第百四十三話 増殖せし人々
すいません、更新が遅れました。
次回は気をつけます。四月十一日に更新する予定です。
(果たしてここまでの暴挙、理不尽の類が許されて良いものか?)
速人はハンスとモーガンの夫婦を見る。
ハンスは無邪気に、モーガンは遠慮がちに笑っていた。
原則としてあの家は主はエイリークであり、レクサではない。
速人よりも本来の住人であるレミーとアインに聞くべきだろう。
速人は意味ありげに眉間に皺を寄せながらダグザを見た。
次の瞬間、ダグザはぷいっと別の方角を見て誤魔化した。
この時ダグザはスウェンスの弁当の話を根に持っていたのだ。
「俺は別に構わないけど、レクサさんがレミーを説得してくれよ。レミーとアインはエイリークさんの子供だけど、俺はただの居候なんだからさ」
「ええーっ⁉めんどくさーい‼…。でも考えたら当然の事よな」
レクサは少し驚いた様子だったが、結局速人の提案に賛成してくれた。
二人の話を聞いていたハンスとモーガンも相槌を打っている。
「ごめんね、速人。実は私と旦那も子供の頃、エイリークの家で暮らしていたんだよ。さっきレクサに”いずれパーティーとかじゃなくて正式にシエラを連れて行きたいね”っていう話になったのさ。レミーたちには私らが謝っておくからさ」
モーガンは苦笑しながら頭を下げる。
モーガンとハンスの夫婦がマルグリットと同様にエイリークの両親に引き取られたという話は速人も知るところだった。
(なるほど自分たちが養父母と一緒に過ごした場所をシエラにも紹介したいという話か。レミーに話す時は俺からもお願いをしてやった方がいいかな。まあ、レミーの気前の良さは両親譲りだから問題はないと思うが…)
速人はハンスとモーガンの提案を快諾することにした。
エイリークもハンスとモーガンが相手ならば気を悪くすることもあるまい、と判断したからである。
「わかったよ、モーガンさん。俺からもレミーに頼んでみるよ。はっきりしたことは言えないけど、レミーとアインは喜んで引き受けてくれるんじゃないかな。それでレクサさん、そろそろアダンを引き取りに行った方がいいんじゃないか?」
ダグザの子アダンは生まれたばかりなのでレクサの実家に預かってもらっていた。
アダンは生まれてから間もないので本来ならば両親がついているのが望ましいのだが、今はエイリークたち主力メンバーが不在なのでダグザとレクサの実家で交互に預かっていた。
「ええ、私もそう思うわ。でも実家には父さんと兄さんたちがいるからダグとハンスと速人で行って来て頂戴。私はモーガンと一緒にレミーたちのところに行くから。シエラとも合流できるし。もしかしたらアムとシグとベックとコレットも来るかもしれないから御料理は分量多めに作っておいてね」
「えっ…」と流石の速人も表情を引きつらせる。
合計七人、用意する食事の量が元の二倍近くまで増えてしまえば材料を買い足さなければならない。
今から急いで大市場に向かわなければならないだろう。
速人の狼狽ぶりに気がついた慌ててダグザとハンスが会話に割り込んできた。
「ま、待ってくれ、レクサ。それでは人数が多すぎるのでは…」
「ワシもそう思うぞ、姐さん。ベックのところは別に…」
ギロリッ!
レクサは悪鬼の如き形相でハンスを睨んだ。”意見をする事は許さぬ”とでも言いたそうな目つきだった。
ダグザとハンスが無力化された時点で交渉は終了し、速人は意気消沈したダグザとハンスを連れてレナードの家に向かった。
効率という観点から考えればレナードの家とレミーたちが通う学校は別の咆哮方向にあるので問題はない。
速人は年長者の二人を励ましながら第十六都市の中層の奥にあるレナードの邸宅に向かった。
レナードは立場的には防衛軍の幹部なので上層に住むべき人物だったが、有事に備えて中層の高級住宅街に住んでいる。
一説には単に上層で暮らすほど金が無いという話だった。
速人は大きな門の前に立ち、呼び鈴を鳴らす。
ベルが鳴った後すぐにレナードの長男ジムがやって来た。
ジムはレクサの兄で第十六都市の防衛軍では直近で百人以上の部下を率いる地位に就いている。
肩書からは強面な軍人然とした人物像を予想するのだろうが、当人は”のんきなお兄ちゃん”だった。
ジムは鉄格子の外に速人と後ろで項垂れているダグザとハンスの存在を見つける。
長年のつき合いのせいか二人の様子を見ただけで大体の事情を察したようだ。
ジムは苦笑いを浮かべながら速人に声をかけてきた。
「なあ速人。坊ちゃんとハンス、あれはレクサにやり込められた後かい?言わんこっちゃない。だから俺は二人の結婚には反対だったんだよ。こうなるってわかっていたからさ」
ジムは盛大なため息と共に十歳の少年(※速人)に愚痴を言った。
速人はジムの話を聞きながら屋敷の方から聞こえてくるレナードの声に気がつく。
どうやら屋敷に集まっている孫たちの世話することが出来てご満悦の様子だった。
(孫よりも自分の子供と仲良くすればいいのに…。いや今はレナードさんの家庭問題よりも夕食の準備時間だな。今からでも大市場に行かなくては材料が間に合わない…)
速人は夕暮れに染まりつつある空を見ながら頭の中で献立の組み合わせについて考える。
回鍋肉、余った材料と野菜を使ったロールキャベツなどが既に後方に挙がっている。
アダンに与える母乳の事を考えれば香辛料をふんだんに使った料理を出すことは出来ない。
速人が難しい顔をしながら考え事をしているとダグザが話しかけてきた。
「速人、先ほどから怖い顔をしているが一体どうしたんだ?」
「いや実際レクサさんが辛い食べ物を食べるとアダンのご飯も辛くなっちゃうよな、とか考えていてさ。そうだ。ダグザさん、悪いけどアダンを連れて家に帰っていてくれないか?俺は大市場に行って材料を買って来るから。あっ、そうだ。夕飯に何かリクエストある?」
ダグザは速人がレクサの健康状態とアダンの食事について心配していることに困惑する。
どう考えても他所の子供に心配されるような案件ではない。
(速人に息子と妻の体調まで心配されるようでは父親失格だな。かと言って私の出来る事など限られている。ならば自分で出来る範囲で全力を尽くしかあるまい)
(ダグ兄、本当は姐さんが恐かろうに…。ヨシ、ワシもくよくよしちゃあおれんのう…ッ‼)
ダグザが勇気を奮い立たせている姿を見ていたハンスも普段の調子を取り戻しつつあった。
ダグザとハンスは自分の頬を叩いて喝を入れている。
その光景を目の当たりにしていた速人は何かの儀式が始まったのかと思って驚いてしまった。
ジムは毎度の事なので落ち着いている。
「速人、お前の言う通り私はハンスとアダンを連れて先に家に戻っている。ところで買い物に荷物持ちが必要なら、一緒に行っていいんだぞ?」
「応。ダグ兄の言う通りじゃ。力仕事が必要ならいつでも言ってくれ」
速人はダグザにアダンの事を任せ、ハンスには同じく家に戻っているように頼み込む。
三人の話を聞いていたジムは気を利かせて先に家の中に入り、ダグザがアダンを引き取りに来たことを伝えていた。
そして速人は夕食までの残された時間を考えながらレナードの家の前から飛び出して行った。
ダグザとハンスは速人の走って行く姿を見ながら年齢相応な姿を見て穏やかに笑っていた。
しかし、この後ジムが自分たちがダグザに夕食に招待された勘違いをしたせいでレナード一家が総出でエイリークの家を訪ねるという事態に発展することは誰も知らなかった。
合掌。
速人は己を待ち受ける過酷な運命(※人数がもとの三倍近くまで膨れ上がった)も知らずに壁をよじ登りながら大市場まで移動していた。
第十六都市の居住区は速人が住んでいた世界の近代都市ほど計画的に整地されていないので道路が途中で途切れている場所が多い。
速人がダールやダグザから聞いていた話を総合するならば古代ドワーフ(※ドヴェルク)の作った従来の区画にギガント巨人族の建築技師が通路や建物を継ぎ足していった結果らしい。
証拠として過去の戦争で破壊された都市を覆う外壁の一部がそのまま残されているらしい。
速人はその様をサンライズヒルやウィナーズゲートで直接、目にしている。
速人は大きなレンガ造りの住居を登って、大市場までほぼ直進しながら辿り着いた。
そして建物の屋根を伝って、地面に着地したところで初老の男に呼び止められる。
声の主はやや白髪の混じった金髪の男、アルフォンスだった。
「おい、速人。お前な、ヤモリじゃないんだからちゃんと道路を走って来いよ。そのうち猫どもに”縄張りを荒らすな”ってしかられちまうぞ?」
アルフォンスは空になった木箱を大市場の入り口まで運んでいる最中だった。
これらの空き箱に翌日の朝、近くの駅から送られてきた商品を詰めて倉庫で保存しておくのだ。
さらに補足するならば以前アルフォンスとアルフォンスの父親が箱の下敷きになったのは予備の木箱を積んである場所である。
嫌な思い出があsるせいかアルフォンスは積み上げた木箱の高さに注意している様子だった。
「ごめん、アルフォンスさん。今日は急なお客さんで急いでいてさ。次からは絶対気をつけるよ」
速人のしおらしい姿に違和感を覚えたアルフォンスは少し考えるような仕草をする。
エイリークとマルグリットは不在。
今、エイリークの家にはダグザが保護者の代わりに住んでいる。
…とくれば結論はただ一つ…。
アルフォンスは大きく息を吐いた。
「というと原因はレクサか。アイツ昔から面倒見がいいからな。お前も苦労しているな、速人」
速人は何かを悟り得た優しい目をしながら、無言で頭を縦に振る。
思えばエイリークとマルグリットの大雑把すぎる性格は周囲の大人たちが原因なのだろう。
速人は今頃レクサのゴリ押しで無理矢理納得させられているレミーとアインに対して謝罪の気持ちでいっぱいになっていた。
アルフォンスは木箱を置いた後、自分の実家が経営する「ブロードウェイ商店」の本舗まで速人を案内した。
大市場の他の店は先日、新装開店した商館の影響で完売御礼状態にあったのだ。
アルフォンスはあくまで大市場を訪れる昔からの客層の為、故意に店の売り物の値段を下げていなかった。
この為に他の安売りをしている店に比べて商品の値段が高めに設定されているので店を訪れる客の数は少ない。
今の速人にとっては有難い存在だった。
「アルフォンスさん、相変わらず惚れ惚れするような良い品ぞろえだね。今日はこのキャベツを持って行ってもいいかな」
速人は店先に並んでいる大ぶりなキャベツを指さした。
アルフォンスさんは「応」と気前の良い返事をした後、大人の両手がいっぱいになるほどの大きなキャベツを買い物カゴの中に入れた。
そして店の奥から形の良くないニンジンやズッキーニを持ってくる。
アルフォンスの実家は肉屋だが、本来は雑貨屋で大市場にあるほとんどの商品を取りそろえている。
速人は他に大量の肉の切れ端、バター、チーズ、おそらくは行商人が置いていった山菜を注文する。
速人は財布から3000QPに相当する硬貨を取り出してアルフォンスに渡す。
アルフォンスはお釣りとして2000QPを返してきた。
本来ならば2800QPに相当する買い物をしているので、速人は多すぎるお釣りの金額に驚いてしまう。
「アルフォンスさん、こんなに買ったのにいくら何でも多すぎるよ」
速人は渡された硬貨を返そうとするがアルフォンスは首を横に振る。
そして苦笑まじりにその理由について語り始める。
「馬鹿。店主の俺が良いって言うからこれでいいんだよ。後なレクサが客を読んだら元の人数の十倍は連れて来ると思え。これは経験則ってヤツだな。それにさっきウチの倅から聞いた話じゃあお前は親方の世話を焼いているそうじゃねえか。あの人もダールさんみたいに気難しいところがあるからな。コイツは餞別代りだ。おとなしく受け取ってくれ」
速人は納得が行かないという様子でお釣りを返そうとする。
アルフォンスは速人に背を向けて「今日は店じまいだ」を言って速人を追い返そうとした。
しかし、アルフォンスの目の前に突如として妻シャーリーが現れる。
本来ならばアルフォンスの方が身長が高いのだが、身に纏った覇気の量は象と蟻くらいの差があった。
しかしアルフォンスは鬼神と化した愛妻の姿を見て驚くどころか嬉しそうな顔をしている。
速人は硬貨を財布に戻そうとしていた。
「アンタ、何勝手な事を言ってるんだい?とりあえず速人、硬貨は一旦私に返しな。ちゃんと清算してやるよ」
シャーリーはアルフォンスの退けてから速人に手を出す。
速人は1500QP相当の硬貨をシャーリーに渡した。
シャーリーは硬貨を受け取った後、爆炎の如き闘気を解放する。
「速人、コレさっきより少なくないかい。言っとくけどアタシのパンチはマギーより早いよ?」
…と言う前にシャーリーは拳を前に出した。
(そのリードジャブ…。想定内ですよ、マダム)
速人はシャーリーの拳が鼻下に触れてから威力を真上に流した。
相手がエイリークなら拳を額で止めてわからせてやるところだが、シャーリーは女性ゆえに手心を加えたのだ。
ここでシャーリーを傷つけることはアルフォンスからの信頼そのものを失う危険性を伴う。
一方、シャーリーは拳が速人の顔面に当たる直前に止めて不発そのものを防いだ。
(このまま威力を流されれば筋肉痛確定だからね。止めさせてもらったよ)
シャーリーはその場から大きくバックステップを切って距離を取る。
速人は右側の鼻の穴から血がドロリと流れ落ちる。
「何だよ、戻っているなら言ってくれよ。あれ?シャーリー、何でそんなに後ろに下がっているんだ?」
アルフォンスは下を見ると車輪が作った轍のような足跡が残っていた。
さらに速人の顔を見ると鼻血を垂らしながらニヤニヤと笑っている。
アルフォンスは速人のもとに行って手持ちの布きれで鼻血を拭いてやった。
速人は応急処置を受けながら「膝か…。マルグリットさんより早いと言うだけはあるな」と呟きながら笑っている。
あの神速の攻防の中、シャーリーは踏みつけと膝蹴りを放っていたのだ。
速人は治療を受けながら明日の朝食に出すミネストローネの具材に刻んだトマトを入れる事を考えていた。
色的に。
「相変わらず怖いガキだね、速人。アタシの左の膝蹴りはパンチより早いってのに」
シャーリーは左右上下に体を揺らしながら自身のコンディションを確かめる。
(蹴りを放った瞬間に逸らされたかね。アタシとした事がこんな坊やにしてやられるとは。やれやれ、年齢は取りたくないものさ)
シャーリーは片足立ちの状態でケンケンをしながらバランスを修正した。
速人は追撃に移る前に懐から500QPの硬貨をシャーリーの前に出した。
シャーリーは地面を滑るように前進してから500QP硬貨を奪い取り、速人に二連続のミドルキックを決める。
速人は胸の筋肉を引き締めてこれを正面からブロックする。
速人は「せいッ‼」というかけ声と共に体内に残った衝撃と打ち消し、シャーリーは「呼ッ‼」というかけ声と共に肉体の強度を高めた。
そして速人に渡された500QPの中から200QP分の硬貨を改めて返す。
「合わせて2800QP。それ以上はまからないよ?」
シャーリーはエプロンのポケットに1000QPを忍ばせた後、残り1300QPをアルフォンスに渡した。
アルフォンスは恐る恐るQP硬貨を受け取る。
「シャーリー、その1000QPはどうするんだ?」
「手間賃、…アタシの小遣いさ」
この後、シャーリーは家からやって来た自分の娘たちにさんざん怒られてお小遣いを没収されるのであった。
速人はその間、アルフォンスから荷車を借りて材料を乗せる。
速人がブロードウェイ商店のガレージから頭を出すと空はすっかり夕暮れになっていた。




