第百二十四話 ダール、たくさんのジジイを連れて来る
すいません。寒くて思い切り遅れました。次回は一月二日くらいに投稿します。
読者のみなさん、よいお年を!
屋敷の中庭には大きな薪が組み上げられていた。
薪で作られた山の両端には金属製の棒が設置されている。
速人はそこに肉塊を乗せたカートを移動させた。
加工された羊と牛の肉の表面には数種類の香辛料が塗られている為に食欲をそそる香りが漂っていた。
エイリークとマルグリットの夫婦がいきなり飛び出して来ないように速人はダグザたちに目を瞬かせ、”一時停止”の合図を送った。
すぐにソリトンたちが駆けつけて押さえ込もうとしたが逆に全員を引きずって来るというカオスな事態に発展していた。
(これが二十歳以上、年齢の離れた人間のすることか…)
「お姉ちゃん…。僕たちもああなっちゃうのかな…」
「アイン、私たちは普通の大人になろうな…」
ドレスに着替えたレミーとジャケット姿のアインは真っ青な顔で酷いことになっている両親の姿を見ていた。
速人は頭痛を堪えながら、薪の上に牛肉を吊るし上げていた。
「美味そうな肉じゃねえか、速人。特に匂いが堪らねえのよ。大体、それ牛肉だろ?大丈夫だ、ナマでも食えるから。少しでいいからつまませてくれや」
エイリークの足元にはボロボロになったハンスが倒れていた。
ハンスは巨体に見合った筋力の持ち主だが、本気になったエイリークには勝てないということなのだろう。
速人はさらにその後ろでボロ布同然となったソリトンを発見した。
(こんな事の為に力を使うんじゃねえよ…)
負傷したソリトン、ハンスは各々の家族らによって回収された。
エイリークはベックによって本日二度目の”オクトパスホールド”をかけられて悶絶している。
マルグリットはシャーリーからサーフボードスラムを食らって地面に突き刺さった状態になっていた。
歴戦の英雄であるこの夫婦もまだまだ師匠には勝てないという事らしい。
速人はベックとシャーリーに頭を下げながら二種類の肉を薪の山の設置した。
ここからハンドルを回して時間をかけて肉を焼く作業が続く。
普段なら数時間ほど費やして丹念に焼くのだが、今回は事前に半生の状態まで火を通してあるので通常の半分くらいで仕上がる予定だ。
速人はダグザから”ダールが予定よりも遅い時刻に到着するかもしれない”と聞いていたので、スケジュールはある程度は融通が利くように調整した。
(まあ先に食べていてもダールさんなら文句は言わないだろうが、それではエイリークさんたちの成長をアピール出来ないだろう。ここは一つ、自然体で待っていたという演出が欲しいところだな)
「ぐあああッ‼」
突然、ベックの悲鳴が聞こえてきた。
悲鳴の発生源を見ると復活したエイリークがベックに脇固めをかけていた。
ベックはエイリークから逃れようとするが身体のサイズ的に劣っているので思うように動けない。
ベックを逃そうとソリトンとハンスが向かったが蹴られて追い返されていた。
「まあ、ダールさんにエイリークさんたちが成長した姿を見てもらうのはまたの機会だな」
速人は羊と牛の肉にまんべんなく火が行き渡るようにハンドルを回し続けた。
そして乱闘開始から二十分後、本気を出したベックの雪崩式ブレーンバスターでエイリークはついにギブアップした。
切れて本気になったベックを止めようとしたソリトンはジャンピングパワーボムを食らって撃沈。
辛くもエイリークを倒したベックとコレットは、娘ケイティと孫アメリアに怒られている最中だった。
「お父さん!何でソルにまで酷いことをするのよ!どうして昔から怒ると見境が無くなるのよ!」
ケイティは父親に容赦無いストンピング行為を繰り返した。
この場合、肉体よりも精神に受けたダメージの方が深刻だった。
シグルズは久々本気で怒ったケイティの方を見ないようにしている。
コレットとアメリアも呆れた様子でベックを監視している。仮にベックが抵抗しようものならすぐにでも参戦する気なのだろう。
「すまん、ケイティ。お父さんが悪かった。ソルもすまない。この通りだ」
ベックは手足を引っ込めたカメのような体勢でひたすら謝り続けた。
やがて平常時まで回復したソリトンが後頭部に手を当てながら、ベックと一緒にケイティに謝る。
ケイティは普段は面倒見の良い女性らしい性格の持ち主だが、一度怒らせるとやり過ぎなくらい相手が再起不能になるくらい徹底的に暴行を加える悪い癖があった。
「ああ、気にしないでくれ。ベック。俺は大丈夫だ。ケイティもそろそろベックの事を許して…、はおうッ⁉」
ソリトンがベックを解放するように懇願する途中でケイティが左腕を絡め取りアームロックに移行する。”高原の羊たち”の現役では素手ならばマルグリットに次ぐ実力を持つと言われているのがケイティだった。
「何言ってんのよ‼いつもソルがエイリークとウチのお父さんに甘いからこういう事になるのよ。”ああ、うん”ばかり言ってないで反省しなさい‼」
ケイティは下に体重をかけた。
ソリトンの左腕からミシミシと骨が軋む音が聞こえてきた。
抵抗すれば抵抗するほど深みに嵌っていく気さえする。
その時、ソリトンにはケイティの両腕が二匹の大蛇に見えていた。
「がああああッ‼わか、わかりましたーッ‼」
ソリトンが銀髪を振り乱しながら悲鳴をあげる。
ケイティはニッコリと笑ってから腕を解いてやった。
速人の見間違いでなければ関節が一つ増えているのではないかと思えるほどにソリトンの左腕は歪んでいた。
「うん‼わかればよろしい‼さあ、エイルの頭を一発殴ってやってよ‼」
(殺される。俺はこのまま家にいれば成人する前に殺される…)
シグルズはヨロヨロと立ち上がる父親の姿を見ながら祖母と母親と姉の姿を見ていた。
三人とも笑っている。”美形の男子が泣く顔っていつ見てもいいわね”とか言って談笑していた。
「おい、ソル。昔、俺はお前に忠告したからな。ケイティは外見関係無く凶暴だって」
「とりあえず殴られているフリだけでもしてくれ、エイル。このままでは右脚を折られるから…」
(ケイティのヤツ、そこまでやるようになったのか…)
エイリークは涙目になっているソリトンに頭を差し出した。
そこをソリトンがコツンと叩くふりをする。
実にわざとらしい光景だったが誰一人として口を挟む者はいなかった。
脚立の上から観戦していた速人でさえ”俺は何も見ていない”とばかりに首を横に振っている。。
速人は合わせて二頭分の獣の肉塊の高さを調整しながら丸焼きの準備を進める。
すっかりおとなしくなってしまったエイリークたち男性陣は粛々と皿を用意したり、ワインの詰まった酒樽とグラスの準備をしていた。
速人たちが再びパーティーの準備に入ったところで場面はダールたちを乗せた馬車の内部に変わる。
ダールは今日、急な会議で予定よりも遅く家を出発することになった。
執事に頼んで馬車を手配したところ、ルギオン家に古くから仕えるセイルとベンツェルが息を巻いてやってきた。
現在、ダールの家宅で働いている執事は格式的にいってセイルとベンツェルよりも下の位の家柄の出身なので断ることが出来なかった。
普段はレプラコーン区画の中規模の工房で働く老職人の二人組だが、都市内部での位階は高位のものだった。
ダールはワインレッドのネクタイを締め直しながら向かいに座っているセイルを見た。
セイルは黒衣に身を包んだドラキュラ伯爵のコスプレをしたようなダールを見てニッコリと笑った。
「いやあ、若。何ともうされますか、この度は従者役に私とベンツェルに声をかけていただき誠に光栄で御座います」
「いやいや。私は君たちを呼んだつもりは無かったのだが…。まあ、いい。エイリークは我々にとって教え子のようなものだ。仲良く嫌われに行こうじゃないか」
ダールは口元を隠しながら”クックック…”と笑った。
隣に座っていたダールの妻エリーも嬉しそうに眼を細めている。
ダールとはつき合いの長いセイルは上機嫌であること(※他の人間には絶対にそう見えない)を察して豪快に笑った。
その時突然馬車が止まり、御者台に座っているベンツェルの声が聞こえてきた。
「若様。レナードの野郎が馬車を止めろとうるさいのですがどうしますか?」
扉の外から聞こえるベンツェルの声色は露骨に不機嫌なものだった。
セイルは剣呑な顔つきでダールに代わって答えた。
「レナードの若造が。俺たちと若のふれあいタイムを邪魔しやがって。おい、相棒。あの礼儀知らずの頭を一発ぶん殴っておけ」
ガタッ。
物音がした後、扉が開閉する音が聞こえたのでダールは急いで馬車の外に出て行った。
ダールが知る限りでは、セイルとベンツェルのせっかちな所は老齢の域に達しても変わりない。
むしろ最近では磨きがかかっているほどだった。
(二人とも悪い人間ではないのだが、目下の扱いが雑な側面がある。このままでは明日頭に大きなコブを作ったレナードと会う事になるだろう…)
ダールはエリーに目配せ(アイコンタクト)で待つように頼むと扉に手をかけた。
しかし、馬車の外ではベンツェルが既にレナードの頭に拳骨を落とした後だった。
過去レプラコーンの精鋭部隊、ボルグ隊の最高幹部候補として育てられたレナードは実績こそ凡庸なものだった(※あくまでエイリークと比べてのこと。実際は普通にスゴイ)が”老いても猛虎”の如き武人の模範であるベンツェルの剛拳を食らって屈んで痛みに耐えていた。
この場合、間違っても”痛い”とは言えない。言えば二度目を食らうのは必至である。
激昂するベンツェルをコルキスが説得しているという状況だった。
「ベンツェル様、何卒怒りを収めてください。レナードの気が利かぬ立ち振る舞いは毎度の事ではありませんか」
コルキスは普段よりも丁寧な物腰でベンツェルと接していた。
近くにいた若い騎士トラッドはかつてボルグ隊を率い、幾多の伝説を作ったベンツェルを前にして委縮している。
トラッド、コルキスらは都市内では高い身分の出身だが、セイルとベンツェルはダールの生家ルギオン家が帝国の大貴族であった頃から仕えている騎士の家柄の出身である。
トラッド自身も子供の頃は二人によく遊んでもらったが、本来ならば声をかける事さえ許されない関係だった。
「ベン。レナードは丁度、今日のパーティーに誘おうと思っていたのだ。君の怒りはあまり理解できない類のものだが、今回に限っては私の顔を立てて勘弁してやって欲しい」
馬車からダールが現れた瞬間に、レナードとベンツェルの顔が喜びの色に染まった。
(若…ッ‼)
(何と凛々しい御姿…。俺が女子なら恋に落ちていたかもしれぬ)
突然、少女漫画の主人公のように目を輝かせるレナードとベンツェル。
一般人ならばここで引くが、ダールはウェーブのかかった黒い前髪を払って老人と初老のレナードに笑いかけた。
「まあ、若がそこまで仰るならねえ。レナード、今日はこの辺で勘弁してやる」
「すいません、若。ベンツェル様も本当にご迷惑をかけてもうしわけありませんでした」
ベンツェルとレナードの二人はほぼ同時に頭を下げた。
ダールの導きにより、レナードとベンツェルは馬車の中に案内される。
コルキスとトラッドもダールによってパーティーへの参加を余儀なくされた。
二人はベンツェルに代わって御者台に座っている。
トラッドは道中、興奮しながらコルキスにベンツェル、セイル、ダールに関する話を聞いていた。
馬車は巨大な馬の姿をした人工の使い魔”スレイプニル”に引かせていたので道中、特にトラブルに出くわすような事は無かった。
コルキスはエイリークの祖父ダルダンチェスと共に兵法を学んだ間柄で、彼が成人して今のエイリークの家に住むようになってから何度か尋ねた経験がある。
コルキスは親友ダルダンチェスが生きていた頃を思い出しながら、懐かしそうに語った。
「トラッドよ、私は真の英雄と呼ばれるにふさわしい人間とはダルダンチェスだと思っている。気まぐれな性格でよくケンカをして、酒ばかり飲んでいた記憶しかない男だったが皆が平和に暮らせるような世の中を作ろうと必死に頑張っていた…」
コルキスはそこまで言ってから嘆息する。
ダルダンチェスは戦乱を戦い抜いて、ついに平和な世の中を見ること無く死んでしまった。
彼の息子マールティネスも同様だった。
そして最後に生き残った孫のエイリークは祖父と父親の意志をしっかりと受け継いで平和な世の中の礎を築いた。
コルキスは自分がどれほど彼らの偉業に貢献できたのか、と今一度己に問う。
「ここに彼奴がいないことが何より残念な事だ。ダルダンチェスが生きていれば真っ先に説教の一つでもくれてやるところだが、世の中とはままならぬものだな」
「そんなコルキスさんが頑張ってくれたから防衛軍だってギリギリのところでやれているんだし、もっと自分のやってきた事に自信を持ってもいいと思うんですけどね」
「生意気な事を言うな。ところでそろそろエイリークの家に到着する時間だと思うのだが一向に汚らしい林というか森が見えてこないな。そういえばお前はあの屋敷に行ったことはあったか?」
コルキスは御者台から周囲を見回した。
小さな畑と畑の間に民家が点在しているがそれらしい建物を見つけることは出来なかった。
二人の目の前には新築と見紛うばかりの立派な屋敷があるが、あれは別物と最初から決めてかかっていた。
一方、屋敷の前でダールの到着を待っていた雪近とディーは屋敷の前を通る大きな馬車を発見していた。
「でっけえ馬車だな。おい、ディー。あれはダールの旦那の馬車だと思うか?」
ディーは御者台に腰を下ろしているコルキスとトラッドの姿を発見した。
二人は首を捻りながら”エイリークの家はまだか”みたいな話をしていた。
「多分あれがダールさんの馬車じゃないかな。前に一回だけ見たことがあるお爺さんが乗ってるし」
雪近は頭を振って、ディーと共に停止している馬車の前まで歩いて行った。