第百四十一話 速人の敗北…。
次回は三月三十二日に投稿します。
「あ、ああ…。ごめんなさい、お祖父ちゃん。僕こんなつもりじゃ…」
ダグザの中で過去の嫌な思い出が蘇る。
子供の頃、エイリークたちと一緒に今は閉鎖されている”巨大工房”までスウェンスに弁当を届けに行ったことがあった。
子供たちのグループの中で最年長だったダグザはエイリークたちの前で良い所を見せようと弁当を持つ役を買って出たのだ。
弁当の中身を崩すまいとガチガチな足取りでダグザはスウェンスの待つ”巨大工房”に到着すると同じような結果になってしまったのである。
弁当の片寄り具合があまりにもひどかった為に誰もダグザを責めはしなかったが、逆にその事でダグザは精神的なダメージを受けることになる。
事実、速人からバスケットを渡すように言ったのも過去の失敗を取り返すつもりだったのだ。
ダグザはスウェンス、ロアン、速人の顔を順に見たが誰一人としてダグザを責める者はいなかった。
ダグザは肩を落として深いため息を吐いた。
スウェンスとロアンは苦笑しながらすぐにフォローに回ったが、速人は動かない。
最初から計算づくの行動だった。
以前にエイリークからスウェンスの弁当を届けたという話を聞いてからずっと何かに利用できないものかと考えていたのである。
結果、速人の作った弁当はものの見事に左側に片寄りダグザの苦い思い出は再現された。
まずますの成功と言えよう。
後は”弁当の代わりに食事を用意する”と言ってスウェンスの家の内部を調査するという予定だった。
ダグザには悪いとは思うが不確定な情報を頼りにメリッサの料理を再現するよりも城塞の本丸に乗り込んだ方が効率が良いと判断したからである。
しかし速人が何らかのリアクションを起こす前にスウェンスは寄った弁当箱に手を伸ばし、中身がはみ出たポテトのサンドイッチを食べた。
当然ながら指先がマヨネーズソーズだらけになってしまったが気にせずにモリモリと食べている。
実に美味そうな顔をしているが、スウェンスの目はしっかりと速人を睨んでいた。
速人は己の思惑を読まれて思わず舌打ちをしてしまった。
「おうっ、ダグよ。このくらいのことは何でもねえぞ。レクサが子供の頃に作って寄越した生焼けのチキンソテーに比べればどうって事はねえよ」
スウェンスは笑いながらサンドイッチをよく噛んだ後、飲み込んでしまった。
(糞餓鬼が。よりによって俺の孫にえげつない罠の嵌め方をしやがって。だが甘いぜ。伊達に年齢を食ってるわけじゃねえんだ。俺には通用しねえよ‼)
スウェンスは鼻息を荒くしながら親指を自分の顎に向かって突き立て、速人を挑発する。
(俺の料理を食って感動しないとは…。あくまで俺をキッチンに入れないつもりか。やるな、老骨)
速人は目を血走らせスウェンスを睨んだ。
スウェンスと速人は、両者の間の空間が歪んで見えるほど異様なオーラを放つ。
しかし、幸か不幸かロアンが速人に説教を始めた事で直接対決には至らなかった。
「速人。お前だな、バスケットを振り回して弁当の中身を駄目にしちまったのは。全く、とんでもない悪ガキだ。いいか、弁当を持つ時はだな中身を動かさないように気をつけながら持つんだぞ」
ロアンは速人の肩を掴んで自分の方を向かせて説教を始めた。
速人は思わぬところで足止めを食らう。
仕方ないので”ダグザさん、このオジサンを何とかして!”と目配せをした。
しかし、ダグザが弁当は速人の責任ではないことを伝えようとするとスウェンスが話しかけてきた。
「ダグ、悪いがお茶を淹れるのを手伝ってくれないか?最近、年齢のせいかすっかり勘が鈍っちまってよ」
スウェンスはキッチンの方を指さした。
ダグザは祖父の頼みを聞いて一気に明るい表情になる。
速人は横目で二人が会話をする様子を見ながらスウェンスの手際の良さ、ダグザの外見に似合わぬ素直さに驚きを隠せない。
「え?…うん、わかったよ!」
ダグザは一瞬だけ驚いていたがすぐに気を取り戻し、スウェンスと共にキッチンに向かった。
去り際にスウェンスは速人に向かって”ざまあ見ろ”と言わんばかりに二本指を立て、舌を出していた。
(完敗だ。八方美人な態度を取ったばかりに機を逃してしまうとは…。この俺が戦いの中で戦いを忘れるとはッ‼)
速人はキッチンに進入する機会を逃した事を悟り、ロアンの説教を聞くことにした。
結局この後、ダグザがスウェンスが居間に戻って来るまで速人は歯ぎしりをしながらロアンの説教を聞くことになる。
「…というわけだ。お前もエイリークみたいな駄目な大人になりたくなければ大人の言う事を聞きなさい。わかったな?」
ロアンはエイリークとマルグリットのメチャクチャな過去の悪戯について話してくれた。
両親の武勇伝の内容は、レミーやアインには話せないものばかりだった。
(あの二人、今までよく犯罪者にならなかったな…)
速人の背中に説明責任という名の罪がどっしりと乗せられる。
一方、ロアンは意気消沈してしまった速人を見ながら自分の説教を真面目に聞いてくれたのだと満足している。
速人はレミーとアインに代わってエイリークとマルグリットの蛮行をロアンに謝罪した(※エイリークが過去に起こした事件の全てはロアンが責任を取っていた)。
「はい。ごめんなさい、ロアンさん」
速人は心の底からロアンに頭を下げた。ロアンは速人が何か言いわけをすると思っていたので困惑してしまう。
ロアンの息子ローレンもこの前、約束を破ってしまった時は”よその家の子は…”と言いわけをしていた。
(ふむ。うちのローレンと変わらない年齢なのに素直に自分の失敗を認めるとは立派な事だ。これがエイリークなら逆切れして飛び蹴りでも食らわせてきただろう…)
ロアンは少し考えた後、ニッコリと笑う。
説教の時間は終わりだ、という意味だ。
「素直でよろしい。ウチのローレンもお前くらい真面目に俺の話を聞いてくれたらいいんだけどな。これはお前には関係のない話だったか」
速人とロアンは二人で笑い合い、並んでソファに座ってダグザとスウェンスが戻って来るのを待っていた。
「お祖父ちゃん、火が強すぎるんじゃ…。うわわッ‼ポットが真っ赤になっているよ‼」
「うわっ‼やべえッ‼お湯が噴き出て来やがった‼こうなったら蓋を閉めちまうぞ、ダグッ‼」
ダグザとスウェンスは不吉な内容の会話をしている。
速人とロアンは互いの顔を見るとソファから立ち上がり、食卓の向こうにあるキッチンに向かった。
部屋に入ってすぐにの何かが爆ぜる音が聞こえてきた。
魔力によって高熱を発する釜が案の定、真っ赤になっていた。
ロアンは急いでオーブン内の魔力供給を断ち鎮火に成功する。
速人は茶葉と熱湯まみれになっているダグザとスウェンスを救出した。
どうやら昔話をしながら茶葉と水の入ったポットを温めているうちに釜が予想以上の高温になっていたらしく、二人でポットの蓋を閉じてしまった事が大惨事の原因らしい。
速人はすっかりお茶臭くなってしまったダグザとスウェンスに冷水とタオルを渡し、自分は汚れてしまったキッチンの清掃をしながらお茶を淹れ直すことになった。
その際、スウェンスは元気のない声で「…奥の棚は使わないでくれ」と言っていた。
速人はそこがスウェンスの妻メリッサが愛用していた戸棚だという事を察して言われた通りに近寄らないようにした。
スウェンスの心の傷は速人が思うよりも深いものなのかもしれない。
速人は食卓の上に乗っている茶葉を使ってお茶を淹れ直すことにした。
ダグザとスウェンスはキッチンでの失態が原因で話せなくなっていた。
気まずい雰囲気に耐えられなくなっていたロアンが余計なフォローを入れようとしていたので速人は部屋の換気を頼むことにした。
先ほどからお茶の原料である香草の匂いが部屋の中に充満して大変な事になっている。
スウェンスは何か言いたそうな顔をしていたが無言のまま頭を縦に振っていた。
そして目の前に置かれたティーカップを手に取る。
速人はスウェンスの好みの温度を知らなかったのでダグザと同じくらいの温度でお茶を淹れていた。
スウェンスはティーカップに顔を近づけて湯気の立つお茶を一気に飲み干した。
「速人、面倒かけちまったな。孫の前でカッコイイ姿をついつい慣れない事をやっちまったぜ。ロアンも悪かったな」
「いえいえ。どうぞお気になさらずに」
スウェンスは空になったティーカップを速人に渡した。
速人は目を細めながらジャスミンに良く似た香気の立つお茶のをもう一杯、カップに注いだ。
スウェンスは満更でもない顔をしながら静かにお茶を飲んでいた。
長らく続く名家の出身ゆえかスウェンスのお茶を飲む姿には優雅さが感じられた。
そしてダグザはお茶を飲む祖父の姿を見ながら速人に礼を述べる。
「その、迷惑をかけてしまったな。速人、お前はもう知っているだろうが私はこういう事はからきし駄目なんだ。そのお祖父さまも似たような事を言っていたが、お祖父さまとロアンに私の成長した姿を見てもらいたくて無理をしてしまった。面目ない。ところで良ければ今度、お茶の淹れ方を教えてくれないか?私もお前のように皆に喜んでもらえるようなお茶を淹れてみたい」
「ダグザさん、それぐらいならお安い御用だよ。早く覚えてレクサさんやエリーさんにご馳走するといいよ」
速人は故意にダールの名前を出さなかった。
(テメエはガキのくせに一言多いんだよ…ッッ‼‼)
気になって横を見るとスウェンスは額に血管を浮かべながら黙々とお茶を飲んでいた。
ロアンはキッチンにある小窓を開いた後、居間に戻って来た。
速人はロアンにダグザたちに出した物よりも少しだけ高い温度のお茶を出す。
「ロアンさん、どうぞ。お疲れ様」
ロアンはテーブルの上に置かれたティーカップを手に取る。
そしてある程度、香りを楽しんだ後に飲み始めた。
ロアンのそれはダグザとダールにも通じるような洗練された動作で育ちの良さというものを感じさせる。
「速人、お前は本当に気が利くな。ありがとうよ。このお茶もおいしかったぜ」
その後、ダグザとロアンは落ち着きを取り戻し最近身の回りに起こった出来事などについて話していた。
速人はロアンとスウェンスにお茶のお代わりを用意して居間とキッチンを出たり入ったりしている、
(あの速人ってガキは本当に良く動くガキだな…)
スウェンスは速人の忙しなく動く姿を見ながらセイルたちの話を思い出していた。
セイルとベンツェルはスウェンスにとっては弟のような存在で幼い頃から何かと相談される間柄だった。
速人の活躍ぶりを見ていると、伝統と礼節を重んじるセイルとベンツェルが手放しで褒める理由がスウェンスにも理解することが出来た。
自分から動き、仕事の全体的な流れを把握している。
スウェンスは速人の姿を見ながら、過去を少しでも思い出すまいと目を閉じた。
速人はキッチンの後片付けを終えると居間に戻って来た。
「速人、仕事が終わったのか?だったらこっちに来て少しは休めよ。かなり汚しちまったから大変だっただろ」
スウェンスは速人に座る事を勧める。
しかし、速人は困ったような表情で首を横に振った。
「ごめん、スウェンスさん。俺とダグザさんはもう帰らなきゃいけないみたいだ。ダグザさん、俺すっかり忘れていたよ。早く事務所に戻ってレクサさんと一緒にアダンを迎えに行かないと…」
「うっ…。私も忘れていたな…」
そう言ってから速人は窓の外を指さした。
空の様子からして夕方までそれほど時間がありそうもない。
(マズイな。レクサを下手に待たせれば義父上に迷惑がかかってしまう)
ダグザはレクサにぶん殴られて地面に倒れているレナードの姿を想像する。
スウェンスはレクサの短気な性格を知っていたので苦笑しながらダグザに戻る事を勧めた。
「ダグ、早くレクサのところに行ってやれよ。俺の事なら気にすることはねえ。今日はお前にもらった弁当を食いながら酒でも飲んでから寝ちまうからよ。老人の夜は早いんだ」
「えっ…⁉でも、それじゃあ…」
スウェンスはダグザを心の底から心配するような優しい口調で言った。
(やれやれ。手のかかる大人だな)
速人は思わずため息を吐いた。
そして、ダグザが祖父の突然の申し出に面食らっている間に速人が代わりに返事をすることにした。
「わかったよ、スウェンスさん。次はもっとおいしいお弁当を持ってくるから楽しみにしてくれよ。ホラ、ダグザさん行くよ」
「ああ。えッ⁉もう帰るのか?」
速人は強引にダグザの手を引いて家から出て行った。
ダグザは去り際にスウェンスに向かって手を振る。
スウェンスは笑顔で手を振って孫が家に帰って行く姿を見届けた。
やがて玄関の扉が閉じる音が聞こえ、ダグザがいなくなってしまった事をスウェンスに告げる。
スウェンスは心のどこかでホッとしていた。
「おい、ロアン。お前もさっさと家に帰っちまえよ。俺はもう飯を食って寝ちまうからよ」
スウェンスに見送られロアンもまた家に帰って行った。
誰もいなくなり静かになってしまった家でスウェンスは戸棚の奥にある酒瓶を取り出して、ダグザの持ってきた弁当を食べながら酒を飲むのであった。
今回の勝負の結果。
スウェンスの優勢勝ち、速人の敗北。