第百三十三話 例によって雪近とディーが口を滑らせて速人の努力が水泡に帰す
次回は二月二十日に投稿します。
レクサは口元をナプキンで拭いながら食事の感想を告げる。
レクサ曰く”料理自体には問題が無かったが、現在は食料事情が大幅に改善されているので戦時中にメリッサが乏しい食材で作った料理とは別物のよに感じてしまう”らしい。
速人は当事を知る者の貴重な意見が聞けたことで頭を垂れて膝を打った。
しかしレクサの夫ダグザは”君そんなに料理上手かったっけ?”と神妙な顔つきで雄弁を振るうレクサの姿を見ていた。
「このお野菜の卵和えにしても余った野菜の切れ端を混ぜて量を増やしてたわけ。水っぽくなっちゃってあまり美味しくなかったけど私たちにとっては思い出の味なのよ」
レクサはそういってほうれん草とニンジンとグリンピーズの入った炒り卵の最後の一口を食べてしまった。
余談だがレミーとレクサ以外の人間は誰も食べていない。レミーでさえ皿に一度だけ盛ったくらいである。
速人と脂っこい食事に慣れていない雪近を除く全員の羨望に満ちた視線を受けながらレクサは”野菜と炒り卵の和え物”を飲み込んでしまった。
そして気がつないフリをしながらスープを口に含んでいる。
ガンッ!
速人は腹いせでレミーに頭を殴られてしまった。
どうやらレミーはレクサに文句を言えない理由があうらしい(※群れの中で最年長のメスに従う野生の法則)。
「痛ッ‼信じられない硬さだよ…ッ‼」
しかし金属と同等の硬度を誇る速人の頭を叩いたレミーは自分の手をさすっていた。
ダグザはレミーたちに小声で謝罪をしている。
レクサとダグザは今のアインよりも幼い頃からのつき合いと聞いているが役回り的には同じような事を続けているのだろう。
速人はレクサの忠言とレミーのパンチを真摯に受け止め、お茶を温める為に加熱用のランプの上にティーポットを置いた。
茶葉と一緒に煮込んで淹れたいところだがレミーとアインの登校時間が迫っているので簡略された方法で用意しなければならない点が今回の朝食における速人の失敗の最たるものだろう。
速人は全員に砂糖とミルクの有無を聞きながらティーカップの中にお茶を注ぐ。
食後のお茶が全員に行き渡る頃にはレミーたちは機嫌を直し、今後のスケジュールを消化する為に準備を始めた。
レミーは居間に移動し、ダグザとレクサは一度客室に戻って仕事着に着替えると速人に言伝ていった。
速人は使い終わった食器をカートに乗せてキッチンに戻って行った。雪近とディーには食堂の清掃を任せている。
速人はキッチンに戻ると食器洗いをする傍ら、朝食と並行して用意しておいた弁当に蓋をしていた。
その後、二十分ほどで仕事を終えた速人はカートに弁当を乗せて居間に向かう。
「まさか短時間で朝食だけではなく我々の弁当まで用意していたとはな…。速人、お前の行動力にはつくづく驚かされるな」
ダグザはテーブルの上に置かれたバスケットを開いた。
木製のバスケットにはいくつも部屋分けされており、おかずとパンが敷き詰められている。
内容は朝食と同じようなものであることが推測されるが弁当用にアレンジされていることが傍目からも見て分かる。
「本当にすごいわね。私たちの分まで用意してくれたの?」
「ああ。レクサさんとダグザさんの分はこっちの大きいバスケットだ。いっぱい作ったから二人で仲良く食べてくれよ」
レクサは笑いながらバスケットの蓋を開ける。
昨日の作戦会議(?)の時に議題に挙がった通りの料理が用意されていた。
ここだけの話、料理の内容はレクサの好物ばかりだったのでバスケットの中身を見た途端に思わず笑ってしまう。
普段は食べ物に固執しない性格のダグザもレクサ同様に嬉しそうにしている。
レミーとアインも自分たちの弁当の中身を確認して笑っていた。
ディーの弁当の中身はダグザたちと同じような料理を用意しているが、雪近は中身を和風にアレンジしてある。
雪近は握り飯と出汁巻き卵を見て大喜びしていた。
「いつも悪いな、速人。握り飯まで用意してくれてありがとよ。これで今日も頑張って働けそうだぜ‼」
「どういたしまして。今日は俺が一緒に行けないからディーのところを見てやってくれよ。そういえば今日はどこで仕事をするんだ?」
雪近、ディー、速人は正規の第十六都市の住人では無いので奉仕労働の義務がある。
今回の場合は速人がダグザからの依頼があってそちらに出向しなければならないので、雪近とディーは別の場所に働きに行かなければならなかったのだ。
「今日は俺たち、ベックさんのお友達のカルロさんのところで農場のお手伝いだよ」
カルロは都市部から少し離れた場所に住む農場主だった。
彼もベック同様に融合種族出身で新人の雪近とよそから来た(※一応周囲には妖精巨人族という説明をしている)ディーに対しても友好的に接してくれる貴重な存在である。
(…カルロさんの農場なら防衛隊も見回りに来るし事件が起きる可能性は低いな)
速人は少し過保護気味と思いつつも雪近とディーの身の安全まで心配してしまう。
雪近は戦う術を持っているとはいっても普通の人間より少しマシな程度であり、何よりもディーは身長が平均以上という以外に取り得の無い男だった。
雪近の中途半端な実力ではディーを守りながら戦うことなど不可能だろう。
「まったくこいつらよりも案山子の方が役に立つな」
速人は軽くため息をつく。
その近くでは速人が何を考えているかに気がついた雪近が引きつった笑いを、ディーは苦笑いを浮かべている。
速人は二人に個別で行動しない事や何かの事件に巻き込まれた場合は農場主のカルロかおそらく同伴するであろうベック夫妻に連絡するように言った。
「お前らは体験済みだからわかっているとは思うが、今度の敵は周囲の事情なんてお構いなしに暴れまわる厄介な連中だ。とりあえず怪しい奴らを見たらカルロさんかベックさんに報告しろ。雪近、ディー、戦いになったらまずみんなで逃げるように言えよ。俺の予想が正しけれ連中は町の真ん中までは追って来れないはずだ。いいな」
速人は大雑把に応戦するなという意味で伝えたつもりだった。
しかし、雪近は意外すぎる返事を出してきた。
よくよく今になって考えて見るとこの数日大変な事が多すぎて三人で話し合いをする機会が無かったのだ。
「はいはい、わかりましたよ。ところで前に見たあの変な服を着たでかい男と山みたいにでっかいヤツが出てきたらどうするんだよ?」
「あれ?キチカ、ナナフシさんと緑麒麟だっけその話ってして良かったんだっけ?」
速人が何かをしようとする前にダグザが上から覆いかぶさった。
その間、恐い顔をしたレクサとレミーが雪近とディーを問い詰める。
速人は懸命にダグザを放り投げようとするがダグザは自身にかなり強烈な”荷重”の魔術をかけていたので這って逃げることさえ出来なかった。
レクサはテーブルの上に乗っているデザート用のリンゴを一つ、手に取る。
そして「フン‼」というかけ声と共に一気に握り潰し、カップの中にリンゴジュースを注いだ。
ニコッ。
レクサとレミーは虫も殺さないような笑顔のまま尋ねる。
「ねえねえ、キチカ、ディー?速人ってまだ私たちに話していない事いっぱいあるのよね。このリンゴみたいに潰されたく無かったら全部話してくれないかしら」
レクサはフィンガーボウルで手を洗うとリンゴジュースをティーカップに注ぎ、アップルティーにして飲んでいた。
ちなみにダグザとアインはレクサから目を背けている。
速人はうつ伏せの状態のまま、何も言うなと言おうとしたがレミーは別のリンゴを速人の口に詰め込んでいた。
こちらも口元は笑っているが、目は笑っていない。
(完璧な連携だ。これが女子力というものか)
速人はガクッと頭を落とした。
そして雪近とディーはウィナーズゲートの町で速人と一緒に神仙”七節星”と機神鎧”緑麒麟”、真の姿”ヴァーユ”と戦った事を打ち明けてしまった。速人は話の中でディーと雪近の活躍場面が増えていた事よりも、戦いにエリオットとセオドアが参加していたことをゲロしたことに殺意を覚えていた。
話の後、ダグザの目の角度と速人の身体を掴む力が上昇していた事は言うまでもない。
逆にレクサとレミーは話の真偽そのものを疑ってしまう。速人は昔の怪奇漫画の主人公(※怪物に食べられるヤツ)のように目を血走らせてディーと雪近を呪った。
前日の時点で速人はエイリークにデボラ商会を全滅させた話まではしたが、その後の話はしていなかったのである。
「速人。ここは一つ、取引をしよう。エイリークたちには私から説明しておくから今の時点でわかっている事を全ては話て欲しい。忠告しておくが身内から人間拡声器と恐れられるレクサを止められるのは私しかいないぞ?」
ダグザは感情が失われた目つきで速人を見下ろしている。
レミーは今までに見せたことのないような邪悪な顔をしている。
そして、レクサ当人は何の話か本当に心当たりが無さそうに困惑していた。
(まさかこんなところに罠が仕掛けられているとは人生とは何と遠大なものよ…)
速人は己の未来に絶望し、ダグザからの提案を受ける事にした。
速人はダグザの捕縛から解放された真っ先に雪近とディーにヘッドロックをかける。
速人は歯を食いしばり、”お前らも男なら死んでも黙ってろ”と呪詛を吐く。
かつてない重圧に頭蓋骨が軋んだ。
数分後、二人の青年は悲鳴をあげることも出来ないまま気を失ってしまった。
「ウィナーズゲートの町で買い物をした後、七節星っていうおっさんが突然現れて襲いかかってきたんだ。そいつは緑麒麟っていう名前の機神鎧を連れていて結構強かった。まあエリオットさんたちと共闘して何とか倒したんだけどこの情報、必要だった?」
速人はあくまでと呆けるつもりだった。
ダグザの額に大蛇のような血管が浮かび上がっていた。
しかも形の整った鼻からは鼻血が出ている。
速人は身の危険よりもダグザの健康状態を心配することになった。
「フン‼…他の人間の話なら笑い話で終わるところだが、お前の話では信用しなければならないだろう。機神鎧と機神鎧を使役する人物だと?信用してやろうじゃないか」
ダグザは口をへの字に曲げながら聞き役に徹していた。
そんな中、レミーがレクサに”機神鎧”という言葉について尋ねる。
「なあレクサ、機神鎧って神話に出てくるヤツだろ。もう実在しないって学校で習ったんだけど」
「私も昔、ドワーフのお姫様と一緒に町に来た時に見たことがあったんだけどね。そんなに優秀な兵器には見えなかったけど」
レクサは戦争が終わりに近づいてきた頃、帝国から第十六都市に協力を申し出てきた軍隊の中に機神鎧が連れていたことを記憶している。
帝國製の機神鎧”アトラス”は普通の建物くらいの大きさの人形に鎧を着せただけの不格好な代物だった。
アトラスの動作は緩慢で、大きな棍棒を武器として持っていたが敵に当たる前に攻撃魔術の餌食になって退散していた。
それでも角小人族の職人たちは悔しそうな顔で機神鎧たちの姿を見守っていた。
結局、戦闘にはナル家を代表してやってきたアルテア姫が加わり、獅子奮迅の活躍を見せる。
今になって考えてみるとアルテア個人の方が機神鎧よりも強かったかもしれない。
「そんな…人間より弱い兵器なんていらないだろ?」
「そうなのよね。でもアルテアと一緒にいた男の子が”本当の機神鎧はもっとすごいんだ”って言ってたんだけどね」
機神鎧に関する話を聞いたレミーは落胆した様子だった。
牛のようにノロノロと歩く巨大な機神鎧の姿を思い出したレクサは苦笑してしまう。
しかしそれでも尚ダグザの表情は厳しいままだった。
当時から十年以上の月日が経過しているが機神鎧が帝国の軍隊に正式採用されたという話は届いていない。
現時点では、ダグザが単身で戦いを挑んだとしても容易に勝利できるようなレベルのものしか作れないのだ。
ダグザよりも戦技に長けたエリオットやセオドアが現代の機神鎧に後れを取ることなどまず考えられないことだろう。
「レクサ、あまり昔の事をレミーに話さないでくれるないか。私たちとアルテアとルゥの友情は国家間の事情とは別物だ。誤解を招く可能性はある。それに私はアルテア姫の事は嫌いでは無いが、彼女の父親と叔父の事は嫌いだ。レミー、この話はエイリークとマギーから直接聞きなさい。きっと二人なりに考えてお前とアインに話してくれるだろう」
そう言ってからダグザは黙り込んでしまった。
助けとして軍勢を出してくれたことは素直に感謝するが、もう少しナル家が早く帝国貴族を説得してくれれば戦禍が広まることは無かったのだ。
ナル家の当主アドダイ公王と弟ドナウゼン将軍は自分たちに有利な状況になるまで見計らっていた気配がある。
若い頃エイリークと共に帝国に行き、彼らと直に会ったことのあるダグザはそう考えていた。
レミーは戦時中の話を断片的に聞いていたので、ダグザの葛藤を理解した上で頷いた。
「というわけだ、速人。他の話、特にエリオとテオの話は職場の方で聞かせてもらうことにしよう。レクサ、今回の話は少しばかり複雑だ。君のお母さまや私の母上にはまだ伏せておいてくれ。キチカ、ディー、君たちも口外しないように」
ダグザは落ち着いた様子で最年長らしく場を治める。
アインは嬉しそうにしながらダグザに頭を下げた。
ダグザは微笑を返しながら椅子に腰を下ろした。
レクサはすぐにダグザの隣に座って頭を撫でていた。
やがてレミーはアインを連れて玄関に向かった。
速人は雪近とディーに着替えを命じると自分もコックコートを脱いで玄関に向かった。
速人はレミーたちを連れてベックの家まで向かった。
レミーたちはベックの家でアメリアと合流し、学校に向かった。
雪近とディーはベックとコレットと一緒にカルロの農場まで馬車に乗って出かける。
速人は一通り見送った後でエイリークの家にも駆け足で戻った。
速人がエイリークの家に到着すると門の前にはレナードの所有する使い魔に引かせるタイプの乗り物が止まっていた。




