第七十二話 天馬の騎士コルキス
次回は6月8日に投稿するヨ!いろんなおじさんが大集合の話になるよ!
第十六都市の防衛軍の役割とは即ち都市の防衛と治安維持にある。
その防衛軍が部隊の一部を分けて下層のさらに外側に出てくるともなれば相応の理由があるというものだろう。
速人はテントの入り口付近に立つ軍人たちの様子に気を配りながら、コルキスの居場所を目指した。
敷地内を歩き回っている上下から装備がきっちりと揃っている兵士たちも余裕がないらしく特に声をかけられることもなかった。
もっとも速人自身がある程度自分の気配を遮断しながら移動する術を持っているということも加味しているからのことである。
敷地内に配置されていたのは角小人族を中心に構成される百人未満の部隊だった。
ねじ曲がった角を模した飾りと甲虫類のような意匠が目立つ装備から推測する。
部隊というだけあって兵士たちの動きそのものが一定のリズムに従って整えられている。年齢は二十から三十代の男性がほとんどであり、現場監督的な存在として四十歳くらいの男とテントの奥にある椅子に腰をかけている初老の男が一人いた。
クリーム色のおかっぱ頭で、後ろの髪は三つ編みにしてまとめている。
赤茶、焦げ茶、黒い髪ばかりの角小人族には珍しい薄い蜂蜜色の髪をしているので、速人は遠くからでも特徴を見て取れた。
初老の男の正体は、過去に第十六都市の防衛戦において何度も侵略者たちから守ってきた生ける伝説の主たちボルク隊において天馬の騎士と呼ばれたコルキス・ホーテンスタインだった。
コルキスは部下から手渡された布製の綴じ本に目を通しながら、部下たちの様子を見守っている。
視線に気がついているせいか四十代くらいの隊長格の男の動きが少しだけぎこちないものになっていた。
コルキスの性格については物腰は「穏やか、内面は烈火の如し」とエイリークとダグザから聞かされている。
速人は兵士たちに(お気の毒に)と苦笑しながらコルキスの場所まで歩いて行った。
その時、偶然速人の姿を見つけた青い鎧を身につけた男が速人の前まで気持ち駆け足といった様子でやって来る。
テントの中で走ろうものならばコルキスにどやされるからだろう。
速人はこれをコルキスと会話する機会と考えて男の到着を待つ。
やがて速人の前に部隊の中でも最年少と思われる男が現れた。
鎧は凝った衣装の立派なものだが、まだ鎧に着られているといった印象が強い。
男はせっかくの端正な顔立ちを歪ませながら、速人に向かって説教を始める。
「おい、小僧。どこから入った。ここはお巡りさんの…、いや物凄く恐いおじさんがいるところだぞ。怒鳴られる前にさっさと出ていけ」
そう言って男は外に向かって手を振って速人を追い出そうとした。
青い鎧の男は出入り口の近くでテントの内と外の様子を気にかけている様子だった。
「お忙しいところをすいません、騎士様。私は速人いうものですが、ここにコルキス様という方はいらっしゃいませんか。緊急の用事につき、どうかお取次ぎください」
速人は出来るだけ丁寧に挨拶をした後に、お辞儀をする。
しかし、男の方を何が何だかさっぱりといった顔つきで速人の方を見ている。
男の側からすれば、そもそも目の前にいる人類というよりもモグラの親類と名乗った方が似つかわしい容姿の子供が何ゆえに自分の上司の名前を知っているのかということからして腑に落ちないことだらけだったのだ。
さらに速人という子供のみすぼらしい顔と服装からして眷属種の一員である可能性は皆無であった。
(これ以上叔父貴の機嫌を損ねて俺までとばっちり受けてたまるか)
プラス、目の前の小さな仕事を一刻も早く終わらせたいという考えもあったので男は速人の手を掴んで出口まで連れて行こうとした。
ムカッ。
雑なあつかいを受けること最初から承知の上だったが、ここまで態度をハッキリされると腹が立つというものだ。
速人は不用意に伸ばしてきた男の手首のつけ根を取り上げて、一気に捻じり上げる。
次の瞬間、男の悲鳴がテント内に木霊した。
「ぎゃあああああッ!!痛い!!痛い!!痛いィィッ!!ママッ!パパァァーーッ!!」
すごく残念な結果となってしまった。
速人も右手を極められたまま、あたり構わず泣き叫ぶ若い騎士の姿を見てはガッカリするなというほうが無理な話だった。
おかげで男のことを心配した他の隊員たちが「またか」とか「またアイツか」と愚痴を言いながら速人の側に集まって来てしまったのだ。
しかし、運の良いことに目当てのコルキスも椅子から立ち上がって速人の近くまで歩いてくる。
速人は若い騎士の関節技を解くとコルキスの方に向かって歩いて行った。
「コルキス様。この度は火急の用につき、お騒がせしてもうしわけありません。ここ一月の間、エイリークさんのお家で世話になっている速人で御座います」
速人はコルキスに向かって頭を下げた。
後ろで仲間たちに取り押さえられながら抗議をしている騎士には目もくれない。
コルキスは目を細めながら速人に向かって礼を返してくる。
「これはどうもご丁寧にありがとうございます、速人殿。先ほどはうちの若いのが失礼をしました。ところで火急の用件と仰っておりましたが、いかなるご用件でございますか?」
その時、目に涙を浮かべながら青い鎧の男が会話に割り込んできた。
「聞いてくださいよ、叔父さん!この気持ち悪い顔をしたガキがいきなり私の腕をこう雑巾みたいにぎゅーって絞ってきたんですよ?」
ガスンッ!!
コルキスは拳を鉄槌の形に握り直した後、青い鎧を着た騎士の頭に振り下ろした。
その髪の毛と同じ薄い蜂蜜色のまつ毛に覆われた青い瞳はいつもと変わらぬ優しいものであったが、何というか全然怒っていた。
コルキスの普段は透き通って見えそうな白磁の肌も薄らと赤くなっている。
男の心は今だかつてないほど恐怖に支配されていた。
「時に、トラッドよ。職場では私のことを叔父と呼ぶなと何度言った?」
コルキスの放つ雅やかな雰囲気が一転して鬼軍曹のそれに変わる。
次の瞬間には青い鎧の騎士トラッドの様子を見る為に集まっていた他の騎士たちは次々と持ち場に戻っている。
コルキスは両腕を組んで地面に膝をつくトラッドを見下ろしていた。
(次の説教は長そうだな。助けてやるか)
速人は上手く空気を読んでコルキスに用件を伝えることにした。
「コルキス様。こちらのトラッド様は私のような子供が貴男の職場に無断で立ち入ろうとしたことを注意したのです。むしろ職務に忠実な騎士様ならば当然の対応でしょう。皆さま方におかれましてはこの度はご迷惑をおかけしてもうしわけありません」
速人はテント内の騎士たちに向かって深々と頭を下げた。
コルキスは面食らった様子で照れ隠しとばかりに襟元を正した後に、またいつもの優雅な雰囲気を持つ騎士に戻る。
しかし、トラッドは目に涙を溜めながら速人に憎悪の籠った視線をぶつけていた。(
小肝者め)
速人は心の中でハンカチの端を噛みながら半べそをかいているトラッドをせせら笑う。
「時に速人殿。私を訪ねて帷幕を訪れたとお聞きしましたが、火急の用件とは一体どのようなことでしょうか?」
「実は帝国騎士のドルマ様が、エイリークさんを訪ねてこの場所まで来ているのです。しかし、ドルマ様は帝国軍に籍を置く御方です。第十六都市の正面の門から入れば大事になってしまうことは間違いありません。そこで波風を立てぬよう都市の内部に入る為にコルキス様のお力を借りようと思って尋ねさせていただいた次第で御座います」
速人の口からドルマの名前が出た瞬間、コルキスの表情が険しいものに変わった。
「なるほど。よくぞこの老いぼれを頼ってくれました。早速私の方から…」
コルキスは佇まいを正しながら出入り口に向かおうとしたが、速人はそれよりも先回りをしていた。
「俺が今すぐドルマ様と副官の方をお連れしますから、コルキス様とトラッド様はここでお待ちください」
速人は一礼した後に背中を向け、ドルマたちの待つ場所まで走って行った。
コルキスは何かを言おうとしたが既に速人の姿は無かった。
コルキスが呆然としていると背後から驚愕の表情を隠せぬままのトラッドが声をかけてきた。
コルキスには悪いと思いつつも、速人との話を聞いていたのだ。
「あの小僧、本気ですか?よりによって首刈りのドルマをここに連れてくるなんて…。子供の冗談なんて言葉じゃ許されたもんじゃないぞ」
トラッドは十数年前の戦いで足に怪我を負い、現役を退いた父リンツからドルマの勇名について嫌というほど聞かされていた。
しかし、今は父に聞かされたドルマの武勇伝よりも教師、上官、同僚から聞かされたドルマの良からぬ噂から生まれた先入観の方が強くなっていた。
コルキスとトラッドの父リンツは血は繋がっていないが兄弟の関係にある。父の命の恩人であり、伯父であるコルキスを危険に晒すなどトラッドの信条が許すはずもなかった。
「心配するな、トラッド。ホラ話ならば、それでも良し。本当の話なら心胆を引き締めてドルマの小僧に舐められぬよう相対すれば良かろう。問題はあの小さな御仁の器量に関しては私もわからぬことが多くてな」
「天馬の騎士ともあろう御方の言葉とは思えませんね。タダの生意気な子供でしょう」
トラッドはやや皮肉っぽい口調で言った。腕をひねられたことをかなり根に持っているらしい。
しかし、コルキスは困り顔で不機嫌そのものといった甥御に速人に関する正直な感想を告げる。
「それがそうとも言えぬ。何せ、あのセイル様とベンツェル様のご友人だからな。ルギオンの若様やダグザ坊ちゃんともお知り合いの方なのだよ」
トラッドはコルキスの口から二人の英雄の名を聞かされて、驚愕の表情のままその場で固まって動かなくなってしまった。
コルキスはトラッドの間の抜けた姿を見て「少しばかり脅かしすぎたか」と自嘲気味に笑っていた。