第九十九話 戦いの後。或いは次なる戦いの前。
次回は9月1日くらいに投稿します。遅れてすいません。
ウワハミが去った後、エリオットたちは徐々に健康を取り戻していた。
速人は皮膚が破れて血が滲んでいる手の平をハンカチで拭きながら、ウワハミの残して行った言葉について考える。
(ウワハミの如き曲者をみすみす逃がしてしまったことは失態だが、代わりに幾つか分かったことがある。やはりこちらの戦力を盤石に整えてから挑む方が得策か。しかし、そうなると…)
口に手を当てながらエリオットとセオドアの姿を見ていた。
彼らは元はエイリークの仲間だったが理由があって現在は離れて暮らしている。
何とか両者を和解させることが出来ればかなりの戦力が期待できるだろう。
速人は明後日くらいにエイリークの家で行われる家屋改装の記念パーティーにエリオットとセオドアを招待できないものかと考えていた。
「結局何だったんだ、あいつ等はよう…。まあ、その様子だとお前にもよくわかってねえみたいだな。痛ッ…」
速人はセオドアの声が聞こえてきたので一旦思考を中断する。
ナナフシの封印術の支配が解けても頭痛が残っているせいか首の付け根に手を当てながら片方の目を瞬かせていた。
相方のエリオットはセオドアよりも正常なコンディションになるまで回復していたので足取りもしっかりとしたものになっていた。
「まあ今回は被害が最小限で済んだことだけでも良しとするさ。それよりもセオドアさんたちまで巻き込んで悪かったな」
速人は目の前の空き地を凝視する。
確かな記憶が残っているわけではないが、この辺りの区画はいくつかのボロ家が軒を連ねていた場所だった筈である。
どこまで封印術の影響かはわからないが家屋にして数戸分くらいの区画が消失していた。
今回の襲撃が計画的なものではなくナナフシの独走だったとはいえ敵の脅威を知るには十分すぎる代物だろう。
「ハッ。…俺らは勝手に追っかけて来ただけですから。気にしなくても結構ですよ」
セオドアは目の前に広がる更地を見ながら、皮肉っぽく呟いた。
目の前の子豚みたいな顔をした小僧も大概だがナナフシの引き起こした災害はセオドアの知る常識の範疇というものを遥かに超えている。
出来ることならば三度と出会いたくない手合いだった。
速人はフッと笑った後に渋い顔でやり返した。
「そうだね。あんまり役に立って無かったし。総じて要努力ってところかな?フフン」
「テメエ、そこまで言うか‼この…ッ‼」即座にブチ切れたセオドアは速人を押さえ込もうとするが逆に脇固めを食らう羽目になった。
エリオットとポルカが止めに入った事で速人の私的制裁は中断されたが、セオドアの心に「自分は素手で速人には敵わない」という傷を残す結果となる。
速人は敗北感に打ちひしがれ意気消沈してしまっセオドアの事を放置して帰りの支度を始める。
空を見ると太陽は地の淵に沈みかけ、夜が近いことを教えてくれていた。
(このまま俺が家に帰らなければ腹を空かせたエイリークさんとマルグリットさんが庭の雑草を食べているかもしれない…。それではレミーやアインがあまりにも可哀想だ)
速人は決意を胸に秘め、キリーの店の入り口まで歩いて行った。
セオドアは路上に放置されたままである。
この時彼の親友であるエリオットも精神、体力的な余裕が無かったらしく誰もセオドアには構わなかった。
「みんな放っておいてくれ。俺は最初からいらない人間なんだ…」
速人は一足先に店先まで戻ってから戦いに参加したメンバーを待っている間にセオドアだけがいつまで経っても戻っていないことに気がついて回収に行った。
結局、速人は忘れ去られてすっかり拗ねてしまったセオドアをおんぶして連れてくることになった。
寝転がっているところを背負う際に抵抗されて難儀したものだが、中年の頬を伝う涙の跡を見ると何も言えなくなってしまった。
(やはり中年男性の方が思春期の少年少女よりも遥かに繊細だ。俺も気をつけよう)
速人はセオドアの愚痴を聞きながらそんな事を考えていた。
早足で進みながらキリーの店の前に戻ると一同は微妙な表情で二人を迎える。
身長140センチくらいしかない少年が身長180センチくらいのしっかりと鍛えた体つきの男を背負う姿を見れば誰もが絶句してしまうだろう。
やがてセオドアは居心地の悪そうな顔をしながら速人の背中から降りた。
「速人君。何があったか全然わからないけど、とにかく今日はご苦労様」
速人たちが戦っている最中、トマソンの孫ジョッシュの様子を妻エマと一緒に見ていてくれた肉屋の店主キリーから労いの言葉をかけられる。
キリーの話では速人たちの姿が見えなくなった後にウィナーズゲートの町の廃屋が集まっている区画の周辺が突然、行き来することが出来なくなったり騒音が発生して小さな騒ぎになっていたらしい。
町に来ていた防衛軍の一部が出動する事態にまで発展するところだったが、キリーのおかげで(※本人は否定していたが)事無きを得たようである。
…と、その辺りはエマやジョッシュの話から察した。
(光や音を完全に遮断することが出来ないとなるとナナフシの使った術は完全ではないということか。悔しいがウワハミの話通りに命拾いをしたのは俺の方か)
速人は屈辱からの怒りを紛らわせるためにヌンチャクを強く握った。
そんな表情に険しさが増す速人の様子に気がついたトマソンが声をかけてくる。
「先ほどから気分が優れないようだな。こう考えてみてはどうだ?今日は生き残ったのだからまた明日頑張ればいい、と。いや、”負け”ばかりの人生を送っている私がこんな事を言っても説得力はないのかもしれないが」
トマソンはやや芝居がかった言い回しの後に白い歯を見せた。
背後ではジト目で孫娘のクリスが睨んでいるのが見えた。
「お祖父ちゃんったら何気取ってんのよ。さっきまでギックリ腰で凹んでいたクセに。メルメダ流とあのバカみたいな大技の話も含めて、家に帰ったらお父さんたちに報告するから」
クリスの恨みの籠った言葉を聞いたシスがやや驚いた様子でその理由を尋ねる。
「クリス。こう言っては何だがお前のお祖父さんのお陰で我々は助かったようなものだぞ。その言い方はあまりに酷すぎはしないか?」
シスの立場から言えば、彼女はポルカの我流剣法を習っていたので祖父や父親から正式な武術を習っていたクリスが羨ましかったという話である。
しかし、クリスは伝統がある分毎日のように父親と祖父から説教ばかり聞かされていたのであまりいい顔をしない。
むしろ実戦的で動ける時に効率良く動いていたポルカの我流剣法の方を好ましくさえ思っていたのである。
その点、トマソンは実際に行動を起こすまで無駄に時間がかかっていたかもしれない。
「シスは知らないだろうけど、うちの身内の間ではメルメダ流の名前とお祖父ちゃんがさっきの戦いで使った”第七の突き”の話題は禁句なのよ。お祖父ちゃんのお父さん、つまり私の曾祖父ちゃんはきっぱりとメルメダ流とメルメダ様の繋がりは否定しているし、さっきの大技”第七の突き”だって敵味方関係無く巻き込むから絶対に使ってはいけない技だってお父さんが言っていたんだから」
クリスが生まれる少し前に亡くなった曾祖父は厳格な気質で知られる男で、伝統や格式は重んじたが得体の知れない被んな伝説には特に理解しなかった。
トマソンやクリスの父もメルメダ流という名前に固執する事は無かったが、今回は家の外という事もあってトマソンも少しばかり羽目を外してしまったらしい。
恥ずかしさのあまり耳まで赤くなっている。
特に第七の突きは生前に父親の前で披露してぶん殴られたという嫌な思い出があった。
孫娘に徹底的にやり込められたトマソンを憐れに思った速人は慰めの言葉をかけることにした。
「トマソンさん、俺は大丈夫だ。技の名前、狂戦士の矛”暴君”だったっけ。すごくカッコ良かったと思うし、あの技が無かったら今頃どうなってたかはわからない。今日の戦いの最大の功労者はトマソンさんだよ」
速人がトマソンの使った大技の名前を出した途端にクリスの眼光がさらに厳しいものに変わっていた。
トマソンは耳を塞いだ状態で地面に崩れ落ちる。近くに来ていたジョッシュも速人たちの話を聞いてげんなりしている。
老人性中二病の功罪だった。
「お祖父ちゃん…。またあの変な名前まで…。これは血族会議ものね。絶対に報告させてもらうわ」
クリスの瞳には怒りが炎となって宿っていた。
普段はおとなしいジョッシュの顔にも心なしか陰がかかっていたような気がする。
「お祖父ちゃん。…この前、その話をしてお父さんとお祖母ちゃんに怒られていたよね」
トマソンは平伏しながら首を縦に振るばかりだった。
速人は何か他の慰めの言葉をかけようとしたがクリスとジョッシュの冷たい視線によって遮られてしまう。
そんな険悪な雰囲気の中、絶妙なタイミングでキリーが速人に声をかけてきた。
夫と一緒にやって来たエマはトマソンが孫二人に傷つけられないようにクリスに「怪我はないか」と心配しながら声をかけている。
見た目はモブだが、対人関係ではかなり優秀な夫婦だった。
夫婦そろって客商売を続けて数十年といったところか。
「速人君。今日はこれからどうするつもりだい?行く場所が無いなら、ウチに泊まって行くといいよ」
キリーは速人に声をかけた後にジョッシュに微笑かける。
ジョッシュは僅かな時間を過ごしたキリーやエマと仲良くなっていたらしく自分の面倒を見ていてくれた礼を言っていた。
トマソンは頭を下げながらキリーとエマに横目で「助かった」と礼を告げる。
実に後ろ暗い信頼関係だった。
「いや。俺が家に帰らないとエイリークさんが庭の雑草を食べてお腹を壊しているかもしれないから急いで帰ることにするよ。キリーさんも今日はほんとうに助かったよ、ありがとう」
「アイツまだそんな事を…」
キリーはエイリークの話を聞いた途端に表情を曇らせる。
都市で暮らしていた頃に心当たりがある場面に出くわした経験があるらしい。
同様にエマも心配そうな顔をしている。
(この二人の前で下手な話は出来ないな)
「エリオ。エイリークのヤツ、腹減ったらまた草食ってるってよ」
「え…っ⁉」
速人が偶然エリオットとセオドアの方を見ると微妙な表情でこちらの方を見ていた。
どうやらこの二人もエイリークの奇行には色々と覚えがあるようだ。
速人は反省した。
「エイルったら、もう子供がいてもおかしくはない年齢でしょ。本当に大丈夫なの?」
エマが青ざめた顔で呟く。
ふとしたことでよろめいてしまいそうな妻の背中をキリーがそっと支えていた。
事実エイリークには妻もいれば、子供が二人いた。
そして先日も夫婦で子供たちから食べ物を取り上げて、速人から制裁を受けている。
夫婦の年齢は互いに三十三歳である。
いい歳どころではない。
「なあ、速人。エイリークのヤツは今結婚とかしているのか?」
精神・肉体ともに回復したセオドアが会話に入ってきた。
彼の親友のエリオットもエイリークの現状には興味があるらしく目を輝かせながら速人の方を見ている。
「エイリークさんは結婚もしてるし、子供いるよ」
速人は差し障りの無い程度で質問に答える。
エリオットとセオドアがエイリークたちの元を去ったのは十代の頃だという話だから、おそらくはエイリークがマルグリットと結婚したことは知らないのだろう。
さらにキリーとエマもエイリークの結婚の話を知らないことから終戦後間も無く第十六都市を出たことが予想される。
(これは彼らの問題だ。他人である俺が口を挟むべきではない)
速人はそう決心して表情を固くしていた。
「へえ。相手はもしかしてマギーとかじゃないだろうな。だったら地上最悪の夫婦になっていることだろうぜ」
「何かすごいことになっていそうだな…」
先ほど再会したばかりの時は話し難そうな雰囲気だったセオドアたちとキリー夫婦だったがエイリークの名前が出てからは当時を思い出すような会話が続いている。
速人はディーに「余計な事を言うな」という意味合いを込めてキツイ視線を送ったが時すでに遅し。
「へへっ。エイリークさんの奥さんはマルグリットさんだよ。レミーって言うとってもキツイ性格の意地悪な女の子とアインっていう普通の男の子がいるんだ」
ディーは得意気な顔で鼻の下を人差し指で擦りながら語っていた。
それを聞いたセオドアたちがどっと笑い出す。
速人は背後から忍び寄り、ディーの耳をエルフと同じくらいの長さになるまで引っ張るのであった。
尚異世界ナインスリーブスにおいてもエルフは長耳である。