プロローグ 16 8月33日 今年の夏はエンドレス・サマーなのだ
次回は9月5日に投稿します!
「うっ、ううっ……」
レミーの所在を尋ねられた時にアインは泣き出してしまった。
余程、心細かったのだろう。
一旦、泣くのが止まるまでしばらく時間がかかってしまった。
ヌンチャクでも泣く子には勝てぬ、という名文句を思いつく。
速人はこの世にヌンチャクの力でもどうにも出来ないことがあることを痛感した。
「一人でお化けのところに行っちゃったんだ。お前らは邪魔だから帰ってろって。でも子供だけじゃ駄目だよ」
そう言ってアインはぐしぐしと鼻をかみながら目を擦る。
アインはレミーの行方について語った。
速人は「よしよし」とアインの頭を撫でる。
アインが落ち着いたところで速人は前から気になっていたことを聞いてみることにした。
「あのさ、どうしてアイン君はレミーをレミーって名前で呼ぶんだい?」
「だってお姉ちゃんって呼んだら起こるから。都市の上に引っ越すようになってからレミーのことを「お姉ちゃん」って呼んだら、すごく怒るんだ」
そういうことか。
速人はレミーの不機嫌な態度、身勝手な行動の原因を理解したような気がした。
それにしてもエイリークが都市の上層に住んでいる人間だったことは意外な事実だった。
もしかするとエイリーク自身はリンクス族ではない可能性がある。
ナインスリーブスの上位種族との接触は厄介だ。
慎重なつき合いが必要になってくるだろう。
これからは感情に任せてパイルドライバーを仕掛けるのは止めておこう。速人は即座に考えをまとめる。
「とりあえずシエラが向こうで待っているから、一緒に行こう。それからでいいから、レミーと別れた場所のことを教えてくれないかな?」
「でも、僕、歩けないよ。さっき走っている途中に足をくじいちゃったんだ。ごめんなさい…」
速人は「やれやれ」と肩をすくめると、そのままアインを抱っこした。
実はアインの方が速人よりも大きい。
しかし、日頃からヌンチャク修行に明け暮れている速人にとっては子供の一人を抱っこして歩くことなど造作もないことである。
速人はアインの脚に気を使いながらシエラのところまで歩いて行った。
シエラは速人に言われた通りに茂みの陰に隠れて待っていてくれた。
速人はアインを抱えたままシエラのもとに向かった。
シエラは速人がアインを連れて戻って来た為に喜んでいたが、アインの方はシエラに情けない姿を見られて複雑な表情になっている。
「アイン君。一回下におろすけど、いいかい?」
「…いいよ」
アインは速人に目を合わせようとせずそっぽを向いたまま答える。
二人のやり取りを観ながらシエラが微笑んでいた。
速人はアインのズボンの裾を捲り上げ、挫いた箇所の状態を調べる。
幸いなことに、アインの脚は軽く捻った程度の怪我だった。
大した怪我ではないが皆に迷惑をかけまい、と我慢してきたアインを褒めてやろうと思った。
これがもしもエイリークならば「足が千切れた!もう駄目だ!死ぬ!」とか騒ぐに違いあるまい。
一方その頃、エイリークはくしゃみをした。
「ふえっくし!」
「大丈夫ですか、エイリークおじ様」
くしゃみの音に驚いたアメリアは心配してエイリークのそばまで駆け寄る。
「大丈夫だけど、多分どこかで誰かが俺のことを悪く言っているような気がする」
エイリークはかつてないほど真剣な表情で語る。アメリアは少しだけ心細くなってしまった。
その頃、速人はアインの怪我の応急処置をしていた。
開拓村にいた頃は怪我をした仲間の治療をするのは速人の仕事だったのである。速人の仕事ぶりにシエラとアインを関心しながら見ていた。
二人がヌンチャクの虜となる日もそう遠くはないだろう。
速人は心の中でほくそ笑む。
「じゃあ挫いた場所を冷やして、動かさないでおいたら明日にはきっと痛くなくなってるはずだ。ここから先は俺がおんぶしていくから、もう大丈夫だよ」
アインは無言のまま頭を縦に振る。
痛みが引いてきて落ち着いてきたアインの様子を見てシエラはにっこりと笑う。
ようやく彼らにとっての日常が近くなってきた証のようなものだった。
速人は一息ついた後にアインに向かってレミーと別れて場所について質問することにした。
「それでレミーとはどこで別れたんだい?」
アインは上流の方を指でさした。少しだけ表情に陰りが見える。罪悪感と疲労によるものだろう。
アインの様子を見かねたシエラがもう少しだけ詳しく教えてくれた。
「あのね、ドレイさん。レミーとはこの先のはらっぱになったところでお別れしたの」
さらにアインが情報を付け足してくれた。本人は気づいていなようだったが、それは思いもよらぬような爆弾だった。
「…近くにさ、こんな大きな川と滝があったよ」
最悪だ。
速人の額からタラリと一筋の汗が流れる。
この段階において、水キツネ襲来の、背後に控える大喰いの目的がはっきりと理解出来てしまったのだ。 水キツネが腹を満たす為に子供たちに襲いかかってきたわけではない。
元は大喰らいによって巣を追われた水キツネの群れがレミーたちと遭遇した、それだけの話だったのだ。 実際、水キツネの陸上での活動範囲は大喰らいのそれを上回る。
あまり考えたくはないが、もしかすると大喰いは逃げる水キツネの群れを使って活動範囲を広げようとしているのかもしれない。
その方が楽にエサを見つけることが出来るからだ。
速人は強い力でヌンチャクをぎゅっと握り締めた。
仮にレミーが水キツネの撃退に成功したとすれば、大喰らいは水キツネたちの反応が途絶えた場所に向かってやってくるだろう。
陸地なら問題はないがアインの話では大喰らいがいつでも隠れることが可能な滝つぼまで存在するとのことだ。
当初はレミーを見つけ次第、シグと合流してキャンプ地に戻るつもりだったが予定を変更せざるを得なくなった。
アインとシエラを見る。
シエラは体力的に消耗しているようには見えないが、アインが回復するにはまだまだ時間がかかる。
加えて近くに水キツネの生き残りがいる可能性もある。
一刻も早くレミーと合流し、大喰らいと遭遇しないように帰り道を考えなければならない。
まだ多くの問題が残っているが、レミーが素直に速人の言うことを聞いてくれるかどうかということが気がかりだった。
「俺からの提案なんだけど、このまま一緒にレミーを迎えに行かないか?実はエイリークさんたちにみんなを呼んできてくれって頼まれているんだ。ここにいるとさっきみたいに恐いお化けが来るかもしれないからさ。どうかな?」
お化けという言葉を聞いてアインとシエラの表情が変わった。
しかし、二人は小声で「レミーのところに行ったら、怒られるかもしれないから」などと呟いている。
「レミーには俺から謝っておくから協力してくれないかな」
速人はにっと笑いながらキャンディを手渡した。
砂糖とミルクを煮込んで作った甘いキャンディであった。
ミ○キーのあれとは違って白くは無いが、栄養価も高く非常食としては申し分ない。
シエラはすぐに口の中に放り込んでしまった。
よく考えてみればアインやシエラは朝食前に連れて来られたのだ腹も減っているのだろう。
アインはもらったキャンディを不思議そうに見つめている。
多分、ここで速人からもらったものを食べてしまったらレミーに怒られるとかそういうことを考えているのだろう。
「おいしい!これとっても甘くておいしいよ!ありがとう、ドレイさん!」
シエラはとても嬉しそうに笑っていた。
速人は手っ取り早く信頼を勝ち得る為に「じゃあ、もう一つ」と言ってキャンディを手渡した。
二人の仲良しな様子を見ていたアインが、シエラに注意してきた。
「シエラ、駄目だよ。お礼を言う前に食べたりしたら。それに昨日お母さんがキチカやハヤトのことを、ドレイって言ったら駄目だって言ってたんだよ」
「そうなの?」
シエラが速人の方を見つめてくる。
案の定、子供たちは奴隷という子供の意味も知らずに使っていたか。
速人は心の中でため息をこぼしながら、シエラとアインに向かって微笑みかける。
「俺は気にしないよ。俺のことは好きに呼んでくれたらいいさ」
二個目のキャンディをおいしそうに食べているシエラを見て我慢できなくなったアインはキャンディを口の中に放り込んだ。
途端にふくれっ面が笑顔に変わる。
しかし速人とシエラがアインの嬉しそうな顔を見て喜んでいるのことに気がついて、またふくれっ面に戻ってしまった。
「アイン君はまだ上手く歩けないから俺がおんぶして行くけど、シエラさんは大丈夫かい?」
いざとなればアインをおんぶ紐で背負って、シエラを抱きかかえて移動するつもりだった。
気丈に振る舞っているが、シエラも負傷しているのだ。速人の提案を聞いたアインは何か言いたそうな顔をしている。
シエラは自分たちを取り巻く状況が悪化していることを察しているのか、すぐに答えを出してくれた。
「うん、いいよ。私あんまり早く歩けないけど、一生懸命ついていくね。ハヤト」
シエラは両手を握ってガッツポーズを決める。
なかなか良いグリップをしている。ヌンチャク使いとしての素質が見込めるというものだ。
「ありがとう、シエラさん。お礼にキャンディをもう一つプレゼントしよう」
速人は袋からキャンディを取り出し、シエラに渡した。
シエラは喜んでキャンディを口の中に入れる。
これぞアメとムチならぬキャンディとヌンチャクだ。
シエラの様子をアインが不愉快そうに見ている。次に速人はアインにもキャンディを渡した。
「なんで僕にもくれるの?」
「美味しいものはみんなで食べるともっとおいしいからだよ」
アインは素直にキャンディを口の中に運んでくれた。速人はアインに背中を向けて、自分の背中におぶさるように促した。アインは速人の小さな背中に体を預ける。
「本当に大丈夫?」
アインは心配そうに尋ねる。
事実、アインの方が少しだけ速人より背が高い。しかし、速人は心配するなと言った風な笑顔で答える。
「ああ。大丈夫だよ。それより痛くなったところがあったら言ってくれよ?」
アインは大きく頷いてくれた。
速人はシエラの様子に気を配りながら、レミーのいるであろう上流を目指して歩き出した。