれた女の子は目星をつけた男にはとりあえず馬乗りになれとでも教えられているんだな)
速人はレクサにせっつかれているダグザの姿を思い出しながらキッチンに向かう。
その最中で今度は食事が一段落したレミーとアメリアたちに声をかけられた。
「何?」
速人が顔を真っ青にして振り返ると規格外の大きな面を見慣れたはずのレミーたちも一瞬、凍りついてしまう。
レミーは内心の動揺を悟られないように平然を装いながら速人が何をしているか尋ねることにした。
「なあ、速人。アタシらはほとんど夕飯食べ終わちゃったようなもんなんだけど、そろそろ庭で遊んでもいいか?大人同士の話ばっかで退屈なんだよ」
レミーはため息をつきながらアメリア、シエラ、アイン、シグルズたちを指さす。
アメリアとシエラは苦笑しながらレミーの意見に同意していたがアインとシグルズはまだ食事の途中だった。
彼らには最初から発言する権利は与えられていないらしい。
(さてどうするか。…俺としては、レミーたちが遊ぶのは問題ないが締めの料理は食べて欲しい。良し。この際だから適当な仕事を頼んで時間を潰してもらおう)
速人はレミーたちに使わなくなった食器をまとめて一か所に置いておくよう頼む事にした。
エイリークとマルグリットは絶対にしないが、レミーとアインは自分の使った食器を洗い場に持ってくる程度の事を普段からしている。
レミーたちにはお礼に甘い焼き菓子と飲み物を用意すれば快諾してくれるだろう。
「レミー、まだ料理を出す予定だから遊ぶのはまた今度にしてくれよ。そうだな…、悪いが使わない食器を重ねてひとまとめにしてそこのテーブルの上に置いてくれ。俺はキッチンで仕事があるから」
「…了解。アム、シエラ、ドッジボールはまた今度にしよう。料理はまだ出て来るってよ。速人、手伝ってやるんだからおやつくらいは用意しておけよな」
「はい。わかりました、レミー。シエラ、お空が暗くなってきているから一緒に行きましょうね。食器を割らないようにしなきゃ」
「うん、わかったよ。アムは十枚以上お皿を割らないようにしようね」
アメリアとシエラは仲の良い姉妹のように笑い合う。
その一方で速人とレミーはアメリアとシエラの会話を聞いて額から汗を流した。
シエラもたまに食器を割ってしまうがアメリアは家事を手伝う度に食器を割ってしまうのだ。
バンッ!バンッ!
レミーはすぐに歩き食い状態のアインとシグルズのところまで行って頭を引っ叩いた。
いきなり叩かれたせいでシグルズが涙目になりながらレミーの暴力に対して抗議を入れる。
「何すんだよ、レミー。俺たちはようやくご飯食べてるってのに。何で仕事を手伝わなきゃならないんだよ!そもそも俺らが食べるまで時間がかかったのはレミーとうちの姉ちゃんばっか先に食べていたせいだろ!横暴にもほどが…、ぐうッ⁉」
レミーの裏拳がシグルズの横面を張り飛ばした。
シグルズは腫れ上がった部分に手を当てながら速人の後ろに隠れてしまった。
速人は背中でシグルズの鳴き声を聞く事になる。
レミーは基本的に姉御肌で寛大な部分もあるが、目下の反抗を許さない厳しい一面を持っていた。
レミーは”そこを退け”と目線で命じるが速人は慈しみ深き聖母のような笑顔を浮かべて首を横に振る。
レミーの額は額に血管を浮かべながら速人とシグルズとアインを怒鳴る。
「いけませんよ、レミー。気に食わないからといって暴力を振るっていてはエイリークさんのようになってしまいますよ?」
「黙れ、顔面お化け!私はアイツの子供だから別にそうなってもいいんだよ!それより早くシグとアインが手伝ってくれないとまた食器を買いに行かなくちゃならないだろうが!」
レミーの叫びと共に悪夢の如き光景が黄泉返る。
四散する食器の破片、底が黒焦げになって穴が開き、使い物にならなくなった鍋の数々…。
そのどれもがアメリアが家事を手伝って失敗した結果の数々だった。
シグルズとアインは残りの料理を一気に食べると急いでアメリアとシエラのもとに向かった。
ガシャン!ガシャン!
二枚の皿が犠牲になっていた。
そのうちの一枚はレミーのお気に入りでこの前、雑貨屋で購入したばかりの新品である。
レミーは無言で肩を落としながら食器が置いてあるテーブルに向かった。
(すまない、レミー。お皿は家計が浮いた時にでも新しいのを買うから…)
速人は心の中でレミーに詫びを入れながら屋内のキッチンに向かった。
庭から家に戻る道中でレナードが後を追いかけて来る。
「速人、料理の追加を頼みたいんだが。俺のカミさんがな、肉だんごをもっと食べたいってさっきからうるさいんだ。ははっ」
レナードは気さくに笑いながら自分の家族が談笑している方角を指さした。
しかし、この場合レナードの妻が料理を欲しているのではなく単にレナードとジムが食べる前に鍋の中身が無くなってしまったという事を速人は知っていた。
だが現実は過酷であり鍋の具材は既に無くなっている。
速人はレナードから目を逸らしながら今現在の台所事情について語った。
「レナードさん、悪いけどウチの台所にはもう材料が無いよ。この後にパスタ料理を出すつもりだけど、それで我慢してくれないかな?」
「なっ…‼」
レナードと彼の周囲の風景が一瞬でモノクロと化していた。
レナードは速人ならば余分に材料を残していると考えていた。
故に今回の鍋を食べる時は自分よりも家族全員に行き渡るように分ける役に徹していたのである。
さらに言ってしまえば一口もまともに食べてはいない。
意気消沈したレナードはその後、同じような境遇の息子二人に支えられながら中庭に戻って行った。
その際に余り物はないか、と家族に尋ねてみたが鍋の中にはスープさえ残されていなかったという。
速人はオーブンを使って焼いた大量のプチパンと追加用のスープの入った寸胴をカートに乗せて現れた。
そしてパンを空になった鍋の中に敷き詰め、その上から削ったチーズをふりかけてスープをかけた。
さらにその上から蓋をして再度、加熱する。
雪近とディーは鍋から水分が吹きこぼれないように後からやって来ては鍋の蓋をズラしていた。
速人は全ての鍋を回り、残りの材料を全て使ってしまうと今度は新しいスープ皿を配り始めた。
その頃、食器を運び終えたレミーたちが速人のもとに再び現れる。
疲れ切った表情のレミー、アイン、シグルズの顔から察するに最悪の結果は免れたようだった。
速人が鍋の蓋を開け、乾燥した緑色の香草をふりかけているとアメリアが自分も手伝うように言ってきた。
「速人。良かったら私も手伝いましょうか?」
アメリアは速人からお玉杓子を受け取ろうと手を出した。
しかし、速人はあえて存在に気がつかないフリをする。
アメリアは食器を石でも握り潰すかのように掴み、テーブルの上に置く時は投げてしまうのだ。
彼女の父ソリトンも同じような真似をするが、それは決して悪意からの行為ではない。
それを知っているがゆえに速人は彼女の心を傷つけないように無視をした。
アメリアはいつものようにニコニコと笑いながら速人の前から動かない。
速人は最後の手段に出た…。
「いえ。結構です」
速人は背中を向けたままアメリアを突き放す。
アメリアは何とか速人を振り向かせようとするが、何処から現れたベックとコレットが他の客のところに連れて行った。
ベックとコレットは去り際に速人に向かって”後は任せろ”と親指を立てる。
速人もまたベックに感謝の意味を込めて親指を立てた。
以降一週間、アメリアはベックに対してトゲのある態度をとることになったのは言うまでもない。
こうして速人は誰に邪魔をされることなく締めのメニュー、”パングラタン風スープ”を完成させた。
速人は料理が出来上がった後まず最初に空腹の絶頂にあるレナードのところに持って行った。
レナードは料理を受け取ると立場を忘れてガツガツ、ふうふう、ガツガツと食べ始めた。
この時、速人は知らなかったのだがレナードは大の猫舌だったそうだ。
レナードはスープ皿の中身を空にすると”お代わり”を所望してきた。
速人は苦笑しながらレナードに二杯目のパングラタン風スープを用意する。
レナードはレクサから冷水の入ったジョッキを受け取り、一気に飲んでいる。
そして喉をごくごくと鳴らしながらジョッキを空にすると驚くべき報せを口にした。
「そういえば速人、後でレミーに伝えて欲しい話なんだがな…エイリークのヤツが予定を切り上げて早く帰って来るらしいぞ」