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第八十三話 優しい、という罪

 次回は7月11日に投稿するぜ。


 速人はパンチの軌道に沿って上体を後方に反らしてゆく。

 それは柳の枝葉が強風に揺られるが如くあえて攻撃に身を晒すことで人体へのダメージを最小限に抑えつつパンチの持つ威力を封殺しているのだ。

 傍から見れば可憐な少女クリスの左スイングブローによって速人によって吹き飛ばされているかのように見えるかもしれないが実際はそうではない。

 顔面にインパクトする瞬間をズラし、パンチのフォームに沿って力を受け流すことにより頭部へのダメージを抑えているのだ。

 さらに速人は背中から肩といった順序で後方に向かって横受け身を取る。

 速人が着地してから横転するたったそれだけの間で、クリスのパンチの威力はゼロになっていた。

 

 速人は立ち上がりながらさも得意気な表情で、ニヒルに笑った。


 「ダメージはゼロだけど、痛くないわけじゃないからな」


 ニッと笑った速人の大きな鼻から血がドロリと流れる。

 一方、クリスは手首と拳にダメージを受けた為に左手を抑えている。

 流浪の身とはいえ由緒正しき騎士の末裔であるクリスの実家は、家訓として子女に一族伝統の戦闘術を伝えている。

 その中でもキックボクシングとレスリングを合わせたようなオーク式格闘術は、師匠である父親から「クリスには天稟がある」と褒められたほどである。

 そしてクリス自身も幼い頃から手足の鍛錬を怠ったことは無かった。


 一応ここで言っておくがナインスリーブスでは男女の身体能力にほぼ差は無い。

 さらに猪頭人オーク族や巨人族といった女性が一族の長になる種族も珍しくはないのである。


 トマは慌ててクリスを引き下がらせた後、孫娘に説教を始めた。

 クリスが祖父か日頃の生活態度がどうとか、ケンカをする為に武術を教えたのではないと説教されて反省している姿を速人はニタニタ笑いながら見ていた。

 尚この一件が原因でクリスの速人への心証がさらに悪化したことは言うまでもない。


 「まあ、トマソンさん。彼女も反省しているようですから、そのへんで許してあげてくれませんかね?」


 「いや、しかし…」


 トマソンは速人の耳からも血が出ていることに気がつく。

 速人は懐から取り出したハンカチでさっと耳血を拭き取った。

 そしてクリスにウィンクをしてみせる。


 カチンッ!!


 クリスは即ギレした後、速人の右のわき腹に向かって前蹴りを放った。

 なかなかエグイ箇所を狙った攻撃である。

 クリスのつま先の先端が音速にも等しい速度で速人のわき腹を狙う。

 クリスの前蹴りは、速度もさることながら威力もかなりのものだった。

 一度、稽古につき合ってくれた父親の親友からダウンを奪ったことがある。

 しかし速人は避けもせずに腹筋を締めて、クリスの蹴りを正面から受け止めた。


 (人間の体じゃない!…これは岩ッ!?)


 クリスは一瞬、岩塊を蹴ったかのような感覚に陥り思わず後退してしまう。

 その直後、トマの拳骨がクリスの脳天に振り下ろされた。


 ごんっ!!


 痛みのあまりクリスは頭を抑えながらその場で屈みこむ。


 「クリス、いい加減にしなさい。お前は何か勘違いをしているようだな。さっき悪い人たちからおじいちゃんを助けてくれたのも、お前とジョッシュを助けてくれたのもそこにいる速人君だぞ?」


 トマソンはクリスにお礼を言いなさいと言うが、クリスは頑として受けつけない。

 それどころか速人の方をメッチャ睨んでいた。


 「フフフ…。そんな昔の話は忘れてしまいましたよ」


 理不尽な怒りをぶつけてくるクリスの視線を速人は軽く受け流す。

 そして、速人は肩をすくめながら、やれやれと首を何度か横に振った。

 クリスは今にも飛びかかってきそうなくらいヒートアップしていたがトマに羽交い絞めにされて止められていた。

 トマも内心では速人をバックチョークを極めて永眠させてやりたかったのだ。


 速人たちが漫才をやっている間に店の表にいたはずの雪近とディーとポルカ父娘おやこ、そして遅れてカッツとエリオットとセオドアとキリーがやって来た。

 エリオットとセオドアとキリーは暗い表情に変わっている。

 先ほどのエマがアグネスという人物の名前が出て来たことから察するに、エマとキリーの夫婦(※この時点では速人の推論にすぎない)とエリオットとセオドアは顔見知りである可能性が考えられる。

 

 速人は何となしに四人の姿を注意しながら見ていた。


 「おいおい。血が出てるじゃねえか、速人。そっちのお嬢さんのスカートでもめくっちまったのか?…痛っ!!」


 ポルカがお約束の親父ギャグを飛ばし、シスから早くも制裁を受ける。

 右の後ろ脛を狙った見事なローキックだった。


 ポルカの2メートルを越える巨体がたった一発のローキックで沈んでしまった。

 当のポルカは蹴られた箇所を必死で摩っている。


 「スリップダウンだぜ。たまにはシスにも花を持たせてやらなきゃな?…ぬがああああッ!!」


 ごすっ。


 今度は延髄に飛び膝蹴りが入った。

 ポルカは後頭部を抑えながら地面を転がっている。

 速人とトマは悲鳴を上げながらそこらを横転し続けているポルカから視線を外した。

 武士の情けというものである。


 ぺっ。


 シスは地面に向かってツバを吐いた。


 「”ドレスデの女は力で男を躾ける”と私の母が言っていたのでな。あくまで家訓を実践したまでだ。速人、馬鹿親父が失礼な事を言ってすまなかったな。話は変わるがトマソンたちと何か揉めていたようだが、理由を説明してはくれないか?」


 その頃、速人は両手で顔を覆いながら泣いているポルカを抱き上げて、後頭部と首のつけ根を撫でてやっていた。

 この手の出来事はエイリークの家では日常茶飯事であり、エイリークとマルグリットが夫婦喧嘩をする度に圧倒的な戦力差でエイリークがボコボコにされてその度に速人が慰めていたのだ。


 (男女の身体能力差が無い世界というのも大変だな…)


 速人は泣いているポルカに慈しみの込められた視線を向けていた。

 そして、シスに「もうちょっと待ってあげてね?」と目で合図を送る。

 

 シスは再度殴りかかろうとしたので今度はトマソンがなだめる役となって事なきをを得た。


 「問題というほどのことじゃないよ。エマさんがお店の事情で今日は肉の取引が出来ないって言ってたから、トマソンさんに俺が代わりに羊を買いますよっていう話をしていただけさ。ね?」


 「あ、ああ…。そんなところだよ。心配をかけてしまってもうしわけない」


 トマソンは暗い表情のまま、シスとポルカの父娘おやこに感謝の気持ちを伝える。

 シスとトマソンは知り合って間もない間柄だが、この時少なからずともシスはトマソンの態度にある種の違和感を感じていた。

 一方、ポルカはトマソンの様子から既に何かを感じ取っていたらしく娘の耳元で小さく「シス、あまり他所様の事情に立ち入るな。止めておけ」と囁く。

 シスはポルカの普段とは違うよそよそしい態度に苛立ちを覚えつつも黙っていてやることにした。

 何かといい加減な父親ポルカだが、人並みに苦労をしながら現在の地位を就いた男なのだ。


 その時、速人の近くまでトマソンの孫ジョッシュがやってくる。


 「ブウブウさんのお面を被ったお兄ちゃん!さっきはどうもありがとうございます!」


 「はははッ。つくづく命知らずだな、小僧。さてどんな死に方がいいか、今ここで選ばせてやろうか?」


 速人は顔面の筋肉を限界まで膨張させながら、強引に笑顔を作った。

 トマソンとクリスは慌てながらジョッシュを速人から引き離した。

 速人はポルカによって10メートルくらい離れた場所に運ばれている。( ← ソーシャルディスタンス )


 やがて速人の顔面が元のサイズに戻ってから会話は再開された。

 尚。ジョッシュには速人の顔があまりにアレだとかそういった悪意は一切ない。

 彼の言うブウブウさんとはそもそもナインスリーブスに広く伝わる「オベイロン王子の冒険」という童話に登場する猪の毛皮をかぶった妖精のことなのだ。

 主人公であるオベイロン王子の家来でありながら冒険の邪魔をしたり、欲張って失敗をして迷惑をかける愉快なお荷物の役どころとして多くの人々に親しまれている。

 秋の収穫祭には、子供たちはブウブウさんのお面を作ってお菓子をもらいに行くという習慣も存在する。 これは猪頭人オーク族に限った話ではない。


 「速人お兄ちゃん!お兄ちゃんがマルコを飼ってくれるんだね。マルコはとってもいい子だから大事にしてあげてね!」


 ジョッシュは羊の頬を撫でながら、目を輝かせている。

 その後ジョッシュの口から、今ジョッシュたちが暮らすオーク族の集落では自分たちの食料はおろか羊たちの食料となる牧草や水に不自由するほど貧しい生活をしていることが伝えられた。

 ジョッシュの話が終わる頃には姉のクリスは俯きながら両手で耳を塞ぎ、トマソンはさらに表情を曇らせていた。


 (ジョッシュはマルコがどうなるのかを知らされぬまま、ここに来たのか…)


 もとは家族に内緒でウィナーズゲートの町を訪れたはずのトマソンの荷車にクリスとジョッシュは乗り込んできたのだ。

 マルコが売られることになればどうなるか知るはずもない。


 「ジョッシュ。今日はもうお祖父ちゃん疲れちゃったみたいだから、マルコのことはあの変な顔のヤツに任せて家に帰りましょう。ねっ?」


 クリスはやや強引にジョッシュの腕を引いて荷車まで戻ろうとする。

 しかし、ジョッシュは姉の手を振り払って速人の近くまで戻って来た。


 「お兄ちゃん、どこに住んでいるの?今度僕、おやつを持って遊びに行くからさ。教えてよ!」


 ジョッシュは笑顔で右手を差し出す。

 友好の握手という意味だろう。

 クリスは両手で顔を覆い、声を殺しながら泣いていた。

 一刻も早くこの場から立ち去りたいという心境なのだろう。


 そして、速人はジョッシュの手を取りながら、トマソンの様子を見た。 

 トマソンはジョッシュたちの様子を心配しながらもあえて二人の姿を見ないようにしている。

 己の不甲斐無い自分に失望しているのだろう。

 しかし、世の中とはそういった幾つもの矛盾を抱えながら動いているのだ。


 何かを悟ったようにマルコが「メエェェ…」と大きな声で鳴いた。


 「残念だが、ジョッシュ。それは無理な相談だ。なぜならマルコは今日、死んでしまうからね」


 「えっ?」


 速人は深刻な口調でありのままの事実を伝えることにした。

 次の瞬間、ジョッシュの顔から表情が消えてしまう。

 間も無く周囲の建物を震わせるほどの大声が別の人物から発せられた。


 「待てや、ゴラアアアアアッ!!何も坊主の前で言わなくたっていいじゃねえか!!速人、お前には人間の心ってもんがわからねえのか!!」


 声の主はポルカだった。

 ポルカは目から大粒の涙を溢れさせ、鼻と口からも大量の水分を垂れ流している。

 隣にいるシスが仲裁に入らないところを見ると何か事情があってのことなのだろう。

 シスも非難が入った目で速人を睨んでいる。

 しかし、速人はポルカとシスの父娘おやこを無視してジョッシュからの答えを待った。

 ある意味、今回の事件は速人とジョッシュの一騎打ちでもある。

 仮に速人がこの勝負に勝てば二度とジョッシュと心を通わすことは出来なくなるだろう。

 だが速人にも肉を手にいてるという目的がある。

 なればこそ決して避けては通れぬ勝負みちだったのだ。


 「聞こえなかったか、ジョッシュ。マルコは今日、お肉になるからもう二度と会えなくなるんだよ。だからここでお別れって話だ」


 ジョッシュは大きな瞳から涙をボロボロとこぼしながら、速人の上着を掴む。

 だが速人は決してジョッシュの顔から目を逸らすことはなかった。


 「そんなの嫌だよ。速人お兄ちゃん、どうしてそんな意地悪をするの。さっきはお祖父ちゃんとお姉ちゃんと僕を助けてくれたのに?マルコとお別れだなんて絶対に嫌だよぉぉ…」


 そう言って最後には泣き崩れてしまった。

 速人は何も言わない。

 その時、速人の頬に向かってクリスの右手が振り上げられる。

 しかし今度はクリスの右手が振り下ろされる前に速人は手首を捻じり上げた。

 クリスは痛みを堪えながら速人を睨みつける。


 「どうしてジョッシュに本当のことを言っちゃうのよ!!弟はまだ子供なのよ!!私たちに合わせて嘘をついてくれたっていいじゃない!!」


 顔を上げたクリスは泣いていた。

 クリスもおそらくは自分たちが暮らす集落の経済的な事情を子供なりに察していたのだろう。


 「残念だったな、クリス。俺は今ジョッシュと話をしているんだ。これからマルコの運命を決めるのはお前やトマソンさんではない。ジョッシュ自信だ」


 ジョッシュは打ちひしがれて屈んだままになっている。

 己の無力を悟ったクリスは黙り込んでしまう。

 速人はクリスを解放した後に、ジョッシュに問いかけた。


 「ジョッシュ。これが最後の質問だ。お前が本当にそれを望むというのであればマルコは返してやろう。さあ、どうする?」

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