第七十九話 カッツの憂鬱
次回は6月29日に投稿します。次回は、ついに肉屋です。肉屋で肉を買います。
そして強敵「七節」も登場します。さらに肉の宝分け。今年も夏が熱いです。
「速人。俺はこれから両替商を捜しに交易所を目指そうと思うが一緒に来てくれないか?」
そう言ってカッツが微笑ながら速人の肩を叩く。
しかし、速人は肩の上に乗せられたカッツの手を素早く振り払った。
「なあ、カッツさん。そろそろ俺じゃなくて別の人を頼りにするっていう選択肢が出てきてもいいんじゃないか?」
速人はそれとなくセオドアとエリオットの姿を見る。
「念の為に言っておくが、僕には無理だぞ」
「~~~♪」
エリオットはウィンクしながら答える。
なぜか誇らしげな顔をしていた。
セオドアは下手な口笛を吹きながら速人から背を向けていた。
そこにどしどしと足音を立てながらひたすら空気を読まない巨漢ポルカが現れる。
すぐ側にはポルカと顔立ちの良く似た子供を連れていた。
「デレクの野郎は無事に防衛軍に引き渡したぜ、セオドアとエリオットの兄弟。少ないが手間賃だ。取っておいてくれ」
ポルカはセオドアに向かってQP硬貨の入った小さな革袋を投げる。
エリオットに金を預けないところを見るとポルカと二人のつき合いはそれなりの長さであることを予想させた。
セオドアは袋を受け取った後に速人の方を見たが、速人は「今後必要になるかもしれないから金は持っておけ」と目配せで伝える。
セオドアは苦笑しながら首を縦に振った後、革袋を腰に付けている道具入れの中にしまった。
「ボウズにはコイツだ。よく噛んでから食うんだぞ?」
「ありがとさん。次はつまみ食いしてない肉をくれよな」
ポルカはつまみ食いのくだりを笑って誤魔化しながら堅そうな燻製肉の欠片を速人に渡した。
少し齧った跡があるのは気のせいではないのだろう。速人は日本人に比べて極めて不衛生なイメージのある西洋人への偏見と嫌悪感をいっそう強めながら燻製肉をハンカチに包んだ後、リュックの中に入れる。
その時、対面の方から視線を受けていることに気がつく。
「親父。本当に人間の言葉を話すイノシシの子供というものがいるんだな。いつものホラ話かと思ったぞ」
「おいおい。それじゃあ俺は毎日ウソついてるみてえだろうがよ。ちったあ、俺っての言うことも信じてくれてもいいんじゃねえのかい?」
ポルカの娘と思われる少女は口調こそぞんざいなものだったが、父娘の仲は良好に見えた。
あくまで速人の私見にすぎないが父親の仕事を理解し、自ずからその職場までわざわざやってくるのだから親子間の信頼関係がしっかりと築かれているということなのだろう。
速人に関する個人情報を人類の一員ではなく、哺乳類の仲間と区切っていること以外はポルカのことを信頼してもいいかもしれない。
「速人。ちょっとこれを見てくれ」
速人がそんな事を考えながらポルカ親子を眺めているとカッツがサンライズヒルの町から背負ってきた大きなリュックの口を開けて中から家から持ってきた家財道具を取り出して見せてくれた。
第十六都市に限らずドワーフ族の作った工芸品は高い値で取引される。
これらの品々を古道具屋にでも売りさばいて当面の生活費として工面するつもりなのだろう。
(だがしかし、それをここでどうしろと言うんだ。お世辞にもこの辺は治安が良いとは言えない場所だぞ)
速人は盗人の類がいないか周囲を警戒していた。
そして速人の心配も気にせずにカッツは話を続ける。
(わりとコイツも話を聞かないヤツだな)
速人は遠間でセオドアと一緒に露店を見て回っているエリオットとカッツの姿を見比べていた。
「別に値打ち物ってわけじゃないんだが、今は必要ないから家から持ってきたんだ。他に故郷から持ってきたDC硬貨だ。速人が一緒にいてくれればきっと良い値段で取引してくれるだろうってセオドアが教えてくれたからここまでついて来たんだけど、もちろん一緒に来てくれるんだよな?」
その後、カッツは嬉しそうに家から持ってきた道具について語ってくれた。
ランプや手鏡といった生活道具に始まり、果てには香料の入った壺やゼンマイ式のオルゴールのような嗜好品も揃っていた。
今までは信頼できる相手がいなかったので、これらの品々を売る機械さえ無かったという話だ。
しかし、その信頼に足る相手というのが速人のような子供というのは如何なものなのだろうか。
速人は口にこそ出してはいなかったがカッツたちの将来に不安を覚える。
和気あいあいと語り合う速人たちの中にぬっと背の高い男が割り込んで来る。
現在の独活の大木ランキング第一位、ポルカだった。
ポルカはしかめっ面でカッツの持ってきた道具を見ている。
「何だ、兄さん。アンタ、ドワーフ野郎だったのか。チッ、助けて損をしたぜ」
それまでの友好的な雰囲気と変わって、ポルカの口調の中にある種の険しさが混じる。
さらにポルカの厳つい風貌が加わって圧力感になっていた。
(これも隊商をまとめる男の貫禄というヤツか)
速人は一寸考えた後にカッツに悪意が無いことを伝える為に、ポルカの前に立とうとしたところ先にポルカの娘が父親の脛に蹴りを入れていた。
「痛ッ!!何すんだよッ!!部下の前で俺っちを蹴るなって言っただろうがッ!!」
ポルカは蹴られた箇所がよほど痛かったのか、左脚一本でケンケンをしながら立っている。
巨木のような脚の脛の部分は見事なまでに赤くなっていた。
いつまでも情けない大声を出している父親を娘がもう一度睨みつける。
ポルカは気圧されて、すぐにおとなしくなってしまった。
当のカッツは緊張のあまり冷や汗を垂らしながら事態を見守っていた。
「すまない。ドワーフの人。この馬鹿親父はドワーフやエルフに見境なくケンカを売る悪癖があるんだ。別にアンタのことを特別嫌っているわけじゃないから安心してくれ」
「こちらこそ。助かったよ、お嬢さん。こちらに引っ越して来て日が浅いので勝手の違いというものがわからぬくてね。面目ない」
少女はペコリと頭を下げる。
少女の思い切った行動に驚きながら、カッツも感謝の意を込めて頭を下げた。
カッツはこれまで故郷からサンライズヒルの町に到着するまでに多くの融合種と思しき人間から何度も中傷を受けている。
父ハイデルから日頃から言わていることだが、故郷に残った同胞を見捨てて逃げてきた身の上なのだからこればかりは文句のつけようがないというものだった。
難癖をつけてきた少女の父親のポルカも居心地の悪そうな顔をしている。
本意から行動に出たというわけではないのだろう。
速人は良い雰囲気で争いの場が収まりつつあることを察し、その場を離れようとした。
ぐいっ。
しかし、何者かに左耳を引っ張られその場に止まることを余儀なくされる。
「この分からず屋の馬鹿親父は犬妖精族の出身だが、私はお袋と同じく猪頭人族だ。融合種と眷属種の良いところは知っているつもりだから安心して欲しい。ついでに、この馬鹿親父は後でお袋に苦行の全てを密告してキツイお仕置きを受けてもらうつもりだ。ところで話は変わるが、この見てくれの悪い猪豚の子供は貴方のペットか?市場で売り捌くつもりなら是非私に譲って欲しいのだが!!」
少女は目をキラキラと輝かせながら速人を自分の胸元に引き寄せた。
速人は何も言わなかったが、大きな瞳を昭和の怪奇漫画に登場する怪物のように血走らせている。
そしてカッツに向かって「早く何かリアクションを起こせ」と目配せをする。
「おい、シス。言っておくがお前、俺っちの許可も無しにペットを飼うなんてことは許さねえからな」
ポルカは泣きべそをかきながらシスと速人を睨んでいる。しかし、シスは父親の言葉など一顧だにせずといった様子でカッツからの返事を待っている。
「お嬢さん、その男の子は速人といって立派な新人の一員なんだよ。彼に関しては、俺はちょっと前に知り合ったばかりなんだけどそこのキチカの方が詳しいんじゃないかな?」
カッツはどう答えたものかと、後半は雪近に丸投げするような返事をする。
ポルカは愛娘と親しくしている自分以外の男(※カッツは妻帯者)に敵愾心を抱き、速人は優柔不断を地で行くようなカッツの対応に大きな不満を持っていた。
カッツは前後から強烈な圧迫感に襲われ、雪近の後ろに隠れてしまう。
当然の成り行きとして、カッツは速人とポルカの両方から恨みを買うことになった。
「おい、キチカ!そうなのか?この速人という名前の猪豚の子供はお前のペットなのか?」
「シスのお嬢。速人と俺は多分、同じ国から来た人間ですよ。話によればかなり先の時代から来たみたいなんですけど」
雪近はこの一か月で速人の暮らしていた時代の日本の話を何度か聞かされていた。
その中でも徳川幕府が無くなったなどは、にわかに信じがたい話である。
雪近が第十六都市に来てから出会ったもう一人の同郷の人間が故郷についての話をした際に言葉を濁していたのはこういった事情からかもしれない。
「馬鹿を言うな、キチカ。それではうちの親父が渡世の兄と慕うヨオの叔父貴と同じ種族ということになるぞ」
その後、セオドアとエリオットが協力して説得してくれたのでシスは何とか引き下がってくれた。
どうやらシスは親しい友人の誕生日に珍しい動物をプレゼントする為に食い下がっていたという理由らしい。
速人はシスの話を聞きながら、その影にドレスデ商会の豚姉妹の存在を薄々と感じていた。
一方、雪近はすっかり全身汗まみれになってため息をついていた。
何せ相手は幼いシスばかりではなく、嫉妬の鬼と化した巨漢ポルカと殺意が込められた視線をひたすら向けてくる速人がいたのだ。
下手をすれば一生分の神経をすり減らされたかもしれない。
結局その後、速人はカッツと一緒に交易所に行くことになった。
その際に後ろから仕事を終えて手持無沙汰になったポルカとシスが当然のように同行していきたが、平常心を保つ為に最初からいないものとして考えることにする。
交易所では、自身の複雑な境遇を説明することができないカッツに親身になってくれた白小人族の古銭商の男がDC硬貨を相場通りの金額でQP硬貨に交換してくれるという喜ばしい出来事があった。 今まで不幸な出来事が続いたせいかカッツは涙ぐんでQP硬貨の入った袋を受け取っている。
速人はその光景をまんざらでもない様子で眺めていた。
そして、その隣では大柄な身体つきのわりに涙もろいポルカが肩を震わせながら泣いている。
後で雪近に聞いた話では今でこそ人前で大胆に振る舞っているポルカだが若い頃は出自のせいでかなりの苦労を強いられてきた経験があるらしい。
その後ポルカはシスに蹴りを入れられておとなしくなってしまったが、代わりにカッツと意気投合していた。
速人はセオドアたちのつき合いで大麦や穀類の買い出しにつき合い、いくつもの露店を出入りすることになった。
その際はなるべく”鋼の猟犬”と”デボラ商会”の抗争で被害が出た店を使うように頼み、キズモノになってしまった商品を定価で購入した。
店主たちは困惑した顔で引き取ってくれるなら値引きをすると言ってきたが、その時にはエリオットの王子様スマイルを使って「困った時はお互い様ですよ」と言わせて説得した。
「なあ、速人。向こうが値引きしてくれるって言ってくれるんだから、好意に甘えてもいいんじゃねえか?」
セオドアは店から借りた台車を引きながら速人に尋ねる。
速人は大麦の入った袋を2、3個いっぺんに持ち上げながら答える。
エリオットとポルカも負けじと大麦の袋を持って台車まで運んでいた。
「この先の季節サンライズヒルの町はでよそに売らなければならないほどの農作物が出来上がることだろうよ。くっくっく…、その時はまずどこに売りに行くつもりだ?」
速人はそう言ってニンマリと笑った後に再び店の裏口に向かって行った。
一人になったセオドアは何も言わずに速人の持ってきた大袋を台車に乗せる。
(値のついた”恩”は相応の金額を支払えばいい。しかし、値段のついていない”恩”はどうやって支払えばいいのか)
セオドアは自分たちの将来に一抹の不安を覚えながらも黙々と作業をこなしていくしかなった。
その後、かなり暗い表情になっているセオドアを見つけた皆が心配するのは別の話である。