第百三十二話 祖母の手料理
次回は二月十五日に投稿します。
「おはよう、速人…。今日も朝からご馳走だね」
速人がキッチンでアダンを背負いながら朝食の準備をしているとアインが声をかけてきた。
アインは料理の事が気になっているせいか、テーブルの上に乗っているボウルの中身を見て回っている。
ガチャッ…。
同じ頃、レミーがキッチンの扉を開けて入ってきた。
睡眠不足の為に人相が悪くなっている。
レミーは速人におんぶされて上機嫌になっているアダンにガンを飛ばしていた。
「おはよう。…って何だアイン、お前先に来ていたのかよ。それとアダン、お前デカくなったら覚えてろよ。絶対にケジメつけさせてやるからな」
ひんっ、とアダンが泣きそうになったので速人は一度アダンからおんぶ紐を外して前に抱きかかえた。
そしてアダンの頭を撫でながら安心させてやる。
(ビックリした時の顔がダグザさんにそっくりだったな…)
アダンが安心して目を瞑ると、速人はアダンを背負ってやった。
レミーは苦虫を嚙み潰したような顔つきで速人の姿を見ている。
「お前さ、男のくせにとは言わないけど家事とか得意だな。そういう仕事、好きなの?」
速人はザルの中に入っている余熱の取れたブロッコリーを皿の上に乗せていった。
皿の上には既にチキンカツが乗っている。料理の匂いから察するにチキンの胸肉の間にはチーズが挟まっているのだろう。
レミーは以前にも同じような料理を速人に作ってもらったことがあったので自然と頬が緩んでしまう。
「まあ、家事が嫌いと言えば嘘になるな。赤ちゃんの世話とか基本的に好きだし。レミーはアダンの事、嫌いか?」
「アダンは嫌いじゃないけどさ、夜中うるさいのは勘弁して欲しいな。前に母ちゃんが、私とアインも同じくらい大変だったって言ってたけどさ。だから我慢しろっていうのもよくわかんないよ」
速人はチキンカツとブロッコリーの間に薄切りの茹で卵を置いている。
配置を観察するとチキンカツ二枚、ブロッコリー三個、ゆで卵の薄切り3枚で一人分という仕組みらしい。
おそらくは食べる時に速人もしくは雪近、ディーが分けてくれるのだろう。
レミーの頭の中は既に朝食の事でいっぱいになっていた。
「まあ、聞けよ。レミー。今はわからないかもしれないけど、いつかレミーが大好きな人と一緒になって赤ちゃんを授かった時に今のレミーと同じくらいの子供が側にいたとして”赤ちゃんはうるさいから嫌いだ”なんて言われたら悲しいだろ。だからこれから先は”みんな生まれたばかりの頃はたくさんの人に迷惑をかけてしまうものなんだ”くらいの考え方は必要だと思うぞ。…たとえ話だけどな」
「今の時点で自分が将来どうなってるかなんて想像がつかないけれど、赤ん坊の泣き声くらい我慢できないと駄目って事か。…って何でお前とこんな話をしてるんだよ」
「アダンともっと仲良くなりたいんだろ?心を許し合える友達が増えるってのは気持ちがいいもんなのさ」
速人はチーズを乗せたパンをレミーに渡す。
レミーはやや強引に受け取ると即口内に運んでしまった。
しかし、レミーの表情は依然として厳しいままであり”食べ物くらいじゃ誤魔化されないぞ”という本心が出ていた。
二人の会話が終わった頃を見計らってアインが速人に話しかける。
「速人。朝ご飯の準備だけど、僕にも何か手伝えることはない?学校に行く準備が終わってしまったから時間を持て余しちゃって…」
「ありがとう、アイン。もうすぐ雪近とディーが来るから食堂まで料理を運ぶのを手伝ってやってくれ」
速人は大股で出て行くレミーの背中を見送りながらアインの肩を叩く。
アインは早速、自分用のエプロンを身につけながらディーと雪近の到着を待った。
それから間もなく玄関の掃除を終えたディーと雪近がキッチンにやって来た。
二人はアインが食事の準備を手伝ってくれることを歓迎し、パンと牛乳、食器を乗せたカートを押しながらキッチンを出て行った。
速人はチキンカツ、ゆで卵、グリーンサラダ、ポテトサラダ、各種のソースをカートに乗せて部屋を出る。
食堂の入り口のところで眠そうな顔をしているダグザとレクサの夫婦に出会った。
速人は一度、カートを停止させて背中のアダンを母親のレクサと再会させてやった。
アダンは両親の姿を確認すると喜んでいた。
「速人。お前がアダンの世話をしているということは、昨日もまた泣いてしまったんだな?最近家ではおとなしかったから油断していたよ…」
「ごめんね、速人。この家、ベッドの寝心地が良すぎてアンタが部屋から出て行ってすぐに熟睡しちゃったのよ…。これじゃあ奥さんとしてもお母さんとしても駄目よね…」
ダグザは挨拶するよりも先に速人に頭を下げてきた。
レクサはアダンを抱き上げるとダグザと同様に頭を下げる。
二人とも息子の事では速人を頼る事が多かったのだ。
速人はエイリークとマルグリットに比べて自分たちの行いを反省するだけ見込みがあると考える。
しかし小さなアダンは青い瞳で三人を見ながら、実の両親よりも速人の方が親らしいと感じていた。
「ダグザさんもレクサさんも仕事で疲れているんだから仕方ないよ。俺よりもアダンを俺の部屋まで連れて来てくれたレミーにお礼を言ってやってくれよ。結構、気にかけてくれてるみたいだぜ?」
速人は笑いながら頭を下げると食堂に入って行った。
ダグザとレクサは音を出さないように食堂に入ると、レミーの席まで行って頭を下げていた。
速人はアダン用の赤ちゃんベッドを取りに居間に移動する。
その間、ディーと雪近とアインが食器を席に並べていた。速人の目から見れば三人の技術と経験に大した違いはないのだが、ディーと雪近はここぞとばかりにアインに仕事のコツなどを教えている。
(手前らはまず自分の技術を向上させろ、雑魚が)
速人は背中ごしに三人の会話を聞きながらそんな事を考えていた。
速人が居間に置いてあったアダン用の赤ちゃんベッドを持って食堂に帰って来るとダグザとレクサはまだレミーに謝っている途中だった。
速人はレクサの席の隣に赤ちゃんベッドを置くとレクサのところにまで移動する。
「レクサ、ダグ。もう謝らなくていいって。前に母ちゃんから私とアインが赤ん坊の頃かなりお世話になったって聞いてたし。困った時はお互い様って事でいいだろう?」
レミーは平身低頭のままのダグザとレクサを心配しながら速人を恨むような目つきで見ていた。
(速人の野郎…。要するにさっき説教臭いを事を言っていたのはダグたちが誤って来るのをわかってたからなんだな)
当の速人はレミーの視線に気がつかないフリをしながら料理を皿に盛りつけている。
ダグザは公人としてはエイリークよりも経験を積んでいるが、私人としては及ばない部分があることをレミーとアインに理解してもらう為の配慮でもあった。
レミーは白い歯を見せて速人を睨んでいる。
おそらくレミーの速人に対する好感度はかなり下がっていることだろう。
「レミー。ここだけの話だが、私は自分の子供は周囲の大人に迷惑をかけないと甘い事を考えていた。後でエイリークたちにも謝っておくつもりだ。本当にすまない」
ダグザは朝食が終わった後もレミーとアイン、速人たちにも頭を下げていた。
ダグザとしては、自分だけは例外と考えていた事が何よりも心苦しかったらしい。
速人はベッドの上にいるアダンにミルク粥を与えながらダグザの姿を見ていた。
(ダグザさん、この様子だとお祖父さんを放っておいた責任は全て自分にあるみたいな事を考えているんだろうな)
速人は定量のミルク粥をアダンに食べさせるとゲップを待つ。
アダンはぷふうっと可愛いゲップを出すと笑いながら速人の顔を見ていた。
速人はアダンの顔を見て頭を撫でる。
「クックック…。アダン、お前は大きくなったら立派なヌンチャク使いになるんだぞ。俺と一緒にナインスリーブスの歴史を塗り替えよう」
速人は口元を歪ませながらアダンにそっと囁く。
ばっ‼
レミーが席から立ってアダンを抱き上げる。
二人の様子に違和感を覚えたレミーは速人からアダンを引き離した。
レミーはアダンをビックリさせないように優しくレクサに渡した。
しかし、実の母親であるレクサはラグビーのパスをキャッチするような抱き方をしていた。
がっ‼ぎゅっ‼
角小人族特有の怪力で鷲掴みされてアダンの顔は真っ青になってしまった。
「おい、ダグ。やっぱコイツにアダンを任せるのは私は反対だ。アダンのヤツ将来はヌンチャクやりたいって言うようになるぜ?」
「まさかそれは無いだろう。アダンは私の息子だぞ。武術よりも学問や魔術の研究に興味を持つはずだ。そうだ。その時に備えて今から私の研究レポートをまとめておくのもいいかもしれないな」
レミーの心配をよそにダグザは小さなアダンの為に魔術の研究について書物に残しておくことを考えていた。
レミーは事の重大さをダグザに訴えようとするが、ダグザは既に自分の世界に入っていて取り付く島もないといった様子である。
レミーは結局レクサに説得されて引き下がってしまうことになるが、これが後々の仇となってしまった。
五年後、アダンは速人に弟子入りしてついには”ハヤト流ヌンチャク武術”の継承者となってしまうのだ。
さらにアダンの孫、つまりダグザのひ孫ニコラスとチャールズの双子は自治都市連邦の初代、二代大統領になり連邦の紋章の中にヌンチャクが入るという結果を残すことになる。
全てはこの時のダグザの判断が原因だった。
やがて食事の準備が整い、速人たちを含める全員がテーブルにつくことで朝食が始まった。
速人は食事に参加する事を辞退するつもりだったが、ダグザとレクサに頼まれて今日だけはレミーたちと一緒に食事を摂る運びとなった。
といってもお代わりを出したり、食後のお茶の用意もしていたので普段と仕事の量はあまり変わらなかい。
ディーは普段とは趣の異なる朝食を素直に楽しんでいたが、雪近は未だにナインスリーブスの食事には慣れておらず焼いたベーコンやチキンカツを食べてはいなかった。
例外的にピクルス類は気に入った様子で自家製のザワークラウトを山のように盛って食べていた。
「ほう。キチカは”お婆さんの白髪”(※角小人族のザワークラウトの呼称)が好きなのか?私は子供の頃祖母によく食べさせられたものだが実は苦手だったんだ」
「へえ、ダグザの旦那に好き嫌いがあるなんて意外ですね。俺はまだ肉とか脂っこいものを口の中に入れるのが駄目でして…。少しは慣れたつもりなんですけどねえ…」
「安心したまえ、キチカ。エイリークの面倒を見てきた私に言わせれば君の苦手意識など無いと同じだ。そういえばアイツもザワークラウトが嫌いで、食事の時にはよく私の皿に自分の分を乗せていたものだよ」
ダグザはフォークの上にザワークラウトを乗せて口に運ぶ。
そして苦笑いしながら咀嚼していた。
レクサはニンジンのグラッセを皿の上にたくさん乗せてスプーンで一気に食べている。
速人としてはトウキビ、そら豆を混ぜて一緒に炒めてから出すつもりだったが昨晩ダグザとレクサから聞いたメリッサの得意料理には入っていないメニューだったので今に至ったという話である。
もぐもぐもぐもぐ、ずずずずずずず…っ。
レクサは何度か噛んだ後、大豆の入ったコンソメスープと一緒に腹の中に流し込んでしまった。
愛妻の普段は見る機会の無い男らしい食べっぷりにダグザは圧倒されてしまう。
「そういえば今日の料理っていつもと何か違うよな。メニューというか、全体的な流れがさ」
レミーはゆで卵を食べていた。
一見して普通のゆで卵にしか見えない食べ物だったが、黄身は複数の香辛料とアンチョビーの油漬けで味つけされた食べ物である。
速人はこれに玉ねぎの酢漬けを使ったドレッシングもう用意していたがレミーは手掴みで何もつけないで食べていた。
「ああ。実は今日の朝食はダグザさんが子供の頃、お祖父さんとお婆さんの家で食べていたメニューを参考にして用意させてもらったんだ。まあ、上手く再現出来ていたらいいと思うんだけど。ダグザさん、レクサさん、味の方はどうかな?」
ダグザは間にチーズの挟まったチキンカツをナイフとフォークを使って切り分けていた。
チキンカツ自体は一口で食べられるサイズだったのだが、名門出身のプライドゆえか食器を使って食べている。
隣のレクサはレミー同様にフォークで刺して一口で食べていた。
「ああ。悪くは無いと思う。強いて言うならば料理に使われている材料が豪勢すぎるという点だろう。我々が子供の頃は戦争の真っただ中で食料が口に入る機会が少なかったからな」
「そうね。速人のお料理って、どれもおいしいけれど材料を使いすぎている感じがするのよね。もっとシンプルにした方が親方も喜ぶと思うわ」
速人はダグザとレクサの感想を聞きながら、心の中に書き留めておいた。
やはりダグザの祖父スウェンスの心に響く料理を作るともなれば当事者の意見を聞くのは重要である。
速人の脳内では早くもスウェンスの為に用意する”和解の料理”の輪郭が出来上がりつつあった。




