第六十五話 ハイデルからカッツへ。そして次の世代へ続く物語。
次回は五月十八日に投稿します。
速人は桶の中から落ちてしまったライムを拾っていた。
ライムはお湯の中に入れてからそれほど時間が経過しているわけではないので脱色や変形をしているわけではなかったが区切りとして一度外に出たものは捨てると決めていたのだ。
速人は小ぶりなライム色の果実を手に取りながらふと考える。
かつてマイケルやセオドアたちが、このライムの実を手に取りながらどんなことを考えていたのかを。
先ほど泥酔している姿をテレジアに見つかりズタボロにされたマイケルたちの姿を思い出せば自ずと頷けるというものだ。
今マティスはアンに、セオドアはジュリアから往復ビンタを食らっている。
速人は何も見なかったことにしながらライムを麻の袋に入れた。
ダイアナはマイケルの腹に膝蹴りを入れた後、それを止めようとしたダイアナの夫クリスの顔面にハンマーフックを叩きこんだ。
二人ともゲロを吐きながら気を失ってしまった。
ハイデルとて最初は口を挟むつもりは無かったが、酒を一献交わしたことにより情に絆されて思わず口を挟んでしまう。
「あの、その。よその家の問題に口を挟むつもりはないが、その辺で許してやってくれねえか?」
ダイアナはギロリとハイデルを睨みつける。
酒に慣れていないハイデルは最初に一杯それこそ口をつけた程度だったのでテレジアの頭突きで許された。
しかし、ダイアナの家族はテレジアがいないことをいい事に大酒を飲んでしまったのである。
本来ならば死をもって償わなければならない大罪だった。
「へえ。じゃあウチの旦那の代わりにアンタが殴られてくれるのかい?」
テレジアは血まみれになってしまった自分の拳をタオルで拭いている。
床の上に転がっているマイケルたちを見ようともしない。
ハイデルの本能は自らの命を守る為に撤退を選択し、自然に後退していた。
しかし、その時幸か不幸か偶然にもハイデルとマイケルたちの視線が合ってしまった。
頭のサイドを剃って髪を逆立てたモヒカン・ヘアと炎を模した刺青(※ペイントだった)が無くなってしまえばマイケルたちの顔の特徴はどことなくグリンフレイムに似ていた。
実の親子なのだから仕方ない。
そのマイケル達は絶望的な表情になって両目から涙を流している。
(かつて俺はグリンフレイムに守ってもらったんだ。今度は俺の番ってわけか)
ハイデルは自嘲を込めた笑いを浮かべながらテレジアの前まで出て行った。
「ああ。今度は俺があの人に変わって殴られてやるよ。いつでも…」
!!
音はしなかった、と少なくとも速人は考えている。
テレジアが軽く横に足を出しただけでハイデルはボーリングのボールのように壁まで運ばれた。
(ストライク!)
速人の心の叫びに呼応するかのようにハイデルは身体を叩きつけられて口から血を吐き出した。
テレジアは地面に唾を吐いた後にハイデルに向かって「シィッ」と親指で首を掻っ切る動作を決めた。
「だらしないね。グリンフレイムなら後二発は耐えたよ?」
テレジアは右腕に力こぶを作り、ニヤリと笑った。
テレジアの娘たちは母親の姿に惜しみない称賛を送っていたが、逆にハイデルは白目を剥いたまま何も答えなくなっていた。
速人は一瞬カッツの方を見たが、目の前の状況に理解が追いついていないという様子だったので自分でハイデルの蘇生を行うことにした。
ハイデルの口元に耳を近づけて呼吸が止まっていないことを確認すると名前を呼んだり、身体を揺さぶったりして意識が回復するように努力した。
「ハイデルさん。いい加減、起きろよ」
ハイデルは速人の大きな顔を見た瞬間に間違って苦いものでも口の中に入れてしまった時のような表情になってしまったが、すぐに元通りにする。
速人の怒りの基準はよくわかってはいないが下手に刺激すると命の危険に関わるということだけは理解していた。
「うぐっ!!…本当に悪い。向こうで親父たちに説教を食らってたぜ。面目ねえ」
速人は意識が十分に保つことが出来ないハイデルの世話をカッツたちに任せてテレジアと話をつけることにした。
ごすっ!ごすっ!ごすっ!
テレジアの背後ではまだマイケルたちが私刑を受けている最中だった。
速人としては一秒でも早く闇市に行きたかったのでマイケルたちがこのまま野晒にされて禿鷹の餌になっても一向に問題は無かったのだが、雪近やディーの青ざめた顔を見ればそういうわけにもいかなくなっていた。
(人間はどうして出会いと別れを繰り返すのだろうか…。全部無駄なのに)
速人はまずドワーフたちの今後の処遇について切り出す。
「テレジアさん。見ての通り、ハイデルさんの体調は回復した。今後は毎日マティス町長のところに通って健康診断を受けてもらうことになると思うけど、もうハイデルさんたちの方からは文句を言ってくるようなことは無くなると思うぜ」
「ハッ!あんな死にかけのジジイのことなんざ最初からどうでもいいんだよ。ウチの家族を代表して言わせてもらうけど、町にはロクデナシどもを養う余裕は無い。そこのところはどうするつもりだい、速人?」
テレジアは腰に下げた戦斧のような手斧の刃よりも重く鋭い目を向けた。
戦闘マシンとして教育されてきた速人のトノサマガエルのような顔にわずかな揺らぎが生まれる。
(この俺が圧倒されているというのか!?)
数多の戦場を駆けた証である額から頬にかけて広がる十字の傷痕は伊達ではない。
「彼らには町の新しい労働力として役立ってもらう。俺がサンライズヒルに入ってきた時に見たんだが、今は人口不足が原因で空いている畑がたくさんあるだろ。カッツさんたちに畑の手伝いをしてもらえば秋には収穫が増えるはずだ」
速人の話が終わったすぐ後に先ずカッツが出て来た。
先ほどまで酒を飲んで顔色が少し良くなっていたが、今は悲壮感が漂っている。
「待ってくれ、速人君。君の提案は嬉しい限りだが、あんな立派な土地を借りても今の我々には支払えるものが何もないんだ。今住んでいる場所の代金だって払っていないというのに…」
カッツとしても速人の提案は嬉しい。
出来ることならば一族に声をかけてすぐに畑の作業に取りかかりたい一心である。
しかし、流浪の生活で手持ちの農具は売り払ってしまったので仕事をしたくても出来ない状況だったのだ。
さらに食料も、先ほど話題に上がった借地料の問題も解決はしていない。
「ああ。カッツさん、テリー。話をしているところ悪いんだけど。借地料な、速人が全部払ってくれたよ。お湯にライム浮かべてあったろ。ライムの実の料金に3000QPだってよ。はぐッ!!」
次の瞬間、ジュリアの腰の捻りを利かせた回転を加えたボディーアッパーがセオドアの腹筋に突き刺さった。
ここだけの話、ジュリアは第十六都市の下町に君臨する”鮮血のダンデライオン”ことシャーリー・ブロードウェイの弟子の一人だった。
セオドアは吐血した直後に爽やかな笑顔を浮かべながら親指を立てる。
隣で荒縄で縛られているマティスが「セオドア様ッ!!ジュリア、お前は何ということを!!」と泣き叫んでいたが、速人は何も見なかったことにした。
「ダイアナ。3000QPってのはどれくらいの値打ちがあるんだい?」
ダイアナは地面(※マティス町長の馬小屋の地面は土、板、藁になっている。この場合は土の部分を使って絵を描いている)に袋の絵を描いてテレジアに説明した。
速人が「ここまで出来れば十分だ」と思えるほど的確な説明だった。
「私は数字とかに詳しくないから、大凡ってことになるけど今のサンライズヒルにある分と合わせて一年は余裕が出来るくらいの食料を買えるんじゃないかい?」
サンライズヒルの住人を全員合わせても流れてきたドワーフたちよりはかなり多い。
秋の収穫までは生活を切り詰めることになるが、十分な食料を確保できると考えられる。
速人はドヤ顔で葉巻を吸う仕草をしながら答えた。
「うほほほっ!!水の問題は既に解決していることですし、当面は問題がないかと。これは解決したも同然ですなあっ!ぷはあああ!!」
テレジアは速人を蹴り上げようとしたが直前で止めてしまう。
速人は既にダイアナを挟んでテレジアと対峙する位置まで移動していたのだ。
速人は容赦なくダイアナを盾として使うだろう。
さらに運悪くダイアナの側にはダイアナの子供たちが群がっている。
ダイアナを始めとする自分の娘たちは最強の戦士となるべく厳しく育てたつもりだが、その反動かダイアナの子供の世代は普通の子供の同様に育てられていた(※あくまでテレジア基準)。
(ここで蹴ればダイアナの子供たちも巻き込む…)
わずかな思考時間を経て…テレジアは速人を蹴った。
「があ…ッッ!!母ちゃん、何で…!!」
直後、ダイアナが天高く打ち上げられる。
ダイアナの身体は宙で弧を描き、そのまま地面に叩きつけられた。
速人は次の盾候補としてダイアナの娘を既に持っている。
テレジアは速人にまんまと乗せられたことに腹を立て、舌打ちをした。
「いちいち腹の立つ餓鬼だね。私に人質が効くとでも思っているのかい?」
テレジアは拳を握ってから上段に構え、ファイティングポーズを取る。
母親の性格を知り尽くしているダイアナにはせめて我が子の怪我が少なくすむようにと祈るしかない。
速人はフッと笑った後に、ダイアナの娘を解放して交渉を続けることにした。
ダイアナは我が子をすぐに抱き締めて自分の胸に抱き寄せる。
何が起こったのか、理解できていないダイアナの娘は大粒の涙を流す母親の腕から逃れようとしている。
(流石にやり過ぎたかね…)
テレジアの知る限りでは長女のダイアナは子供たちの中で最も優しい心の持ち主である。
妹と弟たちにも常に厳しく当るのは、二番目の男子であるジョージの死をきっかけに父親が変わってしまったことを覚えているからなのだ。
テレジアの母親としての哀愁に満ちた貌を速人は遠巻きに眺めていた。
「私も大人げない真似をしました。ご無礼のほど、どうか平にお許しを。マダム」
速人はチョコチップとレーズンがたくさん入った厚めのクッキーをテレジアに手渡した。
テレジアは芳醇なラム酒の匂いにつられてつい手に取ってしまう。
そして毒が入っているかなどと疑いもせずに口の中へ放り込んでしまった。
ガリッ。ガリッ。ガリッ。
テレジアは穏やかな表情で口内のクッキーをしっかりと味わっている。
テレジアの子供たちは二重の意味で驚いていた。
「フンッ!!…まあまあだね。私には甘すぎるよ(※強がり)。例え住む場所と食料と水の問題が解決しても、ドワーフの連中が町の人間と上手くやっていける確証はあるのかい?ここの住人はドワーフ連中が常日頃から無能と貶め続けてきた融合種ばかりだよ」
速人とテレジアはハイデルの方を見た。
ハイデルは不自由を強いられながらもテレジアの言葉に答える。
「テレジアさん。今さら何言ってんだと思われるかもしれないけどよ、俺は戦場から逃げ出してきた腰抜けで俺の家族も他の連中も帝国どころか他の場所でさえお尋ね者あつかいのドワーフであってドワーフではない出来損ないに格下げされちまったんだ。そんな俺たちを無条件で受け入れてくれた町の人々には感謝する以外はねえよ。喜んで頭を下げてこき使われてやるさ。だがな、それはあくまで俺の話だ。これからの俺たちのリーダーは息子のカッツだ。だから話合いをするならカッツとしてくれ」
「何言ってんだよ、親父!!俺に決められるわけないだろ!!」
ハイデルに次世代の交渉役として指名されたカッツが憤る。
カッツはエリオットやセオドアと変わらない三十代前半だったが、故郷から一緒に逃げてきた集団の中では若い部類に入る世代だった。
とてもではないが、他の仲間に相談せずに決められるような話ではない。
「あのな、さっき俺はあの世のお前の祖父さんに会ってきたって言っただろ?その時に言われたんだよ。俺がそうしたように、今度はお前の息子を信じてやれってな」
ハイデルはカッツの顔を見つめる。
カッツはハイデルの視線に込められた意志を即座に理解してしまった為にそのまま何も言えなくなってしまった。
「それでドワーフの坊やはどうしたいんだい?町のルールに従って働くのか。それとも町を出て行って野垂死ぬか。好きな方を選びな」
テレジアは居丈高にカッツを見据えた。
この先、自分ごときに怯むようでは一族を率いて行く資格はない。
カッツはそう言われたような気がした。
故にカッツは胸を張ってテレジアを見返してやることに決めた。
仮の住まいに残してきた母も、祖母も、妻も子供たちも、他にも数多くの親戚がハイデルと自分の帰りを待っている。
カッツは小さな勇気を振り絞ってテレジアと視線を合わせた。
鼠と獅子。
カッツは一瞬で全身から滝のような汗を流す。
心臓が直に握られたような気さえした。
カッツは頭を下げた後、ささっと速人の後ろに隠れてしまった。
「こ、こ、こ、これからはっ!サンライズヒルのルールに従って、畑仕事のお手伝いをさせてもらいます!!」
テレジアはため息を吐きながらダイアナたちの方を振り返る。
ダイアナは他の兄弟たちを代表してテレジアの決断を尊重する旨を伝え、この場は収まることになる。
そして一族の女性たちから暴虐の限りを尽くされたマイケル達はボロボロの姿で解放され、速人の治療を受けることになった。
帰り際に速人は生き返ったマイケルたちにテントを使った公衆浴場を提案し、設置方法などを教授する。
幸運な事にカッツの一族には大工を生業にしている者もいたので公衆浴場は早めに実現するかもしれない。
こうしてサンライズヒルの問題は一応解決したので速人たちは当初の目的である”闇市”に向かって出発することになった。