第百十九話 名探偵夫婦 シャーリー & アルフォンス ~ 蟻の一穴 ~
次回は12月8日に投稿する予定です。
荷車は裏口から家の敷地に入った。アルフォンスと速人は二人がかりで荷台に乗っている牛の肉を下ろした。
肉は布で包んでから縄で縛ってあるのだが、基本的に生肉なので直接地面に下ろすような真似はしない。
二人は長い棒に肉を吊るしてから棒の両端を担いだ。
前が速人、後ろがアルフォンスという配置である。
前の方が極端に低いので少しアンバランスになってしまったのはご愛敬というところだろうか。
「アルフォンスさん、肉は塩と香辛料で下味をつけてから寝かせておくつもりだから、このままキッチンまで持って行こう」
速人がふり返るとアルフォンスは口を開けたままエイリークの屋敷を見ていた。
生まれ変わった屋敷の外観を、手入れの行き届いた庭園を細部に至るまで観察している。
アルフォンスは腕を組み、首を捻りながら敷地内を一周した。
そしてアルフォンスはエイリークの家を人差し指をつきつけてこう言った。
「おい、速人。ここはエイリークの家じゃないぜ。別の人のお屋敷だ。怒られる前に、さっさと出て行こう」
今のアルフォンスのそれは、イケ親父度が三割増しになった真剣な顔つきだった。
(まあ、今までが今までだったからな…)
速人は落胆しながら独り言ちた。
アルフォンスは既に牛肉を荷台に戻そうとしている。
今度は入れ替わりに起き上がってきたシャーリーが不機嫌そうな顔でエイリークの家を見ていた。
庭の草木が生い茂り、幽霊が出そうなほど朽ち果てる寸前だった大きな屋敷では無い。
よその区画から引っ越してきた金持ちが住んでいそうな立派な建物だった。
目の前の立派な屋敷がシャーリーの記憶の中にあるエイリークの家とは合致しなかったのですぐに興味を失ってしまった。
「なんだい。まだエイリークの家に着いていないのかい。早起きして損したよ。アル、エイリークの家に着いた時に起こしておくれよ‼」
シャーリーはそう言い残すと、荷台の奥に行ってしまった。
直後、荷車がガタンと大きく揺れる。
シャーリーはベッドに入る要領で、再び寝てしまったらしい。
アルフォンスが寝顔を見に行こうとしたので、後ろから襟を掴んで手伝いをさせた。
アルフォンスは不満そうな顔をしていたが、速人が喉を掻っ切るジェスチャーをしていたので大人しく従ってくれた。
速人とアルフォンスは二人でキッチンに牛肉を運んだ。
「あ。速人、お帰り。エイリークさんの集団リンチ、もう終わったの?」
速人がキッチンの扉を開けるとディーと雪近が休憩をしている最中だった。
速人は常々ディーと雪近には”二人そろって半人前くらいしか働けなにので、仕事の能率よりも失敗しないようまめに休みを取れ”と言っている。
ディーは雪近の淹れた糞不味いお茶を飲みながらクラッカーを食べていた。
雪近は椅子に腰を下ろして不味そうな匂いを放っている野草を燻して作ったほうじ茶もどきを啜っている。
(ああまで高温のお湯で淹れた茶が美味いわけがあるまい。つくづく使えない男たちだ。この町を出て行く時は絶対に置いて行こう)
お茶と茶請けは速人が用意したものだった。
「おっ。速人、早かったな。てっきり昼ぐらいになると思ってたぜ。集会の準備はお前に言われた通りに終わらせておいたからな。今休憩中なんだ」
「いや、いい。お前の淹れたお茶は美味しくないから。二人とも適当に休んでいてくれ」
(速人、言い方ってあると思うよ…)
雪近が茶を用意しようかと立ち上がったが、速人は首を横に振った。
アルフォンスは牛肉の包みを解いて下ごしらえをしてくれていた。
牛の肩、腹、太腿に自分専用のナイフで切れ目を入れて、そこに塩や香料を塗っていた。
想像以上に手の早い男である。
速人は速人で前日に仕入れた羊肉の様子を見に行っていた。
ディーと雪近はせわしなく仕事をする二人に取り残されるような形で、休憩することになった。
ディーはわずかな気まずさを感じながらクラッカーをバリバリと食べていた。
「しかし驚いたな。若い頃マールに招待されて一度だけここに来た事があるんだが、見違えたぜ。流石は速人だな」
アルフォンスは牛肉の下処理を終えた後で、再び肉を布で包んでいた。
このまま常温よりも少しだけ低い場所に置いておけば、自動的に肉の熟成と調味が同時に進むという仕事である。
出来る男アルフォンスは牛肉をカートに乗せて一人で倉庫に向かった。
(欲しい。あの男、是非ともうちのスタッフにしたい)
速人は木の上から餌を狙う野生のジャガーのような視線をアルフォンスに向けていた。
その時、バタンと大きな音を立てながら外側から開いた。
「わわッ‼」と蛾や蚊に集られた中年男性のような情けない声をディーが出した。
その際にお茶をズボンにこぼしていた。
ディーは、今雪近から渡された掃除用の布巾で濡れた箇所を拭いている。
全ては速人の教育によるものだった。
「速人、ウチの旦那はやらないよ。あんな使い勝手のいい男は滅多にいないからね。ところでアタシのお茶とお菓子はまだかい?」
巨木のように太い手足が見えたかと思うと、鬼神が寝起き直後の不愉快顔で登場した。
右肩を軽く回しただけでガキンッ‼ゴキンッ‼と重MSの駆動音がした。
シャーリーは手近にあった椅子に手に取り、腰を下ろした。
速人は本気の舌打ちをするとシャーリーとアルフォンスの為にお茶を用意する。
シャーリーの料理の腕はレクサ、ケイティと同じレベルで野郎どもの野外キャンプレベルにすぎない。
実際に家で炊事を担当しているのはアルフォンスの母親、アルフォンス、事務所で縦に潰された息子のケニーとその妻らしい。
しかし、味覚の方は優れているのでいい加減なものを出すことは出来ない。
速人は細心の注意を払いながら、黄金色のお茶と水ようかんを切って出すことにした。
当然、ディーと雪近の分も用意してある。
「どうぞ、マダム・シャーリー。粗茶で御座います」
速人は羊羹を乗せた白い皿を出した。
羊羹は全て一口サイズに綺麗に切り分けられている。
速人は目を伏せながらシャーリーに頭を下げた。
シャーリーは「フンッッ‼」と強めの鼻息を出した。
そして最初に羊羹一本分を切り分けたものを直接掴んで食べていた。
シャーリーの覇王が如き気性を知っていた速人はアルフォンスの分を隠している。
シャーリーは速人の隠した水ようかんの場所に見当をつけながら、眉間に深い皺を寄せなむしゃむしゃと羊羹を食べていた。
「ハッ‼何さ、もう少し甘い方がアタシの好みだね。まあ今回だけは食べてやるよ」
シャーリーはお茶を飲みながら、雪近とディーの動向を見張っていた。
二人はシャーリーから羊羹を隠しながらこっそりと食べている。
速人はいつぞやテレビの特番で見たライオンから身を隠しながら食事を取る野生のシマウマの姿を思い出していた。
(中々の好感度だな。このクォリティならば、いずれ商品化すべきか…)
速人はシャーリーが雪近とディーに襲いかかる前に試作品として用意しておいたどら焼きとみたらし団子などを出していた。
シャーリーは全て平らげると両方のお菓子を気に入ってくれたらしく、早速速人はブロードウェイ商店の新商品として売れないものかと相談していた。
雪近とディーは心底、速人に感謝していた。
そんな時、ドカドカと故意に大きな足音を出しながらアルフォンスが戻る。
心なしか人相も以前に見せた皮肉屋のそれに戻っている。
「おいおい、速人。その婆さんは俺の嫁さんだぜ?そいつの隣は俺の指定席だっての。…よいしょっと」
そう言って速人を押しのけると、アルフォンスは椅子に腰を落とした。
見事なまでの嫉妬心である。
シャーリーは見苦しいまでに対抗心を燃やすアルフォンスの頭を軽く叩いた(※マイク・タイソンの渾身の左フックに匹敵する威力)。
しかし、アルフォンスの機嫌は直らない。腕を組んだまま速人とは決して目を合わせないようにしていた。
「悪いね、速人。アルは昔からこうなのさ。ちょっとアンタ‼こんな小さな子供を相手にみっともない真似をするんじゃないよ‼」
「うるせえやい‼」
シャーリーの声色に優しさと愛嬌のようなものが混じっている。
速人たちはシャーリーとアルフォンスの夫婦の仲睦まじい姿を微妙な気持ちで見ていた。
速人はアルフォンスに少し熱い温度のお茶を出した。
余談だが、シャーリーはイメージに反して温い温度を、アルフォンスは熱い温度のお茶を好んだ。
たまに出す順番を間違えたケニーが母親から血祭りにあげられているらしい。
アルフォンスは速人から受け取ったティーカップに口をつける。
好みの温度で淹れられたお茶の味と香りを楽しみながら、行儀よく飲んでいた。、
「そういや、一応だが肉の下味はつけておいたぜ。まあ、お前相手じゃあ物足りない仕事かもしれないが。俺の持ってきた肉だからシメるところはきっちりとシメさせてもらったぜ」
アルフォンスは満足そうな笑顔を浮かべながら、親指を立てた。
普段から速人は自分の仕事を他人に任せるような真似はしないのだが、この時ばかりは笑顔で答えた。
速人には元から常人離れした臭覚が備わっている。
それをさらに訓練することで五十近い香辛料を嗅ぎ分けることが可能になっていた。
神仙ナナフシとの戦いにおけるタネ明かしになるのだが、速人はナナフシに接近した際に手持ちの岩塩(※低糖症対策の一つ。気つけの為に常に速人は持ち歩いている)を着物の裾に塗り込んで置いたのだ。
故に速人はナナフシの超人的な移動能力や未来予測を看破するに至ったのである。
速人の鼻は、ただのでかいブタ鼻ではなかった。
「アルフォンスさんにそこまで言われると俺も嬉しいな。ところでコレ新作の甘いお菓子なんだけど大市場の方で売ってみたいんだけど、どうかな?」
速人はアルフォンスに水羊羹を出した。
シャーリーはみたらし団子の串についた甘辛いタレを舐めながら餓狼の如き形相で羊羹を見ている。
アルフォンスはスプーンで羊羹を三対一くらいに分けて、三にあたる部分を妻に差し出した。
そして、残った小豆色の四角形を口の中に放り込む。
羊羹はアルフォンスの口内で蕩けるように解けて、爽やかで包み込むような甘さが広がる。
「ゼリーみたいな食感だな、このお菓子は。素朴な甘味が気に入ったぜ。いや俺みたいな爺さんにはゼリーよりもこっちの方がいいかもしれないぜ。うちの親父とお袋にも食べさせてやりたいぜ。なあ、シャーリー?」
「ああ、そうだね。アンタの言う通りさ、アル。町のジジイやババアどもが喜ぶかもしれないね。ところで速人、一つ聞きたいことがあるんだけど倉庫にあった羊肉の燻製、あれはどこで手に入れたんだい?」
速人の額から一筋の汗が落ちる。
失念していた。
不注意の極みだった。
アルフォンスとシャーリーにマルコを見せるつもりは無かったのだ。
この夫婦の察しの良さは第十六都市においてトップレベルであることをすっかり忘れていたのだ。
シャーリーの話を聞いている間にアルフォンスは席を立って、マルコの様子を見に行った。
速人は急いで立ち上がり、アルフォンスを止めに行こうとしたがシャーリーに両肩を捉まれているので身動きすることが出来なかった。
やがて倉庫の扉が開き、内部を探る足音がキッチンまで聞こえてきた。
数分後、ついに探し物を探り当てたアルフォンスはキッチンまで走って戻って来た。
「おい、速人。何だあの羊肉は…ッ‼あれは幻のジェネラルシープじゃねえか‼」
アルフォンスは驚きのあまり冷静さを失っていた。
かつてマルコだった羊肉は、ダナン帝国の外には稀にしか出回ることがない幻の食材ジェネラルシープだったのだ。
アルフォンスはエイリークの父マールティネスと母アグネスの結婚式の時にダグザの父ダールトンが用意してくれた帝国産のジェネラルシープを一度だけ調理した経験があった。
当時シャーリーもアルフォンスの仕事を手伝っていたので、マルコがジェネラルシープであることを発見したのである。
「まあ、行き掛けの駄賃とでも言うのでしょうか偶然手に入りましてね」
速人が得意気に羊肉の入手した経緯について語った。
アルフォンスは興奮冷めやらぬといった様子で話を聞いていたが、対照的にシャーリーは肉そのものには然したる興味は抱いていない様子だった。
速人が一度、言葉を区切ったところでシャーリーの質問が始まった。
「速人、私が聞きたいのはどうやって肉を手に入れたとかそういう話じゃないのさ。アンタが肉を運ぶ時に使った木箱をどこで手に入れたかって話だよ」
「シャーリー、アレがどうかしたのか?」
アルフォンスも思うところがあったらしく、何かを思い出そうと首を傾げている。
ため息を吐いた後に、シャーリーは羊肉の近くにあった木箱の話を始めた。
「ホラ、あの木箱に押してあった焼き印だよ。あれはキリーのだろ。いつだか独立した時に使うって話をエマと一緒に聞かされた時に見せてもらったことがあるんだよ」