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第八十四話 そして人は愛という名の罰を背負って生きる。

一日遅れてしまいました。メンゴメンゴ。

× 次回は7月14日に投稿する予定です。

○ 次回は7月16日くらいになりそうです。


 生きた魚を釣りあげて、包丁で頭を打ってから切っておろす。

 

 最初は鰯だったと思う。

 

 速人は生まれて初めて魚を捌いた時に「この世において命の貴賤は無く、また全ての命は何かによって費やされる為に存在する」とそう感じたことを覚えている。


 命の価値に見合うものは、命そのものでしかない。

 そこに虚偽が入り込む余地など最初から存在しない。

 ゆえに人間は奪った命の数だけ責任を背負わなければならない。

 朝な夕なに何かに向かって祈りを捧げ、この世で最も卑しい己の命の有り様に許しを請わ請わなければならないと速人は考えている。


 そして今、目の前でマルコの生存に微かな希望を見出したジョッシュの思いを踏みにじるのは自らの責務なのだと速人は考える。


 速人はジョッシュの言葉を待たずに話を続ける。


 「ジョッシュ。仮にお前がマルコを連れて帰るというのならば、俺はお前に従おう。マルコには今後、一切近づかないとも約束しよう。即ちそれはマルコの代金も支払わないということだ。本当にそれでもいいんだな?」


 トマソンは驚愕の表情で速人を見た後すぐに俯いてしまった。

 今10万QPが手に入らなけれ今病身のトマソンの妻を医者に診せること出来ない。

 藁にもすがるような思いでジョッシュがマルコのことを諦めるように祈るばかりである。

 しかし、同時にトマソンは長い間、家族同然に過ごしてきたマルコの命を自分たちの都合で見限ろうとしていることにも気がついていた。


 (今の猪頭人オーク族集落に辿り着くまで多くの同胞を切り捨ててきたというのに…。私は何をやっているんだ。たかだか家畜一匹のことで)


 いつの間にか、トマソンは後悔の涙を流していた。


 トマソンの従兄とその家族が遠くの開拓地に身を寄せることが決まった時も笑顔で別れたはずだというのに。

 今のトマソンには涙を止めることもジョッシュと変わってやることも出来ない。


 (これは罰だ。幼いジョッシュが相手なら後でどうにでも誤魔化せると考えた自分への罰なのだ)


 仮に今日ジョッシュとクリスがトマソンの後を追って来なかったとしてもマルコの命が失われることには変わりない。


 「お金が無いと駄目なんだよね。僕も知ってるよ。お父さんとお母さんとお祖父ちゃんとお祖母ちゃんがいつもお腹が空いているのを我慢しているのを…」


 しかし、ジョッシュはマルコの瞳を覗き見る。

 

 ジョッシュにとってマルコは物心ついた頃から側にいる兄弟同然の存在だった。

 勝ち気な姉クリスと違って友人を作ることに難儀していたジョッシュは同性代の子供たちよりもマルコとその家族とより多くの時間を共に過ごしたと言っても過言ではない。

 ジョッシュは決して離すまいと抱きすがりついたが、マルコの方は主人では無く別の方角を見ていた。

 これからマルコの命を奪い、亡骸を解体せしめんとする速人の姿である。

 その時のマルコの瞳には怒りも悲しみもなく、ある種の達観のような光が灯っていた。


 「おい。いい加減にしろよ、速人。こいつらの金なら俺が払ってやる。だからマルコのことは見逃してやれ」


 ポルカが速人とジョッシュの間に割り込むようにして現れた。

 ポルカは大きな瞳を赤く腫らしている。

 速人とポルカは先ほど知り合ったばかりの間柄ではあるが、ジョッシュとマルコに対しては過度に感情移入している傾向があった。

 案外、今までのやり取りの中でポルカの心の傷を刺激するような出来事があったのかもしれない。


 (これだからモラトリアム中年はめんどくさい)


 速人は「はあ…」と盛大に息を吐いた。


 「要するに金を払えばいいんだな?だったら俺が代わりに払ってやるぜ。いくらだよ?」


 親友を庇うガキ大将のような態度でポルカは尋ねてくる。

 やたらと出てくる父親とは反対にシスは遠巻きに様子を見ている。

 ポルカの方の事情を知ってか視線もいつもよりも厳しいものになっていた。

 速人は呆れた様子で右手を差し出し、ポルカに向かって冷淡に告げる。


 「10万QP、それがマルコの命の値段だ。言っておくが俺が決めたわけじゃないぞ。トマソンさんが要求してきた金額だ」


 10万QPという金額を聞いてポルカの表情が引きつってしまう。

 今のポルカは隊商キャラバンの隊長を務めるほど組織の実質的な経営権はポルカの妻が握っている。 手の届かない金額ではないが、少なくとも現時点ではポルカの財布の中には入っているQP硬貨の数は10分の一にも満たないものだった。

 ポルカは額に汗を浮かべながら一旦会話を打ち切ってシスに相談する。


 「おい。言っておくが、駄目だぞ。お袋から親父には金を貸すなと言われている」


 ギンッ!!


 シスは眼光でポルカを一刀両断にした。


 「ーーーーッッッ!!!」


 シスは膝をついて懇願するポルカを片手で追い払った。

 ポルカはその後何度も地面に頭をつけて頼んだがシスは見向きもしなかった。

 ポルカの戦士としての実力や組織の長として度量には目を見張るものがある。

 シスはポルカを自分の親としても大いに尊敬はしている。


 だが、そこまでだ。


 良くも悪くもポルカの情に流されやすい性格にだけは注意しろと母親には常に言われている。

 さらにシス自身、ポルカがジョッシュとマルコに肩入れする理由を知っていたので尚更冷たい態度を取らざるを得なかったのである。

 ポルカがおとなしくなってしまった頃合いを見計らって速人はジョッシュに全てを打ち明けることにした。


 「仕方ないな。俺もこの話をするつもりはなかったんだが…。ジョッシュ、よく聞け。お前のお祖母ちゃんが今朝、倒れたらしいぞ」


 「えっ!?」


 速人の言葉を聞いた途端、ジョッシュは驚きのあまり言葉を失ってしまう。

 祖母は今朝、家を出て来る時までは元気な姿だった。少なくともジョッシュやクリスの前では。

 だがクリスは速人の話を聞いた直後に顔を真っ青にしていた。

 最近、祖母は何かと畑仕事を休みがちで家の中で休んでいることが多い。

 それは年齢のせいだとクリスの母親が苦笑しながら言っていたが、よくよく考えてみると祖母が心労と過労のせいで何かの病を患ってしまったことは十分に考えられる。

 そして祖父がマルコを家族に相談もせずにウィナーズゲートまで売りに行った理由だと考えれば、自ずと答えが出るというものだ。


 「トマソンさんはお金が欲しくてマルコを売りに来たわけじゃない。お前のお祖母ちゃんをお医者様に診せなければ明日にでも死んでしまうから、その費用を稼ぐためにマルコを売りに来たんだ。とっても可哀想な話だろ?」


 ジョッシュは泣きながら速人の話を一字一句とも逃さずに聞いていた。

 大好きな祖母と大切な親友のマルコ、この二つの命を天秤にかけることなどジョッシュには出来ない。

 片やクリスは弟と一緒にこの場所にまで来てしまったことを後悔していた。

 クリスがジョッシュを打ってでも引き止めていればこんな事にはならなかったのだ。


 「でも、でも…。僕はマルコと、お別れしたくないし…。お祖母ちゃんにも死んで欲しくないよぉぉぉ…」


 速人は一歩前に出てからジョッシュの肩に手を置く。


 「だから、ジョッシュが選ぶんだ。マルコの命か、ジョッシュのお祖母ちゃんの命のどっちを選ぶかだ」


 クリスは涙を流しながら、決して泣くまいと両手で口を押えている。

 トマソンは暗い表情でクリスとジョッシュの悲しむ姿を見守っていた。

 一体、自分は何を間違えてしまったのか。どうしてこんなことになってしまったのか。

 トマソンは歯ぐきから血が染み出るほど噛み締める。

 トマソンが生まれてから六十と数年、今日ほど己の無力を憎んだことはない。


 「嫌だよぉぉぉ。そんなの決められないよぉぉ…」


 とうとうジョッシュは泣き崩れてしまった。

 

 速人は現実に打ちのめされ泣き続けるジョッシュの姿を黙って見ている。


 (これは誰にもそうすることも出来ない、どこの世界にでも溢れている普通の光景だ。仮にジョッシュがマルコの命を選んでも、ジョッシュのお祖母ちゃんは怒らないだろう。だがジョッシュよ、本当にそれでいいのか?マルコの死に様をお前が選ばなくて他の誰が選ぶというのだ。少なくとも、もうマルコは自分の運命を知っているぞ。俺は肉が手に入れば全然問題は無いけど)


 最後はわりと最悪な速人の考え方だった。


 「テオ。僕たちの持ち合わせでマルコの代金を払ってやることは出来ないだろうか?」


 エリオットは小声で親友のセオドアに相談をした。

 その際にセオドアは速人の耳がピクピクと動いていることを見逃さない。

 そして布袋に入っている先ほどの買い物のお釣りを確認した。


 ひい、ふう、みい…、と合計18QP分の硬貨しか入っていなかった。

 この金だって持ち帰らなければセオドアの愛妻ジュリアに人間サンドバックにされかねない可能性がある。

 セオドアはすっからかんの財布を片手に首を横に振りながら、深刻な顔つきのエリオットに答えてやる。


 「無理だな。これだって元は速人が恵んでくれた金だぜ。それ以前に、あんなジイさんたちには悪いが年寄りの羊じゃあ生きていてもらった方が迷惑だろ。あの大きさじゃあメシもかなりの量を食うし、水だってべらぼうに飲むぜ。んでもって、毛だってもうそんなに生えてこない。まあ、俺としちゃあ商品価値のない羊を何でまた速人が欲しがるかってのが気になるんだがな」


 エリオットは形の良い細い顎に手を当てながら考える。

 そして、何かを思いついた後に桜色の唇から開いて言葉を発した。


 「そうだな…。後で、こっそりと逃がしてあげるとか?」


 エリオット、33歳。必死になって考えた末、である。


 「いや。それは絶対無い」


 セオドアは戸惑うエリオットの肩をポン、ポンと軽く叩く。

 エリオットは親友の生暖かい優しさを受けて訝しげな表情になりながらも、きっとセオドアが自分を心配してくれているという結論で納得することにした。

 やがて速人の前に疲れ果てた顔をしたトマソンが引き摺るような足取りで現れる。

 

 トマソンはまず首を横に振った。


 「速人君。残念ながら今回の話は無かったことにしてくれないか。私はもう疲れた。自分たちが生きる為に何かを犠牲にするのはもうたくさんだ。マルコのことだけではない、私はこれまで愛すべき者たちに多くの犠牲を強いて生き永らえてきた。そのことを今さらとやかく言うつもりは無い。だが、もう本当に限界だ。妻の事も、マルコの事も自分たちで何とかする。だからもう我々の事は放っておいてはくれないか?」


 話の最後でトマソンの声は消え去りそうになっていた。

 だが、速人はトマソンの姿を見ることは無かった。


 「見損なったぜ、トマソンさん。アンタみたいな甲斐性無しのところに嫁いできた奥さんに何てお詫びをするつもりだ?」


 トマソンは速人の侮蔑の混じった言葉を聞いた瞬間に、妻の笑顔を思い出してしまった。

 騎士侯に連なる古い家柄というだけで何の財産も持たない家に嫁入りをしてくれたトマソンが生涯只一人愛した女性。

 彼女の命が自身の誤った選択によって永遠に失われることを考えた時、トマソンは両手で顔を覆ってしまう。

 そして誰はばかることもなく泣き出してしまった。


 (よく人前で泣く連中だな…)


 鉄の良心を持つ男、速人は腕を組みながら泣き咽ぶトマソンたちの姿を見ていた。


 「メエェェ」


 そんな中、マルコが突如として鳴き出す。

 濃い灰色の巨体を揺らしながらジョッシュのもとを離れ、ノロノロと速人のところに向かって歩いて行った。

 

 「そっちに行っちゃ駄目だよ。マルコ!!」

 

 それまで泣いていたジョッシュはマルコが行ってしまったことに気がつき連れ戻そうと必死に首輪についた縄を引っ張る。

 

 マルコは敵意に満ちた視線をジョッシュに向けた。


 「メェェェッ!!」


 それは威嚇にも似た嘶き。


 ガブリッ!


 マルコは引き止めようとしたジョッシュの左の手の甲に噛みついた。


 「メェッ!!!」


 マルコはさらにもう一度鳴いて、ジョッシュと距離を置く。

 焼けつくような痛みよりも先に、マルコの見たこともないような敵意に満ちた様子にすっかり怯んでしまったジョッシュはそのまま動けなくなってしまった。

 マルコは鼻息を荒くしながら、速人のところにまで歩いて行ってしまった。

 当の速人も驚いた顔でマルコの姿を見ている。


 (侮っていた。この羊、武士もののふだったか)


 速人はマルコの頭を撫でてやろうとしたが、マルコは頭を強く振って是を拒む。

 その時速人はマルコに「敵と慣れ合う合うつもりはない」と言われたような気がした。

 やがてマルコに手を噛まれたジョッシュのもとにクリスとトマソンが駆けつける。


 マルコは最後の最後まで生涯の親友を見ることはなかった。

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