第百七話 藪から棒
回復中です。次こそは進化の秘宝が機能して「エスふじわらしのぶターク」から「デスふじわらピサしのぶロ」として復活していることでしょう。
次回は10月2日くらいに投稿する予定です。
エイリークの家の中庭に速人たちの住む小屋は存在した。
より正確に言うとガレージとして使われていた場所を、速人と雪近とディーが改装して自分たちの住み家として使わせてもらっている。
ベックはまず中庭に広がる整理された木々を凝視する。
あれほど無秩序に生い茂っていたはずの木々の枝は伐採されて綺麗になっていた。
以前速人に何度か枝を切る為のハサミやノコギリを貸した記憶があった。
思えば何かの仕事をしている時に枯草、木の幹と枝、根っこをどこに捨てれば良いかという質問を受け答えしたこともあった。
ベックは冴えない外見に反して察しの良い男である。
段々と実は家の改装を速人たちだけでやったということに半ば気がつきつつあった。
狼狽するベックにエイリークは憐みの視線を向ける。
「気がついた時はもう遅いんだよ、ベック。速人はな、お話に出てくる性質の悪い妖精みたいに何もかも全部終わらせちまってるんだ」
エイリークもまた自分の家の中庭の風景を見ながらベック同様に言い表しようのない不安を覚えていた。
庭に生えている木々の姿には見覚えがあったが、それらは既に形や長さを切り揃えられていて別物になっていた。
エイリークが子供の頃から気にかけていた死にかけの木などは根っこごと姿を消してしまっている。
能天気なマルグリットも変わり果てた見慣れぬ自宅の風景に戸惑っていた。
「なあ、父さん。母ちゃん。アイツらに用事があるんだったらさっさと家に入ったらどうなんだ?速人は用事があったらいつでも尋ねてくれって言ってるだろ」
レミーがそう言ってドアノブに手をかけようとした時、エイリークが肩を掴んで引き止めた。
心なしか顔が赤くなっている。
「あのさ、レミー。レミーの世代ていうか今時の若者はそうやって気軽に同世代の異性の部屋を訪ねるのが普通かもしれないけど、俺たちの世代はもう少し遠慮っていうかさ慎みを持って行動したものだぜ。なあ、ハニー?」
「やだレミーってば、意外と大胆な性格だったんだね。母ちゃん、ビックリだよ」
ふと気がつくと、マルグリットは特に意識をせずにいけないことをしようとしている自分の娘の姿に困惑している様子だった。
「俺はレミーのそういうアグレッシブなところも好きだぜ?」
エイリークもウンウンと頷いている。
「ダーリンの言う通りさね、レミー。母ちゃん、生まれも育ちも最底辺だけど心の準備も無しによその子供の家に勝手に入ることなんて出来ないよ。そりゃレミーの世代はそういうことを気にしないんだろうけどさ」
(いつの間にか私が非常識な女みたい話になっていやがる…ッ‼)
レミーは咄嗟にベックたちの方を見た。
しかし、味方であるはずのベックとコレットも微妙な表情で成り行きを見守っている。
圧倒的に不利な立場に追い込まれたレミーはついに切れてしまった。
「テメエのガキの前で散々、盛ってるクセに‼何でも世代のせいにするんじゃねえよ‼みんな大嫌いだッ‼」
レミーのどこまでも理不尽な世間に対する絶叫がエイリークの家の中庭に鳴り響いていた頃、速人は夜食の準備をしていた。
普段は朝、昼、晩の三食だが急な来客があった時は食事の準備に時間がかかるので晩ご飯はすぐに食べることが出来る簡単な物に変えてエイリークたちの食事が終わった後に自分たちの部屋で食事を摂るようにしていた。
加えて速人はナナフシとの戦いで消耗していたので腹も減っている。
種族的な理由から回復、治療魔術がかかりにくい速人は栄養を摂ってから寝るくらいしか体力を回復する手段は無かった。
そして速人は今、部屋の中心にある小さなテーブルの上に焼き魚と漬け物の盛り合わせを置いていた。
雪近とディーは部屋に戻ってから風呂に入って頭や身体を洗っていた。(※順番性で個別)
風呂といっても盥の中にお湯をいれただけのものである。
やがて先に風呂を済ませた雪近がバスタオルで髪の毛を拭きながら戻って来た。
入れ替わりでディーが仕切りのカーテンを開けて風呂場に入って行った。
聞きたくも無い野郎着替えの音が聞こえる。
速人は何事も無かったかのようにコンロの上にある鍋をテーブルまで持って行った。
次に厚手の鍋敷きの上に味噌汁の入った中くらいの鍋を置いた。
雪近は速人が食器を取りに行った時に蓋を開けて味噌汁の匂いを楽しむ。
速人は特に雪近を咎めるわけでもなく、お椀くらいの大きさのスープ皿をテーブルの上に置いた。
久々に和食にありついたせいか雪近は上機嫌で速人に味噌汁の材料をどこから手に入れてきたのかを尋ねた。
「なあ、速人。この味噌汁に使っている味噌はどこで手に入れたものなんだ?俺もナインスリーブスに来て一年くらいになるけど今の今まで味噌や醤油なんて見たこと無いぜ」
「味噌汁が冷めるからさっさと蓋を閉じろ、クズ。味噌はエルフの開拓村にいた頃、ノームの行商人が持ってきた味噌に独自の改良を加えて造り直したものだ。元の世界にいた頃に味噌は何度か作った事はあったんだがな、発酵する時の勝手とかがかなり違っていてそれなりに大変だった。八丁味噌っぽい味だからお前には少し馴染みの薄い味つけかもしれないがな」
速人は雪近から鍋の蓋を取り上げ、閉じてしまった。
味噌汁の話に関して言えば別に悪意があってそうしたわけではない。
ディーが風呂場から出てくるまで結構な時間を要するからである。
雪近とディーの二人は身なりを気にする性格であり、風呂に費やす時間も速人に比べて多かった。
「へえ…それは知らなかったな。こっちにも味噌はあったのか…ってお前さ、もう少し言い方とか何とかならないか?いくら俺だって毎回クズとかゴミとか言われたら傷つくぜ」
「そう思うなら余計な事をするな。俺は食事の支度を続けるから、お前は戸締まりでも確認して来い」
速人は雪近に背を向けて、台所に向かった。
今朝方、家を出る前に炊いてあった麦飯を温めて直していたのである。
本来ならば握り飯にして明日の昼食として食べる予定だったが、今日は数多くのトラブルに巻き込まれ腹も減ったので夜食として出すことになった。
不意にズキリと肩と腹に負った傷が痛んだ。
速人は身体の痛みを少しでも和らげようと鍋の蓋を開けて温かくなっている麦飯を見つめる。
懐かしい米の飯の匂いが食欲を刺激して、痛みが少しだけ収まったような気がした。
ついでに腹も鳴っている。
(やれやれ。雪近に半人前がどうとか言っておきながら俺もまだまだ修行が足りないな)
速人は反省しながら鍋の蓋を閉じる。
不意に視線を感じて横を見ると涎を垂らした雪近の姿があった。
速人は雪近を片手を払って追い出すと麦飯が十分に温まるまで鍋の様子を見ていた。
「あ、遅くなってごめんね。今日はあちこち歩き回って泥だらけになっちゃったから念入りに身体を洗ってたんだ」
ディーが肩にタオルを乗せて仕切り用のカーテンの奥から出てきた。
その頃、速人は握り飯を乗せた皿をテーブルの上に乗せていた。
雪近は皿の上に乗っている麦飯の握り飯を凝視していた。
ディーは緩いウェーブのかかったプラチナブロンドの髪をタオルで拭くと床の上に腰を下ろした。
反射的に握り飯に手を伸ばそうとしたところを速人に見咎められ、手を引っ込める。
速人は自分と雪近用に箸を、ディーの為にスプーンを出していた。
やがて食事の準備が整うと三人はテーブルの周りに座った。
「それじゃあ、いただきます」
「いただきまーす!」 × 2
そして、速人の号令を合図に三人の夜食が始まった。
雪近とディーはまず最初に握り飯を食べている。
握り飯の中に具は入っていなかったが、食べている様子を見る限りではまずます好評な様子だった。
勢い良く握り飯を頬張る二人の年長者をよそに速人は握り飯を一つだけ口の中に放り込むと一気に食べてしまった。
次に食事の傍ら手足や胴体に巻いた包帯を新品と交換する。
(そういえば家に戻ってからもアクシデント続きで治療する機会に恵まれなかったな…)
速人は古い包帯を外した後に傷口を清潔な布で拭き取る。
既に出血は止まり痛みは無くなっていたが念の為に新しい包帯を巻いた。
その後、速人は食事と治療を交互に行う。
雪近とディーはいつの間にか食事そっちのけで怪我をした場所の治療を行っている速人の姿を見つめていた。
「何だよ。これは見世物じゃねえぞ?」
速人は着物の上着を着直して包帯を隠してしまった。
普段から雪近とディーの前では怪我だけはしないように細心の注意を払えと言っている為どうにも居心地が悪い気がしたからだった。
ディーは右手に持っていた握り飯にかぶりつき、よく噛んだ後に味噌汁で喉奥に流し込んだ。
しかし途中で喉に詰まらせてしまう。
速人は何も言わずに立ち上がり台所から水の入ったコップを持ってくる。
ディーはすぐにコップを受け取り、水を一気に飲み込んだ。
「どうもありがとう。でもさ、今回ばかりは大変だったんじゃないの?いっぱい怪我したじゃないのさ。離れて見てたけど、ナナフシっていうおじさんが連れてきた大きい鎧を着た人(※機神鎧のこと)どう考えても俺たちの手に余る相手だよ。今回の事はやっぱりエイリークさんたちに相談した方が良くない」
ピキィィッ‼
次の瞬間、速人の額に亀裂のような皺が生じた。
あの時、速人は最初ディーたちにエイリークに事の次第を伝えろとディーに伝えたのだ。
速人はすくっと立ち上がると大根のカツラ剥きをする時と同じ表情でディーの頭を脇に抱え込んだ。
そしてナナフシの配下、機神鎧ヴァーユの装甲をも引き裂く剛力でゆっくりと締め上げた。
ギリギリギリギリィィッッ‼
(これは口が塞がっているから声を出して助けを求めることが出来ない。このままじゃ俺の頭が割れちゃうよ。キチカ、助けてぇぇ‼)
ディーは悲鳴をあげることさえ出来ぬまま身振り手振りで雪近に助けを求めた。
「おい。雪近。この大根の漬物、いい感じで漬かってるぞ。ちょっと食べてみろよ」
速人は雪近の目の前に醤油色をした大根の漬け物が乗った皿を置いた。
雪近は早速、箸を伸ばして一枚つまむ。
薄切りにされた大根の漬け物を口の中に入れるとそのままバリボリと噛む。
漬け物が口に入った瞬間に醤油と麹の香り、醤油の塩っ辛い味つけと砂糖の甘さとわずかな酸味が広がる。
雪近にとってそれは馴染みの薄い味つけだったが、日本を思い出させるには十分だった。
もはや目の前で窒息寸前になっているディーのことなど眼中に無く、雪近は大根の砂糖醬油漬けを食べ続けていた。
「うめえ‼うめえよ、速人‼お前は態度がいつも傲慢で口は悪いけど、料理の腕は最高だぜ‼」
ニコッ。
それは死神の微笑だった。
速人は気を失ったディーを優しく土間の床に置くと今度は雪近の頭を思い切り締め上げた。
かくしてまたしても余計な事を言ったばかりに速人か制裁を受けた二人の男たちは意識を取り戻した後も説教をされることになった。
「ごめんなさい。あの時は俺が軽率でした」
「ごめんなさい。いつもお世話になっているのに言い過ぎました」
雪近とディーは速人に土下座をして謝った。
速人が「許す」と言った後、二人はテーブルを囲んで食事を再開する。
速人は二人の焼き魚の食べっぷりがあまりにも煩雑だったので、箸を使って綺麗に分けてやった。
ディーは大喜びで魚の干物を炙ったものを食べていたが、雪近は心の底から申し訳なさそうな顔で「これだけはちょっと苦手でして」と頭を下げる。
速人は小さな魚の干物を頭からバリバリと食べていた。
実際速人はその気になればホッケの干物までならば丸ごと食べることが出来る。
(塩の振りかけ具合が決まっていないな…)
雪近とディーは今さらながらに速人の咬合力に驚きながら、魚の干物を丸ごと食べようと試してみたが途中で骨が引っかかって失敗してしまった。
その際は速人が握り飯と味噌汁を渡してくれたので大事にはならずに済んだ。
それから間もなくして速人の用意した夕食は全て三人が平らげてしまった。
「ところで速人、これからどうするつもりなの?あのナナフシっておじさん、性格がエイリークさんみたいにかなり歪んでいるから絶対に復讐に来るよ?」
ガタンッ。
速人は咄嗟に天窓を見る。
突然、屋根の方から大きな音が聞こえてきたことで雪近とディーは震えあがっていた。
わずかな間の出来事だが天窓の端に風雲が如き金髪が見えたような気がした。
あえて考えるまでもエイリーク本人だろう。
(問題はどうしてそんなところにいたのかではなく、なぜそんなことをしているのかだな)
速人は両腕を組んで考える素振りを見せる。
なぜならここはエイリークの家なのだから、用事があれば普通に尋ねれば良いはずなのだ。
速人は梯子を使って木製の天窓から屋根の外を見たが、誰もいなかった。
ザザザザ…ッ、ダンッッ‼
代わりに小屋の隣にある庭木から何かがすべり落ちる音がした。
速人は厚手の着物を羽織り、ランプを持って外に出る。
小屋のすぐ近くにある庭木の下には、木の上から落ちて腰を強かに打って悶絶しているエイリークの姿があった。
速人はすぐにエイリークをおんぶして小屋の中に移動した。
「どうしたの、速人!何かあったの⁉」
速人が小屋の扉を開けるとディーと雪近の姿があった。
口の端に飯粒がついているのはご愛敬というところだろう。
次の瞬間、おんぶされていたエイリークの足がディーを蹴り上げた。
「この生白い小僧が…ッ‼俺様の家の居候の分際でよくも俺様の悪口を言いやがって‼覚悟は出来ているんだろうなッ‼」




