第九十話 戦え‼カッコイイおじさんとカッコ悪いおじさん‼
次回は八月三日に更新します。
速人はすり足で接近し、ナナフシの右目を狙った。
頭を同じ高さから鞭打のごとくヌンチャクの先端だけをぶつけて視界の半分を奪おうとする。
速人の予想では、ナナフシは超常の力を使って事前に軌道を察知したうえで攻撃を回避すると考えていた。
故に今回の攻撃はナナフシの能力の限界を見極めるための権勢的な意味合いが強い。
(土台”近い未来を見通す”なんて能力が身体に何らかの影響力を与えないはずがない。リスクを背負っているはずだ)
現時点で速人はナナフシとの戦いの中で、ナナフシがごく近い未来を見通す力を持っていることに気がついてた。
(コイツ”後の先”や”先の先”を平気で取ってくるくせに、その後動きがチグハグだ。俺の攻撃が見えてはいるが対応しきれていない、というところだろうな)
速人が放った右わき腹への前蹴りを、ナナフシは避けるわけでも防御するわけでもなく距離を奥だけに留まった。
選択は最良。されどその後が続かないのだ。
「緑麒麟。穿風槍だ。我ごと貫け」
ナナフシの言葉を聞いた速人は絶句する。
何度攻撃しようが立ち上がってくるナナフシの頑丈さを考慮すれば有り得ない戦法では無かったが、ナナフシの性格即ち気位の高さを考えれば自然と優先順位を下げていた選択肢だった。
「‼」
ナナフシの命令を聞いた緑麒麟の瞳が輝く。
緑麒麟の胴の少し手前に緑色の気流がねじ曲がって集積し、先の尖った細い筒のような形を作っていく。
速人は緑麒麟の背後に回り込もうと地面を蹴って移動しようとする。
しかし、その先には既にナナフシの姿があった。手に持った飛剣で肩から腰に向かって袈裟斬りを仕掛けてくる。
速人はナナフシの飛剣をヌンチャクの棒と棒とを繋ぐ紐で受け止め、捻じって絡めとった。
そしてナナフシの身体を手前に引き込み、背後を取った後に下腹を狙って肘打ちを入れた。
ナナフシは背中から肝臓打ちを食らって「ぐうッ‼」と苦痛に喘ぐ。
速人は間を置かずヌンチャクで左側面を打とうとするが、ナナフシは右手でそれを弾いた。
ヌンチャクの攻撃を防いだナナフシの掌の皮が裂け、出血する。
(やはり”目”を庇ったか…)
速人は攻撃と同時に左肘と膝でナナフシの足刀蹴りを止めていた。
追撃の一手に至らぬまま両者は距離を取る。緑麒麟の”風の槍”が完成するまでそう間は無い。
一瞬たりとて気が抜けない不穏な空気が漂う中、ナナフシは己の左の半身を庇うようにしながら含み笑いを漏らす。
「いや。もう遅い。我が奇策は功を奏した」
速人はナナフシの言葉を聞いて愕然とする。
(俺の知らない間に立ち位置が変わっている⁉)
当初、速人は緑麒麟から仲間たちを引き離してナナフシを相手にしながら常に緑麒麟の背後を取るように心がけてきた。
エリオットたちの参戦は素直に頼もしいと感じたが、今の時点では機神鎧”緑麒麟”の能力がはっきりとわかっていない為に不用意に加わらせるわけにはいかない。
先ほどの攻防でナナフシを挟んで緑麒麟の攻撃の的になるという理想的な配置に至ったわけだが、気がついてみると速人の背後にはトマソンとシスとクリスがいた。
歴戦の勇士であるトマソンはともかく残る二人では逃げることすらままならないだろう。
速人は背後を盗み見しながらトマソンに何かを伝えようとする。
トマソンは軽く頷いた後に孫娘とシスの手を引いてポルカたちのところまで走って行った。
だが、その間にもナナフシの追撃は止まらず速人はトマソンに感謝しながらも緑麒麟の攻撃に備えなければならなくなっていた。
「ナナフシ。言っておくが、俺は不死身だ。お前にも、あのデカブツにだって殺せはしない‼」
速人はヌンチャクをふり回した後で左の脇に挟み、右手を開いて前に突き出す。
そして、腰を落としてナナフシと緑麒麟の攻撃に備えた。
「悲しいな、不破速人。身の丈に合わぬ義侠心がお前の身を亡ぼすのだ。恨むなら己の運命を呪え‼」
ナナフシの宣告と共に緑麒麟の術”穿風槍”が発動する。
緑の光を纏う風の槍が獲物を狙う雀蜂の如く四方八方から速人に向かって襲いかかった。
速人は構えを解いた後に黒いヌンチャクを振り回し、風の槍よりも先にナナフシを排除することを考えた。
ナナフシは舌打ちをしながら是に応じる。
かくして速人とナナフシは穿風槍を避けながら戦うことになった。
ヌンチャクと飛剣がぶつかり合い、風の槍の穂先が掠る度に両者は出血する。
その戦いは正しく命の削り合いだった。
セオドアは歯噛みしながら速人の窮地を見守っている。
(速人が苦戦するという相手だからどれほどのものかと思えば、とんだ化け物じゃねえか‼)
セオドアの緩めのウェーブがかかった髪は極度の緊張の為に汗で濡れていた。
エリオットに止められていた為に助けに入ることは無かったが、どう考えても速人だけでは勝てそうにない相手である。
否。実際ここにいる全員で挑んでも負けるだけだろう。
セオドアの隣でエリオットは飛礫を巻きつけたスリングベルトを回していた。
実はこの作業、エリオットが自身の”妖精王の贈り物”を使うにはどうしても必要な手順である。
「おい、エリオ。そろそろ速人の方がマズイことになっているぞ。次の”戦神の飛礫”はまだか?」
エリオットは首を横に振る。
スリング自体の回転数を十分に溜めなければ折角の”戦神の飛礫”の威力が中途半端になってしまうからである。
エリオットはこの”妖精王の贈り物”、”戦神の飛礫”を二十代の頃は一日に三回まで使うことが出来たが今ではそれ以下になってしまっている。
そもそも”妖精王の贈り物”は存在が気まぐれである日突然能力が消失していることもあるのだ。
それだけに先刻の一撃で仕留められなかったことは悔やんでも悔やみきれぬといったところだ。
セオドアはポルカに未だ動けぬエリオットのフォローを任せて、長剣を片手に速人のところまで出て行った。
「ポルカ。エリオの事を頼むわ。その技は威力を溜めている最中は何も出来ないって欠点がある。俺は速人を助けに行ってくるから」
「セオドア、アンタの実力は重々承知しているつもりだが本当に大丈夫か?今のところ戦力外の俺が言うのもナンだが、ナナフシ(アイツ)はかなり強い野郎だぜ。勝算はあるのか?」
ポルカもセオドア同様に加勢に行きたかったが、実際に速人との戦いを観るうちにナナフシと自分との実力差が天と地ほどあることに気がつかされる。
そのナナフシとまともに渡り合う速人も十分にすごいと思うが劣勢を覆すには至らないだろう。
いや例えここでエリオットとセオドアが戦局に加わってもどう転ぶかはわからない。
幼い頃から戦場を出入りしてきたポルカだからこそ知り得る直感の賜物である。
セオドアは苦笑しながら片目を瞑り、ポルカたちの元を離れる。
別れ際に捨てこんな台詞を残しながら。
「勝算なんて最初から無えよ。ただな、あの時ああすれば良かったとか、そういうのだけはもう御免なんだ。これ以上自分の事も嫌いになりたくはないからな…」
セオドアは一足飛びで速人の戦場に乱入する。
そして長剣を横に構え、そして…。
機神鎧”緑麒麟”の術”穿風槍”の砲撃に晒され、続いてナナフシの飛剣を食らいそうになったところで速人に蹴りを食らって逃がされた。
そして、四つん這いになりながらダッシュして戻ってきた。
あまりのカッコ悪さにポルカたちは眉間に皺を寄せている。
「ねえ、シス。何しに行ったの。あの人?」
トマソンの後ろからセオドアの勇姿を眺めていたクリスが非常に険しい目つきをしながらシスに尋ねる。
シスは両腕を組みなおしながら「はあ…」とため息を吐いた。
「まあ、アレだ。実戦と訓練では勝手が違うというヤツだな。というか私の目から見ても無傷で帰還したセオドア殿を褒めるべきだろう」
トマソンもシスと同じ気持ちのようで「お祖父ちゃんも若い頃はあんな感じだったんだよ?」と必死にフォローを入れている。
クリスは口を平仮名のへの字にしながらポルカに泣き縋るセオドアの姿を心の底から見下していた。
(同じ大人でもエリオットさんは違うわ…)
そんなことを考えながらクリスはセオドアの親友エリオットの精悍で美しい横顔に見惚れている。
シスはため息を吐きながら、恋する乙女モードに入っているクリスに忠告をした。
「クリス。言っておくがエリオット殿は妻帯者だぞ。美しい奥方もいるし、子供も三人いる。しかも年齢はうちの親父よりも少し上( ※ ポルカ = 28歳。 エリオット、セオドア = 32歳。 )だ」
シスの話を聞いた直後、クリスは両手で顔を覆いながら塞ぎこんでしまった。
シスとしても心苦しいところだが、エリオットは某国の王子と思われるような美丈夫なので年若い女性からは誤解を受けることも多い。
厄介なことにエリオットは告白してきた異性に「残念ながら君には全く興味が無い」とかデリカシーもクソもないような断り方をする男なのでクリスのことを思えばこその警告であった。
その間、トマソンは孫娘にどう声をかけてよいものかと迷うばかりとなっていた。
そして何とか精神と肉体のダメージから立ち直ったセオドアは、ポルカたちに速人から後ろ蹴りと一緒に伝えられたことを話す。
「あー。その何だ…、さっきの俺の超絶駄目すぎる退場シーンは早めに忘れてくれ。速人の話ではヤツはエネルギー切れになるとこっちにはいられなくなるらしい。速人が制限時間いっぱいまで引きつけておくから逃げろだってよ…」
セオドアはあまり気の進まない様子で語る。
そこにクリスがすごい剣幕で食ってかかってきた。
「ちょっと待ってよ、駄目なおじさん‼本気であんな子供一人に任せるつもりなの⁉絶対に死んじゃうわよ‼」
つい先ほど知り合ったばかりの少女クリスから”駄目なおじさん”の烙印を押されてしまったセオドアは二重の意味でガッカリしながら、今し方実際に自身の目で確かめてきた速人とナナフシの戦闘の様子に感想を交えながら答えた。
「クリスお嬢さん。俺も若い頃から結構戦場ってヤツを見てきたつもりだが、あれはちょっと無理だ。ナナフシって野郎が使ってる体術と魔術のレベルが全然違う。正直、下手に割り込めば人質に取られて速人の足手まといになる可能性が大だ。エリオの”妖精王の贈り物”なら何とかなるかもしれないがナナフシって野郎は未来に起こる出来事を視る眼を持ってるって話だからな」
そういってセオドアはまた深いため息をついた。
ちなみにナナフシの未来視のくだりは蹴りを食らいながら聞いた部分である。
エリオットを含めた全員はすっかり黙り込んでしまっていた。
セオドアも何とか食い下がろうと努力したが、緑麒麟の穿風槍はセオドアの作った魔術の障壁を次々と破壊しながら容赦なく襲いかかってくる。
回避が間に合ったので助かったが、直撃していたら命は無かったかもしれない。
おまけにナナフシはセオドアの逃げる位置まで特定し、先回りして追撃するという始末だった。
速人が割り込んで来なければ間違い無く殺されていただろう。
セオドアの知る限りではナナフシと五分に渡り合えるのはエイリークくらいのものだろう。
(そういや速人はディーとかいうヨトゥン族の兄ちゃんにエイリークに伝えろって言ってたんだよな。全く嫌味なくらい合理的なガキだぜ)
セオドアは毒づきながらも速人の咄嗟の判断に関心していた。
「痛…ッ‼」
ざしゅっ‼
速人が無事に戦場を離脱したセオドアの後ろ姿を見て安心した直後にナナフシの飛剣が腕を切り裂いた。
接近を許したつもりはない。
速人はナナフシの左足の甲を狙ってヌンチャクを打った。
しかし、ナナフシはこれを上に飛びながら躱してしまった上着の半袖にじわりと血が滲む。
ナナフシは残忍な笑みを浮かべながら距離を取った。
(想定していた位置よりも遠い。これは俺自身が間違えていたのか)
そして、速人は周囲の気配をくみ取りやがて自身の感覚が狂わされていたことに気がつく。
ナナフシは二本の指で風を操り、飛剣の刃に付着していた速人の血をビッと落とした。
「油断したな、不破速人。気の流れが読めない即ち発勁を使うことが出来ないような輩では我を傷つけることなど出来ぬ。貴様にとってはとんだ邪魔が入ったというわけだ」
そう言ってナナフシは自らが起こした風の中に姿を消す。
(いや違う。これは風と同化したということか)
速人は目を閉じて、血気を鎮めるように専心する。
ナナフシは速人の心を読んで風の音を増やしながら背後に回り込もうとする。
増やした風の音の正体は実体を伴った斬撃。
準備が整い次第、速人の四方から同時に襲いかかり致命傷を負ったところを背後から斬殺するつもりだった。
「そろそろ死ねッ‼不破速人…ッッ‼」
(思い出せ。こんな時にはあの技しかない。コマンド入力は旧ヨガフレイムのBボタン…ッッ‼‼)
幻影のナナフシが放った正面からの唐竹割りを避け、側面の横薙ぎは棒で受け止めて、もう一方の側面からの逆袈裟はバックステップで回避する。
そして、背後から胴を狙った一閃は前から後ろへと受け流した。
最後に控えるは本命中の本命、ナナフシの腕、肩、胴、胸と続けての斬撃である。
(ナナフシ。お前に未来を見通す力があるならば、俺にはこの技がある。受けろ、香港市警”紅虎”の反撃奥義を‼)
速人はまるでナナフシと事前に打ち合わせていたかのように全ての攻撃を受け止め、時には避け極めて自動的に処理をする。
その時、屈辱の最中にナナフシは憎悪に満ちた目で速人を睨んだ。
「まさかこの我がこんな児戯に翻弄されるとは‼絶対に認め…ッ‼ぷぎゃッ‼」
と何かを言いかけたところナナフシは顔面に踏み込み足刀蹴りを食らい、緑麒麟のいる場所まで吹き飛ばされた。
「これぞ”九龍の読み”。お前の敗北は俺の前に立った時から決まっていたのだ」
ナナフシは主を気遣う緑麒麟の手を押しのけて再び速人の目の前に立つ。
速人はヌンチャクを左脇に抱えて、前後にステップを切る。
「ふざけるな。このような戦い、我は絶対に認めぬ」
「そう、その位置だ。そこがいい」
速人はナナフシを指さす。
「???」
ナナフシは何のことかと困惑しながら周囲を見渡した。
「‼」
次の瞬間その場にいた誰よりも早く緑麒麟が現われナナフシの身体を退けて、迫り来る弾丸の的となることを選んだ。