第九十一話 決戦直前ブリーフィング
次回は八月六日に投稿する予定です。
エリオットの手を放れたスリング弾は機神鎧”緑麒麟”の腹部に命中し、装甲を貫通するだけに止まらず地面にまで達して破裂した。
ナナフシの手が緑麒麟の左手をがしっと掴む。
額に汗を浮かばせることもなくナナフシは腹を抱えながら前に向かって倒れる緑麒麟の巨体を片手で支えた。
緑麒麟の腹部から機神鎧の体内を循環する多量の魔力を含んだ液体エーテルがゴボゴボと音を立てながら流れている。
ナナフシは緑麒麟を一瞥し、従僕の忠義を労った。
そして返す刀で速人とエリオットの姿を両の眼に焼き付ける。
魔弾の射手たるエリオットは手を後ろにやって自分の腰を撫でる。
スリングを投げた時の尋常ではない反動が中年のエリオットを苛んでいた。
「早く家に帰って寝たい…。晩ご飯はいいや…」
憔悴したエリオットは面子を取り繕うころも出来ずに本音をだだ漏れさせていた。
(ナナフシの殺気が途絶えていない。アイツはまだやる気だ)
速人はエリオットの前に移動してナナフシの次の攻撃に備える。
ナナフシは大破した緑麒麟の巨体を術の力で浮かせている。
緑麒麟の腹部から流出していた液体エーテルは既に止まっていた。
ナナフシが右手で複雑な印を結ぶと緑麒麟の腹部の穴が自動的に修復される。
速人はその際ナナフシの片方の目が閉じられたままになっていることに気がつく。
やがて緑麒麟の外見が元通りになった頃には、ナナフシの肉体は細り目に見えるほど衰弱していた。
「見事だ、不破速人。今生最後の褒美に機神鎧の真価というものを見せてやろう」
ナナフシは両手を使って複雑な印を結び、最後には胸の前で止める。
(マズイ。あれは機神鎧が真の姿を現す前兆か)
速人の脳裏に一月前機神鎧アレスが真の姿を現した時の光景が思い浮かぶ。
あの時は烈○王似の男が助けに入ってくれたから何とかなったが今は頼みの綱のエリオット(※セオドア、ポルカは最初から戦力外)がエネルギー切れになって使い物にならなくなってしまっていたのだ。
速人はへたり込んだエリオットの身体を持ち上げて後ろに下がった。
「四海を統べる四柱の竜王よ、深海の宮殿よりご覧あれ。是は竜の化身、緑の龍馬の毛皮を被った武神。御身に我が魂の一片を捧ぐ。目覚めの時は来たぞ、機神鎧”ヴァーユ”‼」
ナナフシが呪文らしきものを唱えた次の瞬間、彼の身体からライム色の光の塊が離れて緑麒麟の肉体に乗り移った。
霊体を失ったナナフシの肉体は人間のそれから木偶人形に代わり、支えを失って倒れてしまう。
(なるほど。思った通りナナフシの肉体はゲームでいうところのアバターみたいなものだったか。制限時間いっぱい粘れば勝ちを拾えると思っていたが…甘かったな)
速人は舌打ちをしながらエリオットの身体を地面に置いた。
エリオットは顔を赤くしながら頭を下げている。
そこにセオドアとポルカが走りながら速人たちのいる場所までやってきた。
「おい、速人。エリオの活躍で一瞬だけ勝ったような気がしたが、前よりヤバイ状況になってないか?」
セオドアは青い顔をしながら空中に浮いている緑麒麟を指さす。
緑麒麟もといヴァーユは電光を全身から発しながら着々と変形している。
あまりにも過剰な演出を前に速人も絶望するしかなかった。
その隣では頭をボリボリとかきながらポルカが何か都合の悪いことを思い出した為に困った顔をしている。
「いやー…、俺っち今日は晩飯までに家に帰らねえと母ちゃんに怒られるんだよな…。向こうさんに相談して喧嘩の続きは」
ジャキンッ!ジャキンッ!
背中の甲殻に覆われた翅が棘の生えた蝙蝠の羽に変わる。
緑麒麟の手足の関節が伸び、重厚な鎧の一部が展開して以前よりも凶暴な姿へと変わっている。
もはやドラ○ロというよりも○イネックだった。
麒麟を模した兜に包まれた仮面が内側から割れて、人の顔が現れる。
最後に臀部のあたりから先端に張りのついた尻尾が生えた。
真の姿となった機神鎧”ヴァーユ”は四枚の翼を羽ばたかせ、尾を鞭のように振り回す。
エリオット、セオドア、ポルカは上空から彼らを睥睨する機神鎧ヴァーユを前に戦意を喪失し、真っ白になっていた。
速人は三人の大人たちの情けない姿を見ながら大きく息を吐く。
それから事態の推移について呆れながらも説明してやることにした。
尚、他のメンバーたちは既に集まっており一刻も吐く冷静に速人の話を聞こうとしていた。
「俺もかなりナナフシの事を追い詰めているつもりだけど、向こうも時間と魔力の残量がへぼ限界だから手段を選んでいる暇が無くなったってところだな」
速人の話が止まったあたりでクリスがこげ茶の太い眉毛をつり上げて少々怒った様子で出て来る。
(まあ無理矢理巻き込んだようなものだから仕方ないよな)
速人は怒鳴られるのを承知でクリスの前に立った。
「それで一体どうするつもりよ‼あのデカイのをこのまま町に出したら大変なことになるわよ‼」
そう言ってクリスは人差し指を速人に突きつける。
傍らに立つトマソンは年の功とも言うべきか落ち着いた様子で孫娘の姿を見守り、速人の言葉を待っているようであった。
シスもクリスと同意見らしく無言で腕を組んだまま速人の姿を見ている。
雪近とディーはいつも通りに速人の言葉を待っていた。
「ナナフシは、ここで完全に倒す。エネルギー切れが近いということはロクに防御の方に力は回せないはずだ。機神鎧には機神核(※今速人が勝手に名付けた)が無ければ動けないっていう弱点があるからな。ホラ、これと似たようなものがアイツの身体のどこかにあるはずなんだ」
速人は着物に手を突っ込んで漆黒の魔晶石”虎王宝珠”を取り出して見せた。
そこは女の子らしくというかクリスとシスは興味深そうに淡く輝く”虎王宝珠”を見ている。
頃合いを見計らって今まで沈黙を守り続けていたトマソンが口を開いた。
「速人君。我々はどうすればいい?正直、年老いた私やクリスでは君の役には立てそうにないだろう。だが何もしないで君だけに戦わせてばかりでは心苦しい」
トマソンは真剣な表情で速人を見る。
速人の見たところでは、トマソンはいざとなればクリスの為に命を捨てることなど厭わないような性分だろう。
向こうで縮みあがってはいるがポルカもシスの為ならば喜んでい命を捨てるくらいはやってのける。
エリオットやセオドアだって町の人間の為に平気で無茶をやってのける。
(こういう連中だからさっさと逃がせって言ったんだ)
ここで速人はディーを睨む。
ディーは普段からのつき合いで速人の言わんとすることを察して雪近の後ろにささっと隠れてしまった。
速人は「オホン」よ咳払いをした後に言葉を続けた。
「トマソンさんはクリスやシス、そしてウチの無駄飯ぐらいどもの面倒を見て欲しい。たまにナナフシから狙われるかもしれないけれど出来るだけ俺が囮になって攻撃を引き受けるつもりだ」
速人は安心していいと胸を叩いて見せた。
トマソンは一瞬だけ困ったような顔をしたが、すぐに首を縦に振ってくれた。
次に精神的に回復したポルカとエリオットとセオドアが姿を現す。
中年男三人で真剣に話合った結果、とりあえずナナフシと戦うことに決まったらしい。
最初にポルカが大きな身体にふさわしい音量で声をかけてくる。
速人はポルカのこういうところが嫌いだった。
「おい、速人。俺っちの覚悟は決まったぜ。あんま役に立たねえかもしれねえがアイツと戦う。こんなカタナで何が出来るかわからねえが、どうすればいい?」
ポルカは手に持っている片刃の剣を速人に見せる。
(ポルカさんには悪いが確かにナナフシ相手には出番は無さそうだな。だが止めを刺す時には数は必要だ)
速人はポルカの太く逞しい腕とよく手入れされた武器を観察した後に答えた。
「まず俺がアイツの攻撃を誘って逃げ回るから、隙を見せたらエリオットさんとセオドアさんが背後に回って攻撃をしてくれ。ポルカさんはアイツが攻撃を食らって動けなくなったところを一斉に攻撃をするからその時に参加してくれ」
「お、おう。要するに袋叩きの時以外は逃げ回ってろってことだな。本当にそれでいいんだな?」
速人から提案された作戦では想像以上におまけのような扱いだったのでポルカは落胆しながら相槌を打った。
セオドアとエリオットはしょぼくれるポルカの背中や肩を叩きながら必死に元気づけていた。
「速人。僕の”妖精王の贈り物”の話なんだが、はっきり言って今日は打ち止めだ。もう一発とて撃てそうにない」
そして、ペロリと舌を出して可愛く笑って見せる。
エリオットの発言を聞いた速人の顔が口を限界まで開いた状態で固まってしまった。
これは決して怒りではない。
あまりにも意外な事実の出現に、速人の理解が追いついて来ないのである。
実際速人はエリオットの”戦神の飛礫”をかなり当てにしていた。
前回は機神鎧の急所を外してしまった為に倒すには至らなかったが次こそは敵の機神核を撃ち抜いて撃破できると考えていたのである。
今の速人の心境はそれこそ油を出し尽くしてしまった蝦蟇蛙だった。
セオドアはいつもながらマイペースすぎる親友の姿を見て速人に同情していた。
セオドアは実に申しわけなさそうに、ネズミに遭遇した後にバッテリーが切れてしまったドラ○もんのようになっている速人に声をかけた。
「速人、お前さっきアイツの動きを止めるとかって言ってただろ。もしかすると俺の”妖精王の贈り物”が役に立つかもしれないぜ?」
セオドアは真っ白になってしまった速人にここは俺に任せろと微笑みながら肩を叩いた。
しかし速人はジト目でセオドアを見つめながら呟いた。
「セオドアさんはポルカさんと同じで最初から戦力に入ってないから無理しなくていいよ。どうせポケットの中にビスケットを入れてからポケットを叩くとビスケットが二枚に増えるとか、そういう能力でしょ?」
速人は全てを諦めたような顔をしながら明後日の方角を見ている。
セオドアは顔を真っ赤にして全力で否定してきた。
「違えよ‼本当に俺”妖精王の贈り物”持ちなんだって‼信じろよ‼信じてくれよ‼」
速人は陸に打ち上げられた魚のような目つきで「はいはい」と言っている。
その後、エリオットとポルカの説得もあって速人はセオドアの提案を前向きな態度で聞くことになった。
セオドアの親友であるエリオットの話だけなら聞き流すところだったが、ポルカは以前セオドアとエリオットに荷馬車の護衛の仕事を頼んだ時にセオドアの”妖精王の贈り物”の能力の世話になったらしい。
「俺の”妖精王の贈り物”の名前は”微睡みの神酒”って言ってな。条件付きで、指定した相手を酔っぱらわせて眠らせることが出来るんだ。アイツの体はでっかい鋼鉄の鎧だけど、中身は人間なんだろ。だったら効果覿面だぜ?」
「それで条件付きってのは?」
速人は再びのジト目でセオドアを見る。
”妖精王の贈り物”とは魔術とは仕様の異なる特異能力であり、使う度に必ず対価を求められるのだ。
エリオットの場合はそれが飛礫を撃った時の反動と関節への負荷だった。セオドアは明後日の方角を見ながら小さな声で答える。
「俺も一緒に酔っぱらってしばらく動けなくなる。…その時はフォローを頼むぜ、速人」
一同無言、いつの間にか周囲は風の音以外は聞こえなくなっていた。
速人は両腕を組み、これからのことについて真剣に考える。
(問題は、ナナフシに精神操作系の能力が通用するかだな)
速人はそっと後ろを見る。
今度は落ち込んだセオドアがエリオットとポルカによって慰められていた。
ややあってから周囲を騒がせていた風の音が止まる。
速人たちが違和感を覚えるほど静寂に満ちた空を見上げると、翼を広げた機神鎧ヴァーユの姿がそこにあった。
ヴァーユと同化したナナフシは長い白髭を蓄える顔を憤怒に歪ませながら速人たちに宣戦布告をする。
「数万年ぶりの戦場だ。年甲斐も無く、沸々と心が昂っているぞ、不破速人‼」
速人は両手で黒いヌンチャクを振り回しながら、ナナフシの言葉に答えた。
「最初に言っておく。勝つのは俺とヌンチャクだ‼」




