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第百五話 これで一日は、…終わらない。

次回は9月23日頃に投稿する予定です。


 速人は三分間、頭を下げ続けた。

 これはあくまで自分が悪いと思っているからこその謝罪である。

 

 きっと次に頭を上げる頃にはエイリークたちは速人の誠心誠意に打ち震え涙を流しながら謝罪を受け入れていることだろう。

 

 (もういいかな…?もういいよな…。これだけ頭を下げたんだから俺の謝罪しようとする意志は伝わったはずだ…。いや、より完全に謝罪の意思を伝える為にはもう少し頭を下げておこう)

 

 速人はさらに二分間くらい頭を下げてから頭を上げる。

 

 しかし。

 

 視線の先にはさらに疑り深い顔つきになったエイリークとレミーの姿があった。


 「父さん。多分嘘は言ってないけど、事実を全て話していないっていうパターンだと思う」


 「この野郎…。俺たちをバカだと思ってとことん舐めていやがるな…」


 レミーとエイリークが放つ負のオーラは三割増しになっていた。

 

 エイリークは両手を組んで骨をパキポキぺキと鳴らしている。

 レミーも腕を振り回して戦闘準備の姿勢に入っていた。


 (親子揃って余計な知恵をつけやがって。やはり最後に物を言うのはヌンチャクか…)


 速人は対決が不可避であることを悟ってか懐からヌンチャクを取り出した。


 不穏な空気を感じ取ったベックが仲裁に入ってきた。


 「三人とも、待ちなさい。どうしても喧嘩をしたいというなら、私がまとめて相手をするぞ」


 ベックはバサッと上着を脱ぎ捨てる。


 ムキムキムキッ‼


 ベックは徹底的にやる気だッ‼…


 実はこの時、三人はそれなりに疲れていた。

 速人はヌンチャクを懐に収めて給仕の仕事に戻り、エイリークとレミーは大人しく自分の席に戻って行った。

 ベックは少しだけ残念そうな顔をした後で、白いシャツのボタンを留めてから再び上着を羽織った。


 エイリークとレミーはスプレッドワームのクリーム煮を味わいながら食べている。


 速人はエイリークの為に適温にして淹れ直したハーブティーをカップに注いでいた。


 「速人。こっちの料理は何の材料を使っているんだ?」


 エイリークは香酢ソースのかかったフリッターをフォークで刺した。

 

 揚げ物は全て一口サイズに揃えてあるのでナイフで切り分ける必要が無い。

 果物由来の酢の匂いを楽しみながらパクリと口に含む。

 外側のカリッとした衣の食感と対照的なフワリとしたソフトな歯ごたえが同時に口内に広がる。

 フリッターの具材は乳製品のような濃厚な味わいだった。

 それを甘味と酸味が効いたソースに絡めて食べると、口内でいつまでも味わっていたいような美味に変わる。


 「あらら。エイル、これ食べたこと無いんだっけ?」


 エイリークの隣に座っている彼の妻マルグリットはあっけらかんとした表情のまま普通に得体の知れない材料から作られた揚げ物を食べていた。


 (ふふふ…。俺の嫁は最高だぜ)


 エイリークは口の中に食べ物を運ぶ妻の笑顔を見ながらニヤけている。

 ベックとコレットはエイリークの奇態に困惑気味だったが、レミーとアインにとっては普通の出来事だったので気にしている様子は無かった。

 むしろ姉弟は皿の上に乗っているフリッターの材料の方を気にしている。

 

 二人ともスプーンの上に乗せてはいるが口に運ぼうとはしていない。

 

 速人に限って食べ物に毒を盛るような真似はしないだろうが、スプレッドワームの話にしても得体の知れない食べ物を口にするには納得の行く情報というものが必要だった。

 さらに強いて言うならば、レミーとアインの母親であるマルグリットは考え無しに何でも食べてしまうという悪癖があったのである。

 かなり前の話だがエイリークたちはマルグリットと一緒に危険な物を食べて寝込んでしまったという苦い経験があった。

 レミーとアインが慎重な態度になるにも確たる理由があったのだ。


 レミーはエイリークにお茶を置いている速人に向かって料理の安全性について質問する。


 「なあ、これ本当に口に入れても大丈夫な食べ物なんだよな?」


 レミーはあくまで懐疑的な態度を崩さなかった。

 その一方でアインは香酢ソースのかかったフリッターを食べながら両隣にいるベックとコレットにも料理を勧めている。

 アインは姉の暴力から逃れる為にベックとコレットのところに避難していたのだ。

 

 実弟の裏切りに気がついたレミーは一人、歯噛みをする。

 この後アインはレミーから執拗なまでの陰湿な虐めを受けるわけだが、それはまた別の話。


 速人はレミーの機嫌をこれ以上悪くさせないように注意しながら料理の材料には問題が無いことを主張した。


 「羊だよ、羊。ちょっと年を取った羊だけど。味の方は保証するぜ?」


 速人はウィンクしながら皿の上に乗っている薄い黄色の衣がついた料理を指でさした。

 

 レミーは速人のウィンクにイライラしながらもスプーンを口の中に運ぶ。


 それは実に柔らかい食感の食べ物だった。

 外側の揚げ物独特のカリッとした食感とは対象的なもっちりとした食感。


 (バター?クリーム?いやチーズに似ているな)


 もぐもぐ、とさらによく噛んで味わう。

 しかし、レミーの実食体験において近い食感は数多あれども”これ”といった物の姿は思い浮かばなかった。


 「全然わからねえ…。ていうかさ実際羊にこんな部分ってあったかよ。ミルク的な物?」


 レミーは口の中で何回か噛みながら、速人の顔をそっと見る。

 

 速人はいつもの笑顔のままソースの追加は必要かと尋ねてきたが、レミーは首を横に振って断る。


 レミーは相変わらず心のどこかに不安を残しながらフリッターを食べ続けた。


 「うーん。…肉好きの俺にも全然わからねえ味だぜ。この甘酸っぱいソースも美味いんだけどよ。やっぱこの濃厚でクリームみたいな味の白身が美味いんだよな。羊のどこの部位の肉か、是非とも教えてくれよ。速人」


 エイリークは速人にソースの追加を頼み、揚げ物が被るくらい注いでもらった後で口に運んだ。

 文句は言っているが食べるペースはレミーよりも早い。

 エイリークとレミーが今一つ満足できない様子で食べているところで、先に食べ終えてしまったマルグリットが材料の種明かしを始める。


 「あっはっはっは!これはね、レミー、エイル。羊の脳みそだよ。甘くてトローリとしていておいしいだろ?」


 エイリークとレミーは自分たちが食べているものが羊の脳みそで作った揚げ物であることを聞いた途端に、「うっ⁉」と食べ物を吐き出さないように喉を押さえた。


 アインは物珍しそうに、ベックとコレットは材料の正体を知った直後に本腰を入れて食べ始めた。

 

 理由は各々、違うようだ。


 「マジかよ…、ハニー。俺様、全然わからなかったぜ。羊の脳みそ、ガキの頃に親父に無理矢理食わされたよな…。アタマ良くなるから食っとけってよ」


 実は、エイリークの実家には祝い事の時に子供が無事に育つことを祈ってめでたい動物の部位を食べるという同食同源的な習慣が残っていた。

 幼い頃にエイリークは誕生日になると必ず鹿のもも肉や羊の脳みそといった珍味を食べさせられた記憶があった。

 しかし、味はお世辞にも良いとは言えなかった。

 なぜなら料理を作ってくれたエイリークの両親は材料に火を通しただけの原始的な調理方法しか出来なかったからである。


 エイリークは半生に焼けた羊の脳を両親と一緒に我慢しながら食べていた事を思い出していた。


 その一方でレミーは羊の脳が食べられるということを知らなかったらしく、以降は普通に食べていた。 

 速人の作った香酢ソースの味と乳製品に良く似た食材の味も気に入った様子で瞬く間に皿の上にあった料理を平らげてしまった。

 こうしてエイリークたち五人は和気あいあいとした雰囲気の中、食事を終える。


 速人は食事後のお茶の準備を始め、雪近とディーに皿の後片付けをさせていた。


 「あのさ、速人。あの料理に使われていた羊の脳ってさ、マルコなんだよね?」


 ディーが食器の大半を積み上げたワゴンに積み上げた後、速人にこっそりと聞いてきた。

 速人は横目でディーをきっと睨みながら答える。

 少なくとも今するべき話題ではない。

 その例としてエイリークはギョッとした顔で速人たちの姿を見ている。

 羊にマルコという名前があったことが気になったようだ。


 「余計な事を言うな、アホ。お前がエイリークさん達の立場だったら印象最悪だろうが。とにかくマルコの話は禁忌タブーだ。さっさとキッチンに食器を持って行け」


 ディーがガックリと肩を落としてテーブルワゴンを押しながら食堂を出て行くとエイリークが青い顔をしながら速人のところにやって来た。

 

 隣には同じような顔をしたベックがいる。


 食堂のテーブルではマルグリットとコレットは子供たちと一緒に昔話に花を咲かせていた。

 レミーとアインはエイリークの子供時代の話を興味深々な様子で聞いている。

 いやこの際マルコの話は聞かれない方が良い話題かもしれない。


 「おい、速人。今食った羊の名前がマルコってところは聞き流してやる。で、ここからが重要な話だ。念の為に聞いておくがどっかの農家から盗んできた家畜じゃねえだろうな?」


 「昔、マギーやソルが私たちに喜んでもらおうと思って…」


 エイリークとベックはよほど思い出したくない話だったせいか鬼気迫るといった顔をしている。

 何でもエイリークの両親に拾われて間もないマルグリットたちは第十六都市の外に出ては頻繁に肉を持ち帰ってきた事件があったそうだ。

 被害に遭った農家にはダールやベックが頭を下げて、弁償したらしい。

 速人も農家にとっては牛、馬、羊などは立派な財産であることを承知しているので羊の肉や脳は正統(?)な取引で手に入れたことを説明した。


 「これは町の外で知り合った農家のお爺さんからお金で買った羊だから安心してくれよ。いくら俺でも家畜泥棒なんて真似はしないからさ」


 エイリークとベックは後ろで談笑しているマルグリットの方を見てから、ホッと息を吐いた。


 マルグリットは話に夢中でゲラゲラと笑っていた。

 どうやら今の会話がマルグリットの耳に入ればまた別の問題が発生してしまうことを速人は理解した。


 「まあ、お前が盗みをするような人間じゃないってことは知っているんだけどな…。まあ今回の事は特に追求しないでおいてやるよ。あ、それとお茶は熱いのを頼むぜ。俺は席に戻るからよ」


 エイリークは速人の軽く肩を叩くと自分の席に戻って行った。

 心なしか、今のエイリークにはいつも元気が無かったような気がする。

 後で知った話だが、昔からマルグリットが問題を起こす度にエイリークが謝罪に行っていたらしい。


 (これが惚れた男の弱みというものか…)


 速人は生暖かい視線を哀愁漂うエイリークの背中に向ける。


 今度はげっそりとした顔のベックが話しかけてきた。


 「マギーは悪いじゃないんだが、育った環境が特殊でね。昔から物を持ち帰った時には必ず問題が発生してしまったんだ。速人君、今回は疑って悪かったよ。ごめんね。ああ、そうだ。私はお茶の温度は温めで頼むよ…」


 話が終わるとベックはトボトボと自分の席に戻って行った。

 

 よほど大変な経験だったようだ。


 速人は二人の背中を見送るとお茶の準備を再開する。

 ベックの妻コレットにはベックと同じ物を用意して、他の面子にはいつも通りの温度のお茶を出した。


 その後、速人は雪近とディーとキッチンと食堂を何度か入れ替わりになって食器の洗浄やテーブルの清掃をした。

 途中ベック夫妻に食事の心配をされたが、キッチンに軽食を用意して作業の合間にちゃんと食事をしていることを説明した。

 ベックは速人の話を聞いた後、仕事ぶりを褒めてくれた。

 その際にエイリークが「俺ならもっと上手く出来る」と余計な事を言った為に逆にひどい説教をされていた。


 かくしてこの日の夕食は無事に終わる。


 食事が終わった頃には外はすっかり夜になっていたので、ベックとコレットは客室に泊って行くことになった。

 エイリークに提案を受けた際には遠慮して断ろうともしていたが、実際に部屋を案内された時には内装などをすっかり気に入ってらしく快諾してくれた。

 速人もここに来てから世話になりっ放しのベックをもてなす機会が出来て気を良くする。


 エイリークとベックは、ベックの家の戸締まりを確認する為に二人で出て行った。


 コレットとマルグリットたちはエイリークの家の隣に住んでいるベックの娘であるケイティの家に挨拶をしに行った。


 速人たちはようやく仕事から解放されて、自分たちの住み家であるガレージに戻った。


 速人の身体に出来た傷の事を聞かれなかったのはもっけの幸いというところなのだろう。 

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