プロローグ 15 アインとシエラをさがして
次は2019年の8月33日に投稿します。
砂利道が途中で途切れ、代わりに見通しの悪い丈の高い草むらが広がっていた。
地面は湿地帯で下をよく見て歩かなければ動けなくなってしまいそうな場所だった。
そこから川に沿って歩いて行くと、いくつかの小さな足跡を見つける。
シグたちが使ったと思われる道だった。
それらは今の速人から見て二手に分かれたような形となっていた。
おそらくは上流に向かって逃げたシグたちと、足をくじいて動けなくなってしまったアインを迎えに行ったシエラのものだろう。
不幸中の幸いと言うべきか、泥の上では水キツネたちも人間同様に不自由を強いられる。
それでも絶対に安全というわけではないが、少しだけ生存している確率が上がったような気がした。
速人は極力、地に足の裏をつけないようにして走った。
下が泥ならば足が沈む前に、地面を蹴って進めばいい。
かつて烈海王がイギリスの最凶死刑囚ドイルを背負って川の上を横断したように、速人は湿地帯の上を水切り石の要領で渡って行った。
やがて草むらが姿を消し、地面が渇いている場所に到着する。つま先を何度か土の上に当てる。予想通りのしっかりと整った足場だった。
人間にとって有利な場所ということは水キツネや他の魔物たちにとっても同じ条件ということだ。
速人はヌンチャクを構えながら生き物の気配を探る。
突然、ウミネコに似た鳴き声が聞こえてきた。
咄嗟に近くの岩陰に隠れる。
周囲の気配に気をつけながら声の聞こえた方を見た。
まず目についたのは水キツネたちの後ろ姿だった。
土砂が積み上がって出来た丘の前をうろついている。
丘には洞穴があって、その入り口の周りで何かをしようとしているのだ。
次にもう少し身を乗り出して洞穴の入り口の近くを覗いた。木の枝もしくは棒のようなものがピラミッド状に組み上げられているのを見つけた。
さらにその下に描かれた下位古代公用語には見覚えがあった。
あの構造物が示すもの、それは以前にスタンが教えてくれた”魔物除け”のお呪いだった。
エイリークたちはキャラバンという調査任務を請け負う組織の人間だ。
そういった呪術の類を子供たちに教えている可能性も否定できない。
もしや水キツネから逃げられないことを察知したアインとシエラが洞穴の中に避難しれいるのかもしれない。
遠目で見る限り、水キツネたちが諦めて別の場所に行くまでにはまだまだ時間がかかるだろう。
速人は気配を消して、水キツネの背後に接近しようとした。
「駄目ッ!来ないでッ!」
別の方角から少女の声が聞こえてきた。
おそらくはシエラだ。おそらく洞穴の中に隠れているのはアインだろう。
魔除けが機能している限りはアインの身に危険が及ぶ可能性は低い。
速人は心の中でアインに謝りながら、シエラの悲鳴が聞こえてきた方角に走って行った。
けもの道が途切れ、草むらに逆戻りする。
背丈くらいの大きさの草をかき分けながら、なお且つ周囲に気を配ることを忘れず現場に直行した。
遠ざかる足音と一瞬、間を置いてから駆け寄る足音が聞こえてくる。
前者がシエラで後者が水キツネだろうか。
とにかくこれ以上距離を引き離されるのは厄介だったので、鎌で草を刈り取りながら駆け抜けることにした。
その間も、足の裏で地面の感触を確かめる。
この先、必ずしも陸地が続くとは限らないからである。
しばらく走るとまたけもの道に戻る。
前かけのつきの緑の服を着た少女が水キツネに追いかけられていた。
昨日、エイリークたちに紹介された「ドカベンの山田太郎」に似たハンスという男の娘シエラだった。
シエラの後ろを小柄な体型の水キツネが追いかけている。
普通ならば仲間を呼んで確実に仕留めるのだが、その様子が見られないことから大人と子供の中間の水キツネなのだろう。
速人は草刈り鎌を袋に戻し、代わりに良く磨いた石を取り出した。
昨日、エイリークにぶつけたものとは違う獲物を殺す為に用意されたものだった。
「しっ!」
丹念に磨き上げた黒い石つぶてが速人の手から、魔物に向かって打ち出される。
実際のタイミングよりも後にかけ声を入れることによって、発射するタイミングを誤魔化した。
発射の際の挙動を見せないことが投擲の奥義というものだ。
想定していた通りに水キツネはかけ声を聞いてから反応しようとした。ゆえに一瞬で石つぶてに自分の顔半分が抉られた理由など知る由もない。
徒手のそれとは違い、武器を持った戦いとは刹那の見切りを謝っただけで死ぬことがある。
水キツネは遅れて「ぎゃっ!」と悲鳴をあげてから絶命した。
速人がシエラのもとに出て行くと、シエラは両手で顔を覆ってその場にうずくまっていた。
「シエラさん、ですね。遅ればせながら、助けに来ましたよ」
速人はしゃがみながらシエラに向かって右手を差し出した。
「あなたは昨日のドレイさん?」
シエラはゆっくりと両手をおろしながら目を開いた。
目の前にはうつ伏せになった水キツネと大きな顔に太陽のような微笑を浮かべた少年が跪き、自分に向かって手を差し出している。
しかし、速人の姿が子供たちにお馴染みの童話に出てくる小ブタの妖精に似ていたので思わず吹き出してしまった。
「ぷっ!……あはははっ!ごめんなさい。あなたがとってもブーブーさんに似ているから、おかしくって」
ブーブーさんとは童話に出てくる妖精のオベイロン王子の家来で、いつも余計なことをして周りに迷惑をかける小ブタの被り物をした妖精だった。
相手は小さな淑女。紳士たる者はどんな事情があっても淑女の前で寛容な笑顔を崩すことはない。
速人は微笑みを浮かべながら、シエラにどこか怪我はないか尋ねることにした。
ニコニコ。
どんな時にもにんにく卵黄のCMに出てくるおじいさんのような笑顔を忘れてはいけないのだ。
「時にシエラさん。どこかお怪我はありませんか?」
シエラは「大丈夫……」と言いかけたところでさらに笑い出してしまった。
もしかすると彼女は笑い上戸なのだろうか。
いや少女に笑顔を戻るなら、それでいい。
所詮、人間は顔だ。顔が良ければ全てが許されるのだ。
そして、少年はまた一つ大人の階段を上るのであった。
「ドレイさん、本当にごめんなさい。私は大丈夫だけど、向こうの洞穴で休んでいるアインが喉が渇いたっていうから水を汲みに行っていたの」
速人はシエラの手をそれとなく観察する。
革製の手袋の上から噛まれた跡があった。スカートにもひっかき傷のようなものがある。
手に持っている水筒も泥で汚れている。
ここに来る前に水キツネに何回か噛まれてしまったのだろう。
それでもアインに水を届けようとしたのだから、このシエラという少女の勇気は大したものだと思う。
この健気な少女の為にも、水キツネは殺して正解だった。
「シエラさん、実はアイン君のところには水キツネが何匹か来ていて危ないことになっています。これから私が安全な場所まで案内するので、そこで待っていてはくれませんか?」
説得の材料としては、やや強引だがレミーの所在はいまだに不明だったのでシエラにはこれで納得してもらう他はない。
シエラは少し考えた後に頭を縦に振ってくれた。
全体的にぽっちゃり系だが察しはいいようだ。( 評価 : 失礼 )
速人はシエラを連れて足場の安定した場所に案内する。
道中、シエラが噛まれた腕を気にする素振りを見せていたので避難場所に到着した際には痛み止めの入った軟膏を渡しておいた。
新人の作った薬ならば警戒されるだろうが、ダグザから手渡された薬とでも言っておけば納得してくれるだろう。
速人の予想通りにシエラは手袋を外して腕の赤くなった部分に軟膏を塗る。
すぐに痛みが引いた為か、速人に頭を下げて礼を行ってきた。
「お薬、ありがとう。ドレイさん」
「礼には及びませんよ、レディ。紳士たる者の当然の配慮というものです。私はアイン君を迎えに行くのでここでお待ちください」
照れ隠しに速人は前髪をサラリとかき上げる。
その姿が気取り屋のブーブーさんに似ていた為に、シエラはまた笑ってしまった。
速人は「やれやれ」と苦笑しながらもアインのもとに向かうことにする。
水キツネが洞穴に逃げ込んだアインの事を諦めてくれていればいいが、と考えていた。
一方、洞穴の前では相変わらず水キツネたちが中の様子を伺いながらアインを待ち構えていた。
背後にいる速人には気がついていない。
狩りをしているという自覚も薄いのだろう。
呼吸を整え、速人はヌンチャクを構える。最初に右端に位置する水キツネの頭を砕いた。
その水キツネは熱心に地面の匂いを嗅いでいた。
周囲の水キツネたちは同胞が死んだことに気がついていない。
そのまま膝を折り、深く潜行する。
ヌンチャクの柄を二本そろえて一本の棒のように持った。
そして、音も無く死角に回り込む。
直後、冷たく鋭い視線が水キツネの喉元に向けられる。
右手をそっと喉に添え、ヌンチャクを持った左手を真上に向ける。
疾風の速度と螺旋の回転が加わった突きが水キツネの喉を打ち貫いた。
水キツネは自分の身に何が起こったかを知る前に果ててしまった。
同時に口を閉じて、首ごと内側に捻じり込む。
強引に閉じられた口の端から泡の混じった血が流れる。
何の感興もない。興るはずもない。
ケモノとヒト、両者の立ち位置は未来永劫の平行線。故に生き残るためにはどちらかが殺されるか、殺すかの二択しか存在しない。ごく自然に次の目標をその目に捉える。
「ギュィィッッ!!!」
最後に残った水キツネと目が合った。
両目に涙を浮かべながら、速人を威嚇している。
だが、動かない。復讐よりも恐怖が上回ったというところだろうか。
全身を震わせながら逃げようともせず、ただ睨み続ける。
何という執念。その一途な思いに驚嘆する。
憎しみの心を向けるだけで相手を殺せるというなら既に殺されていたことだろう。
そして再び、速人は憎悪に満ちた視線を受け止めた。
風を消す凪が一つ。そして、間も無く吹いた一陣の風と共に恨みともども消し飛んだ。
その命の気高さに敬意を表し、己の鍛えたヌンチャクで頭部を吹き飛ばしてやった。
頭部を失った胴体が地面に倒れる。
次に出会った時は共にヌンチャク技を鍛える仲間として出会おう、と心の中で別れを告げる。
速人は血で汚れたヌンチャクの柄を水キツネの毛皮で拭った。
近くに手拭いの代用品が無かった。それだけのことだった。
「アイン君。もう大丈夫だ。悪い魔物は俺がみんな、追い払った。もう洞穴から出てきても大丈夫だぞ」
「本当?本当に大丈夫なの…って、ひいっ!?」
ゆっくりと洞穴から出てきたアインが悲鳴をあげた。
地面には頭部を失った水キツネの死体が転がっている。
まさに死屍累々という言葉がふさわしい状況になっていたのだ。
アインは死体を踏まないように速人の側までやってくる。
速人はヌンチャクを持ちながら片目を閉じて挨拶をした。
おそらく今の俺の戦いを見たアインはヌンチャクに興味を持ったことに違いない。
フレンドリーに接して少しでも好感度を稼がなければ!
それは傍から見れば極めて無意味な意気込みだった。
「このヌンチャクが…。ああ、この武器はヌンチャクっていう名前なんだけどね。とにかく優れものさ。君のピンチを救ったわけだけど。ヌンチャクを使えば、俺みたいな子供でも魔物をやっつけることができる。興味が沸いたらでいいんだ」
アインが泣きそうな表情に、いや既に涙を流している。大泣きまで一歩手前という状態だ。
アインが所々で「レミーが、レミーが」とこぼしているのを聞いて、速人はあわてて話題を本筋に戻すことにした。
「あ、そういえばレミーはどうしたんだ?」