第百四十話 強敵、スウェンス‼
すいません。一日遅れてしまいました。
次回は三月二十九日に投稿する予定です。
(これはどういう状況なんだ…?)
スウェンスは思わずダグザの顔を見てしまった。
ダグザはスウェンスの視線を辿り、立ったまま泣いているロアンの姿を見て驚いていた。
祖父と孫の二人はロアンが情に厚い性格であることは熟知していたが、流石に年齢も四十代半ばなので人前で泣くことは無いだろうと考えていたのである。
(祖父と孫の感動の対面を前にして号泣するとか、思った以上にめんどくさいオッサンだな…)
「ロアンさん、泣かないで。スウェンスさんとダグザさんが困ってるから」
「うう…。年齢のせいか涙腺が脆くなってしまってな…。もう大丈夫だ…」
速人は時間を有効に活用する為、ロアンに現在の状況を説明した。
ロアンは速人の説明を聞くと涙を拭いてスウェンスとダグザに向かって頭を下げた。
「お前が謝る必要は無えよ、ロアン。要するに俺が意地張って勝手にダグたちを避けるようになってただけなんだ。ダグ、また訪ねて来てくれてありがとうな。ロアン、いつも助かっているぜ。それと、
この珍しい顔をしたヤツは誰だ?…新顔だよな?」
スウェンスは笑いながら速人を指さす。
ダグザとロアンは一気に吹き出してしまう。
しかし速人は冷徹な瞳でスウェンスの横顔を見上げていた。
(自分のペースに引き込むとはやるじゃないか、ペテン師ジジイめ…)
速人はスウェンスの一連の行動は全て計算づくであることを看破していた。
スウェンスは速人に関する情報もセイルたちを通じて知っていたはずである。
おそらくはダグザと自分の会話のきっかけを作る為に速人を使ったのだろう。
速人は純粋無垢な子供(※リアルポコちゃん人形のような不気味さがある)のような態度で静観することにした。
(このガキ…。やる事がいちいち作為的だな。俺を試そうって肚かよ)
この時、スウェンスも速人に見られているということに気づいていた。
スウェンスはダグザと会話の機会を作る目的もあったが同時に速人とも話すつもりで故意にとぼけてみせたのだ。
ダグザは内向的な性格で自分から破綻した人間関係を修復しようと行動するタイプではない。
ましてダールがダグザにスウェンスの様子を見て来いと命令するはずもなく、エイリークなどは頭の中で勝手に結論づけているだろう。
よって消去法に近い形になるが、今回ダグザをスウェンスのもとに行かせたのは十中八九目の前の得体の知れない子供であると考えていた。
かくして速人(※10歳)とスウェンス(※72歳)の不毛な肚の探り合いが始まる。
二人の間に漂う異質な熱気にダグザとロアンは無意識のうちに圧倒されていた…。
「この少年は速人といって、ひと月前くらいに山の中を放浪しているところをエイリークが引き取ったのですよ」
ダグザが速人の前に右手を出すと、速人はペコリと頭を下げる。
(普通に怖えぇよ…)
(今にも舌を伸ばして蠅とか食べそうだ…)
スウェンスとロアンは引きつった笑顔を見せる。
速人本人は絵本に登場するような可愛い子供を演じたつもりだったが、周囲からは人間の子供サイズのアマガエルが頭を下げたようにしか見えなかった。
「速人?ああ、セイルとベンツェルが言っていた”速人殿”ってコイツの事か。もっと年齢食った野郎かと思っていたぜ。坊主いや速人か、たいそう腕っぷしが強いそうじゃねえか」
ダグザの導きでついに会話の機会が巡ってきたことに速人は胸を躍らせる。
速人の眼に凶暴な光が宿っていることに気がついたスウェンスは右手を出して握手を求めた。
速人もまた無邪気な子供を装いつつ、握手に応じる。
スウェンスは速人の手の感触に驚いた。
大きさこそ子供のものだったが皮膚の厚みは熟練の職人のそれと変わらぬものだったのだ。
スウェンスの知る人間でもこれほどの使い込まれた手を持っている人間は父エヴァンスくらいである。
(ガキのくせに何て”手”をしていやがる。コイツから関Jていた違和感の正体がわかったぞ。勝手にくたばった俺の糞親父だ。道理で気に入らないわけだぜ)
スウェンスは自分でも気がつかないうちに表情を強張らせていた。
一方、速人はスウェンスが世間の風評以上の大人物であることを確信していた。
見た目も七十歳を超えた老人とは思えぬほどの若々しさと力強さを右手だったが実際に握っているとスウェンスという人物がいまだに成長の途上であることを思い知らされる。
ダグザはスウェンスが自身の工房を引き払って隠居生活をしていると言っていたが、この手は自分という器を磨き続けている人間の手に他ならない。
速人は不敵な笑みを浮かべながらスウェンスの手を握り返す。
(相手が老人だから加減をして握っているのですよ。ウフフフ…)
(このガキ、俺を老人あつかいさせた事を後悔させてやるからな…ッ‼)
しばらくの間、二人は背中に炎のオーラを背負いながら手を握り合っていた。
速人の手がスウェンスの剛力によって拉げられている。
スウェンスが躍起になるほど速人は余裕のある態度を見せていた。
速人は完全なポーカーフェイスで平静を装っていたが内心では晩ご飯の支度が出来るかどうか心配しなくてはならないほどの激痛に苛まれていたのだ。
一方、ダグザは祖父と速人を包む異様な雰囲気に危険性を感じて二人を引き離すことにした。
「ロアン、速人をお祖父さまから離してくれ。お祖父ちゃんも、速人から離れて」
ダグザはまず祖父の握手を解く。
速人の小さな手には見事にスウェンスの右手の跡が出来ていた。
スウェンスはダグザに手を引かれながら文句を言ってきた。
「おい、ダグ。あのガキは何だ。メチャクチャ可愛くねえぞ‼俺が思いっきり握ってやったのにうんともすんとも言わねえでいやがるッ‼」
「お祖父ちゃん、速人が可愛いくないのはみんな知っている事だよ。エイリークだって喧嘩をする度に痛い目に合っているんだからさ」
スウェンスはダグザの手を強引に振り解く。そしてシャツの袖を捲り速人に向かって指を二本立ててみせる。
どうやら挑発の仕草は英国流がナインスリーブスの主流のようだ。
速人はスウェンスとダグザに対してハンッ‼と鼻で笑った。
ロアンは速人の手を引きながら顔をじっと見つめる。
「おいおい。お前が親父の言っていた速人ってヤツだったのか。てっきり俺も俺と同じ年齢のヤツだと思ってたよ」
そういってロアンは速人の頭を軽く叩いた。
速人の頭は大きかったが中はほとんど空洞だったのであまり良い音はしなかった。
「エイリークが喧嘩で負かされるってどんなガキだよ。全く…。おい、速人。さっきは試すような真似をして悪かったな。俺がダグの祖父さんでスウェンスってもんだ。名前くらいは聞いた事があンだろ?」
スウェンスは再び、右手を出して握手を求める。
セイルたちの話に登場する”速人殿”という人物には前から興味を持っていたのだ。
「ふふふ。比類なき偉大な漢と聞き及んでいます」
速人はスウェンスの手を握り返した。
その時、スウェンスは手が触れた瞬間に巨大な肉食獣の口の中にうっかりと手を入れてしまった状況を思いつく。
あのエイリークが子供を相手に手を抜くことなど考えられない。
おそらくは速人に本気で戦いを挑んでコテンパンにされたのは間違いないという事だけは理解した。
スウェンスは何度か手を握った後すぐに手を離してしまった。
次にロアンが速人と握手をする。
「ロアンだ、この辺の工房で職人長をやらせてもらっている。俺の親父と叔父貴たちがお前の事を褒め殺しにしているから同年代かと思っていたよ」
速人はロアンの骨太の右手を取る。よく鍛えれた手だが、指に出来ているタコの位置や傷痕は職人のそれでは無い。
幼い頃から一通りの武器を操る術、馬術等を学んだ武人の手だった。
職人長とは工房における複数の新しい職人の監督する役職と聞いている。
ロアンの年齢ならば普通に自分の工房を持っていてもおかしくはないだろう。
ましてロアンはセイルの息子である。
レナードの片腕として活躍している方が納得できるというものだった。
…と速人がロアンの素性について考えている姿を、スウェンは観察していた。
速人もまたスウェンの視線に気がつき「ロアンの過去に下手に踏み込むな」という意図を受け取る。
速人はロアンとの握手が終わると軽く頭を下げてから、再びダグザの隣に戻った。
「ダグザさん。お祖父さんにせっかく持ってきたお弁当を渡さなくていいの?」
速人はダグザが手に持っているバスケットを指さす。
どうやらダグザは弁当を持っていた事を忘れていたらしく慌ててバスケットを持ち直した。
(私としてことが…。危うく祖父の家まで来た理由を忘れるところだった)
「お祖父ちゃん。お昼に食べてもらおうとお弁当を持ってきたんだ。良かったらどうぞ」
ダグザはすっかり子供の頃の口調に戻っていた。
(黙れ、ガキ。うちのダグはこれでいいんだよ…ッ‼)
(俺たちの坊ちゃんはいつまでも坊ちゃんなんだよ‼)
速人はダグザの子供のように愛らしい言葉遣いに噴いてしまいそうだったが、スウェンとロアンが睨んでいたので思い止まることにした。
(もしもこの場にエイリークさんがいたら心理的外傷になりそうなくらい笑われていただろうな…)
速人はもう一つの仕込みが成功したかどうか確かめる為にバスケットを見つめていた。
スウェンはバスケットを受け取ろうと手を出してきた。
ダグザはニッコリと笑ってバスケットを渡す。
「いつも悪いな、ダグ。コイツは有難く食べさせてもらうぜ。そうだ。良かったら家の中でお茶でも飲んで行ってくれねえか?ジジイ一人で暇を持て余していたんだ。そっちの坊主もよ」
ダグザは期待に満ちた目で速人の顔を覗き込む。
その頃、速人は夕食の準備に掛かる時間の事を考えていたので「あまり長居は出来ない」と小声で伝える。
かくして速人は予定よりも早くにスウェンスの家に入ることになった。
速人はテラスにつけられて木製の手すりを撫で上げ、床にも軽く目を通した。
いずれの調度品も年代物には違いないが掃除などはしっかりと行われていた形跡があった。
特に外に置かれた肘掛け椅子だけは新品と見紛うほどに磨かれている。
(あれがダグザさんのお祖母さんが使っていた椅子か…)
速人はスウェンスの視線を背中に受けていることをある程度察しながら独り言ちる。
次に速人は家屋の内部を忙しなく見まわし、早速ロアンから説教を受けることになった。
「おい、速人。よその家に初めて招待された時はな、あんまり中身を見るもんじゃないぞ。そういう行儀の悪い事ばかりしているとエイリークみたいな大人になっちまうんだからな」
ロアンは速人の目を見ながら何らかのリアクションを期待している。
(あの人は既に手遅れのような気がするのだが…)
速人は「わかったよ、ロアンさん」と大きな声で言いながら頭を下げた。
ロアンは速人の素直な態度に満足したせいか会った時よりも態度を軟化させる。
速人は早くもロアンの関心を掴みつつあった。
スウェンは三人を居間に案内し、ソファに座るように勧める。
速人はソファまで駆け寄り、そこに腰を下ろして柔らかさと反発具合を確かめる。
スウェンの家にある色や形は異なるが造り自体はエイリークの家に在った物と似たような構造だった。
「どうだ、速人。ソファに座ったのは初めての経験だろ?これは全部、親方のお父様であるエヴァンス大親方が作られた価値ある貴重な家具なんだぞ?」
速人はロアンからの好感度をさらに高くする為に大袈裟に喜んで見せようとしたが、ダグザは吐き捨てるように牽制した。
ダグザは先ほどから速人がロアンを丸め込もうとしている姿を見て気分を悪くしていた。
ちなみに速人の見え透いた芝居にスウェンスもイライラしているところだった。
「ロアン。速人はエイリークの家にあった穴だらけのソファを全て修繕するような技術を持った子供だ。今さら珍しくはないさ。なあ、速人?」
「ほう、あれは確かマールがアグネスと結婚した時にダールのヤツが譲った物だろ。やるじゃねえか、速人」
スウェンスは腕を組みながら当時の事を思い出す。
ダールは渋ったがエイリークの父マールティネスは自身の親族とルギオン家の仲を取り持つ為にこの家を出て行かなければならなくなったのだ。
マールは父ダルダンチェスの死後からずっと生活してきたスウェンの家の思い出の品としてエヴァンスの作ったソファを所望した。
(ああ、そうだ。ダールがソファを譲ったのもメリッサが説得したからだったな…)
スウェンスの顔が少しだけ優しくなる。
速人はスウェンスの孤独を噛み締めるような儚い笑顔を見ながら事の重大さを考え始めていた。
そうとも知らずダグザはバスケットをテーブルの上に置く。
「ダグ、弁当の中身を見てもいいか?」
「うん。僕が開けるからお祖父ちゃんはソファに座っていて」
ダグザは入り口近くにあるコート掛けに脱いだ上着をかけた。
そして両腕の袖を捲ってバスケットの蓋を開ける。
弁当箱は昼食の時にダグザとレクサが一緒に食べた物と同じでランチマットに包まっていた。
ダグザは結び目に手をかけてゆっくりと解く、そして長方形の弁当箱の蓋を開けた。
「…ッッ‼」 ×3
弁当箱の中身は左側に寄っていた。
食べられないほどでは無かったが、確実に食欲を削がれるような姿になっている。
顔面蒼白になっているダグザの陰で、速人は”してやったり”と不気味な微笑を漏らしていた。




