第八十話 オーサー・サージェント
肉屋編、始動!!次回は7月2日にドットチェンジだぜ!!
セオドアとカッツの買い物を手伝った後に速人は旧倉庫区画まで戻ることになった。
市場の雑貨屋で購入した大量の穀物やその他の生活用品を荷車に乗せる為である。
車は以前にサンライズヒルの町から貸し出された牛に引かせるという話をセオドアから聞いているので輸送手段の問題は解決している。
問題があるとすれば町に連れて行く難民や元デボラ商会で働いていたイーサンたちとの待ち合わせの時間である。
(特に待ち合わせの時間を決めていないが、さてどうなっているか)
速人は数人がかりで台車を引きながら、果たして待ち合わせ場所にどれほどの人間が集まっているかなどを考えている。
移動中にセオドアは「日が暮れるまでは待ってやろうぜ」などと気休めを言っていたが防衛軍や鋼の猟犬の存在を考えれば彼らを長い時間待っていてやることも出来ない。
体力が限界に近付いているカッツやなぜか一緒についてきているポルカとシスの父娘のことを気にかけながら、速人は集合場所の大きな倉庫の跡地を目指した。
「…」
そして速人が待合場所の目印となる青い屋根の大きな倉庫を見つけた時、絶句する。
そこでは明らかに想定外の人数分の喧騒が待っていたのだ。ぱっと見ただけでもゆうに百人近い人間が集まっている。
廃棄された倉庫の入り口近くでは男たちが世間話をしながら談笑している。
それらはほんのつい最近まで非友好的な関係にあったはずのイーサンと難民たちのリーダー格と思しき男たちだった。
やがてイーサンは速人と大きな台車の姿を確認すると手を振りながら走ってきた。
彼らの友好的な姿に安心したセオドアたちは歓迎していたが、こちらにはデボラ商会にとって宿敵にあたるポルカ父娘がいることを念頭に置いて行動している速人は沈痛の面持ちとなっている。
速人は素早くポルカの姿をチラ見したが、今のところは彼らをセオドアたちの仲間か何かと思って一緒に歓迎している。
だがしかし娘のシスは違和感のようなものを感じていた。
「おい、速人とやら。アイツらは一体どこの何者なのだ?サンライズヒルの住人ではあるまい」
速人は彼らの境遇のさわりの部分だけを答える。先ほどの父親との会話からも見て取れるように、シスという少女は周囲の状況を観察してから行動できる落ち着いた性格の持ち主らしい。
(この手のタイプには嘘をつかない方がいいな)
速人はシスにだけ聞こえるよう声の大きさに注意する。
その一方でポルカはセオドアたちと一緒にイーサンのところに行って自己紹介をしていた。
「あの人たちは、同盟の方から流れてきたって言ってたな。そうそう。後セオドアさんとエリオットさんの口利きでしばらくはサンライズヒルの町でお世話になるみたいなことも話してたっけ。まあ、こんなご時勢だから珍しくはないんじゃないか?」
シスは難民が身につけているボロボロの服を見て、落胆している様子だった。
(ポルカは社会勉強のつもりでシスをウィナーズゲートの町まで連れ出したのかもしれないが逆効果かもしれないな)
今、シスは救いようのない現実に心を痛めているのだろう。
「どこの町にも難民が来ているのか…。両親から聞いてはいたがこれほどとは思わなかったぞ。戦争は十年以上も前に終わったと学校の授業で習ったがそうでは無かったのだな…」
シスは俯きながら歯噛みする。
父親に無理を言って都市の”外”までやって来たというのに、過酷すぎる現実の一端を見ただけで絶望している自分自身の姿が何よりも許せなかった。
ばすんっ。
そして、シスは腹いせとばかりに速人の尻にミドルキックを入れた。
後ろから尻に食らった蹴りのダメージで速人は表情を引きつらせる。
速人は猪頭人族そのものを徐々に嫌いになっていた。
「何だ、その顔は。文句があるなら言ったらどうだ?」
シスは相変わらず偉そうに腕を組んでいる。
速人はニッコリと笑いながら答えた。
「シスさんは外見と内面。お父さまによく似ていますね」
その後、ぶち切れたシスが速人に何度もミドルキックを放ったがガードが間に合ったので攻撃する側が自爆する結果となってしまった。
その後、速人は台車から大きな荷車に向かって大麦が入った袋を運び込んでいた。
イーサンや他の面子と仲良さげに話し込んでいるセオドアたちの隣を通る際には「荷物!!」という檄を飛ばすことは忘れない。
大人たちは苦笑しながらすぐに台車の方に向かって大麦や大豆の入った袋を次々と運びに行った。
時間にして十分と経過しないうちに荷運びの仕事は終了する。
ポルカやシスも手伝ってくれたので予想よりも早く終わらせることが出来たのだ。
荷車はイーサンや他の者たちが持っている牛も協力して引いてくれるという話で決着がついている。
ポルカは大人物らしく「何か困ったら俺に言え」みたいなことを言って話に混じっていた。
(やっと終わったか。俺とゴミ共の関係もここまでだ。つくづく清々したぜ)
速人はぜいぜいと息を荒くしながら大股で町に向かう。
その後ろ姿を雪近とディーが走って追いかけて行った。
さて舞台は変わり、話はやや遡る。
ポルカの部下によって防衛軍に連行されたデレクに関係する話だ。
現時点のデレクは、速人によって両肩と肘の関節を外され上半身を縄をぐるぐる巻きにされた状態で留置場に入れられていた。
幸か不幸か角小人族の騎士コルキスはウィナーズゲートの町で起きたデボラ商会と鋼の猟犬の抗争による被害報告を数名の部下から聞かされていたので、デレクと直接会うことは無かった。
デレクは地面に横たわりながら死罪を免れることだけを考えていた。
防衛軍の天幕は戦時中、兵舎として使われていた建物が含まれる土地の上に建てられている。
デレクが現在拘留されている留置場などはかつて牢屋として使われていた部屋だった。
デレクは通路と部屋を分けている鉄格子の方を見ていた。
一見、魔術の類がかけられているようには見えないが第十六都市に限らずどこの国の防衛機構というものは犯罪者ごときにつけ込まれるような隙は作らない。
それは、デレク自身がレッド同盟の軍人として活躍していた頃に嫌というほど思い知らされたことでもあるのだ。
デレクは意図して小窓や扉のついている鉄格子の方を見ないようにしていた。
なぜならば、外に逃げ出したところで行く当てなど存在しないからだ。
デボラ商会を立ち上げる前から世話になっていたアボ商会という組織にはさんざん不義理を働き、今は関係は一方的に断絶されている。
古巣とはいえ見つかれば命はない。
もっと厄介なのは「新しい空」という得体のしれない新興の組織だった。
連絡役のオーサーという男はやたらと親身になって接してくれたが彼以外のメンバーはロクに接触してくることさえ無かった。
かの組織は有用な稼ぎ口と仕事のわりには高額な報酬こそ与えてくれたが、それらを受け取った後には「決して組織の名を口外するな」という脅しをかけてきた。
デレクは今の今まで考えもしなかったのだが、彼らは最初からデレクたちを信用していなかったかもしれない。
牢屋に放置されて十数分後、速人に剥がされた頭皮がズキズキと痛むようになってきている。
いつしかデレクは仲間かもしれないと思い込んでいるオーサーの顔を一目だけで見たいと考えるようになっていた。
「旦那。デレクの旦那、お加減はいかがですか?あっしです。オーサー、オーサー・サージェントですよ」
「オーサー!お前か!よく来てくれた…、痛ッ!!」
どこかで聞き覚えのある声を聞いて、デレクはその場でがばっと跳ね起きた。
デレクは起きるその際に、誤って右手をぶつけてしまって思わず呻いてしまった。
せっかく閉じたはずの傷口から血が滲んでいる。
オーサーはデレクを心配して鉄格子の近くまでやってきて身を屈める。
そしてキズの痛みが収まるまで話を待つことにした。
「ハアハア…。色々と迷惑をかけてすまないな、オーサー。ところで俺の事は助けられそうか?」
オーサーは留置場の入り口を一度見た後、小声で答えた。
デレクは己の迂闊さを反省しつつ、耳を傾ける。
圧倒的な窮地に身を置いているが今はまだ敵陣の真っ只中にあることに限りないのだ。
額から出た汗がタラリと地面に落ちる。
「ご安心ください、デレクの旦那。ここの防衛軍の連中はお上品な連中なので囚人に拷問なんて真似はいたしません。旦那のお体のご様子から察して、事件の取り調べをを受ける前に都市の中にある囚人用の病院に入ることになるでしょう。んで、その時に就寝中の旦那の心臓が急に止まって死体は外に運び出されるという寸法に仕上がって御座います。筋者とはいえ死体にご無体を働くような罰当たりはいますまい」
「また死体役か。俺は生きている間に何回同じ事をやればいいんだ。全く…」
数年前、デレクは同じような手段を使って同盟から脱出した経験がある。
当時もオーサーから力を借りて命からがら軍から逃げ出してきたのだ。
どこの国の軍隊でもスパイ行為と横領を同時にやってしまえば死罪は免れない。
(これも因縁というヤツか。つくづく世の中というものは世知辛いな)
デレクはわざとに寝返りをうってオーサーに背を向けた。
監視役の兵士たちには二人が中が良くないということを印象付ける為である。
オーサーも扉に背を預けてデレクからび報告を待つ。
そして、その間もしきりに扉の近くを警戒することを怠らない。
コルキスが不在とはいえ、この天幕に集まっている兵士のほとんどは勇猛で名高い角小人族の出身ばかりだ。
正規の軍人ではないデレクが敵う相手ではない。
デレクの本領は腕っぷし自慢の荒くれものたちをまとめることにあるのだから。
しかし、肝心の配下の者たちも捕縛もしくは殺害されるかして姿を消している。
失った組織と部下のことを考える度にデレクは頭痛に悩まされた。
「大丈夫ですって。デレクの旦那は健在なら、いくらでもやり直しができますから。…ねッ?ところで旦那、無礼失礼は重々承知していますがさらさらっと軽くでかまいませんから今回の経緯なんかを話してくれませんかね。一応、経過とか事後報告受けないとあっしのような下っ端は上からこうがーっと怒鳴られるわけなんですよ。へへっ…」
オーサーが下卑た笑顔を浮かべると、彼は想像通りの小者にすぎぬとデレクは安堵を覚えた。
そして、デレク落ち着きを取り戻した頃に事件について語り始める。
背を向けているデレクは気がつきもしなかったが、その時のオーサーの声色は卑屈な小者といった様子だったが彼のデレクに向けている視線には明確な敵意が込められていた。
「実はな。昨日、都市の内部に潜入している連中が戻らなかったんだ。おかしいと思って都市の中に使いをやったら殺られちまった後だったらしい。ここまでが今朝の話だ。後はポルカの馬鹿が手下を連れて事務所に乗り込んできて、町から出て行けってぬかしたんでケンカをふっかけたら負けちまったんだ。それで散り散りになって逃げてる途中にポルカの放った人食いイノシシ(※速人のこと)に襲われて、まあこうなっちまったわけだ。ちなみに兄弟たちもみんな人食いイノシシに食われちまったよ」
オーサーはそれまで黙って聞いていたが、イノシシの話を聞いた途端に素っ頓狂な声を上げる。
「イ、イノシシ!?ポルカの野郎はそんなものを町の中に放しやがったんですか!?」
オーサーは周囲を見まわした後にデレクに向かって何度も頭を下げた。
下手をすれば兵士が様子を見に来てもおかしくはないほどの大声を出してしまったのである。結果として如何にも小者といった落ち着きのないオーサーの態度にデレクは警戒の度合いをさらに緩めてしまったのは怪我の功名というものだろう。
「…お、応ともよ。昔からあの犬っころは手加減というものを知らねえ。所詮犬っころは犬っころだな…」
オーサーはデレクの話をさも感心しているかのように聞いていた。
逆にデレクの方はオーサーの真摯な態度に後ろめたさを覚える。
そもそもポルカは話し合いで済ませようとしていたのに、先に手を出したのは他でもないデレクたちの方だった。
結果は丸腰のポルカ一人に全員がのされるという散々なものだった。
そして、ケンカでポルカ一人にボロ負けしたことへの仕返しとして手下を使って町中に火をつけて回ったのもデレクの指示によるものだった。
オーサーは相槌を打ちながらデレクの話を聞いている。
しかし今日に限っては、いつもと変りない態度のオーサーの事が少しだけ恐くなっていた。、
「オーサー。後な、お前が持ってきた例の武器だが多分防衛軍の連中に取り上げられちまったんじゃねえかと思う…」
「そんな事でしたらお安い御用ですよ。後であっしが軍の連中から取り返してきますから」
「ああ、そうか。それなら、いいんだ」
「最後に旦那。これが一番重要なお話なんですけどね。デレク・デボラってのは旦那の本当のお名前なんですかね?」
オーサーは目を輝かせながらデレクに尋ねる。
(コイツはこんな話をする男だったか?)
デレクはオーサーの態度に一瞬だけ違和感を覚えたが、不意に聞こえた兵士たちの声を気にして焦りながら即答してしまった。
今回のオーサーとの会話で一番気をつけなければならないのはここだったというのに。
「ああ。そうだ。別に大した名前じゃないが、お前も知ってると思うが故郷じゃあエルフ姓じゃないと馬鹿にされるからな」
次の瞬間、オーサーが何か言ったような気がした。
まるで黒いヴェールを被せられたような、デレクの視界が不確かなものに変わっていく。
この感覚は魔術をかけられた時のそれだった。
「問おう、お前がデレク・デボラか?」
(そうだ。デレク・デボラが俺の名前だ)
デレク自身何故そう思ったのかはわからない。彼の理性は質問に答えることを拒否していたが、声に秘められた誘惑めいたものに導かれるがままに答えを口にしてしまった。
「はい…」
デレクは口を開いた直後に意識を失ってしまった。
オーサーは気を失ったデレクの姿を見ながら身につけているものを調べる。
この時点においてデレクの裏切りは明白だったが、まだ他の者に彼が誰の命令を受けて動いていたかを知られるわけにはいかないのだ。
そしてオーサーはデレクのズボンのポケットの中から護石を見つける。
それこそがデレクが闇組織”新しい空”に関わった人間である証拠だった。
オーサーは護石を懐に収めると何食わぬ顔で防衛軍の天幕を出る。
その後、永久にデレクは眠ったままで意識が戻ることは無かった。
夢と現実の狭間の世界でデレクの身に何が起こったのか。それが語られるのはまだ先の話である。




