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第八十二話 ジェネラルシープ

次回は7月8日の投稿を予定しています。


※まな板をカッティングボードに変更しました。


 肉屋の裏は輸送用の牛や馬を繋いでおく為の畜舎と加工用の家畜を解体する場所が一体化したような構造になっていた。

 畜舎の方にはトマソンが連れてきた大きな野牛の姿をした使い魔と荷車の姿が伺える。

 荷車の後ろにかかっているカーテンの隙間からトマソンの孫であるクリスという少女が肉屋の裏口に現れた速人たちの姿を見ている。

 そして、目が合った瞬間にカーテンを締められてしまう。

 速人はクリスとジョッシュの無事を確認するとトマソンの姿を捜す。

 肉を加工した時に生じる独特の腐敗臭が漂う中、小窓から建物の中を覗いたりしながら速人はさらに奥に進んだ。

 建物の中にはまだ血の汚れが少しだけ残ったカッティングボード(※西洋のキッチンなどでよく見られる取っ手がついた簡易調理台の一種。厳密にはまな板とは少し違うらしい)、獣脂を落とし壁に欠けられた大ぶりの肉切り包丁などが置いてあった。

 察するに、騒動が起きた直後に仕事を中断させられたような状態だったのだろう。

 先ほど肉屋の店主キリーが言っていたように、少なくとも今朝まではまともに店を開けていたことが見て取れる様子だった。

 

 やがて速人は男女の会話の内容がはっきりと聞こえてくる場所まで辿り着く。

 

 現場では沈痛の面持ちといった感じのトマソンと肉屋の店員らしき服装の中年女性が肉屋の裏口の玄関の前に立っていた。


 「お願いします。もう少し高い値段で買っていただけませんか?」


 トマソンはさらに頭を下げる。

 もはや己の対面など気にしている場合ではないといった深刻な雰囲気であった。

 前のめりになり過ぎて転んでしまいそうな体勢になっている。

 しかし、相手の女性の方はほとほと対応に困っている様子だった。


 「あのさ、トマソンさんだっけ。商売上こういう話をするのは良くないんだけど、アンタの連れてきた羊を買ってくれるお店なんて無いと思うよ?どんなに事情があったってさ、10万QPなんて大金は出せないって。ウチにそんな大金なんてありゃしないし…」


 後半は小声になっていた。

 中年の女性店員はトマソンと目を合わせないようになっている。

 

 速人はトマソンの連れてきた羊を見つめた。

 全体的に毛色が濃いダークグレーの立派な体格をした羊には違いないが、残念な事にかなりの高齢であり性別もオスである。おそらく肉質は筋張って固く、臭みもかなりのものだろう。

 女性店員の言い分もわからぬわけではない。

 だが、それはあくまで素人目の話であり速人にはダイアモンドの原石に映っていたことは言うまでもない。

 速人からすれば、今挙げられた二つの短所も工夫を凝らせば解決できる問題でしかなかった。


 (ここは公証人としての技量の見せ所だな)


 速人はエア手袋をギュギュっとはめ直す仕草をしながら二人に近づく。


 「どうやらお困りのようですな、トマソンさん?」


 速人は春の木洩れ日のような微笑を浮かべながらトマソンに語り掛ける。

 トマソンと中年の女性店員は共に絶句。

 誰がどう見ても速人の存在自体が胡散臭かった。


 「驚いた。キミは、速人君か…。お父さん(※トマソンにはエリオットかセオドアが速人の父親に見えていた)とお使いはもういいのかい?」


 トマソンは少し潤んだ瞳を拭いながら速人に尋ねる。

 元の世界にいた速人の父不破鷹丸という男もかなり問題のある男だったが、エリオットやセオドアに比べれば、…(試行中)…やはり五十歩百歩の存在でしかないことに気がつき自己嫌悪に陥ってしまった。

 中年の女性店員は肩にかかった赤茶の巻き毛を触りながら速人の方を見ている。

 

 速人のやたらと大きなブタ鼻、丸顔。

 トマソンの多少くたびれてはいるが高い鼻と線の細い顔の輪郭。

 

 見れば見るほど二人の間に血縁関係にあるとは思い難い。


 「坊や。悪いけど今は()()()()とこのおじさん、お仕事の途中なんだ。遊ぶなら他の場所に行ってはくれないかい?」


 トマソンと速人は「お姉さん」という言葉を聞いた瞬間に女性店員からさっと視線を外す。

 二人は紳士だった。

 お姉さん(仮)はイライラしながら両腕を組んでいる。


 どうやら速人とトマソンは二重の意味で彼女を不愉快にさせてしまったようだ。

 

 速人は左右の踵を合わせ失礼をお詫び申し上げるといった風に頭を下げる。

 トマソンも速人と一緒に頭を下げた。

 お姉さん(仮)は自分の子供の子供くらいの年齢の子供に頭を下げさせたような気がして困った顔をしていた。


 「これは失礼、レディが大事な商談の途中とはつゆ知らず無礼な振る舞いをしてしまいました。何卒、お許しください。私の名前は速人と申します」


 ニヤリ。


 結果、速人の胡散臭さに磨きがかかってしまった。

 女性店員とトマソンの表情も微妙なものに変わっている。


 「そりゃどうも。アタシの名前はエマってんだ。よろしくね、速人。ところで坊やはこっちのおじさんとはどういう関係なんだい?」


 エマは親しみを込めて右手を出してくる。

 速人は軽く頭を下げた後に彼女と握手をした。

 雰囲気からしてエマはトマソンに手を焼いているらしい。

 如何にも何か思い事情がありそうなトマソンの様子を見れば無理もないかもしれない。

 だが速人にとってはトマソンの羊は当初の目的であるパーティーのメインディッシュに相応しい肉である。

 エマとトマソンの間に漂う暗鬱とした空気を払拭し、場を丸く収める為に速人自身が尽力しなければならないだろう。


 速人は落ち着いた様子でエマに話を持ち出す。


 「まあ、ウィナーズゲートの町に来る道すがら偶然知り合った仲というところです。ところでエマさん(※カ○ーユが{○マ中尉」と呼んでいる時のような感じで)、先ほどトマソンさんと貴女の間で大事な商談があるというお話をされていたようですが間違いありませんか?」


 速人が先ほどの会話についてエマに尋ねると、トマソンはそれまで速人に向けていた視線を逸らしてしまった。

 多分羊の話には触れないでもらいたい、という意志表示なのだろう。


 (助け舟を出したつもりだが、逆効果だったか?)


 速人はトマソンの動向に気がつかないふりをしながらエマの言葉を待つ。


 「そうなんだけどね。ウチにはお金が無いし、トマの羊は値段がつけられるような代物じゃないし。おまけに今日はデボラ商会の連中が通りで暴れて商売あがったりさ」


 「しかしトマソンさんの連れている羊は立派なものだ。もう少し値段を高くしても売る時のことを考えれば損はしないのではありませんか?」


 エマは速人の言葉を聞いた途端に眉間にしわを寄せる。

 速人はトマの近くにいる羊を見ながら話を続けた。


 「トマソンさんの連れてきた立派な羊はジェネラルシープですよね。ダナン帝国では高貴な身分の方々が家臣に褒美として与えるというお話を聞いたことがあります。大変高価な品種で普通の市場で取引されることは滅多にないとも聞いております」


 エマはさらに不機嫌そうな顔になっていた。

 そして、少しだけ怒ったような口ぶりで話始める。


 「まあ私も子供の頃から家畜をあつかう仕事をしているからジェネラルシープについては知っているけど、それはあくまで若いメスの羊の話だよ。第一、オスだけじゃあ子供は出来ないだろ。私と違ってその羊は若くないし。この町じゃあ相手に商品の出所なんか聞けはしないし、いざ肉をかっ捌いて売るにしても値段のつけようがない。最後にもう一つ、通商許可証を持っていない相手とは闇市といえどお金のやり取りは出来ないんだよ」


 トマソンは手元の羊を見ながら心底驚いているような顔をしていた。

 トマソンの家では今でも羊を飼ってはいるが、それはトマソンの祖父の遺言を守っているからであって羊の来歴自体は全く知らなかったからである。

 しかしエマの口から通商許可証が無ければ取引が出来ないという話を聞くとまた元のガッカリした顔に戻ってしまった。


 「お嬢さん、…エマさん、でしたか。そこを何とかお願い出来ませんか。今、私にはどうしてもお金が必要なんです。お金を持って家に帰らなければ病気の妻をお医者様に診てもらうこともできません。恥知らずの願いであることは百も承知です。どうかせめて1DCでも高く、この羊を買ってくれるお店を紹介してください」


 トマソンは地面に座り込んでエマに頭を下げる。

 その一方でエマは土下座するトマソンを見ながら顔を青くしていた。

 そして意外な人物の名前がエマの口から出て来た。


 「アグネス…。ごめんよ…」


 (アグネス。たしかエイリークさんのお母さんも同じ名前だったな)


 エマは、トマソンの妻が病という話を聞いて自分の過去を思い出していた。

 大昔、エマの友人は自分が病に冒されているのにも関わらず薬や包帯を病気のエマの母親の為に使ってくれと渡してくれた。

 エマは友人に自分の体を大事にしろと言ったが、その度に彼女は笑いながら大丈夫だと言ってくれた。

 それから間もなくエマの友人は幼い子供と夫を残して帰らぬ人となってしまった。


 戦後しばらくしてエマは同じような理由で都市の内部にいられなくなった夫と共にウィナーズゲートの町に引っ越すことになる。

 自分なりに考えて決着をつけたはずの過去だというのに、エマは会ったこともないトマソンの妻に亡き友人の姿を重ねて絶句してしまった。


 (このまま泣かれると厄介だな)


 速人は泣きそうになっているエマに配慮して助け船を出すことにした。


 「エマさん、トマソンさん。よろしければ今回の取引ですが、私に任せてはくれませんか。お二人に損はさせません。どうかご安心ください」


 速人は二人の注意を引く為に、わざと明るい調子で言った。

 エマとトマソンは同時に速人を見る。

 子供が出る幕ではない、とでも言いたいところなのだろう。

 どちらの視線にやや厳しいものが混じっている。


 「実は今回、私は急な用事でどうしても羊が必要になったわけです。そこで手を尽くして都市の中を捜したのですが、やはり見つかりませんでした。もしや都市の外ならば手に入るかもと思ってここまでやって来たのですが幸運な事にもお二人に出会うことができました。まずはこの奇跡に感謝したいと思います」


 トマソンは半信半疑といった様子で速人を見ている。


 速人は信用に足る人物ではあるが、いかんせん幼すぎる。

 孫娘のクリスか、もしくは孫のジョッシュとそう変わらない年齢だろう。


 「速人君。君の申し出は嬉しいのだが肝心のお金は用意できるのかね?」


 トマソンの希望する10万QPといえば、都市の”外”ではかなりの大金である。

 失礼な話だが速人のようなみすぼらしい姿の子供が用意できるような金額ではない。

 エマもトマソンの言葉を聞いて何度も相槌を打つ。

 速人は得意気に懐に手を入れて、はち切れんばかりのQP硬貨が詰まった布袋をトマソンに見せた。

 トマソンはすぐに袋の紐を解いて中身を確かめる。


 袋の中にはキッチリと10万QP分の硬貨が入っていた。


 「そして、こちらは仲介料になります。どうかお納めください、エマさん」


 そう言って速人は懐からトマに渡したものよりも小さな布袋をエマに渡そうとした。


 ざしゅっ!!


 エマは速人の手から布袋を奪取すると、すぐに紐を解いて中身を確認した。

 合計5万QP、”外”ではお目にかかれないほどの大金である。


 「まあ、私の過去はともかく、坊やとトマソンがここで取引する分に関しては概ね認めてもいいよ。このお金はそういうことだろう?がはははっ!」


 速人はニヤリと笑いながら頭を縦に振った。


 (これで第一条件クリアだ)


 この場でエマが仲介役として速人とトマの取引を見届けるというなら、通商許可証の問題は解決したことになる。

 エマの言動から察するに店主だけではなく彼女自身も通商許可証を持っている可能性があると考えた末の行動であった。

 エマは喜びを隠せぬといった様子で商売用の厚手のエプロンの内側にQP硬貨の入った袋を入れている。 その後でこの場は任せろと言わんばかりのガッツポーズまで見せてくれた。


 「さてトマソンさん。今度は貴方の番です。その立派な羊を、どうか私に…」と速人が言いかけたとほぼ同時に荷車からトマソンの孫娘クリスと孫のジョッシュが姿を現した。

 

 クリスはトマソンにジョッシュを預けるといきなり速人に向かって殴りかかる。


 「さっきはよくもウチのお祖父ちゃんを殴ってくれたわね!!」


 クリスは思い切り振りかぶってから速人の顔面の中心に拳を振り下ろす。

 人体の急所、鼻下に豪快なスイングブローを食らいながら速人はあることを考えていた。


 それは…。


 「以下、物語は続く。次回の黄金のリーサルウェポンにご期待ください」


 ちゃんちゃん!!

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